162話 フィフィー
南の方角に高く太陽が昇っている。
十分に舗装がされていない道を少年が歩く。この街道は人の交通がとても少なく、周囲には豊かな自然しか存在しない。
辺境の片田舎。そう言った言葉がまさにふさわしい場所である。
誰ともすれ違うことなく、少年は寂れた道をただ歩く。
目的地はこの先にある小さな村だ。
何もない村であり、観光や行商の人間がそこを訪れる事は決してない。
どこか大きな街に通じている道という訳でもなく、そこに住んでいる、そこにいる人に会いに行く、といった用事が無い限り決して誰も近寄らないような立地にある村であった。
ボロボロの簡素な服を身に纏った少年はそんな小さな村を訪れた。
「あっ! クラッグ兄ちゃん、お帰りっ……!」
「あぁ、ロビン、ただいま」
その少年が村の中に入ると、近くで遊んでいた小さな子供たちが彼に群がる。
焦げ茶色の髪をした少年クラッグと、同じ髪の色の少女ロビンである。
現在ロビン9歳。
彼女が前に住んでいた村が崩壊してから5年が経っていた。
ロビンは帽子を被っており、前方に付いたつばが彼女の顔を少し隠している。
目はぱっちりとしていて綺麗な顔立ちをしているが、髪の長さは男性の様に短く、美形の少年の様に見える。
兄であるクラッグの帰郷に喜び、タックルする様に彼の体に飛びついていた。
クラッグの体に強い衝撃が走るも、彼の体はぴくりとも揺るがなかった。
「クラッグ兄ちゃんー」
「兄ちゃん、お帰りー」
「お土産あるー?」
ロビンと遊んでいた子供たちがわらわらと彼に群がる。
クラッグは11歳であり、ここにいる子供たちと近い年をしているが、大人びており、この村を離れて外で仕事をしている事もあってか、村の子供たちから尊敬の念を集めていた。
リーダー格であるロビンの兄であるという点も大きい。
「土産は沿岸部の街で買った魚の干物だ。飯の足しにしろ」
「えー、また干物ー」
「うるさい。日持ちがいいんだ。お前ら、昼飯は食ったか?」
「まだー」
自分にしがみ付く妹の頭をポンポンと叩き、クラッグは言う。
「じゃあ一緒に飯にしよう。ほら、お前らヴィリージアの……村長の家で集合だ」
「はーい」
村の子供たちがとてとてと走る。
空には太陽が高く昇っている。
風は穏やかで、今日も畑を耕す鍬の音がよく聞こえる。
何の変哲もない村の平和な一時がそこにあった。
昼が過ぎ、時間が経って夕暮れが近づいていた。太陽は地平線に近づき、その姿を真っ赤に染め始めている。
村の大人たちも畑仕事を終え、村の家々の窓から夕飯の支度の湯気が漏れ出てくる。
この村の奥に他の家々よりも一回り大きな家が一軒建っている。
そこが村長の家で、ロビンはその家で暮らしていた。
「あのね、あのね、兄ちゃん! 実は今日はリックと姉ちゃんも帰ってくる日なんだよ!」
「……そうなのか?」
夕餉の支度を待ちながら、クラッグが居間で妹を構ってやっていると、その妹が目を輝かせながらそう言った。
「なんじゃ? クラッグ? 日にちを合わせて帰って来たんじゃないのかえ?」
その様子を見て、同じく居間でゆっくりとしていたこの村の村長ヴィリージアが喋る。
「知らねえ。今知った」
茶をずずずと飲みながら、どうでも良さそうにクラッグは答える。
この家は6人の家族で暮らしている。
まず家長である村長のヴィリージア。その息子のガンダッタ。ガンダッタの妻と、その2人から生まれた一人娘がいる。
そしてクラッグとロビンが小さい頃、ガンダッタの子としてその家に引き取られている。養子だ。
ただロビンはガンダッタ達を本当の家族と思い込んでいる。
幼い頃、本当の両親が殺され、村が焼き払われてしまったショックで記憶が飛んでしまっている。
この家に引き取られてから日が経つにつれ、いつの間にかロビンは彼らを自分の本当の両親であると認識するようになっていた。
この家の一人娘を本当の姉と信じ、慕っている。
現在クラッグはこの村の外で活動を続けており、ほとんどこの家にはいない。
この家の一人娘も特別な用があって暫くこの家を離れている為、実際には今この家は4人で暮らしていた。
「お兄ちゃんもお姉ちゃんも家にいなくて、ロビンは寂しいんだよねー?」
「と、父ちゃん! さ、寂しくなんかないやいっ……!」
居間にいるガンダッタの言葉にロビンは顔を赤くして、甘えていた兄の傍からばっと離れた。
「僕は兄ちゃんやリックのような立派な男らしい冒険者になるんだ! 兄ちゃんや姉ちゃんがいないくらいで寂しくなんかないやいっ……!」
胸を張って堂々とロビンがそう宣言する。
ただ顔が赤いのと、直前まで兄に甘えていたこともあってか、その威厳は年相応に可愛らしく風格の無いものとなっていた。
その中で、クラッグは眉を顰める。
妹の態度とは別の、言葉使いの一部に疑問を抱いていた。
「……僕?」
「ははは……。最近ロビンは君やリックの真似し始めたんだよ。男らしくなりたい、男らしくなりたいってさ」
「…………」
ロビンはそれまで一人称の『わたし』を使っていた。
ただ、久しぶりに帰ってみれば自分の事を『僕』と呼んでいる。
ロビンにはクラッグとリックという強烈な実力を持った同年代の男性が傍にいる。
村の外に沸いた魔物を狩る際、その2人は年若いながらも圧倒的な実力を以て、その魔物達を屠っている。
その鮮烈な姿に憧れ、いつからかロビンは男らしくなりたいと言う様になっていた。
髪は短く切り、帽子を被って活発そうな印象を作る。服もひらひらとしたものを身に付けず、動き易く短いズボン、シャツを愛用している。
「ロビン……お前、それでいいのか? 嫁の貰い手が無くなるぞ? せめて格好だけでも女性らしく……」
「ヤ゛ダっ……!」
「…………」
クラッグは閉口し、保護者であるヴィリージアとガンダッタの方を見た。
「……僕がいない間に妹が変な方向に成長しているだが。……止めろよ。保護者だろ」
「そう言うのなら、兄であるお前さんがもっと村に帰って来てロビンの相手をしてやればいいのじゃ」
「そうそう。自分を棚に上げるのは良くないなぁ。クラッグ」
「……ちっ」
クラッグは苛立たしい様子で舌打ちをした。
「兄ちゃん! 兄ちゃんや姉ちゃんも村の中で畑仕事をすればいいのに……! そうすれば、みんな一緒にいられるよ?」
「…………」
「…………」
ロビンのその言葉にヴィリージアとガンダッタの口の端がぎゅっと閉まる。
この村は一見すれば、何の変哲もないただの片田舎の村である。
しかし、この村は普通にはない事情を抱えている。
ここは裏社会の組織『ジャセスの百足』が管理している村であった。
『叡智』の力を抱えた人間を捕獲・保護し、監視の利く場所で管理をする。この村はその管理場の1つであった。
力の暴走をしないよう管理し、力の暴走があった場合には速やかに処理できる場として機能していた。
クラッグとこの家の娘が長く家を離れているのは、その『ジャセスの百足』の仕事に関わっているからであった。
表向きには村の外で仕事をしていると言うが、簡単に自分たちの仕事を変えられない事情がある。
「ロビン」
クラッグが低い声で妹の名を呼ぶ。
「僕には僕のやるべき事がある。あまり我が侭を言うな」
「……ごめんなさい」
突き放すような言葉に、ロビンは俯いてしゅんとする。小さな体の肩がすぼみ、より小さく、悲しく見える。
「…………」
その小さな少女の様子に、義理の父と祖父が困惑する。
慰めてあげたいとか、兄の対応が杜撰とか、言いたいことはいくつかあったが、ロビンに『百足』の事情は説明できない。
下手な事を言って百足の存在を勘付かれたりすれば困る。
どう言ったらいいか、どう言葉を選べば百足の存在の匂いをまったくさせず、ロビンを慰められるか。
「…………」
数瞬、沈黙が過る。
そんな考え事をしている時の事だった。
コッコッ、と外からドアを叩く音がした。
「ん……?」
この家を訪ねる訪問者だ。
「おっ……」
「姉ちゃんにリックだぁっ……!」
ロビンの頬に赤みが差し、どたばたと慌ただしく駆けて玄関へと向かう。
家の扉を開くと、そこにはまだ若い10歳の少年少女2人と中年の大男1人の姿があった。
「ロビンーっ……!」
ロビンが扉を開けるや否や、その少女が出迎えてくれたロビンに即座に飛びつき、その体をぎゅっと抱き締める。
「おーおーおーっ! 久しぶりだねぇ! ロビンー! ちょっと見ない間にまた大きくなったんじゃないのかな!?」
「ちょ……!? ちょっと痛いよ、姉ちゃん……!」
少女は力いっぱいロビンを抱き、その柔らかい頬に頬ずりをする。
ロビンは口では痛いと言うが、久しぶりの姉との再会に嬉しそうであった。
その少女は氷のような水色の髪色をしていて、肩口に掛からない程の短い髪を後ろで小さく束ねている。
この少女がガンダッタの家の一人娘で、ロビンが本当の姉と信じている人であった。
「ロビン、ただいま」
「リック! お帰り! 会いたかったよ……!」
一緒に帰って来た少女と対照的に炎のような紅色の髪をしているのがリックである。この頃から既に同年代の子供など全く寄せ付けない高い実力を有していた。
ロビンとリックの目が合うと、お互いの頬が赤くなり、てれてれとロビンの口元が緩む。
ロビンにとって兄や姉との再会もとても嬉しいものであったが、幼馴染のリックには2人とは違う種類の感情を抱いていた。
「…………」
その様子を見た水色の髪の少女が、ロビンを抱き締めたままパパパっと移動し、リックから距離を取る。
そしてリックの事をきっと睨んだ。
「うちの妹をかどわかすんじゃないよっ! リック……!」
「い、いきなり何を言っているんだ……!?」
「顔が緩んじゃって! だらしないっ! ロビンには手を出させませんっ!」
「ち、違うって……!」
少女がむすっとし、リックはあわあわとした。
「ほれほれ、そんなところで遊んでないで、まずは家に上がりなさい」
「あ、村長……」
「お爺様」
若い子達の帰郷にヴィリージアとガンダッタも出迎える。
3人はこの家のドアをくぐり、家の中へと入った。
「ご苦労じゃった、ローエンブランドン」
「お久しぶりです、ヴィリージアさん。お元気そうで何より」
恭しく頭を下げたのが、もう1人の中年の大男ローエンブランドンであった。
目つきが鋭く、佇まいだけで迫力がある。人の領域から外れてしまう程の驚異的な戦闘力を持ち、『ジャセスの百足』の団長を務めている男であった。
「む……」
そこで、ローエンブランドンが部屋の奥にいる人物に気付く。
「……お前も帰ってきていたのか、クラッグ」
「…………」
クラッグは首を全く動かさないままローエンブランドンの方を見さえせず、彼を無視した。
彼から返事がない事を悟ると、ローエンブランドンは視線を左右にいる子供の方に向ける。
「おい、この村の長にしっかりと挨拶をしなさい。身内だろうが何だろうが、礼を欠かすな」
「あ……は、はい……!」
「ほほほ、堅苦しくしなくても良いのじゃがのう」
ローエンブランドンに促され、まずリックが村長の前に立つ。
背筋を伸ばし、胸に手を当て、敬意を示す。
「只今戻りました、ヴィリージア様! リック、与えられた任をこなし、無事帰還致しました!」
「ほっほっほ、それは立派な事じゃ」
リックの挨拶に村長は気の良さそうな笑みを浮かべ、小さく何度も頷いた。
「ご苦労。怪我は無かったかの?」
「怪我は……たくさんしましたが、無事に任をやり遂げました!」
「ほっほっほ。良く休むとええ」
「はいっ!」
ヴィリージアがリックの肩をぽんぽんと叩く。
村長は彼の事を本当の孫息子の様に愛していた。
「ヴィリージア様」
そこで、今度は本当の孫娘が村長の前に立つ。
リックがその場を退き、彼と同じようにその少女が礼を示す。
彼女の小さく纏めた水色の髪が揺れた。
「只今帰りました。フィフィー、与えられた任をこなし、無事帰還致しました!」
凛とした声が玄関に響く。
その少女の立派な姿に祖父と父が嬉しそうに頷く。
義理の妹が憧れの目で姉の事を見て、その姉は妹に軽くウインクを返す。
この家の孫娘の名前は、フィフィーと言った。




