149話 暴走
【エリー視点】
「……はぁ?」
思わず呆然とした声が漏れ出てしまう。
今ニコラウス兄様が、フィフィーの正体はロビンだと言った。
兄様が唐突に脈絡のない事を言う。私の顔には呆れの感情が張り付いていることだろう。
……何言ってんだ、兄様は?
ロビン。
それは私が7年前に友達となった少年の名前だ。
地方の村に住んでおり、何の変哲もない農村の子供として生活する少年だった。
後にその村は特殊な事情を抱えていることが分かった。
『叡智』の力を眠らせている人の隠れ蓑となる場所であり、秘密組織『ジャセスの百足』がその場所を守っている様だった。
その中でもロビンは『王』と呼ばれている様だった。百足のローエンブランドンさんもそんな事を言っていた。
だから多分、ロビンは『叡智』の力を持った人たちの中でも特別な存在だったのだろう。
つばの付いた大きなキャップを被っており、焦げ茶色の髪をしていた。
顔は少し丸く、目はぱっちりとしていて、綺麗な顔立ちをした少年だった。
……そう、少年。
髪が短く、男の子が着るような服装をしていた。
確かに女の子っぽい顔をしてるな、とは思ったんだけど……。
少年だったんじゃないのか?
それが、フィフィー……?
「…………」
当の本人であるフィフィーはただただきょとんとしている。
ニコラウス兄様が言ったことに全く心当たりが無い様で、目をぱちくりさせていた。
僕はフィフィーにロビンの話をしている。だから、フィフィーもロビンという少年についての知識はあった。
フィフィーの髪の色は少しくすんだ色をした金髪である。焦げ茶色ではない。
どうだったか? フィフィーの顔ってロビンと同じだったっけ?
いや、分かる筈がない。7年前の顔なんて、成長してしまって判断が付く訳が無い。
フィフィーと目が合う。
するとフィフィーは僕に向けて首を振りつつ、手もぶんぶんと振っていた。
わたし、全然違う、とジェスチャーしている。
……なんだ?
ニコラウス兄様の完全な勘違いなのか?
「我は探した……」
ニコラウス兄様が一歩前に足を踏み出す。フィフィーのいる方向に体を向けて、ゆっくりと歩き始める。
「バーハルヴァントはとても素晴らしい仕事をした。君を追い詰め、体の奥底に眠る力を溢れ出させた」
「…………」
「恐らく強い封印が為されていただろうに、それが黒い翼となって顕現した。……素晴らしい。とても素晴らしい」
フィフィーの黒い翼が現れたのは、僕がバーハルヴァントに殺されかけた時だ。僕を守る様に、フィフィーは黒い翼を背中から生やした。
……あれが、『叡智』の王様の力だと言うのだろうか?
「む……?」
「…………」
前へと歩くニコラウス兄様の前にナディアさんが立ちはだかった。
槍を構え、兄様とフィフィーの間に割って入る。
「ニコラウスを足止めします。ヴェール、今は何も聞かず手伝って下さい」
「お、おう……?」
「シータ、ディーズ。フィフィー様を連れてここを脱出しなさい」
「は、はいっ……!」
ナディアさんがてきぱきとそんな指示を出す。
……んー? どういう事だ?
百足でも高い実力者であろうナディアさんが真剣にそんな指示を出すなんて、まるでニコラウス兄様の言っている事が本当であると言っているかのようだ。
周りを見渡すと、兄様の言っている事がよく分からず戸惑っているのは僕とフィフィーとヴェールさんだ。
ナディアさんとシータとディーズは緊張をしながら、何かを決心したかのような面持ちを見せている。
その3人は皆、ジャセスの百足のメンバーだ。
……まさか、本当なのだろうか?
ニコラウス兄様の言っている事は本当なのか?
「フィフィー! ここから逃げるよっ!」
「え? えっ……? いや、わたし、何が何だか……?」
「いいからっ! 今はあたしたちについてきてっ! あいつの狙いはあなたなんだよっ……!」
シータとディーズはフィフィーと共にここを離脱しようとするが、肝心のフィフィーが困惑して一歩踏み出すのが遅くなっていた。
「させないぞ」
そして、兄様が大きく動き出した。
フィフィーに向かって全速力で襲い掛かってきた。
「来たっ!」
「だああああぁぁぁぁっ……!」
間に立っているナディアさんとヴェールさんが迎撃の体勢に入る。
ナディアさんの槍が強い魔力を纏い、震え、ヴェールさんの槍から九本の魔力の刃が飛び出す。
どちらも神器の性能をフルに発揮した最大限の攻撃だ。
それを走り寄ってくるニコラウス兄様に叩きつけようとしていた。
激しい戦いがまた幕を上げようとしている。
「……え?」
……だが、そこで僕はあり得ないものを見る。
音速を越える筈の息の合った2人の攻撃を、ニコラウス兄様は紙一重で躱し、そして腰に携えていた剣を抜き、それを振るった。
回避からの鮮やかな反撃だった。
ニコラウス兄様の剣がナディアさんとヴェールさんの袈裟を斬り裂いた。
「がっ……?」
「ぐふっ……」
2人は体を斬られ、そこから血を吹き出る。
そしてそのまま何も出来ず、2人は床に倒れ伏せた。
「は……?」
僕たちはきょとんとする。
2人がやられた?
この一瞬、たった一撃で?
あの尋常ならざる力を持ったナディアさんとヴェールさんが?
たった一合のやり取りで、立っているのはニコラウス兄様だけであった。
「はあああああぁぁぁぁぁっ……!?」
驚きの声が自然と上がる。
いくら前の戦いで傷ついていたとはいえ、最強の領域外の2人が一瞬でやられてしまった。
こんなことあり得ないっ……!
ましてや、これをやったのはバカで怠惰な筈のニコラウス兄様だ。
私はこんな人、知らないっ……!
「くっそおおおおおぉぉぉぉっ……!」
ニコラウス兄様はまたフィフィーに向かって走り出し、シータが雄たけびを上げた。
シータとディーズはフィフィーの前に立ち、ニコラウス兄様に向かって魔術を放つ。
雷と氷の魔法だ。強力な魔法が兄様に飛んでいく。
しかし兄様はそれを防ぐ事も避ける事もしなかった。
魔術は兄様の体に完璧にヒットするけれど、兄様の足は少しも止まらない。動きが鈍る事もない。
ダメージはゼロだった。
「ぐっ……!?」
「ぶっ……!」
そのまま2人は兄様に体を掴まれ、持ち上げられ、床に叩きつけられた。
鈍い声を発して、2人の体は動かなくなってしまった。
「あ……」
もうニコラウス兄様はフィフィーの目の前にいる。
手を伸ばせば届きそうな程、2人は近い場所にいた。
「だあああああぁぁぁぁぁっ……!」
何が何だかまだよく分からないけれど、僕もまた兄様に突進を仕掛ける。
兄様が愚直に前に出るのを利用して、彼の後ろに回り込み、飛び上がって攻撃を仕掛けた。
「はああああぁぁぁぁっ……!」
それに合わせてフィフィーも兄様に向かって黒い翼を伸ばす。
その翼はバーハルヴァントの鱗をも消し飛ばした強力な攻撃だ。触れればタダで済む筈がない。
前方と後方からの挟撃だ。
最高の条件が整った攻撃の筈だった。
「ふっ……」
しかし兄様の余裕の表情は崩せない。小さく笑い、いとも簡単に僕達の挟撃を迎撃してきた。
体の向きを半身にして、フィフィーの翼を剣で斬り裂き、僕の双剣を素手で防いできた。
僕達の攻撃が止まってしまう。
最高にタイミングの合った攻撃があっさり防がれてしまう。
くそぅ! なんだよ!
今日は僕の攻撃、敵に地肌で防がれてばっかりだ!
こんなの不公平だっ……!
「むっ?」
「あ、あれ……?」
その時、気が付く。
僕の攻撃は兄様の手を傷つけ、指の骨を砕いていた。
……あれ? 効いた?
「なんだ……?」
これには兄様も予想外だったようで、眉に皺が寄り、しかめっ面になる。
今日は格上との戦いばかりで、僕の攻撃は素手で防がれてばっかりだったから今回も効く訳ないと思っていたのだが……あれ? 予想外だ。
この感じ、なんだろう?
まるで双剣自体が兄様を拒絶しているかのような……。
「ふんっ!」
「わぁっ!?」
「きゃあっ……!」
兄様は強引に腕を振るう。
たったそれだけで相対していた僕達の体が吹き飛ばされる。
僕は部屋の反対側まで飛ばされ、フィフィーは尻餅を付きながらすぐ傍の瓦礫に体を打ちつけられていた。
「がっ……げほっ、げほっ……!」
咽せて血を吐く。
必死に顔を上げると、兄様は自分の手をじっと見て、そしてその指を滑らかに動かした。
確かに僕は兄様の手の骨を砕いた。
しかし、もう既に治っていた。
再生の能力だ。
「フィフィー! 逃げてっ……!」
「ぐっ……」
「無駄だ」
叫べども、もう間に合わない。
瓦礫に背を付け座り込むフィフィーの前にニコラウス兄様が立ち、彼女に向けて腕を伸ばした。
兄様の腕がフィフィーの胸を抉った。
「がっ……」
「フィフィーっ!?」
「ふっ……」
僕以外、味方は全員気絶している様で、叫び声は僕のものだけしか響かない。
ニコラウス兄様の腕が確かにフィフィーの体に刺しこまれてしまう。
フィフィーの体に大きな穴が空き、彼女は口から大きな血を吐く。
絶体絶命。
フィフィーが殺されてしまう。
「……?」
しかし、少し奇妙な光景だった。
ニコラウス兄様の腕は関節の辺りまで深く刺しこまれているにも関わらず、フィフィーの細い体を貫通していない。
普通ならばフィフィーの背中から兄様の腕が出てしまう筈なのに、そうはなっていない。
物理的にフィフィーの体に穴が空いているわけではないのか?
「どこだ? どこにある……?」
「ぐっ、ふっ……ふぅっ……!」
ニコラウス兄様はまるでフィフィーの体の中で探し物をするように、腕を小刻みに動かし、様子を探っている。
その度にフィフィーは苦しそうに呻き、口から血を垂らす。
「……見つけた」
そして、兄様は何かを掴んだ様ににやりと笑った。
「……はは、はははははっ!」
「アアアアアァァァァァッ……!?」
兄様が大きな声で笑い始め、フィフィーが低く唸る様に叫び声を上げる。
分かる。感じ取れる。
ニコラウス兄様はフィフィーの力を吸い取ろうとしている。
多分、フィフィーの中にある『叡智』の力の核とやらを探し当ててしまったのだろう。
フィフィーの力が兄様の体に流れ込み、フィフィーは苦しそうに叫び声を上げる。
「フィフィーっ……!」
叫べども、体は言う事を聞かず、そしてたとえ走れても間に合いそうが無い。
一瞬にして彼女の体の中から大量の力が吸い取られてしまっているのが見て分かる。
フィフィーが白目を剥く。もう正気を保てていないのが分かる。
なんだ、これは? どうすればいいんだ?
このままだとフィフィーは死んじゃうのか……!?
「ぬっ!?」
「……アアア……アアアアアァァァァッ……!」
「くっ……!」
そう思っていた時、ニコラウス兄様が急に険しい顔つきとなった。
攻勢であった筈の彼が苦しそうに体を震わし、フィフィーが低く唸るような雄たけびを上げる。
ニコラウス兄様が慌てる様にして、フィフィーの体に刺しこんでいた腕を引き抜いた。
フィフィーの体は解放され、白目を剥いたまま、もたれかかるように瓦礫に背中を付ける。
「あ……腕が……」
「ちっ……」
フィフィーから引き抜いたニコラウス兄様の腕は酷くボロボロになっていた。
手と腕が半分以上欠け、焦げ茶色に変色してしまっている。脆くなっているのか、灰の様にボロボロと崩れ落ちようとしている。
「拒絶か……」
ぼそっとニコラウス兄様が呟く。
なんだろう? フィフィーの防御本能がニコラウス兄様の侵略を阻害した?
しかし、ニコラウス兄様の腕はすぐに元通りに再生する。
「少し舐めていた様だが、まぁいい。十分以上の力を吸収することが出来た……。期待以上の成果であったと考えよう」
「アアア……アアアァァァ……」
何か納得するようにニコラウス兄様が独り言を呟き、そのすぐ傍でフィフィーが唸り声を上げていた。
十分以上の力を吸収? 兄様の目的は達成されてしまったのか?
「おい、そこの君。……エリーとか言ったか?」
「……!?」
「アアアアァァァ……アアアアアアァァァァッ……!」
急に声を掛けられて僕はびくりと震える。
そして段々とフィフィーの呻き声が大きくなり、彼女の体がびくりびくりと震えていく。
「我は王都に帰る。百足共に伝えておけ。我の邪魔をしたかったら王都に来いと」
「な……!?」
「アガアアアアァァァッ! アグアガアアウウウゥゥゥゥッ……!」
「儀式は一週間後。まぁ、そこまで伝えなくても、あっちも理解しているだろうが……」
「グアアアアアァァァァッ……! アガグガガガガガガガガッ……!」
「これで最後だ。死ぬ気で邪魔しに来い」
淡々と喋るニコラウス兄様の傍で、フィフィーが黒い翼を大きく広げる。
先程兄様に斬り取られた部分の翼も再生を果たし、先程までよりも大きく膨張していく。
そして、フィフィーの体が宙に浮きだした。
白目を剥き、意識が無いようだが、それでも黒い翼に引っ張られるようにフィフィーが空を飛び始めた。
フィフィーの髪の色が変色していく。
これは知っている。人は自分の体の魔力が変質すると、体の外見まで変化してしまう事があるらしい。
ヴェールさんがその例だ。
フィフィーの髪はくすんだ金髪だった。
透明感のある金髪でなく、暗い色をした金髪だ。
そしてその暗い色がどんどんどんどん濃くなっていく。
まるで元はその色だったかのように、自然に彼女の髪が変質していく。
そして、彼女の髪の色は焦げ茶色になった。
「では、さらばだ」
ニコラウス兄様が笑みを浮かべながらそう言う。
「ア゛アアア゛ア゛ア゛アアアア゛ア゛アアァァァァァァァァァァッ……!」
フィフィーの翼から黒い羽根が周囲一杯に飛び散り始める。
黒い羽根は屋敷の全てを破壊していく。その羽根に触れたが最後、何もかもが消滅していく。
全てを破壊しながら、フィフィーの羽根が周囲一杯に広がっていった。
フィフィーの暴走が開始した。




