136話 女子達の屋敷探索
コツコツと足音を鳴らしながらヴェールは歩く。
外では竜の咆哮や戦闘音が響いている。しかし外とはうって変わり、彼の歩く廊下は異様なほど静かで、床のタイルにも飾られた骨董品にも汚れ1つ無い。
屋敷の一部を除いて、この建物の中ではほとんど戦闘が行われてなく、外の世界とは隔絶された空間であるかのようにしんと静かで清廉であった。
ヴェールは目的の場所に向かって歩きながら外の音に耳を向ける。
竜による一方的な蹂躙の音ではなく、竜に対する抵抗の激しい音が聞こえてくる。どうやら外では竜の軍勢に対しかなりの善戦をしている様だった。
先程ベイゼルやグロッカスが言っていた通り、『百足』か『騎士団』が現れたのだろう。どうやってこの侵略を知ったのかは知らないが、都市の人々が守られる事は嫌な事ではない。
ヴェールはそう考える。
どんなに犠牲を払ってでもやるべき事を成そうと思っていた。
都市の人々がどれだけ亡くなろうと、見ぬ振りをしようとした。
彼は自虐のため息をつきながら、コツコツと廊下を歩き、3階にある目的の部屋へと向かう。
そして屋敷の中の大きな扉の前に立つ。
ヴェールは拳を握り、その扉を丁寧にノックした。
「入れ」
「失礼しますっ……!」
中からの声に促され、ヴェールは扉を開け部屋に入る。
その部屋はファイファール家の謁見室であった。国王が使うような王城の謁見室の様な豪華さはないが、一貴族として恥の無い程の装飾品が飾られ、部屋はとても広かった。
その奥にいるのは今回の作戦の指揮官であるバーハルヴァントであった。
領主であり兄であるマックスウェルが座るべき場所に悠々と座り、中に入ってきたヴェールを見た。
ヴェールは部屋の中央で跪き、頭を垂れながら声を上げた。
「報告します……!」
「…………」
「現在、『ジャセスの百足』の団長が大軍を率いてこの屋敷へと押し寄せております! ベイゼルとグロッカスが迎撃に当たり、なんとか防いでおりますが、状況はこちら側に不利となっております……!」
ヴェールはありもしない報告をつらつらと並べ、バーハルヴァントはその報告をただ黙って聞いていた。
「屋敷の外に逃れた人間を追跡に行ったルドルフ、アルヴァント、オリンドル、メガーヌとは連絡が付かない状況です! 万が一の場面に備え、バーハルヴァント様自らのご出陣を願います……!」
「…………」
2人の視線が交錯する。
バーハルヴァントは何の感情もこもっていない目でヴェールの事を見ている。ヴェールはここでバーハルヴァントを動かし、不意を討って殺害してしまおうと考えていた。
沈黙が謁見室を支配する。
「…………」
「…………」
「…………」
「……ふふふ、はははははっ……!」
そして、唐突にバーハルヴァントは大声で笑いだした。
「俺を謀ろうとするな、セレドニ。ベイゼルとグロッカスは死んだんだろう?」
「…………」
「殺したのは、お前だろう?」
歯を剥き出しにして笑うバーハルヴァントに、ヴェールは微笑みをもって返した。
「……流石は我らがリーダー。お気付きでしたか」
「ははは、どうだ、俺も馬鹿にしたものではないだろう? セレドニ?」
「えぇ、貴方の実力には大きな敬意を払っておりました……」
そう言ってヴェールは立ち上がり、神器トラムを強く握りしめる。
「今この場で……一手ご教授願えますか……?」
「驚いたな、まさかお前が裏切るとは。一体何があったというんだ?」
「……何があったか、ですか……」
ヴェールは少し悲しい目つきを見せ、小さく俯く。
「それは……俺の本名がセレドニではないからです……」
「……?」
「俺の本名は……ヴェールです……」
そのヴェールの言葉を聞いた時、初めてバーハルヴァントは動揺で目を丸くし、驚きを顕わにした。
「お久しぶりです、バーハルヴァント様……」
「……ふふふふ……はははははっ……!」
驚きに少し絶句をしていたバーハルヴァントだったが、その名乗りだけで全てを理解して、大いに笑い始めた。
「はっはっはっはっはっ……! そうかっ! あの金髪の小僧が……! なるほどなるほど、それは、当然俺が恨まれる訳かっ……!」
「…………」
「火事場のコソ泥如きに宝物庫の隠し扉を突破されたのが不思議であったが……なるほど! ナディアから直接聞いていたのか! 通りで……!」
「お聞きします……」
ヴェールの鋭い目つきがバーハルヴァントに向けられる。
「あなたが……ナディアの殺害を指示したのですか……?」
「…………」
「あなたは、ナディアの仇ですか……?」
これまでの長い道のりを経て、やっと聞くことの出来た質問を、彼は重い口調で尋ねた。
「……うむ」
「…………」
「俺がナディアの殺害を指揮した張本人に間違いない」
その質問に対し、大きな頷きをもってバーハルヴァントは答えた。
「では……ナディアの為、死んで頂きます……」
そうしてヴェールは神器トラムを構える。そしてその切っ先を目の前の仇に向ける。
殺気と闘志が重厚感をもって空間を支配する。7年間待ちに待った戦いが、彼の血潮をマグマの様に熱く湧き立たせていた。
「自惚れるな、小僧」
凛とした声を発し、バーハルヴァントが椅子から立ち上がる。
そして、彼の体に変化が起こり始めた。
体内の魔力が活発化し、質と量が変化していく。膨大な魔力がバーハルヴァントの体内で渦巻き、その部屋全体を支配していたヴェールの殺気を跳ね返していく。
バーハルヴァントの体が変化していく。
肌が変質し、彼の体が竜の黒い鱗に包まれていく。1m80cm程の彼の体が膨らんでいき、4m程に達しようとしている。
人の肌から竜の黒い肌に、人の顔から竜の鋭い顔つきに、人の歯から竜の頑強な牙へと変化していく。
バーハルヴァントが人型の竜に変化していく。
2本足で立ち、長い尻尾を携えて、手には竜の鱗で作られた巨大な槍を持ち、全身は黒い鱗で包まれ、人としての器用さ、竜としての豪胆さを併せ持った怪物が現れた。
「お前に俺が殺せるのか?」
バーハルヴァントだった竜の戦士が立ちはだかる。
2人の殺気だけで、部屋の壁が罅割れていく。
「それだけを望み……生きてきました……」
ヴェールは目の前の怪物と真っ向から向き合う。
人の領域から外れた者たちの戦いが始まろうとしていた。
* * * * *
【エリー視点】
「あれ……?」
4人でファイファール家の屋敷の庭に忍び込み、その生垣のイヌツゲの草葉の中に身を入れ込み、僕達はそこから屋敷の様子を覗き込む。
生垣の葉や枝が体に当たってちくちくと痛いけれど、フィフィー、シータ、ディーズの3人とこんな原始的な隠密行動を取るのは、子供のかくれんぼみたいで少し楽しかった。
「なんか、やけに静かじゃない?」
「シータ? 静かって?」
「うーん……?」
身を低くしながら屋敷を覗き込んでいる中、シータがそう疑問の声を発した。
確かに彼女の言う通り、今屋敷はしんと静まり返っている。しかし屋敷の中で戦闘が起こっていない限り、そう大きな音がしないのも当然の事ではあった。
「えぇっとねぇ……」
自分が感じる違和感を上手く言語化できていないのか、声を発したシータもまた首を捻る。
「なんていうか……静か過ぎる、って感じ……? 大きな音がしないのはいいんだけど、それにしても、静か過ぎるような気がして……」
「うーん……、言われてみればそんな気がするかもだけど……」
今屋敷の中には7人の領域外の敵と、大勢の人質がいる筈である。
敵の何人かは外に出て攻勢を掛けているのかもしれないけれど、確かにたくさんの人質がいる割には、屋敷は静か過ぎる……のかな……?
この距離じゃ何とも言えない。
「もう少し近づいてみよう」
「……オッケー、フィフィー」
フィフィーの声にシータが頷く。
そしてシータは注意深く周りを見渡してから、まず1人で生垣の中から身を踊りだし、限りなく身を低くしながら次の身を隠すポイントまで音も無く移動する。
そしてまた周りを注意深く観察してから、僕たちに向かってハンドサインを向けた。
カモンの合図だ。僕達も同じようにしてシータの元へと移動する。
そうした行動を何度も繰り返し、僕たちは屋敷の扉の元へと辿り着く。途中危険な事は一切なかったし、敵の視線も全く感じなかった。
シータが身を屈めながら、静かに、本当に静かにゆっくりと扉を開け、その隙間から内部を覗き込む。
数秒じっと中を覗き込み、彼女は様子を探る。
いつどこで敵とばったり鉢合わせるか分かったものではない。僕達は脈打つ心臓の音すら隠しながら、緊張して行動をしていた。
そしてシータが扉を1人分の隙間だけすっと開き、その中へと体を滑り込ませる。僕達は一列になり、シータの後を全く同じ道筋を辿りながら行く。
「……やっぱりおかしい」
「…………」
極めて小さな声でシータがそう言う。ここまでくれば僕にもこの異常が理解できる。
人の気配が無さ過ぎる。
この屋敷にはまだたくさんの人が残されている筈だ。先程よりも敵の数が増えていてもおかしくない。
それだというのに、人の気配がほとんど感じられない。まるでこの屋敷が見捨てられた廃墟の様に、何の気配もなく閑散としていた。
静か過ぎる。人の生きている音が全く感じられない。
豪勢な装飾が飾られた屋敷の中の雰囲気に反して、玄関も廊下も小部屋の中も、ただただ閑散として静かで、侘しさすら感じられた。
「どう? ディーズ?」
「…………」
ディーズは目を閉じながら、耳に手を当て、鼻を小さく動かしている。聴覚、嗅覚に優れたスキルを持っているのかもしれない。
「……ダメ。気配はほとんどない」
「…………」
「生きている人間は、ほとんどいない」
僕たちの血がさっと冷たくなる。冷や汗が垂れる。
この屋敷の中には大量の人質がいる筈である。それなのに、生きている人間がこの屋敷にいないのである。
それはつまり……、
全員……、
「……もう少し探索をしよう」
「了解」
リーダーであるシータの指示に皆が頷いた。
まだ決まった訳ではない。人質を全て他の場所に移したって事も考えられる。
……あの人数をこの短時間で外に運び出すなんてのも、少し現実離れしたことではあるのだが。
そうして僕たちは気配を消しながら屋敷を徘徊する。
シータの気配察知能力、ディーズの五感、フィフィーと僕の探知魔法を使っても尚、人の気配が感じられない。
敵に遭遇する危険が少ないのはかなり有難い事ではあるが、それとは別のおぞましさが胸をむかむかとさせる。
「……!」
そして、先頭を歩くシータが廊下の角から鏡を使って様子を探り、そして身を強張らせた。
「…………」
皆、声を出さずにシータの様子を見守る。
シータはそれまでよりもより注意深く、厳重に廊下の向こう側の様子を探る。そして少しだけ顔を出し、直接目でその先を確認する。
僕たちは身を引いている為、廊下の角の先にあるものは見えない。
ただ、シータだけがその先に何かを見ていた。
何かを見て、身を強張らせていた。
「…………」
彼女の沈黙に、皆が緊張する。
そしてシータは先に進むでもなく、顔を引っ込ませ、
「……皆の意見を聞きたい」
と言って、身を引いた。
ディーズ、フィフィー、僕の順番で廊下の向こう側を慎重に確認する。1人ずつ、ゆっくりと、シータの見た光景を廊下の陰に隠れながら目視する。
「……!」
そして僕も見る。
廊下の先には2つの死体があった。
あの服装、背格好は確か、立心刻栄流師範のグロッカスと貴族騎士団団長のベイゼルだ。その2人の体が生気なく廊下に横たわっている。
グロッカスは全身にたくさんの穴をあけ、床に大量の血を流し、ベイゼルは心臓に大きな穴を空け、頭を粉砕されていた。
死んでいる。
どう見ても死んでいる。
『不死身』と称される『領域外』ですらこれは確実に生きてはいないだろうと確信できるほど、そこに生気は無く、もう魂の抜けた肉体が虚しく横たわっているだけであった。
僕も顔を引っ込め、皆で顔を見合わせる。
「……死んでる?」
「死んでる?」
「死んでる」
「……周りに気配もない」
4人で短くそう確認し、頷き合ってから廊下の角を曲がり、その死体に近づいた。
「うひゃー……」
思わずそう言う声が漏れる。S級をも超える、人知さえ超えた存在『領域外』の戦士が無残な死体へと変わっていた。
シータは注意深く死体をまさぐり、色々と確認をする。
「……うん、確実に死んでいる」
「なんで、ここに敵の死体が……?」
「……私たちの前に誰か来て、殺した。……または内部分裂があって、仲間内で殺し合った」
「言うのは簡単だけど、この2人を殺せるなんて尋常じゃないと思うよ? 不意打ちだって簡単に入る筈がない」
メガーヌやルドルフと戦って実感したのだが、こいつらの基本的な身体能力はちょっとありえない。そもそも刃が通らないのだ。
「グロッカスとベイゼルが死んだってことは、残りは……」
「ルドルフはわたし達で殺ったから……」
「残りはバーハルヴァント、セレドニ、アルヴァント、オリンドル、メガーヌの5人だね」
「おぉ、3人も倒せているなんて……出来過ぎだ……」
1人倒すのだけでも絶望的だったのに、もう3人も倒せている。
グロッカスとベイゼルは僕らの功績じゃないけど……。
「……ここまで来たら、エリー達の言う婚約式の式場を見てみるしかないね」
「あそこが一番人質が集まっている可能性の高いところだからね」
僕たちは頷き合う。
この気配の無さは何なのか。人質は無事であるのか。
先程の戦場、婚約式の式場の様子を伺うしかない。
音を消し、気配を消し、こそこそと移動をする。
「ここだね」
「うん、ここ」
1階にある婚約式の式場の扉の前に辿り着く。
「…………」
これだけ近づいたというのに、やはり人の気配は感じられない。
この扉の向こう側にあるのはおびただしい程の数の死体か、あるいは……。
シータがゆっくりと扉を少しだけ開いた。
「…………」
「…………」
僕達にはまだ中の様子は分からない。じっと、シータの反応を待つ。
そして、彼女はぽつりと呟いた。
「……いない」
「ん?」
「誰もいない」
そう言って、シータは式場の扉を大きく開く。
僕達も中の様子を窺う。そこには誰もいなく、もぬけの殻だった。
「…………」
「……?」
周囲を見渡す。
誰もいない。人っ子一人いない。先程の荒々しい戦いの跡はそのままに、しかし先程まで捕らえられていた貴族の方たちは誰もいなければ、死体の1つも無かった。
床に血がこびりついているが、それは先程の戦いのときに流血した護衛達のものだ。それ以上の、虐殺が行われたような大量の血はここには存在しない。
「エリー、フィフィー、一応聞いておくけどここで間違いないんだよね?」
「うん」
「ここで戦いがあったよ」
シータの一応の確認に僕たちは頷く。皆で首を捻りながら、その場をよくよく見渡した。
「人質を移動させた……っていうのが現実的な考えなんだろうけど……、人質は大量にいたんだよね?」
「うん、50人近くはいたよ。迅速な移動なんて出来ず、もし移動していたら普通目立つ筈」
「そうだよね、うん……」
シータは顎に手を当てながら考えている。
このもぬけの殻が何を意味しているのか。少し理屈に合わないことが起きていた。
「……例えば、この屋敷に隠し地下通路があれば、外から目立たず人を移動させられる?」
「あるいは人質の奪還を恐れて、屋敷のどこかの隠し部屋に収容した、とか」
「なるほど、それも考えられる……。でも、全員を移動させるメリットは? 正直人質ならば、王族だけ残っていれば後は殺しちゃってもいいんじゃ……」
人質は何処に消えてしまったのか、皆で頭を捻って考える。
「特殊な移動経路……、特殊な運搬方法……。魔術的な何か……、何か……」
「……っ!? ちょっと待って!」
「……ん?」
そんな話し合いをしている途中、いきなりシータが切羽詰まった声を上げた。小さい声ではあるが、それは驚きのこもった声であり、どこを見ているのか彼女は上を向き、天井を見上げていた。
「強い気配っ……!」
「え……?」
「上の階……いや、上の上の階っ……!」
そうシータが言い終わる前に、僕達にも手に取るように分かる程膨大な殺気が膨らんでいく。
思わず身震いが起こるほど強烈で、そして異様な殺気であった。
「ここの2階上って言ったら……!?」
「領主の謁見室!」
僕は前々から覚えていたこの屋敷の間取りを頭の中に浮かべ、そう伝える。
「バーハルヴァントか!?」
「この殺気は……あたしらには向けられてない! 他に誰かいる……!」
状況確認をしている間にも2階上で何かが起こっているようで、すぐに大きく激しい音が鳴り始めた。
鉄と鉄を打つような音。普通に考えると、2階上で戦闘が始まった。
「一体誰が戦っているの……?」
「バーハルヴァントと……?」
「敵か……、味方か……?」
激しい戦闘音が聞こえてくる。静寂の中にあったこの屋敷全体が突如として震えだし、激しい嵐が巻き起こり始めたようであった。
「退こう!」
「了解! リーダー!」
リーダーの迅速な指示の下、僕たちは撤退の準備を始める。
情報収集はここらで区切りだ。
まだこの屋敷で一体何が起こったのかまるで分っていないが、今は持ち帰れるだけの情報を持ち帰る時だ。
―――しかし、残念ながら一手遅かったようだった。
「……ん?」
上でピシリと嫌な音がする。
それはまるで石が砕けるかのような音。もっと言うなら、床が砕けてガラガラと崩れるような音だ。
2階上で床が抜けるような音がして、1階上にドシンと落ちる音がする。
その直後にこの階の天井がびしりと罅割れ、亀裂が入っていく。
「……おいおい」
「嘘でしょ……?」
僕たちは既にこの会場の扉に向かって走り出している。しかし、それよりもこの階の天井が崩れる方が早かった。
上から重いものが落ちてきて、それがいとも容易く床を砕いて、この階へと落ちてくる。
おぞましい程の殺気を放っている化け物が上から落ちてくる。
黒い鱗を纏った怪物と、浅黒い肌の男が槍を打ち合いながらこの階へと降ってくる。
「ぎゃーっ……!?」
「こんなのっ……理不尽っ……!」
「こんなバカな事あるかよぉっ……!」
怪物どもが降ってくる。
こんな理不尽な状況の変化に、僕たちは不満を叫びつつ、そしてどうしようもない程に戦いに巻き込まれてしまった。
かしまし女子達のお散歩(命がけ)




