112話 王への謁見①
【イリス視点】
ここはファイファール家の屋敷。今日、この家のアリア様と王家のリチャードの婚約式が行われる。
待合室として当然、王家の人間には1人1人に個別の部屋を用意されていた。そして私はこの国のトップ、王であるお父様の待合室の扉の前に立っていた。
私はお父様に聞いてみたい事があり、時間を割いて貰ったのだ。
話というのは他の人に聞かれたくない類の話であった。周りに人がいる中、お父様に要件は何かと聞かれても、私は口を噤むことでその事を暗にお父様に伝えた。お父様はそれを察して私に問い質すことはせず、場を用意してくれた。
私がどんな話をしたいのか、そこまでは流石に分からないだろう。
屋敷に用意されたお父様の部屋の扉の前に立ち、少し緊張して息を呑む。
「……お父様、お待たせいたしました。イリスです」
「入りなさい」
「失礼します」
作法と行儀に十分注意して部屋の中に入る。部屋の奥の方にお父様が座っており、その両脇を囲う様に4人の護衛が控えていた。お父様が信頼されている騎士の方達であり、私も子供の頃から世話になっている方達だった。
そしてその4人共がS級並みの実力を兼ね備えている。
その圧力に思わず体を強張らせてしまう。
しかし、私も似たようなことをしていた。
私も3人の護衛を連れて来ていた。クラッグ、フィフィー、リックさん。私を含めれば、戦力でいったらこちらの方が上であると推測出来た。
「はっはっは……!」
私の連れてきた護衛を見て、お父様が大きな笑い声を発した。それは嘲笑のような捻くれた笑いではなく、この重みを笑い飛ばすような力強いものだった。
「全く……! 家族の話し合いでこんな大仰な護衛が必要とは、王族というのは本当に厄介なものだな!」
「……家族の間でも重要な話をするときは身を守る術が必要なのだと、この前アドナ姉様に教えて頂きました」
「その件は本当に難儀だったな。話は聞いている。そこのフィフィーという輩、その節は娘が世話になった」
「え? あ、はい……。お褒め頂きありがとうございます」
私はアドナ姉様が差し向けたS級の傭兵ヤサカ様に襲われたのだが、それを打倒したのはフィフィーという事になっている。フィフィーは一瞬きょとんとし、思い出したかのようにお父様からの礼を受け取った。
「だが、悲しいかな。家族間であっても油断しきってはいけないのが王族、貴族というものだ。勿論、信頼無くてもやっていけない。信頼と警戒、その両方を兼ね備えて無ければいけないのだ」
「……勉強させて頂きます」
お父様が小さく頷く。
「それにしても……若きS級冒険者のリックとフィフィーか。お前たちの武勲は私にも自然と耳に入ってくる。お前たちの様な人材が娘の傍にいてくれているというのは心強い」
「お褒め頂きありがとうございます」
「ありがとうございます」
「しかし……そこの焦げ茶色の髪の男は誰だ? 何の情報もないのだが……?」
「おぉっと? 喧嘩売ってんのかぁ? 国王様よぉ?」
「クラッグ様、あなたにはずっと黙っていて下さいとお願いした筈ですよ」
「けー、っだ」
正直クラッグを連れて来るのに躊躇いはあったのだが、私の知る最高戦力だけあって外すことが出来なかった。
クラッグの無礼は私が謝罪する必要があった。
「お父様、私はこの護衛の戦力を脅しに使うつもりは全くありません。今日は話を聞きに来ただけなのです」
「そういうことは、言う必要などないのだ」
お父様は人差し指を口の前に持っていく。言葉にする意味などない、と。
「証明しきれないことを口にする意味は無い。権力や武力というのは、客観的でなければいけない。主観で説明することに意味は無いのだ。娘よ、まだまだ青い」
「……失礼いたしました」
自分の青さを指摘され、少し顔が赤くなった。
「では、本題に入ろう。そこに掛けなさい」
「失礼します」
お父様の近くに用意された椅子の上に座る。背後にはクラッグ達が控え、私はお父様の目を見た。返す様に王様の力強い目が私を凝視する。
「お父様、私は先日とある人物に会い、その方からスパイになる様要請を受けました」
「……スパイ?」
「はい。王族のスパイです」
後ろでリックさんの気配が強張るのを感じた。しかし、話を続ける。『百足』の話自体は話すつもりはない。
「しかし、私はその話を断りました。家族は裏切れません」
「当然であるが……、何が言いたい?」
「…………」
私は小さく息を整える。
「……しかし、その『とある人物』の話は理に適っていて、無視の出来ないものでした」
「……というと?」
「私は……その話をスパイとしてではなく、家族として、王族として……お父様に問いたいと考えました……」
「…………」
心臓がバクンバクンという。思えばお父様にこんなにも不躾に話を伺うことはあっただろうか。少なくともこの近年、覚えにない。
頬から一筋の汗が垂れる。お父様……国王とその護衛たちの視線が私に刺さる。
「お父様……誠に身勝手ながら……お父様に誠実を求めても良いですか?」
「…………」
「スパイにはなりたくないので……貴方の娘として、遠慮なく話を聞いてもいいですか……?」
私は少し息を吸った。
「王家は『叡智』の力について……一体何を知っているのですか?」
「…………」
「…………」
沈黙がこの部屋に流れる。
視線が交錯する。私とお父様だけではない。相手の考えを読み取ろうと、後ろの護衛たちとも視線は合い、そしてお父様も私の後ろの仲間たちに視線を投げる。
たった数秒ではあったが、息の詰まる様な視線のやり取りがあった。
お父様に動揺はなかった。
「ふむ……」
お父様が小さく声を発し、背もたれに深く体重をかけた。
「何が聞きたいのか、よく分からん」
「…………」
「『叡智』の力、と言われても……心当たりがない」
お父様は口を曲げ、私に怪訝な顔を向ける。
……違うのだろうか? 王家は本当に『叡智』の力を把握していないのだろうか?
「……お父様は『叡智』の力を知らないと?」
「知らんな。聞き覚えの無い言葉だ」
「…………」
私は何と言ったらいいのか分からなくなってしまう。
本当に何も知らないのだろうか? それとも躱されているのだろうか? 知っているのに知らない振りをしているだけなのだろうか?
分からない。判断が付かない。
お父様の様子に何もおかしい所はない。お父様は冷静に話を聞き、私の事をじっと見ている。
……やっぱり知らないのだろうか。
それとも、やっぱり知っていても教えてはくれないのだろうか。
こんな風に馬鹿正直に聞いても何も分かる事など無いのだろうか……?
「しかし、なんとも馬鹿正直な娘だ、お前は」
まるで私の思考を読んだかのようにお父様が口を開いた。
「青い。全く青い奴だ、お前は。それがお前の美徳でもあるが……権謀術数の腕としては落第点を押さざるを得ないな」
「…………」
「『叡智』などというものの事は勿論知らん。知らんが、こんな正面切って何か情報を得ようとするなど……例え相手が何かを知っていても正直に喋ってくれる保障など何処にもない。もっと裏から手を回したり、相手を絡め捕ろうとする必要があるのだ」
「……それでは、スパイになってしまいます」
「スパイではない。王族だ。貴族とはそういうものだ」
お父様が呆れたように腕を組む。私は少しバツが悪くなって、手で髪を少し梳いた。
「全く……誠実を求め、喋って下さいとは……なんとも青い。青過ぎる」
「…………」
「娘から正面切って誠実を求められるとは思わなかった。こう……愛する娘から誠実を求められては、喋ってはいけないことも喋りたくなってしまう」
「…………」
……ん?
「本当は言ってはいけない事なのだがな、イリス……」
「……え?」
「王家は『叡智』の力の存在を把握している」
子供の様にニヤッと笑いながら、お父様は何でもない様にそう言った。
「……え?」
「ハハハ……」
「…………」
「ハハハハハ……! ワッハッハッハッハ……!」
お父様は私の顔を見て豪快に笑う。
私はポカンとしていた。口をあんぐり開けて、ただ唖然としていた。まるで狐に化かされたように目を丸くして、頭の中の整理がつかないでいた。そして、それは後ろにいた仲間達も同じだった。
お父様は言った。なんでもないかのように『叡智』の存在を知っていると、お父様はそう言った。
「イリス……」
「…………」
笑うのを止め、お父様は諭すような声で私に語り掛けた。
「お前が王族に対し不信感を持っているのは理解しているつもりだ。お前は普通の人間よりも客観的に自分の事が見られる、賢い子だ……」
「…………」
「それ故に王族や貴族が抱える歪みに幼い頃から気が付いていた。その気付きは自分に跳ね返り、謀略や騙し合いに弱い子になってしまった。それをどうすることも出来なかったのは、済まないと思っている」
お父様は語る。
「最近では姉に嵌められそうになったな。それでも王族の一番上に立つ私に正面からぶつかってきてくれたことを大変嬉しく思う」
私はまだ唖然としていた。まだ父の話について行けず、話はしっかり聞いているのだが頭が回らない。お父様はまだきょとんとしている私に笑いかけるように話した。
「愛する娘から聞かれれば仕方がない。イリス、お前の誠実に応え、話そう」
「…………」
「王家が900年抱えてきた、『叡智』の情報を……」
この国の王様が私に正面から向き合ってくれていた。
この話もちょっと短かったので、次話『113話 王への謁見②』は3日後 9/23 19時に投稿予定です。




