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144話 翼

【エリー視点】


「グオオオオオオォォォォッ……!」


 正気を失ったバーハルヴァントが僕たちに襲い掛かってくる。

 動きは直線的で、技巧は荒くなり、先程までより精細さは欠けている。


 しかし、今までで一番厄介だ。

 何故なら……、


「汚染の刃、来るよっ、エリー!」

「おりゃああああああぁぁぁぁっ……!」


 前後左右から鞭のようにしなる汚染の刃が僕たちに向かって襲い掛かってくる。


 出来得る限りのスピードで走りながら、全方向に意識を集中させ、身を屈め、捩り、飛び、回り、気合と根性で避けていく。


 背中に負ぶっているフィフィーも盾の魔法で援護をしてくれながら、汚染の刃を紙一重で躱していく。


「ちっ……!」


 だが全てを躱しきれず、その黒い刃が頬を掠めてしまった。


「汚染受けた! 治療よろしく、フィフィー! ……おぇぇ」

「オッケー!」


 フィフィーが僕の背中に手を当てて、僕の中の汚染を除去してくれようとする。

 本当は近づくだけでも駄目なのだ。厄介な攻撃が前後左右から飛んでくる。


 僕もまた、手を後ろに回してフィフィーの腰辺りを触り、フィフィーに掛かった汚染を除去する。

 相互支援型戦略は結構機能していた。


「グオオオオオォォォォォォッ……!」

「……! バーハルヴァント自身が来るっ!」

「くっそぉ……!」


 汚染の刃を何とかやり過ごしたと思ったら、バーハルヴァントの巨体が直接僕に駆け寄って来た。

 そこに技巧も、技術も無い。


 しかし迫力だけは先程よりも強まっていた。


「エリー様!」

「グオッ……!?」


 直線的に襲い掛かってくるバーハルヴァントの横からナディアさんが突きを入れる。

 脇腹に強烈な刺突を喰らい、バーハルヴァントは走りながら体をぐらつかせ、突進攻撃の軸がぶれた。


「おりゃああああああぁぁぁぁぁぁっ……!」

「きゃあああああぁぁぁぁぁっ……!」


 ナディアさんの援護をありがたく頂戴して、僕は大きく飛び退いて奴の突進を回避した。


 実力差がある為、僕だけではあの突進攻撃は回避できない。

 ナディアさんの助太刀が無かったら僕はミンチになっていただろう。


「ありがとうございます、ナディアさん……!」

「いえっ! 次も来ますよ、エリー様!」

「はいっ……!」


 バーハルヴァントから剥がれた爪の破片がもぞもぞと動き、僕達に牙を向ける。

 さっき奴は自らもう一枚爪を剥がし、破片を増やしていた。

 化け物がまた増える。


 今のバーハルヴァントはこれが厄介なのだ。

『汚染』に『再生』に『衝撃波』。それまでの団員たちの能力を次から次へと繰り出してくる。


 技は荒くなったけど、その怒涛の攻撃量に対応しきる事が出来ない。

 どうしても防御に集中せざるを得ない。


 でもそれでは駄目なのだ。

 どうにかして、相手の頑強な竜鱗を突破して攻撃を仕掛けないといけないのだ。


「グオォ……オオオオォォォ……」

「ん……?」


 なんだかバーハルヴァントの様子がおかしい。

 低い唸り声を上げながら、その場に立ち竦んで何か体を震わせている。


「……なんだ?」

「何かまたやってこようとしている……?」


 バーハルヴァントの体の中の魔力が渦巻くのが見て取れる。

 また別の能力を発動させようとしている? 今度は何だ? 何の能力を出してくる……?


「オオオオォォォ……オオオオオオォォォォォッ……!」


 バーハルヴァントが大きな雄たけびを上げる。

 彼の右手が大きく変形し始めた。


「なんだ……あれ……?」

「……獣?」


 右手が獣の頭のような形になっていく。

 手から大きな口が生え始め、そこから鋭利な牙が顔を覗かせる。そして真っ赤な目が生え、黒い耳が生える。


 バーハルヴァントの右手は変形しきり、獰猛な獣の頭がそこに付いていた。


「ギガア……ギガアアァァ……」


 バーハルヴァントは体を震わせたまま、獣の頭となった右腕を上げ、前に向ける。

 獣の目がぎょろりと動き、注意深く周囲を見渡していた。


「……っ!」


 そして目が合う。

 獣と目が合ってしまった。


「ギガアアアアアァァァァァッ……!」

「……なっ!?」


 まるでそれまで力を貯めていたかのように、バーハルヴァントは一際大きな叫び声を上げ、その右手を振るった。


 すると右腕はぎゅんと伸び、獣の頭が僕に向かって飛んでくる。

 獣は大きく口を開けて、僕の体を噛みちぎらんと襲い掛かってきた。


 初見の攻撃が僕に向かって飛んでくる。

 格下狩りは騎士道精神に劣るものだと思いますっ!


「マナバリア!」


 背中のフィフィーが防御魔法を使う。


「ガアアアァァァァッ……!」

「ちっ……!」


 しかし獣の頭は止まらなかった。

 その鋭い牙でフィフィーの高強度のバリアをいとも容易く喰い破り、動きを止めず僕に迫ってくる。


「ぐっ……!」


 大きく飛び退いて間一髪躱す。バーハルヴァント本体の突撃と比べたら、まだ少し遅い。

 獣の頭はそのまま勢い余って僕の足元の床へ突っ込んでいった。床の石材が激しく砕ける音を立てながら、獣の頭が地面の中に埋まる。


 ただ僕はこの攻撃を完全には避け切れず、牙に肩を引っ掛けられ、肉を削り取られてしまった。


「エリー!? 大丈夫……!?」

「……大丈夫、大丈夫、フィフィー。……掠っただけだから」


 肩から血がぼたぼたと垂れる。中の肉が見え、じんじんと激しく痛む。

 ……獣の顎の力は強大だ。防御などいとも簡単に喰い破られる。


「ヴェール! あれは何ですか……!?」

「知らないっ……! 見たことが無いっ……!」


 バーハルヴァントの本体と交戦していたナディアさんとヴェールさんがそんな会話をする。

 アルバトロスの盗賊団に所属していたヴェールさんでさえ知らない秘術なのか?


「グゴオ……オゴゴ……」


 獣の頭が床から這い上がってくる。

 何故だか口に大きな瓦礫を咥えている。僕を噛み殺そうとして床に激突し、床の石を噛んでしまったようだ。


 喋り辛そうに口をもごもごさせていた。

 ……ちょっとバカっぽい?


「オゴ……ゴウ……ゴウ……」


 と思っていたら、獣の頭は口と喉を動かし、咥えていた大きな瓦礫の塊を飲み込んでしまった。

 明らかに喉の太さよりも大きかった筈の石の塊は獣の喉を通り、どこかへ消えていった。


「……石を飲み込んだよ、あの獣」

「……あれ、どこに繋がってるの? バーハルヴァントの腹?」

「腹壊しそう」


 冷や汗を掻きながら益体のない事をフィフィーと話し合う。

 でも結果的にこの会話が功を制した。あの瓦礫はどこに消えたのか? その疑問があったから、獣の頭の次の行動が無意識に理解できた。


 獣が口を閉じ、何か喉を鳴らす仕草を見せた。

 ……何かを吐き出そうとしている?


「……ゴアァァッ!」

「にゃろうっ……!」


 獣は頭を振りながら口を開いた。

 次の瞬間、喉から大きな石が吐き出され、それが途轍もないスピードで僕に向かって飛んできた。


 獣は先程飲み込んだ石の塊を吐き飛ばしてきたのだ。


 出し入れ自由かよ! と頭の中で獣に対して悪態を吐くけれど、僕の体は反射的に動いた。


 2本の短剣を素早く動かし、向かってくる石の塊を十字に裂いた。

 石の塊は4つに割れ、綺麗な断面を見せながら僕の斜め後方へと飛んでいく。


 凄まじいスピードであったが、材質はただの石である。タイミングさえ合えば、軽く斬り裂くことが出来る。

 間一髪、僕は石の弾丸から逃れることが出来た。


 心臓がバクンバクン言っている。

 あの獣が呑み込んだ石はどこに行ったのか? 消滅していないのなら、また口から出てくることもあるのか?

 そんな無意識の予測が無ければ確実に間に合っていなかった。


 一瞬遅かったら、確実に死んでいた。


「エリー様っ……!」


 難を逃れたと思った瞬間、ナディアさんの悲鳴のような叫び声が聞こえてくる。

 ほっとしたのもつかの間、今度は何だと思った瞬間、僕はやっと自分が置かれている状況に気が付いた。


「あ……」


 ―――僕のすぐ傍にバーハルヴァントが立っていた。

 獣の頭が攻撃している最中に、彼は僕との距離を詰めていたのだ。


「ウガアアアアアアアアアァァァァァァァァッ!」

「…………」


 あ、ダメだ。

 バーハルヴァントの咆哮を間近で聞きながら、そんな短い言葉が頭の中に浮かぶ。


 僕はもう完全にバーハルヴァントの槍の間合いの中にいる。

 感覚的な時間が伸びていくのを感じる。彼が槍を振りかぶるのが妙に遅く感じられた。


 今この瞬間が、私にとっての死だ。

 すぐにそれを理解した。


 背中にいるフィフィーをひっぺ剥がし、後ろにとんと投げた。

 彼女の小さな体が僕から離れていく。


「エリーッ……!?」


 フィフィーが顔を真っ青にしながら叫んでいる。バーハルヴァントの槍が僕に向かってくる。


「…………」


 奇妙だ。なんだか色々なものがよく見える。

 僕は落ち着きながら双剣を交差させ、その交差部分で敵の槍を防御出来るように剣を構える。


 一瞬にも満たない時間の中、バーハルヴァントの槍と僕の双剣がぶつかり合った。


「ゴアアアアアアァァァァァッ……!」

「…………」


 激しい衝撃が僕の全身を駆け抜ける。

 手に持つ双剣から信じられない程の敵の力が伝わってくる。


 冗談じゃない。

 武器を交えただけで僕の体は燃える様に傷つき、皮膚が裂け、血が溢れてくる。

 まるで隕石をその体で受け止めたかのようだった。


 踏ん張りが効くわけが無い。

 分かる。一瞬の後僕の防御は弾かれ、その槍で心臓を串刺しにされるだろう。

 僕は死ぬ。

 よく分かる。


 ヴェールさんやナディアさんはこんなのと戦っていたのか。

 僕では絶対に敵わない。

 それを完璧に理解する。


 ……僕の神器の能力、完全防御が働かないかな、と思ったのだけれど、双剣は何も答えてくれない。

 この双剣は僕に対して厳しいのだ。


「…………」


 あぁ、分かる。本能が理解する。

 これは走馬燈ってやつが見えてくるやつだ。


『おぅ、よく2秒も稼いだ』


 走馬燈が走り、一番最初に聞こえてきたのはクラッグの声だった。


 思い出す。

 神殿都市にいた時、僕が幽炎の攻撃を2秒防いだ時の事だった。


 たった2秒しかあの炎の足を止められなかったと涙を流していた時、あいつは僕にそう言った。

 その2秒の頑張りが僕の命を救った。


「…………」


 何故この場面を走馬燈で見るのか。

 まるで、走馬燈が2秒ぐらい頑張れって言ってくるようだった。


 ……皆して、僕に厳しい。


「ぐぎぎぎぎ……!」


 歯をもうちょい食いしばる。足にもうちょい力を入れる。

 2秒耐えたところでどうともなる筈ないのだけれど、僕は一生懸命、もうちょいだけ頑張ろうと思った。


「うぎぎぎぎぎぎっ……!」


 圧倒的なプレッシャーが僕を殺そうと迫ってくる。

 槍の切っ先がじりじりと震え、早く僕の命を串刺しにしたいと小躍りしている様だった。竜が鬼の形相でこちらを睨み、早く死ねと言っている様だった。


 死ぬ程おっかない。

 でもあともうちょいだけ踏ん張ってみようと思う。


 あとちょっと、あとちょっと……。


 クラッグの声に引かれて、あともう少しだけ頑張ろうと思った。


「うがあああああああぁぁぁぁぁぁっ……!」


 その時だった。


「だめええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ……!」

「え……?」


 ―――黒い羽根が宙に舞った。


「は……?」


 どこから現れたのか、唐突に、意味不明に、僕とバーハルヴァントの周りに数十もの黒い羽根がはらりはらりと揺れている。


「黒い……」

「……羽根?」


 突然現れた黒い羽根を見上げ、ナディアさんやヴェールさんもきょとんとした顔を見せる。


 黒く輝く羽がその軽さによって真っ直ぐ落ちず、前に後ろに、宙を踊りながらその存在感を示している。


 僕の背後にいるフィフィーが叫んだと思ったら、たくさんの黒い羽根が現れた。


 バーハルヴァントの攻撃が緩む。彼も僕も突然の事に目を丸くした。

 これは……なんだ……?


 その黒い羽根がいくつもいくつもバーハルヴァントの体にぴとりと張り付く。


「ヌウウウウゥゥゥゥッ……!?」

「え……?」


 すると、その黒い羽根はぼひゅんという気が抜けたような音を立てながら強い衝撃をまき散らした。

 その衝撃は彼の体を後方に吹き飛ばす。


「な、なに……?」


 黒い羽根が起こした衝撃によってバーハルヴァントの体が弾かれ、僕と彼との間に距離が出来る。

 ……何だかよく分からないけど、なんか助かった?


「……これは?」

「な、なに……?」


 ナディアさんやシータから困惑の声が聞こえてくる。

 誰もが状況を正しく把握できない。


「ナ、ナンダ……コレハ……?」

「え……? なっ……!?」


 バーハルヴァントが驚愕の顔つきで自分の体をじっと眺めている。

 僕達もすぐに彼の体の異変に気が付いた。


「……!? バーハルヴァントの竜鱗が剥がれてる!?」

「なっ……!? どうして!?」


 彼の黒い竜鱗がところどころ剥がれ落ちている。

 鉄壁の防御に穴が空き、その中の肉が見えてしまっている。


 僕達が必死に必死を重ねてやっと開けた4つの穴。その数倍の数の穴がバーハルヴァントの体に出来上がっていた。

 鱗が剥がれた部分から血が滲み、滴る。


 黒い羽根が奴の体に触れたから?

 黒い羽根が奴の鱗を消し飛ばした?


「エリー! 大丈夫……!?」


 何が起きたのか分からないことだらけの中、ふと、後ろからフィフィーの心配の声が聞こえてくる。

 僕はフィフィーの方に振り返った。


「……え?」

「ん……?」


 驚き、体が固まる。

 僕は驚愕の表情を顔に張り付けていたのだろう。僕の驚く顔を見て、フィフィーがきょとんとした表情となっていた。


 すぐに彼女に注目が集まる。

 皆がフィフィーに起こった異常に気が付き、額から汗を垂らす。


「え? な、なに……?」


 当の本人だけが何も分かっていないかのように目をぱちくりさせている。自分がどうして皆の注目を集めているのか彼女だけが理解していなかった。


「…………」


 黒い羽根。それがどこから現れたかだけは分かった。


 ――フィフィーの背中に大きな黒い翼が生えていた。


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