140話 ナディア
【エリー視点】
「ナディア……?」
壊れかけの屋敷の中、1人の男性が1人の女性をじっと見つめている。
ヴェールさんだ。
彼は屋敷の中に入ってきた女性、『ジャセスの百足』のメンバーであるシルトさんを見て固まってしまっていた。
まるで幽霊でも見る様な目だ。
顔一杯に信じられないという文字が書かれているかのようだった。
そのヴェールさんがシルトさんの事を『ナディア』と呼んでいた。
「ナディア……?」
「ナディア?」
ナディア。
その名前はよく知っている。
この都市の領主ファイファール家の長女の名前だ。
もの凄く強く、たった12歳の若さでS級冒険者認定され、それは冒険者ギルドでの最年少記録となっている。
『叡智』の力を探っていた形跡があり、それが元で『アルバトロスの盗賊団』に謀殺されてしまったとされる少女の名前だ。
世間では『ナディス』と言う名で通り、男性として知られているが、それはただ男装していただけである。ファイファール家の慣習らしい。
……執事であるヴェールさんを滅茶苦茶振り回した人だって、妹のアリア様が言っていたなぁ。
シルトさんが、そのナディア?
「どうして……生きて……?」
ヴェールさんがうわ言のようにそう呟く。
言っている本人も自信が無いのか、口をパクパク動かしながら眼をしばたかせ、疑い深い眼差しで彼女の事を見ている。
もしかして、ただのヴェールさんの勘違い?
でもシルトさんは否定しない。
「うーん……?」
動揺するヴェールさんに対して、シルトさんは気軽な足取りで前に進み、気安く彼にぐっと近づいた。
シルトさんがヴェールさんの顔を覗き込むように顔を寄せる。
ヴェールさんは後退る。
「いやー、あなたの方こそ本当にヴェールなの? って感じがしますけどねぇ?」
「……は?」
ここでシルトさんが逆にヴェールさんの事を疑っていた。
首を傾げ、眉を寄せている。
「いや、だって、はぁ? って思いますよ、これ? 肌の色も髪の色も違うじゃないですか?」
「……神器トラムを手にした時、肌の色も髪の色も変わった」
動揺しながら、ヴェールさんがそう答える。
そういえばクラッグが言っていた。
非常に稀なことではあるが、自分の中の魔力が変質すると、外見に影響を及ぼし変化する事があるらしい。
ヴェールさんはそのパターンだったのか。
神器級の魔力に体が晒されたらそうなる事もあるのかもしれない。
「うーん……?」
シルトさんが手を伸ばし、ヴェールさんの髪の毛に触れて、指先で弄る。
まるで彼は自分のものであると言うかのように、無遠慮に、気さくに彼に触れていた。
ヴェールさんは戸惑いながら顔を赤くしている。
「髪の毛の長さも違いますよねぇ?」
「……切った」
「顔もちょっと違いません? 鼻の高さとか、違いますよね?」
「少し強引に整形の魔法を掛けた……。敵組織に潜入する為なら、当然……」
「あはははは! 誰がそこまでやれって言いましたか! 相変わらずバカですね! ヴェール!」
シルトさんがヴェールさんの背中をバンバンと叩く。
力が強すぎた為か、彼の体は床に叩きつけられ「ぶぎぇ!」と変な声を発していた。
それでもシルトさんは謝らない。
そんな彼の様子を楽しそうに見てた。
っていうか、ヴェールさん、整形魔法使ってたのか。
あれって滅茶苦茶痛いし精度低いって言うから、誰もやりたがらないって聞くんだけどね。
「まさか……本当にナディアなのか……?」
床に這いつくばりながら、なにかを納得したようにヴェールさんが小さく呟く。
……ヴェールさん今、どこで彼女を判断したんだ?
理不尽に叩かれたことでか?
普段からナディアさんにどういう扱いを受けてきたんだ?
「さて……」
シルトさんがヴェールさんから目を離し、部屋の中央で仁王立ちしているバーハルヴァントの方に顔を向けた。
……別にヴェールさんに手を差し伸べて彼を起こす、なんてことは一切しない。
「お久しぶりです、叔父様」
「……うむ、元気そうだな。驚いたぞ」
「えぇ、おかげさまで」
シルトさんはにやりと不敵な笑みを見せる。
バーハルヴァントはヴェールさん程驚きを見せていないようだ。
「……もしかしたら、お前は生きているんじゃないかと思っていた。まさか、本当にそうだとはな」
「叔父様はすっかり変わられましたねぇ? 普段もずっとその恰好で?」
「お前は相変わらず阿呆なことばっかり言うな」
軽口を叩き合う。
4m程あるごつごつした竜人が日常生活にいたら驚きである。
「7年前、私を嵌めたのは叔父様ですね?」
「何を言う。お前が私を嵌めたのだ」
「その件は、お酒でも飲みながら夜にじっくりと議論して、不満をぶつけたいところですが……」
シルトさんが困った様に顔に手を当てる。
「叔父様はここで死ぬので」
「…………」
「任務でしてね、恨まないで下さいね?」
「姪に暴言を吐かれるのは、傷つくな」
そう言いながらシルトさんはにっこりと微笑んだ。バーハルヴァントは不機嫌にむすっとする。
……笑顔が怖い。嫌なプレッシャーがある。
もう既にバーハルヴァントはこの目の前の女性が自分の姪であることを疑っていない様子である。
ヴェールさんは驚きを隠せていないようであるが、それでも彼女が自分の主であることを認め始めているようだ。
……もうこれは、シルトさんがあのナディアってことでいいのか?
「そろそろ起きなさい! ヴェール! そろそろ戦闘再開しますよ!」
「ぐへっ!?」
……ナディアさんが床に倒れているヴェールさんを叩いた。
ひでぇ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……ナディア……。さっきまでの戦闘で、まだ回復が追い付かなくて……」
「泣き言言わない! 男の子でしょ!」
「いや、半身が焼け焦げている上に腕まで千切れているんだが……」
軽くコントをしているが、言うまでもなくヴェールさんは半死人だ。
さっきのバーハルヴァントの攻撃で本当に死んでしまったと思ったくらいだ。
流石に休ませてあげた方がいいんじゃないだろうか……?
「もう! しょうがないですね……!」
ナディアさんがふんと大きく鼻を鳴らし、どこかに向かってテクテクと歩いていく。
拾ったのはヴェールさんの千切れた腕だ。
先程黒炎が部屋中を覆ったが、その腕は僕達の後ろの方にあった為、まだ原形を留めていた。
……それでもボロボロなのには変わりないけど?
ナディアさんは何をするつもりなのだろうか……?
「ほらっ! さっさと腕くっつけなさい! 手伝ってあげますから!」
「んぎゃーっ!?」
「えぇっ……!?」
ナディアさんはヴェールさんの千切れた腕の断面を、彼自身の体の断面にぐっと押し付けた。
ヴェールさんが痛そうな雄たけびを上げる。
何してんの!? ナディアさん……!?
「ほら、領域外の実力を持っているなら、もう腕くっついたでしょう?」
「くっ……!」
ナディアさんは何を言っているんだ? と思ったけど、ヴェールさんは痛みに顔を顰めながら、先程まで完全に千切れていた腕をぴくりぴくりと動かし始めた。
……本当に腕が繋がり出した。
「…………」
唖然とする。
ヴェールさんの腕がくっついた。
ただ切り口の面を合わせて、ぐっと力を入れただけで、切れた腕がくっついた。
「きもいっ!」
思わず叫ぶ。
相変わらず領域外きもいっ……!
生物として間違ってる!
「ほら、そろそろ起きなさい! 根性で! 根性で起きなさい! 昔の私との訓練の方が何倍も理不尽な目に遭っているでしょうが!」
「お前、それ自分で言うか……!?」
ヴェールさんは大きな声で文句を言っていたのだが……、あれ!? 本当に立ち上がった……!?
え!? あのダメージを、根性で何とかなるものなの……!?
まるで調教された犬のようにヴェールさんはナディアさんの叱咤で起き上がる。
……怖ぇ。
彼女たちの昔の訓練が如何ほどのものだったのか、知りたくないなぁ。
「相変わらず酷いな……我が姪は……」
敵である筈のバーハルヴァントがヴェールさんに憐憫の視線を向けている。
彼は律義にこのやり取りを待っていてくれていた。
もしかしたら叔父として、ナディアさんの暴走に責任感を覚えていたのかもしれない。
流石の彼も、姪が使用人にパワハラをしている中で攻撃を仕掛ける程、非道にはなり切れないようだった。
「シルトさん! ……いや、ナディアさん?」
「シータ?」
背中に乗っているシータがナディアさんに声を掛けると、彼女は軽くこちらに振り向いた。
ナディアさんは自分の執事を弄って遊んでいたけれど、やはり確認する事はちゃんと確認しておかなければいけない。
シータは僕達が聞きたいことを聞いてくれた。
「シルトさん……。貴女は本当にナディアさんで、いいんですか……? いまいち納得が出来なくて……」
「えぇ、ナディア本人ですよ。今まで黙っていてごめんなさいね?」
「でもこの都市のナディアは死んだって聞いてますが……。皆そう言ってましたし……」
「あぁ……、それはですね……」
シータが当たり前の質問をぶつける。
すると、不意にナディアさんは悪戯っぽい笑みを見せて、僕の方に視線を向けた。
そして僕は驚かされる。
「7年前、エリー様のパートナー、クラッグさんに助けられたんですよ」
「……え?」
ナディアさんはそう言った。
思わぬ名前が出てきて、僕は目をぱちくりとさせてしまう。
僕は困惑する。ナディアさんは僕の様子を見て、にこやかに笑っている。
……あれ?
クラッグ? なんでクラッグ……?
なんでここであいつの名前が出てくるんだ?
「じゃあ、一緒に戦いましょう、エリー様。期待しております」
「え……? あ、いや……。ちょちょっ……! ちょっと待って……!?」
さっさと話を打ち切ろうとするナディアさんに僕は慌てる。
なんでクラッグ!? どうしてクラッグ!?
なんでこの竜の戦いにあいつが関わっているんだ……!?
「ちょっと待って!? ナディアさん!? その話詳しく……!」
「あ、そうだ。ところで叔父様……」
しかしナディアさんは話をふっと変えようとする。
軽くバーハルヴァントさんの方を向きながら、まるで昼下がりの会話を楽しむかのように飄々と彼に向かって話し掛けた。
「私のお父様はご無事ですか?」
「さぁ?」
「死ね」
そして唐突に戦闘が始まった。
その2文字を言い終わるや否や、ナディアさんがバーハルヴァントに攻撃を仕掛けた。
「のわああああぁぁぁぁっ……!?」
彼女らの武器がぶつかりあった時の衝撃で、僕達の体が吹き飛ばされる。
戦闘が始まってしまった。
ナディアさんの槍が目にも止まらぬ速さでバーハルヴァントに襲い掛かる。
2人の槍が打ち合わされる。
ナディアさんがバーハルヴァントと張り合っている。当然のように領域外の実力を持っていた。
「ふん……!」
すぐにヴェールさんも攻撃に加わった。2対1で前線を張って、バーハルヴァントに挑むつもりの様だ。
先程バーハルヴァントは自分の槍にドラゴンブレスの黒炎を纏わせていたが、今はそれが無い。
あれはどうやら使い切りの技の様だった。
ヴェールさんへの攻撃と、広範囲の薙ぎ払いの2つの攻撃によって黒炎を消費しきったようで、今は普通の槍に戻っている。
その為か、先程のようにバーハルヴァントが圧倒するような戦いにはなっていない。
その一方、
「これ僕達どーすればいいの!?」
「割って入る余地が無いんだけどっ……!」
「取り敢えず援護! 援護!」
僕達は僕達でわーぎゃーと言い合う。
さっきまでの戦いでも僕達の実力不足が目立っていた。
そこに、もう1人の領域外が追加された。最早、入り込む余地が見当たらない。
ただ、僕達にも余裕が無い。
「余波で死ぬっ! 余波で死ぬっ……!」
「生きろぉっ……!」
相変わらず、この人たちの戦いの余波を受けたら死ぬことには変わりない。
寧ろ1人増えたことで、飛んでくる剣圧の数が増したようにも感じる。
「あんぎゃーっ!」
「生きろぉっ! エリーぃぃぃ!」
僕達だって命がけだった。
まずは、生き残る事だ。それからであり、僕達にとってはそれが全てだった。
戦いは再開された。
ギャグ回(重要な設定開示回)




