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145話 因縁の終わり

【エリー視点】


「な、なんじゃこりゃああぁぁぁっ……!?」


 自分の現状に気が付いたフィフィーが素っ頓狂な声を上げる。

 彼女は可動域限界まで力強く首をぐいと捻り、自分の背中を驚愕の目で眺めていた。


 フィフィーの背中から黒い翼が生えた。


 皆が訳も分からずフィフィーの事をじっと見るが、彼女自身この異変には心当たりがないようだった。

 おろおろと目を擦りながら、自分の背中の翼を観察している。


「…………」


 問題は、この黒い翼の羽根がバーハルヴァントの竜の鱗を吹き飛ばしたことである。


 僕達のほぼ全ての攻撃を弾き返していた竜の鱗が、フィフィーの黒い羽根に触れた瞬間に粉々に打ち砕かれてしまったのだ。

 あの羽根にはそれだけの攻撃力が秘められている……?


「…………」


 いや、打ち砕かれたという表現は正確ではない。

 彼の竜鱗の破片は床に散らばっていない。まるで消え去ってしまったかのように痕跡を残さず無くなってしまっている。


 砕いたのではなく、消し去った。

 そう言った感じがした。


「ナンダ、キサマァァァァッ……!」


 バーハルヴァントが雄たけびを上げる。

 怒っている。彼の鱗の穴から血が滴り、彼はフィフィーに激しい殺気を向けていた。


「フィフィー!」


 汚染の刃がフィフィーに向けて飛ばされる。触れてはいけない防御不能の攻撃だ。

 それと同時に再生のモンスターも襲い掛かってくる。


「わっ!? わわっ……!?」


 急に狙われ、フィフィーは慌てたようにうろうろとした。

 しかし、ギリギリの所で彼女の背中の黒い翼が動き、汚染の刃と再生のモンスターをべちんと叩く。


 フィフィーの翼に叩かれた黒い刃とモンスターは霧のように消滅していった。


「なっ……!?」

「あ……、動かせた」


 フィフィーは小声で軽くそう言うけど、僕達は驚愕を隠しきれない。


 触れるだけで体の魔力をぐちゃぐちゃに弄られる汚染の刃を、フィフィーの背中の翼はいとも容易く叩いて消してしまった。

 再生のモンスターも塵一つ残さず、消滅しきってしまっている。


「キサマ何者ダアアアァァァァッ……!?」


 危機感を覚えたのだろう、バーハルヴァントが憤怒の表情を見せながらフィフィーに向かって突進を始めた。

 一刻も早く彼女を消さなければいけないと考えたのだろう。


 フィフィーは強く命を狙われ始めた。


「掴まって!」

「わっ!?」


 僕はフィフィーを抱えてその場を離れる。

 一瞬後にフィフィーがいた場所にバーハルヴァントの大きな槍が突き刺される。


 流石に彼女が狙われることは簡単に予測がついた。

 一手速い行動が功を制した。


「てやあああぁぁぁっ!」

「ハァッ!」

「ヌウゥッ……!」


 追いかけてくるバーハルヴァントの間にナディアさんとヴェールさんが割込み、彼の足を止める。


 状況は先程と全く違う。

 彼の鉄壁の防御には今やたくさんの穴が空いている。バーハルヴァントは2人の攻撃を注意深く防ぐ他ない。


「フィフィー! もっと羽根を出してっ! 羽根を相手に飛ばしたりしてよっ!」

「いやいやいや!? 上手く動かせる訳ないでしょ! 結局これなんなのっ……!?」

「知らないよっ!」


 僕はまたフィフィーを背中に装着し、その場を駆け回る。


 何だかよく分からないけど、フィフィーのこの背中の翼は現状最強の攻撃手段だ。

 なんとかこの翼をバーハルヴァントに当てないといけない。


 羽根をうまく飛ばして奴に当てることが出来ればいいんだけど……そこまで自由には動かせないらしい。


「……仕方ないね」

「エ、エリー……まさか……」

「奴の懐に潜り込む! 気張っていくよ!」

「わーん! また死地っ!」


 飛ばせないのなら近づくしかない。

 また嵐の様な『領域外』達の戦闘に潜り込むしかない。


 今日何度死にかければ済むんだろうなぁっ!?


「ガアアアァァァァッ……!」


 僕達が近づくと、バーハルヴァントが僕たちに注目を向ける。

 ナディアさんよりヴェールさんより、フィフィーの方が危険だと思われているのだ。


 彼の間合いに入ると即行で奴の槍が飛んでくる。

 普通の攻撃だけれど、僕にもフィフィーにも防御不能なほど速く、力強い攻撃だ。普通だったらこれだけで死ぬ。


「はぁっ!」


 しかし、そこをヴェールさんがカバーしてくれる。

 バーハルヴァントが伸ばす槍を横から叩き、軌道を少し変えてくれる。


 僕もまた双剣で槍の側面を叩く。奴の槍は僕の肩を掠め、そこから血が吹き出すが、致命傷には程遠い。


 一歩踏み込めた。


「やぁっ……!」


 ナディアさんが槍を突き、バーハルヴァントに攻撃を仕掛ける。

 彼は槍から片手を外し、自分の手で彼女の槍を弾いた。


 その際振動の力を発動したのか、バーハルヴァントの手がびりりと痺れるような挙動を見せた。


 これで、二歩目。


「うらあああああぁぁぁぁっ……!」


 あともうちょっとでフィフィーの翼が届く。

 そこまでの距離まで近づいた。


 奴は片手で槍を握り、片手は痺れて動かせないようだ。

 これならば届く。僕達の刃は彼に届く。


「……バカメ」


 そんなバーハルヴァントの呟きが聞こえてきた。


 彼はおもむろに足を振り上げた。

 強襲の蹴りだ。竜の姿の太い足で、僕達を蹴り殺そうとしていた。


 僕達と彼の間にほどんど距離は無く、一瞬後に彼の足は僕たちの体を粉々に砕くだろう。


「エリー様っ……!」


 ナディアさんの心配そうな声が聞こえてくる。

 ちらと、バーハルヴァントの口元がにやりと歪むのが見て取れた。


 ……バーハルヴァントにとって僕なんて存在はいつでも殺せる雑魚なのだろう。


 事実、僕は彼に大きく劣り、何度も何度も死にかけた。仲間の援護が無かったら何十回と死んでいただろう。


 一撃で死ぬか弱い存在。

 フィフィーの攻撃は恐れているが、その馬となっている僕の事は恐れていなかった。蹴りの一撃で殺しきってしまおうと考えているのだろう。


 ――バカにしやがって。


 バーハルヴァントのこの攻撃は明らかに精細さを欠いた攻撃だった。

 技術も工夫もない、力任せの一撃だ。


 ナディアさんとヴェールさんとやり合っている片手間に殺せるだろうと思われている。

 少し隙を見せればのこのこやってくるのだから、そこを軽く捻り潰してやろうという魂胆が透けて見える。


 その程度の存在だと思われている。


「……舐めんなぁぁぁっ!」


 この程度の攻撃なら生き延びて見せるっ!


 僕は双剣を思いっきり奴の足に叩きつけた。

 彼の足の力が僕へと伝わってくる。それだけで体は軋み、口から血が零れる。


 しかし、同時に僕は自ら上に飛び、奴の蹴りの力を利用して上へと飛んだ。


 バーハルヴァントの頭上を取る事に成功した。


「ぬっ……!?」


 彼は頭を上げ、驚きの表情で僕達をみつめる。

 殺せなかった、不利な位置を取られた、そう言った感情が読み取れた。


 奴は片足を上げている。機敏な行動なんて出来る筈がない。


「フィフィー!」

「うんっ!」


 フィフィーは黒い翼をぴんと伸ばす。

 両翼が真っ直ぐと伸び、まるで二振りの剣の様になる。


 これを当てるのは僕の仕事。

 僕は空中で自分の体を捻る。そうすればフィフィーの背中の黒い翼も追従して動き、長く伸びた刃と化す。


「うらあああああぁぁぁぁぁっ……!」

「やあああああぁぁぁぁぁぁっ……!」

「ヌウゥッ!?」


 黒い翼が彼の顔を擦り、その部分の鱗を消滅させた。

 中の肉も抉り、顔から血が吹き出す。片眼が潰れ、白い眼が消えてなくなるのが見て取れた。


「ヌワアアアアァァァァァッ……!?」


 奴の口から悲鳴が轟く。

 幾筋もの直線的な傷が彼の顔に刻まれ、大量に血を吹き出していた。


「やった!」


 背中からフィフィーの嬉しそうな声が聞こえてくる。

 バーハルヴァントの体がぐらつき、倒れそうになる。


 ……しかしまだ戦いは終わっていない。


「……ガアアアアァァァァァッ!」

「……っ!?」


 まるで根性を示すかのように、バーハルヴァントはぐらつく体を立て直し、僕達の前に顔を近づける。

 僕たちは今落下中だ。体の自由はほとんど聞かない。


 バーハルヴァントは口を大きく開けた。

 その喉の奥からちらりと赤い炎が見えた。


「……ブレス攻撃だ!」


 竜の吐息。口から高エネルギーが吐き出される竜の持つ得意技だ。

 しかしバーハルヴァントはその技を自分の槍に付与させる方法でしか使ってこなかった。


 その際は、あのヴェールさんが一方的にやられている。

 強烈な攻撃力を持っているのは想像に難くない。


 ここに来てほぼ初見の攻撃とかやめてくれ!


「マナバリアァァァァッ……!」


 限界まで力を込めて、僕にとっての最高強度のバリアを張る。


 しかしこれだけで彼の攻撃を防げる筈がない。喉の奥の炎が大きくなっていくのが見て取れる。


「マナバリアァッ……!」

「マナバリア……!」


 更に2つの声が聞こえてくる。

 シータとディーズだ。ナディアさんたちに背負われながら、少し離れた場所にいる僕たちに盾の魔法を飛ばしてくれた。


「動けえええぇぇぇぇぇっ……!」


 背中にいるフィフィーが叫ぶ。

 全身全霊、全力の叫び声であった。


 すると彼女の背中の翼がぴくりと動き、僕と彼女を包み込むように丸く輪になった。


 黒い翼による防御だ。

 この土壇場で、今発現したばかりの力をフィフィーはコントロールして見せた。


 黒い翼に体が包まれる。

 その翼は何だか温かかった。


「バアアアアァァァァッ……!」


 その直後、奴の口から炎のブレスが吐き出され、僕達に襲い掛かってくる。


 視界の全てがフィフィーの黒い翼と、竜の黒炎に覆われていく。

 まさに地獄絵図。激烈な力の塊に四方八方を囲まれ、思わず身がすくむ。自分がいかにちっぽけな存在か思い知らされる。


 ただ、この黒い翼は味方だ。

 凶悪な竜の黒炎さえ、この翼は消滅させていく。

 それでも擦り抜けてきた炎を僕たち3人の防御魔法で弾いていく。


「ぎゃっ……!?」

「わぎゃっ……!」


 そして、僕たち2人の体は炎の圧力に押されて、その場から吹き飛ばされた。


 強い力で弾かれ、体は床に激突し、跳ね、そして瓦礫へと突っ込んでいく。

 かなり強烈な勢いで瓦礫にぶち当たり、どごんと大きな音を立てながら土煙を舞わせる。


「ふぎゃっ!」

「いちちちち……」

「……きゅぅ~」


 しかし僕たちは生きていた。

 防御を通り抜け、体があちこち火傷を負っているけど、それでもちゃんと耐え抜いた。フィフィーは目を回しているけれど、ちゃんと無事である。


「グッ……!」


 バーハルヴァントが苦々し気に顔を歪ませる。


 生き抜いた。

 滅茶苦茶頭打って、血がびゅーっと噴き出しているけど、何とか生き抜いた。


「……どこを見ています?」

「……っ!?」


 そしてナディアさんが静かな声を発した。


 バーハルヴァントは僕たちに注意を向け過ぎた。

 ナディアさんとヴェールさんが絶好の位置で槍を振りかぶるのを許してしまった。


 膨大な力が2人の槍に込められていく。

 バーハルヴァントには劣るのかもしれないが、彼女達もまた『領域外』なのだ。

 人の域を越えた強さに位置する人間だ。


 これが致命打だった。


「ヴィヴラスッ……!」

「トラムッ……!」


 二筋の槍の閃光が煌めく。

 ナディアさんの神器ヴィヴラスが光を震わせ、ヴェールさんの神槍トラムが十の刃を編む。


 その2本の槍はバーハルヴァントの体を刺し射貫いた。


「ガッ……フ……」


 もう防御の鱗の無い箇所を突かれ、彼の体が槍によって貫通する。

 明らかに致命傷となる攻撃だ。

 複数の刃がバーハルヴァントの体の芯を通り、反対側から抜けている。重要な内臓器官がいくつも破壊されているのが見て取れる。


 そこから大量の血が噴き出してくる。

 バーハルヴァントが水に溺れるような声を発し、口から血を吐き出す。


「…………」

「…………」


 彼の体がふらりふらりと揺れる。


 これまでどんな攻撃を行おうとも、彼はその竜の体によってその大半を弾いてきた。ほぼ傷つくことなく、目の前の竜人は無敵に近い存在であった。


 その巨体が遂に倒れ始める。

 目から光が失われ、ゆっくりとゆっくりとその体は地にひれ伏した。


「…………」

「…………」


 竜の体が床を叩き、重々しい音が鳴り響く。


 それが、戦いの終わりの合図だった。


「…………」

「…………」

「…………」


 沈黙がその場を支配する。

 10秒、20秒、30秒……。


 誰も動くことが出来ない。じっと、冷や汗を垂らしながら、倒れ伏せている竜人の姿をただ見つめる。

 その巨体が起き上がって来ない事を祈りながら、自分の武器をぎゅっと力強く握り直す。


 心臓が早鐘を打つ。竜人から注意を逸らさず、ただじっと待つ。全身が震えてくる。

 緊張からか、誰かがごくりと息を呑む。


 しかし、待てども待てども竜の体は動かない。


「……勝った」


 そして、ナディアさんがそう小さく呟いた。

 その言葉が、今この場の全てだった。


「…………」


 ナディアさんがこの7年間の日々を思い返すかのようにゆっくりと上を見上げ、目を瞑る。

 その横顔は、重々しい因縁の終焉を描いてた。


「……勝った」


 もう一度ナディアさんはそう言い、拳を天に向けて突き上げた。


 ヴェールさんが胸に手を当てながら感慨深そうに彼女の姿を眺めている。

 この2人の7年の苦節は、きっとこの2人にしか分からない。


 外から差し込む光がナディアさんの姿を照らす。

 ここに竜は堕ち、彼女たちの長い長い戦いが終わりを告げた。


『僕はまたフィフィーを背中に装着し、』

→フィフィーは装備品。

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