110話 これだから男子はー!
【エリー視点】
「このっ! このっ……! このアホンダラめぇっ……!」
「ちょっ!? やめっ……! エリー、やめろぉっ……!」
深く冷え込む夜の中、旅館の宿の地下の特別に用意された客室の中のことだった。少し前の出来事を整理する為に僕はクラッグと良く良く話し合っていた。
よくよく話し合っていた。
拳で。
僕はこのアホンダラに馬乗りになって鉄拳を加えまくっていたところだった。グーで殴っていた。グーで。
「い、いきなりなにすんだぁっ!?」
「心当たりあんだろうがぁっ! お前ぇっ!」
先程の『ジャセスの百足』との会談で様々な事実が判明した。
その中でも非常に僕を動揺させたのが、クラッグはリックさんが『ジャセスの百足』の一員であることを知っていたことだった。それどころか『ジャセスの百足』と協力関係にある人間らしい。
知らないって言ってたのにっ!
『百足』のこと知らないって言ってたのにっ!
「エリー、エリー……一言いいか?」
「……なんだよ」
「やーい、騙されてやんのー」
プッツンした。
「ちょっ……!? ふべっ!? 目は止めてっ!? 目は止めてっ……!」
「このやろう! このやろうっ! このやろうっ……!」
ちょっと本気で急所を突いてみた。
僕は以前から『叡智』関係の情報をクラッグに相談していた。もちろん僕がイリスであることは隠していたが、『ロビン』のことや『百足』の事などの事情をしっかり話し、アドバイスを貰っていたのだ。
言っていたのだ。『出来る範囲で協力してやんよ』とか『何か分かったら教えてやっから』とか、こやつは言っていたのだ。
それがどうだっ!
何が知らないだっ!
何か知っている、知らないのレベルではない!
協力関係だ。実際の組織と出会い、交流を行っている。それで何が『すまねえがなんも分からねえな』だっ! このヤロウ! このヤロウっ……!
リックさんが言うには、クラッグは情報屋『クロスクロス』を利用する客であり、『百足』のスカウトを断った男であるという。協力者、という役どころに落ち着き、それから『百足』の仕事を手伝う時もあり、『百足』から情報を仕入れていたりする時もあるのだという。
リックさんと知り合ったのも『百足』との繋がりによるらしい。
「知ってんじゃん!」
叫ばざるを得ない。
「めっちゃ知ってんじゃんっ……!」
リックさんは言っていた。『百足』について何も知らない、というのは間違いなく嘘だと。
白々しく嘘をつかれていたのだっ!
「まーまーまーまー、落ち着いて、落ち着いてエリー」
「こぉれが落ち着いていられるかぁっ……!」
「ほ、ほら、ちょっと落ち着いて現状を振り返ってみろよ。今凄い事になってるぞ?」
なんだ? 殴る手を止めて、ちょっと周りを見回してみる。僕がクラッグの上に乗ってタコ殴りにしている以外、別に何も無いが……。
「エリー、今のお前……馬乗りエロいぞ?」
「…………ッ!」
「……って、ちょっと待て! 悪かったから! 悪かったから顔は止めてっ……!」
ぼっこぼこにしてやるっ……!
人前には出られないような顔にしてやるんだっ!
クラッグをぼこぼこにしてから奴から降りる。クラッグはぐったりとしているが、どうせ大したダメージはない。くそぅ、今日1日だけで色々な事があり過ぎだっ。
「一体いつから僕を騙していたのさっ!?」
「騙していたなんて人聞きが悪い。ただ、黙っていただけさ」
「あぁん!?」
「ご、ごめんって! 初めて会った時から『百足』とは繋がりがあったんだよ」
「くそーっ!」
やっぱりこいつはろくでもねー奴なんだっ!
「さぁっ! 隠していること全部吐けっ! このやろーっ!」
「待て! 待てって! 言えねえんだよ、口止めされてっから!」
「ぐぬぬ……」
確かにリックさんも言っていた。クラッグは契約の一環として『百足』から口止め料を貰っているから僕達に情報を教えられなかった、と。
確かに冒険者のプロとして正しい在り方である。パートナーだからってぺらぺらとお喋りしてしまうようではプロ失格……いや、『百足』の組織に消されていただろう。
「言っただろ? 口止め料を貰ったら絶対に情報を外に漏らさない。それがルールだ」
「ぐぬぬぬぬ……」
「だからこれからも何を聞かれても俺は『何も知らねえ』って言うしかねえんだよ。分かってくれるだろ?」
「ぐぬぬぬぬぬぬ……!」
正論過ぎて反論出来ない。
でもなぁっ! でもなぁっ……! 正論と納得できるかは違うんだよなぁっ……!
「悪かったって、悪かったって! ほらほら、機嫌直せ、エリー」
「うー……」
小さい子をあやす様に頭を撫でられる。不満を表す為に頬っぺたを膨らませると、その頬を指で突かれ口から息が漏れ出した。
「……とは言っても俺も正式な組織の人間じゃねえ。分からないことの方がたくさんだ」
「……例えば?」
「今回の暗号の件。俺は全く知らないで調査を進めちまった。あちらさんは一通り事情は把握してたみたいだがな」
ナディア様とメリューが残した小説の暗号の件だ。僕たちはその情報を頼りにしてこの町を訪れたのだが、その小説の暗号を知っている『百足』に絡め捕られてしまったという訳だ。
「聞くに、あっちはメリューの事もナディアの事も知っていたようだな。メリューの身柄を預かるってリックが言いだしたのも、この暗号が関係しているからだったようだ」
「うん、それは僕も聞いた」
今、神殿都市で眠りについたメルセデスの身柄はリックさんの伝手で情報屋『クロスクロス』が預かっている。つまり『ジャセスの百足』が預かっているという事だ。
前からメリューは『ジャセスの百足』の中で捜査対象だったのだが、名前を変え、術を巧みに使うメリューを捉え切ることが出来なかったらしい。
『百足』の長のローエンブランドンは、メリューは『叡智』力が宿っている人間、つまり保護対象内だ、安心して欲しい、と言っていた。僕たちは、はいと頷くことしか出来なかった。
取り敢えず、今度面会の約束は取り付けた。彼女はまだ眠っているらしいが、今度時間を作って尋ねてみよう。
「あとこの町が『百足』の拠点だったってのも知らなかったな。直前になってからリックに『邪魔をしないでくれ』と言われて今回の捕縛計画を知ったくらいだ」
「あ、そうだ! お前ぇっ! 僕達が捕まって大変だった時に、呑気に温泉浸かり直してたって言うじゃないか!」
「だって3人ともいなくなって俺ちょー暇だったんだもん」
「だもん、じゃないっ!」
ぐぬぬ、と唸る。今日のエリーは凶暴だなぁ、とクラッグは困ったように笑った。わりぃわりぃと言いながらはらはらと笑っていた。
……しかし、実はこの捕縛計画について、僕はクラッグに何も言うことが出来ないでいた。
ローエンブランドンとリックさんは言っていた。
それは僕達が捕まる前の事、リックさんがクラッグに僕達の捕縛計画を伝え、邪魔をしない様釘を刺した時の事だった。
クラッグは言ったそうだ。
『2人に何かがあったら容赦はしない』
たったこの一言でローエンブランドンとリックさんは僕達に何も出来なかったそうだ。
僕達の安全は始めから保障されていたというのだ。
『ボクが言ったって事、クラッグには内緒ね』とリックさんは人差し指を立てて言っていた。目の前にはアホ面をして笑っているバカ焦げ茶の姿がある。
僕は不満そうに口を尖らせることしか出来なかった。
「ねぇ、クラッグ……」
「なんだ?」
「まだなんか僕に隠していることある……?」
「…………」
一瞬の沈黙が過ぎる。僕はクラッグの目を見る。クラッグは一瞬、僕から目を背けたが、また僕の方を見直して、言った。
「……あるぞ」
「…………」
「わりぃな、エリー」
「…………」
分かってる。クラッグと『百足』の関係が語られたとしても、クラッグのその化け物じみた強さの理由は何も明らかになっていない。
何か秘密がある筈なのだ。クラッグの強さとはそういう強さだった。
でも、僕はそれを尋ねない。尋ねても答えてはくれないだろう。
それは仲間として信頼出来るか、出来ないかとかじゃなくて、話せる状態か、そうでないか、という事だと思う。
……いや、まだ仲間として信頼が出来ない、と思われていても仕方がない。僕たちは知り合ってまだたったの2年なのだ。
それに……僕の方だってクラッグに隠し事をしている。
「…………」
「……どうした? エリー?」
「……クラッグはさぁ」
「…………」
『僕の正体について、もう気が付いてる?』と聞きそうになって、止めた。
ローエンブランドンは言った。クラッグは油断ならない男だ、と。戦闘能力、洞察力、判断力、どれもこれもがピカ一で、正面からやり合いたくはない相手だと評していた。
普段は間抜け面をしているが、それはあいつの本質ではないだろうとも言っていた。
僕の正体についても、気が付いている可能性が高いと言っていた。
リックさんも、僕とフィフィーが気付くくらいだからクラッグが気付いていても何も不思議じゃない、と言っている。
気が付いたうえで知らない振りをしているかも、と言っていた。
なんのメリットが? と聞いてみるも、あいつの考えることはよく分からない、と困った顔で笑っていた。
「…………」
「どうした?」
「……なんでもない」
「……そっか」
聞けなかった。
本当に気が付いてなかったらただの自爆だし、もし気が付いているのなら、じゃあそれは何の為か?
それは僕を騙していることになるのだろうか?
気が付いていない振りをすることは僕を謀っていることになるのだろうか?
少し、怖くなって聞けなかった。
「……あ~~! もうなんも信じらんないっ!」
僕はもやもやした胸の内から逃れるように、敷かれていた布団にダイブした。
「そんな不貞腐れんなって」
「おめーのせいだよぉっ!」
布団の感触が心地よい。布団の上で足をバタバタさせる。今日はほとほと疲れたし、どこまでもぐっすりと眠れてしまいそうだ。
「なんも信じらんないって言うけど、一緒に捕まったフィフィーはどうなのよ?」
「えー? で、でもさー……」
こういう事言うのは申し訳ないのだが……。
「……フィフィーも、立場的に怪しくない?」
「と言うと?」
「だってさ、『百足』であるリックさんの幼馴染で彼女だよ? しかも、17歳でS級冒険者っていう常人じゃあり得ない程の経歴を持ってるし、実は『ジャセスの百足』の一員で今日は特別演技してました、ってなっても全然不思議じゃないじゃん!?」
「まぁ、確かにそうだわな」
「もう誰を信じたらいいのか分からないよぉー!?」
枕に顔を伏せ、足で布団をばたばたと叩いた。
「……流石にフィフィーにまで裏切られたらショックで泣くんだけど」
「おめーら結構仲良しだもんなぁ」
「今日一緒に捕まった仲だし?」
今日の様子を見ているとフィフィーは『ジャセスの百足』に対し、本当に戸惑っているようだった。しかしそれもただの演技で、フィフィーが『百足』の一員でないと僕に思い込ませたいだけなのかもしれない。
理屈と膏薬はどこへでもつく、と言ったように考え出したらキリの無い事だった。
「そんじゃまぁ……ちょっと覗き見て来るか?」
「……ん?」
クラッグに誘われて部屋を出る。
抜き足、忍び足。音を立てないように廊下を歩きながら、辿り着いた先はフィフィーの部屋だ。そこから大きな怒声が聞こえてくる。
『リックのバカ! リックのバカっ! わたしに隠し事をしてぇっ!』
『わ、悪かった! 悪かったって! 枕で叩くのは止めてくれぇっ!』
『バカバカ! バカ! 「百足」なんて訳の分からないものに黙って所属してっ! ずーーーっとわたしを騙してきたんじゃないっ! このバカーーーっ!』
『だ、騙してたわけじゃないんだっ! 絶対に裏切ってはないっ! あいだだだだっ! 一般人を殺せるような威力で枕飛ばすのは止めてくれっ!』
『バカーーーーっ!』
本気で喧嘩している様子だった。
聞き耳を立てるまでも無かった。
僕達は部屋に戻って顔を見合わせる。
「どうだ?」
「うーん……?」
確かに演技っぽくないガチ怒りだったけど……証拠にはならないっぽい? いや、僕にはフィフィーが本気で怒ってたっぽく聞こえたけど……。
「少なくとも、俺はフィフィーが『百足』の一員だっていうのは聞いたことがねえぞ?」
「……クラッグの発言はもうぜーんぜん信じないから」
「まいったね、こりゃ」
クラッグは困ったように笑っていた。
それからクラッグとグダグダ話した後、クラッグが僕の部屋を後にした。
そしてその後にフィフィーがやって来た。
「愚痴ろう!」
大きな酒瓶を持ってきてそう叫んだ。
全く信じられない! ずっと隠し事されてたんだ! これだから男ってのは! あのバカヤロー共! とぎゃーぎゃー節操のない女子会をしていた。
酒を注ぎ合い、顔を真っ赤にして、挙句の果てにはラッパ飲みをしながら、荒れて、呑んだ。
部屋に2式の布団を並べた。
今日はこの部屋で2人寝ることにした。……別にエロい意味じゃない。
2人、酔っぱらって倒れるように布団に横になった。フィフィーがぱちんと指を鳴らすと部屋の明かりが消える。
暗闇の中、天井を見上げる。闇の中からぽつり声がした。
「……イリスはさ」
「なに?」
「あんま……裏切らないでね?」
そう漏れ出したかのように言葉を吐き出していた。
目をぱちくりさせる。僕はフィフィーの事をまだ怪しいと疑っている。『百足』の一員であるリックさんとずっと一緒にいた幼馴染。本当はまだ僕に嘘をつき、隠し事をしているのではないか、そう考えていた。
でもそれはフィフィーも同じだったようだ。
冒険者業を兼ねて謎を追うこの国の王女。確かに僕も人の事が何も言えない程、怪しい人間だった。なにか自分に致命的な隠し事をしているのではないか、フィフィーがそう疑っても仕方のない事だった。
暗闇に溶かす様に小さな声で呟いた。
「……僕の秘密は、姫と冒険者の事だけだよ」
「……ありがと」
証明する方法なんてない。僕たちはまだお互いの事を疑いながら友達をやっていくのだろう。
そういうものだ。自分に秘密が無いなんて証明できる人間なんてどこにもいないのだ。
「それに……リックさんはフィフィーの事を裏切って傷つけてきたわけじゃないと思うよ?」
「うん……それは、分かってるつもり……」
「そう」
それは良かった。
フィフィーは大きなため息をついた。
「でも、しばらくは一緒に寝てやんない!」
「ぶっ……!」
いきなり下ネタがぶっこまれた。
これは……僕のように布団を並べて一緒に寝るとかそういう意味じゃなくて……男女の……そういう意味なのだろう?
恥ずかしくなって僕は頭まで布団を被った。隣からあはは、と笑い声が聞こえてくる。
「イリスもしばらくはクラッグさんと寝ちゃダメだよ?」
「初めから寝てないやいっ!」
「あっはっは」
布団の柔らかさが僕達を包む。まどろみに包まれていく。
「おやすみ、フィフィー」
「うん、おやすみ、エリー」
2人で瞼を閉じた。
取り敢えず隣にいる友に寝相を晒すくらいには信頼して、長い夜が終わりを告げた。
次話は4日後 9/17 19時に投稿予定です。




