164話 根源を示す言葉
会議に使われていた大部屋が閑散とする。
百足の新人のリックとフィフィーが蝋燭の僅かな明かりだけを頼りに、部屋の掃除をする。
深夜の冷えた空気で水までも冷たくなり、雑巾を持つ手がかじかんで痛くなる。
とは言っても、普段から厳しく鍛えられているリックとフィフィーにはこの程度の痛みは痒くもない。
掃除をする者達の他に、この大部屋には団長のローエンブランドン、村長のヴィリージア、そしてクラッグの3人がいた。
ローエンブランドンとヴィリージアは酒を、クラッグはジュースを飲んでいた。
クラッグは酒をよこせと要求したが、ヴィリージアに止められた。彼はまだ11歳ほどの小さな少年だ。
この国では酒を呑めるのは15歳から。こんな田舎の夜更けで誰が咎めるわけでもないが、良識のある大人達にクラッグは酒を止められていた。
ムスっとした顔でちびちびとジュースを飲む。
「……それで? クラッグは相変わらず、王族や貴族が嫌いなのかの?」
「…………」
ぼそぼそとした会話の中で、村長がそうクラッグに聞く。
その質問に、クラッグは少しジュースを飲む手を止めるも、返事はしなかった。
村長が言葉を続ける。
「ベルディスの都市で行動を起こしたのは、お前さんにしてはちと性急じゃったの。お前さんは行動が早く、そして力に任せ荒い面もあるが、必要な調査は割とこなす。じゃが今回の事の早さ、それも省いたじゃろ」
「…………」
「なんじゃ? 2代前の王族が嫁いだ貴族の家系じゃったか? そいつらとトラブルでもあったのかの?」
「…………」
クラッグがこの国の貴族や王族を嫌悪しているというのは周囲の人間には知られている。
もともと不愛想な態度ばかり取っている彼だけれど、貴族などの地位の高い人間を前にすると嫌悪の感情を更に表に出してくる。
場合によっては殺気と言えるものすら溢れ出て、空気が非常に重くなる。
王族に対しては更に顕著で、話題に出るだけで場の雰囲気がビリビリと震えだす。彼の中に恨みと憎悪の感情が渦巻いていく。
現に、今この場所の緊張感が高まっていく。
「…………」
少しの沈黙の後、クラッグが小さなため息を吐き、喋り出した。
「……トラブルは、ない」
「…………」
「今回のターゲットは貴族の屋敷で働くメイドだった。王族の血を引くその貴族とやらは……良い奴だったよ。……誰にでも優しく……目下の人間にも誠実な奴だった。不調をきたし始めたそのメイドの事を、とても心配していた……」
「…………」
「それが……癪だった……」
クラッグが言葉を呑み込む様にジュースを口にする。
憎悪故に性格の良い貴族の人間を受け入れられず、感情をこじらせていた。
「……難儀な奴じゃのぅ」
村長はそう言って、呆れた。
「……トラブルは無い。力は綺麗に抜いてきた。誰とも争いは起こしてない」
「そのメイドの子は?」
「心配ない。問題は解決したんだ。……あの環境なら、普通に幸せだろう」
そう言ってクラッグは口を閉じた。
杯に注がれた酒の水面が揺れ、淡い蝋燭の明かりを震わす。
リックとフィフィーは掃除の手を止めていないが、会話の内容が気になり、意識は彼らの会話の方に向いていた。
彼ら3人は幼馴染の関係に当たる。
クラッグは揺れる蝋燭の明かりをじっと見つめ、動きを止めている。
彼の原動力は憎悪である。憎いものは憎い。滅びてしまえとすら思っている。
だから、憎いものの中に美しさを見つけてしまうと感情が鈍る。
自分の脆弱さに、クラッグは自分でも呆れる。自分の心に矛盾すら感じる。
彼はそっと目を閉じた。
「……王族が憎いのは、やはり……故郷を滅ぼされたからかの? クラッグよ」
「…………」
そんな彼に、村長はもう一度質問を投げた。
その言葉に反応をしたのはクラッグではなく、掃除をしていたリックとフィフィーであった。
2人はちゃんとロビンの故郷の話を聞かされていなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
クラッグは口を開かない。下っ端であるリックやフィフィーも口を挟まない。
もう何度目かの沈黙が下りる。注目はクラッグに集まっている。
だが、口を開いたのは村長であった。
「フィフィー、リックや。お前達ももう正式な百足の一員。ロビンに近しい者として、話を聞きなさい。ほら、こっちにおいで」
「はっ!」
リックとフィフィーはキリキリとした返事をし、村長の傍に腰を下ろす。
話しても良いか? と村長はクラッグとローエンブランドンに視線を向ける。
クラッグから反応は返ってこない。ローエンブランドンは小さく頷き、前団長の判断を肯定した。
「クラッグとロビンの故郷はとある騎士団に滅ぼされておる。それは恐らく、『バルタニアンの騎士』という組織によるものじゃ。そして、そこには理由があって……」
村長が説明をし始める。
ロビンは4歳の時、『叡智』の力を使って強力な魔物を創造してしまった。
それは暴走に近いものであり、ロビンが創った魔物はいくつかの村や町を襲い、大きな被害を齎した。
その騒ぎを察知した謎の騎士団がその魔物の操り手を探り出し、攻勢に出た。
ロビンの住む村は蹂躙されることとなる。村は焼け、村人たちはロビンを守るために必死に戦い、皆殺しにあった。
その謎の騎士団は『バルタニアンの騎士』という。
王族と繋がっているかもしれない、とされる裏社会の組織の1つだ。
「しかし、クラッグの調査によりある事実が判明する」
「…………」
「ロビンが創った魔物が襲った村々というのは、我らの敵『アルバトロスの盗賊団』の手の入った場所じゃった。まだ幼いロビンが敵の存在を察知し、自己の防衛として攻撃を仕掛けていたのじゃ」
リックとフィフィーがごくりと息を呑む。
ロビンは『叡智』の力を暴走させていた訳ではなかった。魔物を創り出し、自分に害を為す敵を見極め、攻撃をしていた。
それは本能のようなもので、ロビン本人に自覚は無いだろう。
ただ、無辜の民を襲っていた訳ではなかった。
しかし、端からみれば何の罪もない村を襲う悪の怪物である。
騎士団は正義を以て、ロビンを討ち倒そうとした。
当日、その調査を行っていたクラッグは遅れて村に帰着し、ロビンを守った。しかし、その他の者は全て間に合わなかった。
村の全ては息絶え、クラッグとロビンは2人村を離れた。
そしてその惨劇から心を守る為、ロビンは過去の事を忘れ去ってしまった。自分の親の顔すら思い出せなくなってしまった。
「騎士団の行動は至極真っ当じゃ。人を襲う怪物は退治しないといけない」
「退治……」
「じゃが、被害の本人からすれば憎悪が残るのは仕方がないのじゃ。平和のための犠牲は止む無し。だが、犠牲と言って切り捨てられた者の憎しみも罪ではないのじゃ」
「…………」
「そうじゃろ、クラッグ。だから王族を憎んでおるんじゃろ?」
村長がクラッグの方に目を向ける。
クラッグは酒の杯を手に持ちながら、俯き、顔を上げない。
「…………」
リックとフィフィーは拳を強く握った。
2人は今の話を初めて聞いた。しかし、それまでの状況、過去の調査、クラッグやロビンの様子から多くの事を予想出来ていた。
2人はロビンやクラッグと深い親交がある。
幼馴染同士であり、フィフィーに至ってはロビンやクラッグの義理の兄妹となっている。
今の話の中に悪人はいない。
しかし多くの人が犠牲になり、ロビンは両親の顔すら思い出せなくなり、クラッグの胸の内には深い憎しみが刻まれることとなったのだろう。
幼馴染の兄妹の境遇に、2人はただ無念を覚えた。
「……いや」
「ん?」
そこでクラッグが口を開いた。
「別にその件で王族を恨んでいる訳じゃない。爺さんの言う通り、僕もあの騎士団の行動は至極真っ当だと思っている。真っ当なものに恨みは抱いていない。寧ろ、誤解を与える行動となったこっちに否がある位だ」
「……おや?」
「同じ状況になったら僕だってあの村を焼き払う」
クラッグの軽い言葉に村長とローエンブランドンは少し目を丸くした。
「別に村に思い入れがあった訳でもないしな。原因と結果がはっきりしているから、まぁ、そんなものか、という程度だ」
「そういうものかの……?」
「…………」
淡々と喋るクラッグの様子に、2人は少なからず動揺していた。
クラッグが抱える王族に対する嫌悪感、その原因をあの日の争いにあるものだとばかり思っていたから、あっけらかんとしたクラッグの姿に戸惑いを覚えていた。
拍子抜け、という思いすら抱く。
悪のいない闘争。
クラッグはそこに、特に大した感情を持ってはいなかった。
彼がぼそりと呟く。
「僕が王族を恨むのは、もっと別の……過去の……」
「……?」
「僕の……力の根源に関わる……」
そこまで言って、クラッグは口を閉ざす。
少し様子がおかしかった。まるで口が滑ったとでも言うかのように、彼の眉に皺が寄り、不機嫌な様子を見せ始める。
小さなため息までつき、軽く俯く。
部屋の中の蝋燭の小さな明かりが彼の頬を赤く照らす。
「……なんでもない。忘れろ」
そうだけ言って、ジュースを呑む。
もうこの場でクラッグの口が開く事は無かった。
掃除も終わり、大部屋からは誰もいなくなった。
日をまたいでから2時間ほどが経過している。夜の闇は深く、まだまだ太陽は昇らない。
「じゃあ、リック。またねー」
「うん、フィフィー。お休み。クラッグもお休み」
「あぁ」
そう言ってリックはこの家から出ようとしていた。
フィフィーとクラッグはこの家が実家であるが、リックは別の場所に家がある。
リックが玄関から出ようと、ドアノブに手を掛けた。
そんな時、トイレのドアががちゃりと開いた。
「……ん?」
中から小さな女の子が姿を現す。
ロビンである。寝ぼけ眼を擦りながら、ふらふらとトイレから出てきた。
「あら、ロビン。トイレに起きてきたの?」
「んー……。フィフィー姉ちゃんー……」
まだ半分眠っているような状態で、ロビンが答える。
「……みんな、まだお仕事なのぉ?」
「いや、今終わったところだよ。これから帰って寝るんだ」
「んー……?」
回っていない頭を揺らしながら、ロビンはにへらと笑みを作った。
「じゃあ……みんなで一緒に寝よぉ……?」
「ん?」
「ちょっと前みたいに、みんなで並んで……一緒に寝よぉ……?」
幸せそうに緩んだ顔を見せながら、ロビンはそう提案をする。
フィフィー達は顔を見合わせる。
さっきまですぐそこで裏世界の組織の会合をしていたとは思えない程平和な提案に、リックとフィフィーはくすっと笑った。
勿論却下はしない。2人はロビンに対して、うんと頷いた。
「はぁ……」
クラッグはしょうがない、と言った様に頭を掻いた。
皆でロビンの部屋に移動する。
1人用のベッドでは4人入り切れない為、床に敷物を敷き、その上に布団を並べる。
4人並んで布団にもぐる。
夜の虫の声が外から聞こえてくる。部屋の中は夜の気温が染み入りひんやりとしているが、布団の中は温かく、心地が良い。
皆で同じ天井を見上げた。
「ねぇねぇ」
ロビンが寝返りを打ち、ウキウキとした口調で聞く。
「ん?」
「リックと姉ちゃんはいつまでここにいられるの?」
いつまでもいてよ、という期待がロビンの声の抑揚から簡単に読み取れる。
リックは苦笑し、隣にいるロビンの頭を撫でた。
「半年はこの村でゆっくり出来るから。村長の下で色々学ばせて貰うつもりだしね」
「半年っ!? ……うーん? 半年?」
短いと取ればいいのか、長いと取ればいいのか、判断に困りながらロビンは首を傾げた。
「ほらほら、ロビン。半年経って、また外に仕事に行く事になっても、たくさん戻ってくるから。あんまり寂しそうにするんじゃないの」
「うーん……」
フィフィーに窘められながら、ロビンは顔半分を布団の中に埋もれさせた。
「……兄ちゃんはどのくらいいれるの?」
「明日の朝にはここを立つ」
「明日っ!? 早いよっ!」
ロビンは驚き、大きな声を上げる。
「……クラッグ。もう少しここにいてあげてもいいんじゃないか? 前に帰ってきたのも大分前だろ?」
「黙れ、リック。僕にはやるべき事がある」
「…………」
煩わしそうに、クラッグは寝返りを打ち皆に背を向けた。
「ロビン」
「ん……?」
「いつも言っているだろ。『僕達はどうしようもない世界に漂う放浪者だ』」
「…………」
それはクラッグが何度も何度も妹に聞かせて伝えている言葉だった。
「この言葉こそが僕達『叡智』の力の根源を示している。この言葉の思いを理解する事こそ、この力の本質を理解する事に他ならない。いつも言っているよな?」
「うん……。でもいまいちよく分からなくて……」
「男らしくなりたいんだろ。なら、いつまでも甘えたままでいるな。僕がいない程度でいちいち寂しがるな」
「……うん」
クラッグの突き放すような言葉に、ロビンは寂しそうに頷いた。
「…………」
「…………」
クラッグの語るこの言葉はリックもフィフィーも何度か聞いたことがある。
しかし、その深い意味までは教えて貰っていない。
何故それが『叡智』の力の根源を示すのか、その答えを知らない。
それはきっとロビンも同じで、その答えをロビン自身が見つける事をクラッグは強いている。
「あー! もうっ、全く! ロビン! あなたを放置する酷い兄ちゃんなんか放っておいて、明日はうちと一杯遊びましょうねぇ! あんな酷い奴なんか放っておいて!」
「わ、わぁっ……!? フィ、フィフィー姉ちゃん!?」
布団の中でもぞもぞと動き、フィフィーはロビンの体をぎゅっと抱き締めた。
「あーあ! こーんな可愛い妹がいるのにあんなに不愛想だなんて、人生の9割損してるわ、うちの兄ちゃんは! ねー、ロビンー!」
「え、えぇっと……」
「ほっとけ」
フィフィーはロビンに頬ずりをする。過剰なスキンシップに、流石のロビンも少し狼狽えていた。
「…………」
クラッグは皆に背を向けたまま、目をつむる。
人に優しくするという事が分からない。そんな生き方をしてこなかった。
為すべき事だけを為し、他の事などどうでもいい。
それが、彼の魂に刻み込まれた性根であった。
「…………」
仕方が無いと自分を諦めて、彼は考える事を止めた。
「で、明日は何して遊ぶ? ロビン?」
「んー……」
フィフィーは妹を抱き締めながらそう聞く。ロビンは顎に指を当てて少しの間考え、そして満面の笑みで応えた。
「戦いごっこ!」
「…………」
「…………」
その男勝りの答えに、この少女の将来が少し心配となる面々であった。
やはり、こういうシーンにジュースは似合わない。
ギャグかよ。




