15話 禁断の書
【エリー視点】
「全くなんなんですか、あなたたちは」
「……ごめんなさい」
「……ごめんなさい」
「幸い誰も怪我人はいなかったものの、店の中でナイフを取り出しての刃傷沙汰なんて前代未聞ですよ」
「……ごめんなさい」
「……ごめんなさい」
僕たちは正座していた。
冷たい冷たい地下室の石の床に正座して、この店の店長さんに怒られていた。
「お客様にどれだけの迷惑をかけてしまったか分かってますか」
「だってこいつが」
「だってこいつが」
「言い訳はやめなさい」
「……ごめんなさい」
「……ごめんなさい」
僕とフィフィーはお互いを指さすが、怒られて僕たちはしゅんとなった。
ここは『創造誌』という個人で本を描き印刷出版するための場所である。それも男性と男性が絡み合う、全然知らないし聞いたこともないが『BL』とか『腐向け』とかいう作品傾向が好まれる場所であるみたいだ。……腐ってるの? ……何が腐ってるの? 僕には分からない。
「……全く、一体全体何でこんなことになったのですか?」
「それは……」
とりあえずフィフィーへの説明も兼ねて、僕は事の経緯を1から10まで丁寧に説明した。
「あ゛~~~~~~~~…………」
フィフィーが顔を手で覆い、低い唸り声をあげていた。こっちだって悲しい気分だよ。
「……では、つまり全部は誤解であると?」
「あー……、はい、そうですね……」
少なくとも、犯罪性とか闇ギルドは絡んでなさそうだ。
なんだ、この、この店のお客たちの欲望を抱えたうえでの無邪気な笑みは。あんな笑顔で犯罪なんて後ろめたいことが出来るか。
ここに来る時に見た貴族のお嬢様デルフィーヌさんも、行きは神殿騎士ヴィオさんに恨みがましいことを言っていたのに、ここに来てどうだ、なんだあの笑顔は、なんだあのうっとりとした表情は。めちゃくちゃ楽しんでるじゃないか。
彼女に『薬』とかの犯罪性を見た僕はバカなのか? バカは僕なのか?
ほら、横を見てみれば、あれだけ恐怖を抱いていたフィフィーも恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている。穴が開いていたら入りたくしていて、穴が無かったら穴を無理やり掘ってでも穴に入りたくしている。この姿のどこに恐怖を抱けばいいのか。
……もしかしてこの数日、僕は空回りしていたのか? もしかして、僕はバカなのか? 本当にバカなのか……?
「店長ー。『バカだって穴に潜りたい……お前のその温かい穴にな……』の在庫どこでしたっけー?」
「あ、はーい、今行くわー」
どうやら店長は忙しいみたいだ。この店の詳しい説明をちゃんと聞かなければいけないが、引き止められないだろう。……いや、本音を言うと、この店の詳しい説明なんて聞きたくはない。引き止めないから早く忙しくどっかに行って欲しい。
めちゃくちゃ居た堪れない。
っていうか、今の会話は何だろう?
「じゃあ、私はもう行くけど……、2人はちゃんと話し合って仲直りしておきなさいね。間違ってもまた店の中で乱闘騒ぎなんてやめてよね」
「はい」
「はい」
「もしまた騒ぎを起こしたら、出禁だからね」
「……!? それは困りますっ!?」
フィフィーさんが激しく反応した。
そして店長が去った後、僕たちは2人お互いに向き合って座っていた。相も変わらず正座のままである。
「…………」
「…………」
あーーー……。
「……まずさ、根本的な話になるんだけどさ、フィフィー……」
「…………」
「君さ……、なんでこんなとこにいるの……?」
「好きだからだよっ! こういうのが趣味だからだよっ……! それ以上でもそれ以下でもないよっ……!」
フィフィーは顔を真っ赤にしながら叫んでいた。
「……犯罪の調査とかではなくて?」
「趣味だよ……! 100%趣味だよっ……! 仕事なんも関係ないよっ……! くそ~~~っ! 何言わされてるのよ、わたしっ……!」
……ご愁傷様だとは思う。
「……初日に宿を抜け出していたのは?」
「ここだよっ!」
「……ヴィオさんと路地裏で密会していたのは?」
「これだよっ! ……っていうか、やっぱ見られてたんじゃないっ! くっそ~~~っ! エリーに見られてたなんてぇ~~~っ!」
「その時に行っていた『バレたら生かして帰せない』ってのは?」
「冗談だよっ! くっそ~~~……!」
……まぁ、これバレたら生かして帰したくない気持ちも分かる気がする。
「……ま、まぁ、人の趣味とかは、個人の自由だしさ……。ぼ、僕は別に構わないと思うよ……? フィフィー……?」
「そう言いながら顔背けないでよっ! 眉引き攣らせないでよっ! くっそ~~~! しかも『さん』付け外れてるしっ! 敬語外れてるしっ! 嘗められてるしっ……!」
そりゃ、もう、敬語は付けられないかな? フィフィーの事が哀れに思う。
他に質問しなきゃいけないこと……。いけないこと……。
……あれ? もしかしてもうない? 全部の謎はこれで終了?
「……もしかして……これで全部終了?」
「全部終了だよっ! 大した謎なんて持ってないよ、わたしっ!」
……S級冒険者の抱える最大の謎が『BL本』とか、なんかやだなぁ……。夢が崩れるなぁ……。
「もしかして、もしかしてだけどさぁ……」
「……なに?」
「僕たち、数日まるっきり無駄にした……?」
「ほんと無駄だよっ! 数日を費やした調査の結果が『わたしのBL本』とか、ほんと無駄だよっ……!」
「あちゃー……」
頭を抱える。
何こんなことで僕、命懸けてるんだろう……。『冒険者としての責任』とか言ってた自分を殴り飛ばしてやりたい……。
「いや、ほんと、こんなわたしのBL本のために数人のA級冒険者の数日を奪っていたとか……。ほんと、雇用主に申し訳ないんだけど……。王女様から給料貰えないんだけど……」
「いや……、そこは気にしないでいいと思うけどさ……」
はぁ、と僕たちは重いため息を漏らした。
「……飴舐める? エリー?」
「……うん」
飴を貰って、口の中で転がす。これってクラッグがフィフィーにあげた飴で、僕と食べろとか言っていたやつか。……うん、ふつー。
「……帰るか」
「……そうだね」
命懸けの調査で得たものはただの虚しさだけであり、
「あ、でも、店の中見ていっていい? わたし、まだなんも見てないんだけど……」
「……お好きにどーぞー」
口の中の飴だけが現実のほろ苦さを緩和させていたのだった。
「……エリーにもなんか買ってあげようか?」
「いらないよっ!? やめてよっ!? 引き摺り込まないでよっ……!?」
恐いよぉ……。S級恐いよぉ……。
恐ろしい夜を抜け、僕たちは平和に宿へと帰っていくのだった。
* * * * *
それはとても恐ろしい夜であると、体の動かない冒険者は首だけを動かしその惨状を見て思っていた。
その男の仲間が倒れている。化け物に襲われ動かなくなっている。
人通りのいない路地裏で、4人のA級冒険者が戦闘不能に追いやられ、化け物にその身を委ねていた。
月明りの無い暗い夜であり、なるほど確かにこういう夜に化け物が出てくるのは風情があっていい、と唯一意識のある冒険者は自嘲気味に考えていた。
その男の名はビリーと言った。
王女イリスティナの依頼を受けてこの神殿都市にやって来た腕利きの冒険者だ。
「う……、あぁ……」
ビリーの仲間で、もう既に意識のない彼の仲間が呻き声をあげた。化け物に襲われながら呻き声をあげていた。
化け物はそのビリーの仲間の肩口に歯を立てていた。肉を齧るわけではないが、嚙みついてはいた。
「……俺たちは死ぬのか?」
ビリーは化け物に問いかける。
その言葉を聞くと、化け物はビリーの方を振り向きニヤリと笑った。今襲っていた冒険者を手放し、床に寝転がす。
紫色の長い髪が揺れていた。
夜風に美しい髪を靡かせ、ビリーの方にゆっくりと、そして優雅に歩み寄った。
「死にはせぬ。伝説でもそうなっているじゃろ?」
甘い声が夜の闇に溶ける。
「ははっ……。『神様の悪戯』では、確かにそうなってんな……」
「そうじゃ、心配するな。お前たちは一夜、化け物と戯れただけ……」
白い指が体を動かせないビリーの頬を艶やかに撫でる。
化け物は女性だった。紫色の長い髪を携え、黒い服で体のラインを隠し、シンプルな服装をしているにも関わらず、その神秘な雰囲気が彼女に妖艶な色を纏わせていた。
「いやいや、中々に楽しめた夜じゃった。酒場でわらわと夜を楽しまないかと誘った時のそなたたち、子供のようにはしゃいでとても面白かったぞ。油断しすぎじゃな」
「はっ! バカ言え。俺たちは1秒たりとも油断なんかしてねぇ……」
A級冒険者はいつ何時だって戦闘状態に入れるよう、常に身も心も引き締めている。女に夜の遊びを誘われても、隙を見せるような真似はしない。
それでも負けた。A級冒険者4人がかりで、化け物1人に負けた。
「完敗だ」
「では、勝者の褒美を頂こうかの」
紫色の髪の化け物はゆっくりとビリーに近づき、彼の顔のすぐ近くで緩やかに笑った。そして、そのまま彼の方に口を近づけ、歯を立てた。
人の歯が肩に刺さる刺激を感じた後、すぐに自分の体から力が抜けていく感覚をビリーは味わった。力も、意識も、魔力も、血も吸い取られていく感覚。そして冒険者は納得する。これは1ヶ月は目を覚まさないと。
意識が消えかかっていく。
視界が黒く暗転していく。
「みん……な……、気を付けろ……」
最後に、彼は誰にも届かない忠告を口にした。
「神様は……吸血鬼……、だった、ぞ……」
そして彼は目を閉ざし、眠りについた。
「ふぅ……」
紫髪の吸血鬼は意識の消えた冒険者から口を離し、一息ついた。
彼女の歯からとろりと赤い血が垂れる。
「流石上級冒険者……奪える魔力の量は凄いけど……。でも、『情報』の方は前と変わらなかったのぅ……」
化け物は渋い顔をして考え事をしていた。
「『アルバトロスの盗賊団』……。さて、誰がどこまで知っているのか……」
唇に垂れた赤い血を袖で拭いながら、彼女は暗い空を見上げた。
「彼らの記憶にあった雇用主の『イリスティナ姫』……狙ってみようかのぅ……」
その化け物は人の血から魔力や生気だけでなく、記憶までも奪っているのだ。今、彼女の頭の中には銀色の髪の嫋やかなお姫様の姿が鮮明に浮かんでいた。
「そのためには傀儡を作らなきゃならぬ……。あぁ、全員昏倒させたのは失敗だったかもしれぬ……」
化け物はぶつぶつと独り言を呟き、今後の計画を考えている。それは明らかにイリスティナ姫を騙し嵌める作戦であった。
「ははは……」
闇夜に紛れ化け物は笑い、そして闇夜に姿を暗ましていった。
またホモだよっ!




