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156話 赤い魔獣

【エリー視点】


 その姿はボロボロだった。

 体のあちこちにやけどを負い、左腕なんか完全に焼け焦げ炭化してしまっている。

 汚れまみれで、怪我の無い場所なんて無い程だ。


 だけど足取りは軽く、疲れの無いようにすたすたと歩いている。

 表情もケロッとしており、その様子からは痛みも怠さも感じていないかのように見える。


 底なしの体力、不死身の化け物。

 その歩き姿は彼にそんな印象を与えていた。


「クラッグ……!」

「おう、エリー」


 この戦場にクラッグが現れた。


 突然現れた『幽炎』はクラッグが対応しているのだと想定していたけど、やはりあの炎の化け物はクラッグが抑えていたのか。

 今回は全身黒焦げではない。ほっとする。


「クラッグ! 無事だった……!?」

「お前の方こそどーよ? エリー?」


 クラッグがすたすたと軽い足取りでこちらに近づいてくる。


 あぁ、くそ……。

 彼の姿を見ると少しほっとする。今感じている不安がそれだけでちょっと和らぐ。


 ……ちょっぴり悔しい。


「クラッグ……」

「誰だ……? いや、報告にあった男か……?」


 周囲の皆が新たに現れた男に視線を向ける。

 ローエンブランドンさんとガドリウスさんが小さく声を発するけれど、それを無視してクラッグは僕の傍に寄って来た。


 僕はクラッグに言う。


「……こら。人を無視するんじゃありません。ちゃんと挨拶しなさい、挨拶を」

「お母さんか。今はいいんだよ。それよりエリー、怪我は無いか?」

「怪我だらけだよ。逆に怪我が無い所なんてないよ」

「わはは。違いねえ」


 そう言って笑う。

 お互いボロボロの姿を眺め合う。とにかく、命あって良かった。


「……フィフィーも無事か」

「…………」


 クラッグは僕の腕で眠っているフィフィーをじっと眺める。

 その視線には何故か、慈愛のような感情がこもっている様に見えた。


「…………」


 そしてクラッグはきょろきょろと周囲を見渡す。

 ボロボロになったこの地一帯、ジャセスの百足やバルタニアンの騎士の皆。


 そして、上空で黒い翼を広げる封印の球。


「……エリー。今の状況を短く説明してくれ」


 それらをじっと眺めて、聞いてくる。

 小さくこくりと頷いた。


「バーハルヴァントは倒した。その後すぐ、この国の第一王子ニコラウスが『アルバトロスの盗賊団』の団長を名乗ってきたの。

 それでフィフィーの事を『叡智の王』だって言って、なんか、こう……力を吸収するような感じでフィフィーを攻撃した。

 そしたらフィフィーが意識を失いながら暴走し始めて、その暴走した力を何とか封印したの。

 そうしたら、封印してフィフィーから取り出したその力が独りでに暴走を……」

「ニコラウス……。あのバカ王子が……?」


 この説明でクラッグが一番関心を示したのが、ニコラウス兄様の事だった。

 眉を顰め、顎に手を当て何かを考えている。


「……そのニコラウスは他に何か言ってたか?」

「え? あ、うん……。捕らえた王族は自分が異空間に閉じ込めているって。それで、自分は王都に帰るから、邪魔したかったら王都に来いって。……儀式? を一週間後にするって」

「……ふむ」


 クラッグは顎に手を当て考え込んでいる。

 ニコラウス兄様の言ったことが理解できたのだろうか?


 何故王族を捕らえたのか? 儀式とは何か? 邪魔とは、一体何を邪魔するのか?

 僕には分からないことだらけだ。


 ……でも、クラッグは兄様の言ったことを理解できている様子を見せていた。


「ねぇ、クラッグ……」

「なんだ、エリー?」

「あのね……。前にロビンの事を話したでしょ……? そのロビンが……フィフィーだった……」


 クラッグにそう言う。

 今日は色々な事があった。色々大変だったし、色々衝撃的な事を聞いた。


 ……でも一番ショックだったのはこの事だ。

 すごく嬉しかったし、すごくショックだった……。


 クラッグが口を開く。


「あぁ、もちろん知ってる」

「こんのおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ……!」

「ぐほぉっ……!?」


 軽くそう言うこんちくしょーの脇腹に渾身のフックパンチを入れる。

 クラッグが悶絶する。


「バカ! バカ! この秘密主義者のバアアァァァァカアアアァァァァァァッ……!」

「痛い! 痛い! 悪かった、悪かったって! エリー……!」


 ポカポカとこのバカを殴る。

 僕は相談していたのだ! 昔の友達の行方を探るのが冒険者になった目的って、こいつに話していたのだ! 私がイリスであると言う情報は伏せて。


 その時クラッグは「分かった。俺も何か情報無いか探っておいてやる」って言ったのだ。

 真剣な顔で。真剣な顔で……!


 あの時はこのこと相談できる人ほぼいなかったから、協力者が出来たみたいで嬉しかったのに! 嬉しかったのに……!


 それがこんのアホこんちくしょーは、知っていた、と!

 手掛かりじゃなくて、答えを知っていたと……!


「ま、まぁ、悪かったから……今は落ち着けって……。こんな事してる時間ねえだろ?」

「うーっ! うーっ!」


 ポカポカと殴る僕の腕を掴んで、クラッグは僕を宥めてくる。

 そうだけど! クラッグの言う通りだけど……!


「フィフィーを守ってくれてありがとな、エリー」

「……なんでクラッグが礼を言うのさ」

「まぁ、色々あんだよ……」


 思わず口が尖る。

 面白くない。本当に面白くない。


 クラッグが僕の腕を離し、別の方に目をやる。


「おい、ローエンブランドン」

「なんだ、クラッグ」


 クラッグがジャセスの百足の最高権力者を気安く呼ぶ。

 その軽い態度にびくっと震える。いかつい顔をして、とても迫力のあるローエンブランドンさんに対して、とてもじゃないが気安くなんて接せられない。


 ローエンブランドンさんは怒った様子もなく、こちらに近づいてくる。


「計画の変更だ。あちらさんが勝手に姿を現し、大胆に行動してきやがった。計画を3年早め、王城への侵攻を来週決行する」

「……分かった」

「え!?」


 クラッグの言葉に彼は小さく頷き、僕は驚きの声を漏らしてしまう。ガドリウスさんもぴくりと反応する。

 王城への侵攻? わ、私の家に……!?


 こいつの言う計画というのはよく分からない。

 ただ文脈からすると、3年後には元々王城を侵攻するかのような計画を立てていたかのような事を言っている。


 な、なぜ!? そこは私の家なんですけど……!?


「準備を整えとけ」

「あぁ。言われないでも」


 ローエンブランドンさんはクラッグの言っている事を理解している様だ。

 最初、クラッグは百足の協力者だと言っていた。

 百足には所属していないけど、協力関係にある、と。リックさんがそう言っていた。


 そしてさっきナディアさんは、クラッグさんはただの外部協力者ではない、と言っていた。

 そして今、百足の団長と何か深いやり取りをしている。


 ……分からない。

 こいつの立場が全く分からない。ぱちくりと瞬きをする他無い。


 こいつは一体何なんだ!?


「ク、クラッグ……!? なんのこと!? 計画って何!? 僕にちゃんと説明してっ……!?」

「エリー……」


 クラッグにそういうと、こいつは僕の肩を掴んできた。


「エリー、いいか。よく聞いてくれ……」

「な、なんだよ……」


 僕の両肩を彼の手がしっかりと掴んでいる。

 少し顔が近い。こいつの目が僕の目をしっかりと覗き込んでくる。


 表情は真剣だ。あまり多くないこいつの真剣な表情。

 思わず息を呑んでしまう。


「エリー。お前にはこれから、とても大変な戦いが待っている……」

「……え?」

「とても大変な戦いだ。お前の人生の中で最も苦しい戦いになるのだと、俺はそう思っている。最も高く、最も困難な壁がお前の前に立ち塞がる……」

「え、え……? クラッグ、ちょっと顔が近い……」

「真剣に聞いてくれ、エリー。大事な大事な事なんだ」


 クラッグの目は真剣だ。

 視線を逸らすことも許してくれない雰囲気を出している。


「それが訪れた時、俺との今までの訓練をよく思い出してくれ」

「クラッグとの、訓練……?」

「そうだ。答えは全てそこにある」


 クラッグとは毎日の様によく訓練した。僕の訓練に付き合ってくれた。


「……本当はあと3年。しっかり鍛えてやりたかった。そうすれば、もっと楽になっていた筈だったが……すまん……」

「あ、謝られても……」

「今までの俺との訓練だ。訓練を何度も何度も頭の中で反芻しておいてくれ。いいな?」

「…………」


 僕にはこれから大変な戦いが待っている。

 言うまでもない。『アルバトロスの盗賊団』団長、ニコラウス兄様との戦いだ。


 こいつのこの話だと、クラッグは私と兄様が戦わなければいけない事を知っていた。分かっていた。

 『アルバトロスの盗賊団』と私が相対する未来が予想出来ていた。


 そして、その時に備えて僕を鍛え上げていた。


「…………」

「…………」


 いつから?

 最初から?

 どういうつもりで僕に接触したのだろうか?


「…………」


 分からない。

 ……でも、


「分かった」

「…………」


 頷く。

 戦う覚悟は出来ている。

 そして強くしてくれたことに感謝している。


 どういう意図があろうとも。


「……ありがとう」


 クラッグが頭を下げる。

 数秒、じっくり。絞り出すような感謝の言葉を口にする。

 その声色は、僕が彼から今まで聞いたことの無い色を含んでいた。


「…………」


 そしてクラッグはゆっくりと立ち上がる。

 顔を上げ、空に堂々と居座る危険な存在を見上げる。


 球から飛び出す黒い翼は大きく大きく広がっている。20mにも広がった翼は大きな存在感を示している。

 フィフィーが生やしていた時よりもずっと大きな翼だ。

 見ているだけで冷や汗が垂れる。


「あれは俺が封じる」


 クラッグが軽くそう言う。


「で、出来るの……?」

「楽勝よ」


 そう言ってクラッグはにかっと笑った。


「フィフィーから力だけを切り離しておいて貰えて、助かった。それがないと結構面倒だった」

「…………」


 クラッグが準備体操の様に軽く体を伸ばしながらそう言う。

 僕達の戦いはこいつの負担を軽くしていたというのは結構だが、まるで朝のジョギングをする前の体操をするかのように体を伸ばすのはどうなのだろうか?


 緊張感が足りない。

 これから行われるのは世界最高峰の戦いだろうに……。


 そして、クラッグが手をちょいちょいと振って、僕達に離れろとジェスチャーする。

 無言で頷き、みんな彼から距離を取る。


 クラッグが指の爪で手のひらを切る。

 皮が切れ、血がぼたぼたと垂れ始める。


 ……僕は知っている。

 クラッグの隠す最大の秘術。


『一心に祈る無力な(じゅ)


 クラッグが低い声でそう呟くと、彼から漏れる血に変化が起きる。

 重力に従って零れていた血が蠢き、クラッグの意のままに動き始める。うねり、波打ち、形を変えていく。


 クラッグの秘術は血液の操作だ。

 あの血を武器の形にしたり、無数の赤い棘にして攻撃するのがクラッグの得意技だ。時に、その血液自体が膨張し、自分の体に流れる以上の血液を生み出し、それを操作する。


 こいつはこの術を自分の切り札だと言い、他人には絶対見せない。

 見せるとしたら、そいつは必ず仕留める。殺して口を封じると言っていた。


 でもどうしてか、僕との特訓の時には躊躇いなくその術を使い、見せてくれていた。

 この秘術に対応出来るようになったら一人前だと言って、何度もその術を打ち破るために訓練を繰り返した。


 だから僕はこいつのこの術を何度も見ている。

 そして訓練で何度も見せて貰った時と同じ様に、今もその赤い血の形が変化して……、


「……あれ?」


 そこで僕にとっては少し見慣れない変化が起きた。


 血がクラッグの全身に纏わりついていく。

 全ての肌を覆いつくすように赤い血がクラッグを覆い、膨れ上がっていく。


 この術の血の形は自由自在に変化する。

 だから、こういう変化のさせ方も十分にあり得るのだけれど、今まで見たことの無い変化の仕方に僕は少し戸惑った。


 クラッグの体が血の中に埋もれる。

 大量の血がクラッグに纏わりついている。失血死を心配するどころか、もう体内の全ての血の総量よりも多くの血が体の外に出ているだろう。


 限りが無い程大量の血を作り、それを操る術らしいから、失血死などの心配はしていないのだけれど、やはり少し奇異だ。

 血は何メートルも高く立ち上り、四肢の形と頭の形を作り出し、大きな人の形となっていく。


「…………」


 こんな変化は見たことが無い。

 なんだろう。なにか、胸の内に根源的な恐怖を感じる。


 血の巨人はどんどん大きくなっていく。

 そして気付く。

 それは人を模したものでは無かった。四肢はあり、頭はあれど、全身から毛が生え、尾が生え始めている。


 それは獣の姿をしていた。

 二足歩行の血の獣であった。


『一心に祈る無力な呪……』


 血の内側からクラッグの低い声が聞こえてくる。


『……タイプ・「ギガ」』

「え……?」


 そして、血の獣の姿は完成する。

 体長は約20mほどで、全身は赤色の毛に覆われている。

 獰猛な顔つきをしており、口からは赤い牙が見え隠れし、手には強靭な爪が生えている。


 クラッグが大きな赤い獣の姿となった。


「…………」


 僕の心臓がばくんばくんと大きく震える。

 全身から汗がだらだらと垂れる。


 知っている。

 この赤い獣の姿を僕は知っている。


「お、おい……この獣って……」

「ま、まさか……」


 周囲でもざわざわとした声が上がっていく。

 この中でも知っている人がいるのかもしれない。


 7年前、この国の王城は巨大な魔獣に襲撃され、大きな被害を被った。


 それが猛る魔獣『ギガ』と呼ばれるものだ。


 未知種の魔物であり、強大な防御を全て突破し、王城を半壊せしめた魔獣だ。

 その場で防衛に当たったS級の兵士や冒険者も相手にならず、その魔獣は一夜にして王都の人間を恐怖のどん底に突き落とした。


 そして、7年前に見た魔獣の姿が今、目の前に広がっている。

 あの時と全く変わらない姿……。


「オオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォッ……!」


 ――クラッグがあの日の赤い魔獣の姿となって、大きな咆哮を上げた。


超秘密主義者クラッグ

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― 新着の感想 ―
[良い点] だとおもった!←後づけ。
[一言] クラッグ視点だと、エリーの正体には気づいてないんだよな?そんでもってロビンの友達だったことを聞いたのは会ってからだいぶ経った後……クラッグにとってエリーは、なんの繋がりもない、凡百の冒険者だ…
[一言] これは流石に想定してなかった…… やられた
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