167話 今日の彼は炭鉱夫
その時クラッグは高い山の上にいた。
目的はいつもと同じ、叡智の力の収集だ。標的は昔、力の暴走によって龍のような姿となり、天を飛び回り雷雨を振りまく怪物と化していた。
とある地方では雷神として崇め奉られ、恐れられてもいたらしい。
ただ、そんなありがたいものではなく、ただの力の暴走である。
クラッグは高い山に登り、あちこちを飛び回る龍を待ち受け、捕らえて惨殺をした。
今日も腕を獣の頭の形にして、叡智の怪物の死骸を喰らう。
そうやって彼は叡智の力を体の中に封じるのである。
「…………」
腕で獲物を捕食しながら、周囲を見渡す。
高い山にいるだけあって、空が近く、青が深い。
荒んでばっかの心の内にも清々しさが染み渡ってくるようだった。山のてっぺんは近く、空を遮るものは何もない。
眼下には、たくさんの木々を生い茂らせた山々がどこまでも連なっている。見える地上の全てが緑色に染まっていて、その景色から生命力の逞しさが感じ取れる。
近くにあった大きな岩に背中を預け、広大な空をただぼんやりと見上げた。
「…………」
平和だ、という言葉が頭の中に浮かび、クラッグは自分で自分がおかしいと感じる。
傍にいるのは自分が先程ぶっ殺した龍の死骸だ。それをもしゃもしゃと食べ、死骸から力を奪っている。
こんな事ばっかしているのに、綺麗な景色を見て平和だと感じる自分の心がおかしかった。
「うおっ……!?」
「ん……?」
そんな風にぼぅっとしていると、この場所に1人の男が姿を現す。
どこかで見たような銀色の長髪、端正であるのに気の抜けたような顔つき。
ギンである。
あの日奈落の底に落ちていったギンが、山を呑気にてくてくと登って来て、この場に姿を現した。
「げっ……」
クラッグは思わず眉を顰める。嫌な男と再会した。
生きているかもしれない、とは思っていたが、本当に生きていて、あまつさえ再会してしまうとは……。
千切った腕も足も治り、当たり前の様に万全の健康体で現れている。
あの日と違うのは服装が白いフード付きのコートではなく、登山用の装備を身に着けている事だろうか。
先程まで自然に癒されていた彼の心は一転、イライラとし始めた。
今度こそ殺そう。今度は最初っから全力で、確実に息の根を止める。
クラッグは彼と言葉を交わさず、無言で自分の剣を手に取った。
「ちょっっっと待ったああああああぁぁぁぁぁぁぁっ……!」
だが、戦いに入る前にギンが大きな声を発する。腕を上げて手のひらをクラッグに向け、待ってとジェスチャーする。
クラッグはちょっと驚いて体がびくっとなり、機先を制されてしまった。
「…………」
「…………」
2人の動きが止まる。
ギンの大声がやまびことなって跳ね返って来て、そして広い空に吸い込まれるように消えていく。
「ちょっと話を聞いてくれ、少年。今日俺はつるはししか持ってねえんだ」
「……?」
「今日の俺は炭鉱夫なんだ。だから、お前とは戦えないんだ」
「……?」
ギンの言う事は不明瞭で、クラッグは小首を傾げる。
彼はぺらぺらと喋り出した。
「お前の横で死んでるのって叡智の怪物? いやさ、今日俺は叡智の力を何とかしようと思ってここに来たんじゃないんだよ。いや、ほんと。俺が用があるのはこの先にある『山頂からの炭鉱』って珍しい炭鉱でさ、そこで取れる貴重な鉱石が必要なんだよね。いやさ、俺ってば困ったときの冒険者ギンさんで通ってるからさ。こういう仕事も請け負ったりすんだよね」
「…………」
「だから、今日は戦い用の装備で来てないの。炭鉱夫用の装備なの。お前と出会ったのはほんと偶然で、お前みたいな化け物とやり合うだけの準備してないんだよね、ほんと。見てよ、ほら。つるはし。武器っぽいものってつるはししか持ってねえんだよ」
「…………」
お喋りの彼の前に、クラッグの気が緩む。眉に皺が寄る。
よくもまあ、こんなべちゃくちゃと喋るもんだと呆れる。もうちょっと短く纏めてくれとすら思っている。
「そんな訳で、つるはししか持ってない俺はお前と戦えない。今日の俺は戦士ではなく炭鉱夫。オッケー?」
「…………」
それなら尚更殺しやすいんじゃ、とクラッグは考える。
「あー! お前、今『それならもっと簡単に殺せるんじゃね? 殺しちまおうか』とか考えただろ! いーけないんだ! いけないんだ! 明らかな格上が格下相手にそんなゲスなことやっちゃいけなんだって法律で書いてあるんだぜ!?」
「…………」
「お前の武人としての誇りは無いんかぁ!? あぁっ!? 弱い者が惨めにぷるぷる怯えている事を寄ってたかって嬲っちゃいけないんだぜぇ!? そんなことしたら、お前モテないぞぉっ……! モテないのは嫌だろ、お前ぇっ……!」
「…………」
「だから剣をお収めください、お願いしますっ! 切実にっ! このとーりっ……!」
「…………」
深々と頭を下げる目の前の男に、クラッグはため息を付く。
別に武人としての誇りとかそういうものは持ち合わせていないが、ただただ彼はめんどくさくなってきた。
「っておいおい、ここめっちゃ景色いいじゃん! 俺ここで昼飯にしよー」
「…………」
ここは景色が開けた場所である。
空は広く、地上の山々がどこまでも見渡せる。その景色の良さに気付き、ギンは子供のようにはしゃいだ。
地面に敷物を敷き、その上にどかんと座る。
バックの中から昼飯のサンドイッチを取り出し、水筒の水をごくりごくりと飲む。一番景色の良く見える場所に陣取り、リラックスして昼食を取り始めた。
「…………」
もうクラッグはどうしたら良いのか分からない。
剣を片手に握りながら、ただぼんやりと突っ立っていた。
毒気を抜かされてしまっている。
「どうだ? お前もサンドイッチ食うか? たくさん作って貰ったからまだまだあるぞ?」
「……いらない」
「おいおい、もったいねーなぁ。こんなに美味いのに」
そう言いながら、ギンはもぐもぐとリスの様にサンドイッチを頬張った。
「ところで、お前の名前は?」
「……幽水」
「幽水? 変な名前だなぁ」
毒気を抜かされたまま声を掛けられて、クラッグは会話に応じてしまう。
『幽水』はクラッグが仕事の時に使う名前だ。
それはクラッグの力の根源に則した名前であり、仕事の時はその名を使っている。
……のだが、クラッグは言ってから気付く。
幽水と名乗った相手は皆逃さず殺してきたので、この名前を知る者は今までいない筈だった。
「お前すっげー強いのな。いやさ、俺は自分の強さに自負を持ってんのよ。少なくとも、俺より若い奴で俺より強い奴なんて存在しない。もっと言えばこの大陸で一番強いのは俺なんじゃねーか、とすら思っていたんだが、いやー、世界ってのは広いっ! ……いや、ちょっと待てよ? お前10歳くらいに見えるのは見かけだけで、本当は何百年と生きる化け物なんじゃねーのか?」
「……そういう訳ではない」
「そっかー。マジかー」
ギンの言う、自分は大陸一番かもしれない、というのは誇張でも何でもない。
世界一すら名乗っても何らおかしな点はないだろう。
裏社会の組織の実力者、ローエンブランドンですら目の前のこの男に勝てるかどうか、クラッグは頭の中で考えるが、少し怪しい気がしていた。
「幽水、お前はなんで叡智の力を追ってるの? そこの龍食べてるようだけど、力を吸収とか出来んの? それってすごくね?」
「……話す義理は無い」
「ちぇー」
「…………」
「……やっぱサンドイッチいる?」
「いらない」
さっきから何なのだろう。
クラッグは考えるけれど、答えは出ない。
完全にペースが乱されている。
ギンは隙だらけだと言うのに、気が削がれ、戦う気が起きない。
「ここは綺麗だなぁ」
「…………」
広い景色を眺めながら、ギンが呟く。
彼の後ろから同じ景色を眺めて、心の中で同意する。
彼に初めて感じる、共感だった。
「ふぃー……。あー、美味かった。じゃあ、俺はそろそろ行くわ」
「…………」
敷物を片付け、よっこいしょと大きな荷物を背負う。
その姿は大陸一の最強の戦士には見えず、本当にただの炭鉱夫に見える。いや炭鉱夫どころか、ただの山好きの登山家とすら思える。
それ程までに威厳が無い。
この先にあるのは『山頂からの炭鉱』という場所で、山頂から入って、山の内部を下っていく特殊な炭鉱である。
中にはモンスターもいて危険な場所であるが、目の前の男ならつるはしでも十分対処可能だろう。
クラッグはそう考える。
「じゃ、またどこかで会えたら。あ、殺し合いしたい訳じゃねーよ? お前と殺し合いなんてもうまっぴらごめんだけど、今度どっかで一緒に酒でも呑みてえな?」
「…………」
「そんじゃ、幽水。またなー」
ギンは手を振りながらこの山の上り道の方へ歩いていく。
クラッグは手を振り返さない。振り返さないが、山の奥へ消えていく彼の姿をただぼおっと見送った。
そして、2人は別れた。
「…………」
クラッグは呆然としている。
片手に剣を握ったまま、結局その剣を彼に振る事は無かった。
完全に気が削がれた。戦いにすらならなかった。
「……なんなんだ、あいつは」
自分の髪をくしゃくしゃと弄る。
もうこの場所に用はなく、彼はギンと逆方向に進み、下山を始める。
「…………」
山の緑は綺麗で、空の青は清々しい。
土を踏みしめながらクラッグは歩く。
「…………」
この前の洞窟の帰りとは違う。
今日はなんだかイライラしていなかった。
【宣伝】
私の書籍化作品『私はサキュバスじゃありません』が発売されております!
皆さん、是非書店などでお買い求めください!
たくさん書き下ろしました!
よろしくお願いします!




