143話 発狂
【エリー視点】
「ナディアさんっ……!」
膝を付くナディアさんに近づき、彼女の背に手を当てる。
ナディアさんはたった今『汚染』の攻撃を喰らってしまった。体の中の魔力の流れを汚されて、倦怠感で一杯になっている筈だ。
『アルバトロスの盗賊団』のメガーヌが使っていた技。
それを何故かバーハルヴァントが使い始めていた。
「ナディアさん、今『汚染』の力をある程度中和します。大きく息を吸い込んで胸と腹に力を入れて下さい」
「エリー様……?」
ナディアさんの背に当てた手を通じて、魔力の流れの淀みを修正していく。
これは先程僕が汚染の魔法を喰らった時にクラッグにやられた対処法だ。
他の人が外から『汚染』の力を中和するのだ。
……クラッグは僕の事を叩きながら『汚染』の力の治療をしていたが、どうやら人を叩く必要は全く無いようだ。
……あの野郎。
「ふー……」
ナディアさんは大きく息を吐いて、すっと立ち上がった。
「ありがとうございます、エリー様。大分楽になりました」
「いえ。見様見真似ですし、完全には治しきれないんで、喰らい続けるのは注意して下さい」
「かしこまりました」
ナディアさんはまた槍を構え直し、その切っ先をバーハルヴァントに向ける。
バーハルヴァントは黒い瘴気を発しながら、ただならぬ様子でじっと立っている。目がぎらついており、ふーふーと鼻息を荒くしている。
正気を失っているように見える。
逆鱗を突かれ、怒りで我を忘れているのか、それとも力が暴走して混乱をしているのか。
どちらにしても常軌を逸しているように見えた。
「……何故バーハルヴァントがメガーヌの力を? ……『叡智』の力が使えるのは1人1つではないのか?」
「ヴェールさん自身はどうなんです? 『アルバトロスの盗賊団』に所属してるじゃないですか」
「……俺は『叡智』の力を碌に使えない。……与えられてから、まだ殆ど時間が経っていない」
「使えないですねぇ」
「うるさい、ナディア」
すぐナディアさんとヴェールさんが罵り合う。
イチャイチャするのは後にして欲しい。
「……来るよ!」
「グオオオオオォォォォォッ……!」
フィフィーの叫びによって意識が引き締まる。
バーハルヴァントが体を力ませながら、先程と同じように黒い瘴気を刃の形にして飛ばしてきた。
鞭のようにしなる黒い刃の数は4本。それが左右から僕達を挟み込むようにして襲ってきた。
「ぐっ……!」
あの黒い刃は武器を使って防いだだけで汚染が進む。それどころか、近づいただけでそうなのだ。
だからなるべく完全に回避しようとするのだが、そう簡単に事は進まない。
高速で自由自在に動き回る黒い刃を避け続けるのは至難の業で、どうしても武器を使って防御するしかない。
「ぐぅっ……!」
その度に体が軋む。
口の中から血の匂いがする。
「あっ……!?」
「フィフィー……!」
縦横無尽に走り回る汚染の刃によって、フィフィーがまずいダメージを受けてしまう。
足だ。
フィフィーの足が黒い刃に切り付けられ、傷を負ってしまう。そして彼女は転び、勢い余ってゴロゴロと転がる。
「……っぅ!」
傷は決して深くない。
しかし、その攻撃は汚染の刃だ。フィフィーは即座に立とうとするけれど、その足はがくがくと震えて踏ん張りがきかないようである。
「フィフィー様!」
「くっ……!」
別の汚染の刃がフィフィーへと向かう。
足が動かないフィフィーにはそれを避ける術はない。
「ってあああぁぁぁぁっ……!」
「エリー!」
だから近くにいた僕がサポートする。
飛びついて、フィフィーとその背中のディーズを抱え、その場を離脱する。
間一髪だった。汚染の刃が僕の肩を少し裂き、先程までフィフィーがいた場所を通り過ぎていく。
……おえぇ、気持ち悪くなる。
「あ、ありがと! エリー!」
「いいんだけどさ……こんなのどうすればいいのさっ……!?」
汚染の刃はうねうねとこの場所を我が物顔で蠢き回る。
メガーヌは汚染の力を武器に纏わせて使っていただけだった。
こんなふうに力を使われて、一体どうやってこれを凌ぎ切ればいいのか?
しかし、それとは別に、今僕はフィフィー、シータ、ディーズの3人を抱える事になってしまっている。
流石に3人はちょっと重いっ!
……女性に重いなんて言えないけど!
「……バーハルヴァント自身が来る!」
「ガアアアアアァァァァァッ……!」
「回避っ!」
バーハルヴァントが真っ直ぐナディアさんの方に向かってきて、力任せに槍を突き出してくる。
ナディアさんは大きく飛び上がって、それを回避した。
汚染の力を複数同時に操っているせいか、それとも正気を失っているせいか、どうやらバーハルヴァントの動きは繊細さを欠いている様だった。
ナディアさんがいとも容易く回避している。
それでも僕の方に突っ込まれていたら死んでたけどね!
狙われないようにうろちょろ逃げ回っておこ!
「ナディアさん! ヴェールさん! これ使って下さい!」
呼びかけて、2人に向かって便利なあるものを投げた。
「え?」
「え……?」
「えっ!?」
「……は?」
「えぇっ……!?」
僕以外の全員からきょとんとした声が漏れる。
ナディアさんとヴェールさんは困惑しながら、僕が投げたものをどっしりと受け取った。
僕は抱えていたシータとディーズを2人に投げたのだった。
「ちょちょっ……!? 何してんの!? エリー!?」
「エリーぃぃぃっ……!?」
背中のフィフィーやシータ達にめちゃくちゃ驚かれる。
しかし僕には考えがあった。
「シータ! ディーズ! ナディアさんとヴェールさんが汚染の力を受けたら外から回復させてあげて! そうすれば、ましになるっ!」
汚染の力は外部から他者が治さないといけない。
ならば負ぶってでも他の人を傍に付かせていればいいだけだ。
3人が3人、誰かを負ぶりながら戦うという奇妙な絵柄が出来上がるけれど、これが実用的な筈なんだ。
……決して重かったから誰かに押し付けたかったわけじゃない。
違うんだからね?
「ちょっ……!? エリー!? 私、汚染の力の治療なんてしたことないっ……!?」
「僕もフィフィーも今日ぶっつけ本番なんだ! シータ! 我が侭言うんじゃありません!」
「えーっ……!?」
信じられない、と言ったような大声がシータから飛んでくる。
以降、無視した。
「……あなた、大分傷ついている。まずは普通の治療魔法から使う」
「……ディーズとか言ったか? 助かる」
「うん……。あなたは戦闘に集中して……」
ディーズはまずヴェールさんの体の傷を癒し始めた。
ヴェールさんは最初の方1人で前線を張っていた為、この中で一番傷ついていた。
治療と強化魔法によってヴェールさんが楽になればいい。
ナイスだ、ディーズ。
「あー! 女の子にくっつかれて、なに鼻の下伸ばしてるんですか! ヴェール! 集中して下さいよっ!」
「うるさいっ! お前が集中しろっ、ナディア!」
イチャイチャするのは後にしろっての!
「グオオォォォオオワアアアァァァァッ……!」
「なにっ!? なにっ!? 今度は何っ……!?」
バーハルヴァントが雄たけびを上げると、また奇妙な事をし始める。
彼がひび割れた爪を自分でベりべりと剥がし始めた。先程ナディアさんが亀裂を入れた爪だ。
それを砕きながら、床に落とす。
「え……?」
どういう訳か、その爪の破片が独りでにかたかたと動き始めた。
そしてその形を変え始める。
爪の破片から手や足の様なものが生え、口や牙のようなものができ、自立して動き始めた。
バーハルヴァントの爪の破片が何かよく分からない化け物に変化した。
「何あれ!? きもいっ……!」
「あれは……オリンドルの『再生』の能力だっ……! 自分から離れたパーツをモンスターにして使役することが出来る……!」
「なにそれ、きもいっ……!」
ヴェールさんが目の前の怪物について説明してくれる。
オリンドルの『再生』の能力と言えば、胴体を両断されてもそれがすぐにくっついてしまう程の不死身の能力だ。
クラッグがオリンドルの首を刎ね飛ばしていたが、それでもオリンドルはなんのダメージも無く動き回っていた。
その『再生』の能力は自分の体からモンスターも作り出すことが出来る?
そんなバカな。
「ガウウッ!」
「ちっ!」
小型の犬の様な黒いモンスターが3匹、僕に向かって襲い掛かってくる。
2本の短剣によって薙ぐ。
モンスターにそこまでの戦闘力は無い様で、何とか3匹とも弾き飛ばすことが出来たのだが、如何せん硬い。
元が竜の爪で出来ていたせいか、固くて斬ることが出来ない。
弾き飛ばした3匹のモンスターは堪えた様子を見せず、また僕の方に向かって飛び出してくる。
「こいつら硬いっ! 斬れない……!」
「いや……斬っても無駄だ……! このモンスター達にも『再生』の能力は付いている……! 倒してもすぐに回復され……ぐぅっ……!?」
「ヴェールさん!」
モンスターの処理をしている最中に、ヴェールさんは汚染の刃によって肩を刺されてしまった。
モンスターは僕たちの集中を乱してくる。
バーハルヴァントと4本の汚染の刃だけでも手一杯なのに、その周りを不死のモンスターにうろちょろされたら手に負えない。
ヴェールさんのダメージは背中に負ぶわれているディーズが回復をする。
しかしダメージは抜けきらず、ヴェールさんの呼吸はますます荒くなっていった。
「エリー!」
「なんだい、フィフィー!?」
僕が背負っているのはフィフィーで、その彼女から声が掛かる。
「わたしに考えがある!」
「おぉっ!? それはっ……!?」
「取り敢えず、エリー! あのモンスター達に向かって突撃してっ……!」
「えぇっ……!?」
あの気色の悪いモンスター達に!?
ちょっと嫌だ!
「お願い! ほら、エリー! ゴーゴーゴー!」
「あぁ、もう! 分かったよ! ウラーッ……!」
フィフィーに背中をぺちぺちと叩かれ、僕は敵に向かって突っ込む。
気分はさながら騎馬戦だ。
馬の役を負って、馬車馬のように働く。
小型のモンスター達も雄たけびを上げながら僕に向かって突っ込んできた。
「封印っ! 『縛』ッ!」
そう言ってフィフィーは僕の上で封印の神杖を振り回し、杖の先端の花の宝石で小型のモンスターを殴っていく。
すると、神杖の先端から黒い縄のようなものが飛び出てきて、怪物たちの体を縛り、自由を奪った。
「おっ!? フィフィー、何それ!?」
「封印機能の簡易版だよ! 完全封印じゃないけど、敵を捕縛して自由に動けなくするから!」
敵のモンスター達は神杖の縄で拘束され、身動きが取れなくなっていた。じたばたともがいているようだけれど、決してフィフィーの縄は解けない。
「こいつら程度なら完全封印じゃなくていいよね! この戦い、魔力がいくらあっても足りないからね。節約節約!」
フィフィーは笑いながらそう言った。魔力のやりくり上手である。
きっといい奥さんになれるだろう。
「じゃあ次行こう、エリー!」
「了解、フィフィー!」
「ちょっと待って下さい! エリー様!」
次の化け物を封じに行こうとした時、ナディアさんから制止が掛かった。
「ウゴアアアアァァァァァァッ……!」
またバーハルヴァントの魔力が膨らみ、何かをし始めようとする。
ぎょっとして、僕は動きを止める。
「ガアアアアァァァァァッ……!」
バーハルヴァントが雄たけびを上げると、武器も振らずに彼の周囲に衝撃波が発生した。
「これはっ……!?」
ルドルフの使っていた『叡智』の力、『衝撃波』。
そんな考えが頭の中に浮かぶ。
この戦いではずっと、彼らの槍から出た風圧が飛び交っていた。それによって遠方から攻撃を仕掛けられたこともある。
しかしそれはあくまで攻撃の余波だ。
攻撃の副次的なものに過ぎない。
しかし今放たれた衝撃波は違う。
バーハルヴァントは武器を振っていないし、何よりさっきまでとは威力が違う。
ルドルフの厄介さまでもが更に加わった。
衝撃波から逃れようと僕はその場から飛び退くが、間に合いそうにない。
呑まれる……!?
「エリー様! マナバリア!」
その時、ナディアさんが僕らの前に立って魔法の盾を作ってくれた。
庇ってくれた。衝撃波がナディアさんの魔法の盾にぶつかり、すぐにその盾をぼろぼろにしていく。
「グラン・アイスウォール!」
「マナバリア!」
「マナバリア!」
すぐにナディアさんの盾に重ねる様に、フィフィーと僕とシータも盾を張る。
4重の盾だ。それに、ナディアさんの作る壁の強度が凄まじく強力だ。
衝撃波は盾に阻まれ進路を阻害され、そして霧となって消えていった。
「はぁっ……はぁっ……!」
「はー……」
3人で息を荒げる。
なんとかなったが、前に出ていたナディアさんの腕が傷ついているのが見えた。
「あ、ありがとうございます、ナディアさん。その……腕が……」
「いえいえ、こんなものは掠り傷です」
ナディアさんは笑ってそう言うけれど、腕からは血がぼたぼたと垂れていた。
すぐに簡易的な回復魔法を掛けるけれど、完全に傷が塞がる訳じゃない。
「しかし、困りました……」
ナディアさんは呟く。
「さっきから、全くこちらから攻めれてません」
「…………」
重い空気が流れる。
『汚染』に『再生』に『衝撃波』。
対応に追われて攻撃する間がない。
攻撃出来ないとなったら、僕達の勝ち目などない。ただでさえ、敵の防御は分厚いのだ。
「さてさて、どうしましょうか……」
ナディアさんの額から一筋の汗が垂れる。彼女自身、余裕がない事が見て取れた。
視線の先にはバーハルヴァントの竜の巨体がある。
鉄壁以上の猛攻に、僕達は為す術を失い始めていた。




