159話 義姉の試練
【エリー視点】
「お待たせ致しました、エリー様。お迎えに上がりました」
「あ、ナディアさん」
ガドリウスさんにジャセスの百足と連絡をするよう頼んでから10分ほど、私の部屋にやってきたのはナディアさんであった。
百足のローエンブランドンさんと面会をする為、私はあちらからのお迎えを待っていた。
そして私の部屋を訪ねてきたのが彼女であった。
「どうぞ、お入り下さい」
「失礼します」
ドアの付近に立っていたナディアさんが静かにお辞儀をし、この部屋の中に入ってくる。
一つ一つの所作が美しく、やはり貴族の家で生まれ育った人であることがうかがい知れる。
「し、失礼しますっ……!」
「あれ……?」
と考えていたところで、部屋の外からもう1つの声が響いてきた。
ナディアさんの後に続いて、その少女がとことこと部屋の中に入ってくる。
青く長い髪を揺らし、その小さな女の子は僕の前に立った。
「アリア様……」
「エ、エリー様! この度は私の住む街を命がけで守って頂きありがとうございましたっ! 領主の娘として、都市全体を代表してお礼申し上げます!」
ナディアさんと一緒に僕を迎えに来たのはアリア様であった。
彼女が大袈裟なほど頭を下げる。
どうしてアリア様がジャセスの百足の使いをやっているのだろう?
そう考えながらも、取り敢えず彼女に返礼する。
「いや、敵を撃退出来たのは皆の力のお陰です。お礼を言われるようなことはしていませんよ。それとアリア様、無事で良かったです」
「エリー様……」
アリア様が顔を上げる。
彼女と最後に分かれたのは『衝撃波』使いのルドルフと戦う直前だ。
外から援護を呼んできて欲しいと彼女らを敵から逃がしたのだ。こうして無事に再会できたのを嬉しく思う。
「あのっ! あと、エリー様! もう1つ!」
「ん?」
「エリー様のおかげで、姉と再会することが出来ました! 本当に、本当に! ありがとうございましたっ……!」
そう言って、またアリア様が深く深く頭を下げる。
体の角度は90度以上折り曲がっている。日常生活では絶対しないようなお辞儀だ。
アリア様の長い髪が重力に従ってだらんと下に垂れてしまっている。
「あぁ……」
そうだ。
アリア様とナディア様は生き別れの姉妹だ。
ナディア様は7年前に死亡したとされているが、実はジャセスの百足に保護されていたことが分かった。
そして今回の戦いの切り札のような役を負っており、その生存を隠していた。
2人にしたら、実に感動の再会があったのだろう。
アリア様が百足の使いとして働いているのも、姉との繋がりがあったからかな。
「頭を上げて下さい、アリア様」
「エリー様……」
「寧ろ僕の方が礼を言わなければいけません。ナディア様には幾度となく命を救われました。本当に感謝しております」
アリア様と目が合う。
確かにこう、並べてみるとアリア様とナディア様の2人はよく似ている。
アリア様を大きくして、大人びた雰囲気を纏ったのがナディア様といった感じだ。美人姉妹である。
く~、気付かなかったなぁ。
ナディアさんには王都のギャンブル場と、温泉宿の百足の拠点で会っていたんだけどなぁ……。
2人が姉妹だって、流石に気付けなかったか。
「私からもお礼を言わせてください、エリー様」
「ナディア様?」
「この度は私の妹の命を守って頂き、ありがとうございました。貴女がいなければアリアは敵に捕まっているか、もう死んでいるかしていたでしょう。本当に、いくら礼をしても尽きる事はありません……」
「い、いやー……」
今度はナディアさんに頭を下げられる。
照れ臭い。
僕はそれ以上にナディアさんに守られていたのだ。
「いやいや、僕の方こそナディア様に守って頂いて……、本当にありがとうございました……」
「いえ、そんなことは。エリー様には本当に感謝しております……」
「そうです、エリー様。エリー様に守って貰った恩は決して忘れません……」
「いやいやいや……」
お辞儀合戦が始まる。
不毛であるし、なんだかくすぐったかった。
「…………」
……ん?
なんだろう、この違和感……。
……昨日、アリア様と共に『アルバトロスの盗賊団』の魔の手から逃れ、そいつらに対しナディア様と一緒に戦った。
それまではいい。
……だが、そうだ。アリア様と一緒に行動していたのはイリスの時の姿だった。
そうだとすると、『アリア様を守った』と僕に礼を言うのはおかしい。
そして、アリア様と別れる直前にイリスからエリーの姿に変身をしたりもした。
…………。
僕はアリア様の耳に顔を近づけた。
「も、もしかして……僕の正体、聞いてます……?」
「…………」
僕の小声の質問に、アリア様の表情から感情がすっと抜けていく。
なんだろう、一瞬で何かを諦観したような表情となった。
そしてアリア様は跪き、床に頭を擦り付けた。
「その度は大変大変ご無礼を致したことと、恐縮の限りでございます。知らなかったとはいえ、高潔たる身の貴女様にどんな粗相をしてしまった事か、ただただ恥じ入るばかりでございます。この都市全体が貴女様に働いていしまった無礼の数々は、どうか私の命を以てご容赦して頂ければ幸いでございます……」
「いやいやいやいやいやいやいやいやっ……!」
アリア様がとっても卑屈になってしまう。
知っている! この反応、僕の正体を知っている……!
「顔をお上げ下さい! アリア様! というより、アリア様は私にも僕にもとても丁寧な対応でしたよっ……!?」
「いえ、そんな事はありません。気を抜いて、どんな失礼を働いていた事か……。この国の王女様に対する対応で接してきたとは、とてもじゃありませんが言えません……。それにこの都市に住む者達が、どのような無礼を働いていたのか想像するだけでも身の毛もよだつような思いで……」
「僕が悪かったですから! そういう事に関しては全面的に僕に非がありますからっ……!」
土下座するアリア様を力ずくで立たせる。
エリーの時に無礼を働いた人たちを不敬罪で処す訳が無い。それしたら、どれだけ理不尽なのだ、私は。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
こっちが申し訳ない気持ちでいっぱいになるのである。
「えー、ごほん! この国は今大変な状況に陥ってしまいました! 皆で力を合わせてこの危機を乗り越えないといけません! 一緒に頑張りましょう! おーっ!」
「は、はぁ……」
ムリヤリ話題を変える。
この話題は僕にとっても息苦しい。
「でも……、そうですね。私の夫となる筈のリチャード様も攫われてしまいました。エリー様! 私、頑張ります! この事件の解決の為だったらなんだって致します! なんでも仰って下さいね!」
「おぉー……」
アリア様が両の手で握りこぶしを作り、気合が入っている事をアピールする。
かわいい。
しかし、リチャードめ。
命を張って彼女を逃がしたことで好感度を稼いだのだろうか? 愚弟にしてはやりおる。
早く助けてやらないとなぁ。
「そうですね……。私の妹に、婚約者ですかぁ……」
「……ん?」
ナディア様が口を開く。
その声はなんだろう、なんていうか、低い。
不愉快の感情が声の中にこもっているかのようであった。
「アリアにふさわしい男かどうか、ちゃんと確かめないといけないですねぇ……」
ナディア様から殺気が漏れる。
顔は穏やかに微笑んでいるけれど、目が笑っていない。ゴゴゴゴ……、という効果音が聞こえるようである。
「…………」
こ、これは……ナディア様は妹の結婚を快く思っていない……?
それはそうかもしれない。
7年間生き別れた可愛い可愛い妹と感動の再会を果たしたと思ったら、その妹に婚約者が出来ていたのだ。
しかも相手は傲岸不遜で知られているリチャード王子である。
良い印象を抱いている訳がない。
ひえぇ……。
「ね、姉様……! リ、リチャード様は王族ですよっ!? 失礼な事を働いてはいけませんよっ……!?」
「良い男というのは血筋では決まらないものです。やはり性根とか根性とか、内面が大切でしょう……。アリアを不幸にするような男ならば、私が……さぁて、どうしてしまいましょうか……?」
「ね、姉様っ……!?」
ナディア様の迫力は怖いが、言っている事はまさに仰る通りである。
リチャードの奴、最近やる気を出してきたがまだまだ腑抜けであり、ナディア様のお眼鏡に叶うような男であるとは言い難い。
あいつも大変な婚約者の姉を持ったものである。
相手は領域外だぞ、領域外。
「ナディア様、ナディア様……」
「なんですか、エリー様?」
「……我が愚弟、好きに教育してやって下さい」
「……いいですね、それ」
僕は弟を庇わなかった。
むしろ売った。
ナディアさんを敵にする訳にはいかなかったのだ。
だって相手は化け物なんだもん。
「良いでしょう。私が直々にアリアの夫となる男を鍛え上げてやりましょう……!」
「…………」
ナディアさんの目がぎらついている。
やる気満々だ。
リチャードめ、幸運な奴だ。領域外直々に鍛え上げて貰えるなんて、そんな事滅多にないだろう。
まぁ、地獄を見る事になるだろうけど……。
とりあえず、リチャードは真の男にならないと死ぬことが確定した。
「あわわわわ……」
アリア様がぶるぶると震えている。
すまんな。君の夫は無事じゃ済まないかもしれない。
「あぁ、すみません。つい話し込んでしまいました。エリー様。今から我が団長、ローエンブランドン様の下へとご案内します」
「あぁ、はい」
つい話が弾んでしまった。
そうだ、それが主題であった。
部屋を出て、彼女らの団長の下へと向かう。
「……ところで」
「エリー様?」
「……今更なんですけど、ナディア様もかなり重傷を負ってましたよね?」
「あぁ」
ナディア様もこの戦いでたくさんの傷を負っていた。
とりわけ大きいのが、ニコラウス兄様に袈裟を斬られた傷である。普通だったら死んでもおかしくない深い傷なのだ。
それだというのに、ナディア様は今、何事も無かったかのようにピンピンとしている。
「もう塞がりました」
「…………」
にこっと爽やかな笑みで、彼女はそう答える。
やっぱり領域外という奴らは生命としておかしい。
そう思った。
重傷(全治1日)




