118話 裏切りの軍勢
【イリス視点】
婚約式の会場の中、出入り口のすぐ傍で赤い鮮血が飛び散る。
晴れやかな婚約式が行われる筈だった会場の中、武器を手に持った者たちに驚愕の表情が張り付く。
この部屋から外に出ようとした王の直近の護衛のヴォーヤさんが背中から刺されたのだ。
刺した人物はこの都市の道場のまとめ役『武闘部会』で有望株と言われている若きS級ルドルフ様であった。
短い緑色の髪の、がたいの良い誠実な男性が、何故か援護を呼びに行こうとしたヴォーヤさんを背中から串刺しにしたのだ。
「どういうことだっ! ルドルフっ……!」
この都市の領主マックスウェル様が叫んだ時、ルドルフ様は槍を引き抜いてヴォーヤさんの体が崩れ落ちる。
ヴォーヤさんの体から流れ出た血が床を濡らす。
「何故っ! お前が敵に味方するような真似をっ……!」
部屋の中央にはこの会場に乱入してきた槍の男セレドニが悠々と槍を構えている。このままいけばたくさんの実力者に囲まれ、セレドニは何もできない筈だった。ヴォーヤさんが援護を呼びに行ってくれれば更に状況は良くなるはずだった。
でもそれをルドルフ様が邪魔した。
お父様の大切な護衛を刺してまで、それを邪魔した。
「何故……?」
ルドルフ様がゆらりと動き、こちらの方に体を向ける。表情は凛としていて、そこに一切の揺らぎはなかった。
「決まっているでしょう? 俺はそこのセレドニと仲間で、『アルバトロスの盗賊団』の一味。ただそれだけです」
「なっ……!」
淡々としたルドルフ様の言葉にマックスウェル様が目を見開く。
たった23歳でS級に至った若手の最高峰。将来はこの都市を率いていく存在になることは誰の目からも明らかで、マックスウェル様もそれを期待しているようだった。
そんな彼が伝説上の悪の団体『アルバトロスの盗賊団』などというものに所属していて、そしてたった今凶行に及んだ。
領主マックスウェル様だけでなく、この都市に住む多くの者が彼の言動にショックを隠せないでいた。
「貴様あああぁぁっ……!」
雄たけびを上げ、ルドルフに向かって2人の人が走り出した。
お父様の直属の護衛の4人の内の2人、クオスマネンさんとポルステルさんだ。2人共古くからお父様に仕え、ヴォーヤさんやレイガスさんと共に国の安寧に心血を注いできた方たちだった。
初老ではあるけれど鍛え上げられた肉体に力を入れながら、クオスマネンさんとポルステルさんが急に敵になったルドルフに向かって突進をする。
古くからの仲間がやられ、こめかみに血管が浮かんでいた。
お父様の直属の護衛の4人は全員S級の実力を持っている。そんな2人の怒りが迫力をもってこの部屋を震わす。びりびりと肌が震えるほどの殺気がこちらにも伝わってきた。
しかし、その怒りの刃はルドルフに届かなかった。
「ふんっ!」
「ぐわっ……!?」
横やりが入ったのだ。
ルドルフに向かって一直線に駆けるクオスマネンさんに側面から攻撃を放つ者が現れた。頭を蹴られ、クオスマネンさんが体勢を崩し、膝を付く。
「グロッカス……!? 何故お前まで王家の者の邪魔をするっ……!?」
「ふっ……」
領主マックスウェル様が驚きと悲痛の混じった声を吐く。
クオスマネンさんを蹴り飛ばし、邪魔をしたのは立心刻栄流師範のグロッカス様だった。
顎に黒い髭を生やした40代の男性。筋骨隆々で、顔にはいくつかの刀傷が刻まれている。
彼はこの都市で有名な道場、立心刻栄流の師範であり、この国でも有数の実力者として名高い人であった。
「クオスマネンっ……!」
共にルドルフに向かっていたポルステルさんが足を止め、膝を付くクオスマネンさんを庇う様にグロッカスへと向かっていった。
「やああああぁぁぁぁっ……!」
「ふんっ!」
ポルステルさんの剣とグロッカスの槍が衝突する。S級同士の戦いが幕を開けてしまった。
瞬きも許されない攻防が始まる。鍛えていない者には剣と槍の残光を垣間見る事すら許されない。
速過ぎる剣と槍の速度は常人の目には留まらない。ただ剣と槍の銀色の光がぼんやりと彼らを霞のように包み込む様に見えるだろう。
私もその攻防をはっきりと目で追えない。ギリギリ何とか見ることが出来ている程度だった。
その攻防のやり取りを見るだけで背筋がぞっとする。
一撃一撃が必殺。それらが雨のようにざあざあと降り注ぎ、相手に死を齎さんと襲い掛かる。
ポルステルさんとグロッカスはたった一瞬で地獄を作り出していた。
その攻防が行われたのはたったの一瞬だった。
「やっ……!」
先程グロッカスに頭を蹴られ、体を硬直させていたクオスマネンさんが復帰し、ポルステルさんの攻撃の合間を縫ってグロッカスに剣の一突きを加えた。
流石、何十年と共に戦ってきた2人のコンビネーションは抜群だった。
クオスマネンさんの攻撃はたった一振り、一瞬のものだったが、それでもその攻撃が仲間のポルステルさんの攻防を邪魔せず、そしてこれ以上無い程上手く援護に入っていたことが分かるものだった。
ポルステルさんとの攻防が行われている中、グロッカスが丁度防御出来ない箇所にクオスマネンさんの攻撃が滑り込む。
まるで針の穴に糸を通すかのようにクオスマネンさんの剣がグロッカスの脇腹へ走った。
そして、ガキンと高い音が鳴った。
「……え?」
「なっ……!?」
一瞬何が起きたのか分からないといったようにクオスマネンさんが目を丸くし、ポルステルさんが驚きの表情を見せた。
クオスマネンさんの剣は止められていた。
しかし、グロッカスは防御をしていない。
グロッカスは生身の体でS級の高速の突きを受け止めていた。
「……超硬化」
グロッカスはそうぼそりと言った。
クオスマネンさんの強力な攻撃の衝撃によってグロッカスの服の一部分が吹き飛んでいた。その破れた服から彼の地肌が垣間見え、その肌は変色していた。
彼の体がほどんど黒色の様な焦げ茶色に変色しており、その肌がクオスマネンさんの剣を防いでいた。
「なっ……!?」
「馬鹿なっ!? クオスマネンの剣を体で止めるだとっ……!?」
2人は驚愕の表情を見せた。
そうだ。これは異常も異常である。
確かに魔術により体を硬化させ、相手の攻撃を防御する術は存在する。しかしそれは上級の実力者の攻撃には通用しない。
クオスマネンさんの実力はS級である。鉄だろうがオリハルコンだろうが城壁だろうが両断してしまう程の攻撃力を持っているのだ。
S級の攻撃を生身で防御出来る程の硬化術は明らかに異常だった。
「こ、このっ! 化け物めっ……!」
ポルステルさんがグロッカスの袈裟を斬ろうと、上段から剣を振る。
しかしそれもガキンという激しい音がし、ポルステルさんの剣はグロッカスの肩口によって止められていた。
この戦いを見ていた皆がこの異常な光景に戦慄する。
グロッカスは先程ぼそりと『超硬化』と言った。
まさか、S級の攻撃が通用しないと言うのか?
「勘違いしている様だから言ってやろう」
「がはっ……!」
ポルステルさんの剣を生身で受け止めたグロッカスはがら空きになった彼の腹に槍を差し込み、言った。
「……俺らはS級じゃない。『領域外』だ」
「ぐふっ……」
ポルステルさんが口から血を吐く。
「ポルステっ……、ぐばっ……!」
すぐ傍でポルステルさんの身を案じようとしたクオスマネンさんが横から頭を痛烈に蹴られ、吹き飛ばされる。
蹴ったのは先程ヴォーヤさんを刺したルドルフさんだ。退屈だったと言わんばかりにだらりと体を揺らして、しかし恐ろしいまでの痛烈な蹴りをクオスマネンさんに加えていた。
「ポルステルっ……! クオスマネンっ……!」
お父様が痛々しい声を上げる。
しかしその主人の声に反応することはなく、ポルステルさんとクオスマネンさんは床に倒れたまま起き上がらなかった。
「…………」
「…………」
部屋の中が奇妙にしんと静まり返る。
皆、信じられなかった。古くからお父様に仕えている4人はこの国最高の騎士として有名である。
その内の3人が数分と立たないうちに倒れ伏せてしまった。
皆が口を閉ざしながら身を震わせた。
「言っておくが……」
グロッカスが口を開く。
「このルドルフは俺よりも強いぞ?」
グロッカスが親指でルドルフを指さす。
グロッカスは先程「自分は『領域外』である」ということを示した。もしそれが本当なら、ルドルフも『領域外』の実力を保有していることになる。
セレドニ、ルドルフ、グロッカスと3人の『領域外』がこの部屋に集っていることになる。
そんなバカな事はない。
そんな事あり得るはずがない。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁっ……!?」
皆が息を呑んでいると、セレドニを囲っていた円の中から大きな悲鳴が聞こえてきた。
味方の集団から血飛沫が飛ぶ。またもや裏切り者が現れた様で、仲間の方々は驚き身を強張らせた。
突如暴れだした人たちが槍を振るい拳を振り回し、たくさんの護衛者を蹴散らしていく。
「オリンドルっ……! メガーヌっ! お前たちもなのかっ……!?」
「ひょっひょっひょっひょっ!」
「ギャハハ! 弱いわっ! 死んじゃえっ……!」
味方に紛れ暴れだしたのは『武闘部会』の会長オリンドル様と、ある公爵家の護衛のメガーヌ様だった。
この都市の道場のまとめ役である『武闘部会』の会長オリンドル様とは面識がある。武闘部会に調査の依頼をした時、お手合わせしたことがある人で、年配の方ではあるが、S級の実力を持っている人だ。
メガーヌ様とは直接の面識はない。この都市の公爵家エストコハール家の護衛の方だと聞いている。
オレンジ色の明るい髪をしており、眼帯を付けた野性味溢れる女性だった。
オリンドルとメガーヌが仲間たちに危害を加えていく。血が飛び、骨が折れる音が響き、混乱がこの会場全体を包み込む。
数分前まで優勢だと思われた形勢が完全に瓦解していた。
この惨状を見て、領主マックスウェル様が怒りのあまり震え、そして叫び声をあげた。
「きっさまらああああぁぁぁぁっ……! このファイファール家に盾ついて、タダで済むと思うなああああぁぁぁぁっ……!」
マックスウェル様の体から魔力の渦が奔流し、完全な戦闘態勢へと移行したことが誰の目からも伺えた。
怒気がこの部屋の空気を一気に張り詰めさせる。敵のオリンドルやグロックスの顔が強張るのが見てとれ、絶望感が漂い始めていた味方内の空気が和らいでいく。
「皆の者! この私を援護しろっ! まずはオリンドルを殺すっ……! 1人ずつ、確実にだっ……!」
マックスウェル様が明確な指示を出す。5人の敵が入り乱れている状況の中、戦力を集中させ1人ずつ仕留める作戦に出る様だ。
敵は自分たちの実力は『領域外』だと言った。もしそれが本当なら個々の実力では敵わない。
しかし私たちには数の利がある。火力を集中させ、1人ずつ仕留めることが出来るのなら、まだ私達にも勝機があるかもしれない。
皆の顔が引き締まる。
そして、マックスウェル様が攻撃の1歩目を踏み出した。
「いや、兄者。別に奴らはファイファール家を裏切ってなんかいないぞ?」
そんな時に、凛とした声が小さく響いた。
それと同時に大きな鈍い音が響き渡る。今まさに動き出そうとしたマックスウェル様にとある人物が後ろから襲い掛かり、マックスウェル様の頭部を床に叩きつけた音だった。
「……っ!?」
マックスウェル様の頭が床に激突し、床が大きくひび割れていく。そのとある人物は倒れたマックスウェル様に伸し掛かり、彼を組み伏せ自由を奪った。
マックスウェル様の頭から血がどろりと垂れる。たった1撃でもかなりのダメージを負ったのか、意識が半分飛び体が震えている。
しかしそんな中でも自分に襲い掛かった敵の姿を見ようと、何とか首だけを回して背後を見た。
「何故だっ……!? 何故っ! 何故っ……!?」
「…………」
「バーハルヴァントっ……!」
マックスウェル様に襲い掛かったのは彼の実の弟、バーハルヴァント様だった。薄い青色の髪をした、厳しい顔つきの男性だった。
ファイファール家の弟がファイファール家の兄を組み敷いて、その自由を奪っていた。
「お父様っ……!?」
「お父様っ……!」
ファイファール家の子供たちであるディミトリアス様とアリア様は強張った声を上げた。
しかしその声色は違っていて、バーハルヴァント様の息子であるディミトリアス様は父の凶行に驚きの声を上げ、マックスウェル様の娘であるアリア様は父を心配する声を上げていた。
「…………」
気が付けば今凶行を働いた者たちがバーハルヴァントの傍を囲っていた。
それはまるで自分たちのリーダーを守り、そしてそのリーダーに恭順を示しているかの様だった。
バーハルヴァントを取り囲む者は7人。
槍の男、セレドニ。
『武闘部会』の若きS級、ルドルフ。
立心刻栄流師範、グロッカス。
『武闘部会』会長、オリンドル。
公爵家護衛、メガーヌ。
そして先程まで暴れていなかったが、今その敵の輪に加わった人が2名。
貴族騎士団団長、ベイゼル。
S級魔術ギルドの魔法剣士、アルヴァント。
この都市で名を馳せた武人たちが結集し、王家に牙を向けていた。
「我、『アルバトロスの盗賊団』幹部……」
普段からあまり喋らないバーハルヴァントが静かな声を上げる。
皆ただ息を呑むばかりであった。1つ、皆が本能的に悟っていることは、もう自分たちに勝機などなく、狩られる側に回ってしまったのだということだ。
「叡智の力を解放した我ら『領域外』の8人、ここに革命を宣言する」
不可能を超え、あらゆる修羅場をかいくぐってきた超人的な存在、それがS級。
しかし、そんなS級の域さえ超えるというおとぎ話のような存在がいる。
それが『領域外』。
今、目の前には8人の自称『領域外』がいる。
人の世を滅ぼせてしまうかもしれない程の戦力が今、私たちの目の前に立ち塞がっていた。
次話「119話 VS『アルバトロスの盗賊団』」は4日後 3/24 19時に投稿予定です。




