147話 ニコラウス
【エリー視点】
オーガス王国第一王子、ニコラウス・バウエル・ダム・オーガス。
この国の王子の長兄であり、次代の王の一番の有力候補とされている人物だ。
ただ、それは国王の長男という理由からであって、失礼ながら人としての器はとても小さな人物だ。
遊んでばかりで、知恵も根性も無ければ努力もしない。
周囲からの評価はバカ王子。女性関係も悪く、肝っ玉も小さく、王としての才覚はほとんどゼロに近いものだった。
父親譲りの綺麗な金髪をしていて、前髪が少し長く目に掛かり、眼鏡をかけている。
そのニコラウス兄様がこの部屋に上がり込んできた。
先程まで人の領域を越えた戦いが行われていた場所に、軽い足取りで入ってきたのである。
「ニコラウス、様……無事で良かった……」
散々な評価をしたが、なんだかんだ言って私の兄様である。
先刻、私以外の王族は全てアルバトロスの盗賊団に捕まってしまった。婚約式の会場で一網打尽にされ、行方が分からなくなってしまっていた。
無事かどうか分からなかったのだが、こうして目の前で傷一つない姿を見ると安心する。
他の人達はどうしたのだろうか?
他の人達も拘束から解放されたのだろうか?
「…………」
「…………」
私の声に反応してニコラウス兄様がこちらをちらと見る。
瓦礫で荒れ果てた部屋の中でゆっくりと首を動かし、静かに値踏みするような目をこちらに向けている。
……あれ?
なんだろう? おかしいな……?
ニコラウス兄様はこんなに落ち着いていた人だったっけ?
「…………」
「…………」
数秒間、見つめ合う。
……どうしてだろう?
私はごくりと息を呑んだ。
……兄様程度に、少し威圧された?
私の予想では兄様は「ひっ! ひぃっ!? な、なんなんだ!? この部屋はっ……!? そこのドラゴンみたいな奴は、な、なな、なんなんだぁっ……!?」ぐらい慌てるものだと思ったのだが……!?
「ニコラウス様! 他の方たちは……他に捕えられていた方々がいた筈です! その方たちはどうなりましたか……!?」
大きな声を出す。
フィフィーとナディアさんは完全に口を噤んでいる。
僕がイリスだと知っている人は、完全に私に会話を任せようとしているようだ。
「あー……、君は、確かエリー君と言ったかな……?」
「え……? あ、は、はい……」
呼びかけられて少し動揺する。
どうしてだろう……? ニコラウス兄様と話して緊張したことなんてあまりないのに。
まるで別人に話しかけられているかのような感覚だ。
……あと、僕が妹のイリスだって事には気付かれていないのかな?
まぁ、ニコラウス兄様に気付かれているとは思えないけど……。
「D級冒険者がなんでこんな場所にいるのか分からないが……まぁいい。分かるのは、そんな質問をするなんて、君は少し状況判断能力に欠けていると言わざるを得ないということだ」
「え……?」
私の質問には答えず、妙な事を言いながらまた兄様は歩き出した。
この部屋の真ん中を堂々と、皆の注目を浴びながら、それを一切気に介さず歩を進める。
そして、倒れ伏せているバーハルヴァントの傍にやってきた。
「どいてくれるかな?」
「え……? あ、あの……は、はい……」
ニコラウス兄様に声を掛けられてナディア様は少し戸惑いながら、数歩下がって兄様に場所を譲っていた。
あのナディアさんも少しニコラウス兄様に気圧されている……?
「…………」
「…………」
皆が少し動揺をしていた。
第一王子ニコラウスと言えば愚鈍であると広く知られている。
しかし、余裕を持って悠然としている目の前の男性を見て、皆が狐につままれたような気持ちとなっていた。
多分、私が一番呆然としている。
だってニコラウス兄様のこんな堂々とした姿、一度も見たことが無かった。
「バーハルヴァント」
兄様が短く呼びかける。
バーハルヴァントは今の今まで目を大きく見開いて驚いていたが、声を掛けられてゆっくりと落ち着き、口を開いた。
「ニ、ニコラウス様……」
「あぁ」
「……も、申し訳ありません。せ、折角の汚名を灌ぐ、機会でありましたのに……また、私は、失敗してしまいました」
「…………」
「しゃ、謝罪の言葉もありません……。こ、この罪は、し、死をもって、償います……」
ニコラウス兄様が当然のようにバーハルヴァントと話をしている。
バーハルヴァントに敬意を払われている……。
「いや、バーハルヴァント。我は全く怒ってなどいない。始めに言っただろう? 我はただ感謝している。感謝しているのだ」
「……は?」
「お前はもう助からないだろうがな、だが、我はお前に感謝の言葉を伝えようと思っているのだ。ありがとう、お前のおかげで長年の探し物が見つかった」
「は、はぁ……」
「よく長年仕えてくれていた。もうゆっくり休め」
……なんなんだ、これは?
なんであのニコラウス兄様がバーハルヴァントとこんなに親し気に話しているんだ?
彼とあなたは誘拐犯と被害者の関係の筈なのに。
「二、ニコラウス様……」
「なんだ?」
「あ、貴方に……武運がありますように……」
そう言って、バーハルヴァントが口から小さく血を吐いた。
そしてゆっくりと目を閉じ、体から力が消え失せた。
バーハルヴァントが死んだ。
私たちは最大の脅威を乗り越えた。
「…………」
「…………」
しかし私達の緊張が途絶える事は無かった。
先程までよりもずっと不気味な雰囲気がこの場に重く圧し掛かっていた。
「ふぅ……」
その元凶がゆっくりと息を吐いた。
「……バカとは言え、やはり死んでしまうのは寂しいな」
「…………」
遺体を見下ろしながら、彼は小さくそう呟く。
その目には慈愛がこもっていた。
彼のそんな目は見たことが無かった。
「ニ、ニコラウス様……?」
呼びかける。私が呼びかけない訳にはいかない。
「ど、どうしたのですか……? 彼は敵なんですよ? それは、流石にニコラウス様でも分かっていますよね……?」
「…………」
ニコラウス兄様はあの会場でバーハルヴァント達の暴挙をしっかりと見た筈である。
だから彼が敵ではなく、普通の貴族だと思い込んでいる筈がない。
……いや、そもそもバーハルヴァントは竜の姿をしている。
この人がバーハルヴァントであると分かる筈がないのだ。
……いやいや、兄様はさっき「面白い戦いが見れた」と言っていた。
そんな筈がない。
だってさっきの戦いでは槍の刃の圧力が多量に飛び交って、この部屋の壁を破壊しまくっていたのだ。
物陰に隠れてこの戦いを覗き見るなんて芸当がニコラウス兄様に出来る筈がないのだ。
なぜなら彼は貧弱だからだ。
「ふふ……はははははっ……!」
そんな考え事をしていたら、ニコラウス兄様が大きな口を開けて笑い始めた。
「何故そんなに思い悩むことがある? 冒険者エリーよ。お前は、お前達はもう既に1つの答えを頭の中に描いているのではないか!?」
「…………」
「状況が作り出す答えを既成概念が否定しているのか? それでは本当に愚鈍だな、冒険者エリー」
息を呑む。
ニコラウス兄様がここまで堂々としている。
いつもおどおどしていて、怠惰で、ずぼらで、その癖プライドの高い兄様が、胸を張って大きく笑っている。
こんな彼の姿なんて見たことが無い。
もう既にナディアさんとヴェールさんは槍の切っ先を兄様の方へ向けている。
警戒するようにそっと、額に汗を滲ませながら、探る様に彼の事を観察している。
2人だけでない。
その場にいる誰もが疑念の意を持って、兄様の事を見ている。
領域外や戦いの達人に位置する人たちが、揃って殺気や闘志をニコラウス兄様に向けている。
「ははははっ……ははっ……!」
それでもニコラウス兄様は全く動じない。
領域外の殺気を受けている筈なのに、彼は一切表情を崩さないまま高らかに笑っていた。
「……今の我は気分が良い」
そして首を鳴らしながらバーハルヴァントの遺体に背を向け、彼は私達の方へと向き直った。
皆がそれにつられて数歩下がる。
兄様が振り返っただけで、少し体を押されたような気持ちになった。
「自己紹介をしようか」
彼は口の端を笑顔によって歪めたまま、楽しそうに喋る。
「我はオーガス王家第一王子……改め、『アルバトロスの盗賊団』団長……」
「…………」
「ニコラウスである」
やはり間違いではなかった。
私たちは揃いも揃って気圧されている。
敵の大将が姿を現した。
あ! やせいの
たいしょうが とびだしてきた!




