161話 兄の献身
―――炎が広く広く爆ぜている。
耳が痛くなる程轟々とした音を立てながら、周囲一帯を飲み込み、全てを燃やし尽くしている。
家も畑も人も何もかも逃れられず、高温の灼熱に焼かれ、黒く炭化し、その姿を崩していく。
命が呑み込まれ、深い夜の中で炎がうねり、その赤色が暗闇に溶けて消えていく。
それは小さな村であった。
山に囲まれ、小さな畑を持ち、少数の人々が寄り集まって出来た静かな村であった。
その村が今や大きな炎に呑み込まれ、今まさに消失しようとしていた。
周囲にはたくさんの死体が転がっており、無残に朽ちて焼かれていく。
ただ、この場にある遺体の死因は焼死ではなかった。
どの死体にも刃や魔法による傷がある。痣が刻まれ、地面は抉れ、争った跡が残っている。
彼等の直接の死因は戦闘によるもので、その後の動かなくなった体を炎が焼いているのであった。
普通でない点は他にもある。
大仰な甲冑を着けた死体が多数そこにあり、それは小さな田舎の村には似つかわしくない装備であった。
この村の人間は外から来た鎧の騎士団と戦い、そして消滅に至っていた。
村の人間も、鎧の騎士団も全滅に至っている。
どちらが正義でどちらが悪という訳ではない。
ただお互いの大切なものを信じ、刃を交え、共に死へと至っていた。
その中で、とある木造の小さな家の中に1人の少年がぽつりと突っ立っていた。
わずか6歳ほどの幼い少年であった。
少年の足元には多数の騎士の死体が転がっている。
少年が持つ剣には騎士達の血がべっとりとこびり付き、その家に入り込んできた騎士を惨殺したのが彼であることを示していた。
炎は容赦なく家を焼く。
しかし少年は一切苦しい様子を見せず、ただ足元の死体を見下していた。
少年は首を動かし、とある人を探す。
この家の隅の方に2人の男女が血を流し倒れていた。
この家の住人であった。
「……父さん、母さん」
少年は近づき、2人に語り掛ける。
声を掛けられ、2人は目だけを動かし少年の姿を探す。2人は首すら動かせない程衰弱し、もう命が助からない事は傍目から見て明らかだった。
「すまない、遅れた。助けられなくて悪い」
「…………」
少年の両親は何かを喋ろうとしているのか、口がひくひくと動くけれど、その口から声は出なかった。
それを見て少年が言葉を続ける。
「……安心してくれ。ロビンが作った魔物が襲った村や町は『アルバトロスの盗賊団』の隠れた拠点だった。あの子が暴走し、無作為に人を襲った訳じゃなかった」
「…………」
「本能で敵を識別し、攻撃をしていただけだった。あの子は悪ではないよ」
少年の言葉を聞いて、両親の表情が和らぐ。
「しかし、すごいな、ロビンは……」
少年が軽い口調で喋る。
「敵を判別したのは勘かな? 嗅覚が凄い。まだ4歳なんだから、論理的な判断じゃないだろうに」
「…………」
「流石は歴代最高の『叡智の王』って感じか……」
炎に囲まれ、死にゆく両親を前にしながら、少年は軽い会話をするかのように喋る。
そして、倒れていた両親が最後の力を振り絞って喋った。
「……ロビンを、守って……お兄ちゃん……?」
「…………」
少年は口を止め、しっかりと両親の目を見る。
この家の奥にはロビンと少年の部屋がある。そこでロビンは気を失い、眠っていた。
「分かった。安心してくれ」
少年は小さく頷く。
「父さん、母さん。助けられなくてすまない。僕の出来が悪かった」
「…………」
少年の言葉に、両親は優しく穏やかな目を彼に向けた。
そんなことはないよ、と目で語っていた。
「あなたは……わたし、達の……誇らしい……息子よ……?」
「大切な……息子だ……」
「…………」
その言葉を聞き、少年は拳をぎゅっと握る。
自然と力が入った。
「……ありがとう」
少年は小さく呟く。
そしてほっと安心するかのように小さく笑みを浮かべ、2人は目を閉じた。
父と母は静かに息絶えた。
その亡骸を、少年はしばらくじっと見守っていた。
夜の暗闇の中をゆっくりと歩く。
少年は妹のロビンを背負い、広い草原の中で歩を進める。
自分達の住んでいた村はもうはるか後方だ。
村を包む大きな炎もここからでは小さく見える。
「…………」
少年は顔を上げる。
闇は深く、星すら浮かんでいない。少年は夜目が利くから危なげなく歩けているだけで、普通の人だったら周囲は全く見えないだろう。
その場には音もない。
静かで暗く、何もない場所だった。夜の闇が全てを呑み込んでいた。
「ぅ……ぅうん……」
そして、背にいる彼の妹が目を覚ます。
「……起きたか? ロビン?」
「……お兄ちゃん?」
寝起きのぼんやりとした意識の中、ロビンが返事をする。
「……あれ? ……ここ、どこ?」
「移動中だ」
「んー……?」
うつらうつらとしながら、少女はただ兄の背に揺られる。
「住んでいた村は崩壊し、父さんと母さんは死んだ。今は僕と縁のある村へ移動している。そこならロビンを保護してくれるだろう」
「…………」
少年は淡々と今の状況を説明する。
情の混ざらない淡白な報告。兄のその説明に、ロビンは瞳を揺らした。
「お父さんと……お母さん……」
「…………」
「って……なんだっけ……?」
「ん?」
ロビンのその様子に、少年は違和感を覚える。
父と母の死に対し、悲しむでもなく、嘆くでもなく、ただ何も分かっていないかのように目をとろんとさせていた。
「……あぁ」
そして少年は何かを理解したかのように頷く。
ロビンは村が消滅する際、ずっとその中にいた。
人が大勢死に、炎が広がり、何もかもが失われていく様子を全部見ていた。
途中で気を失ったようだけれど、小さい少女を壊してしまうには十分な地獄がそこにあった。まだ4歳の幼い少女に耐えられるものでは無かった。
だから少女は何もかも忘れてしまった。
安全弁の様に自分で自分の記憶に蓋をして、あの地獄を思い出せないようにした。そのまま狂って壊れないように、自衛的な処理を自分に施した。
よってロビンは必要最小限に狂った。
彼女はもうあの村の事を思い出せないだろう。
父の顔も、母の顔も思い出せない。
「……大丈夫だ」
少年は背の妹に語り掛ける。
「何も心配しなくていい。寝てろ。苦しい時は寝るに限る」
「ん……」
ロビンが兄の背でもぞもぞと動く。
そして兄の言う通り、また重たい瞼をゆっくりと閉じようとする。
「何も心配する事なんかない。僕に全て任せて、ゆっくりゆっくり、眠っていればいい」
「……うん」
「安心していいんだ。苦しいことなんて何もない。安心していいんだ」
少年は少女をあやすように背を揺らし、手を回して軽く妹の背中を叩く。
ロビンの意識がまどろみの中に溶けていこうとする。
「ありがとう……お兄ちゃん……」
少女は夜の闇の中で、小さく呟いた。
「ありがとう……クラッグお兄ちゃん……」
「…………」
そして少女は眠りに就く。
兄の暖かい背中に安心しきって、優しい夢の中に落ちる。
「…………」
そして少年は歩く。
夜は暗く、先は見えない。風は冷たく、星は見えない。
悲壮感はない。
最初からやるべき事は何一つ変わっていないから。
彼女を守るのは始めから自分の役目なのだから。
「……お休み、ロビン」
安心しきって眠りについた彼女を起こさないように、少年は小声で呟く。
迷いはない。
ただ、自分の決めた道を自分の足で歩く。
揺るがない。
誰が死んでも、何が無くなっても。
「…………」
夜は深く、闇は濃い。
それでも恐れる事はない。
守るべき大切な妹を背負い、少年は闇の中を歩き続けていた。




