108話 ヴィリージア
【エリー視点】
狭く薄暗い密室の中で私はつぅと一筋の汗を垂らす。
隣には共に縛られているフィフィー、対面にはリックさん、情報屋のディーラーであったシルトさん。
そして三白眼の巨漢。
『ジャセスの百足』の長、ローエンブランドンが鋭い視線を私に向けていた。
「お前はスパイになれ」
「……え?」
ローエンブランドンは言う。
「『百足』に付け。そして、世の為となる働きをしろ、イリスティナ」
「…………」
唖然とせざるを得ない。私と同様にフィフィーも驚きの表情を張り付けている。前もって聞いていたのかシルトさんは動揺している様子は無かったのだが、リックさんは少し顔が強張っていた。
「……それは、私に王族を裏切れと? 間者になって身内に不利な情報を流せと……?」
「そうだ」
「……そんな、バカな」
ローエンブランドンの短い回答に私は自分の耳を疑う。
「あり得ない、出来る筈がない……」
「出来る。お前は分家の子でも外部の人間でもない。王の直接の子供。誰もお前を疑わない」
「そういうことを、言ってるんじゃ……」
頭を抱えたくなるが、抱える為の腕は縛られて動かない。頭が痛くなってくる。
「王族の誇りにかけて、そのようなことは……」
「そんなこの国で最も穢れた誇り、捨ててしまえ」
「貴様っ……」
「そうだろうっ! この国で最も罪を重ね、事実を隠匿し、民の命と尊厳を踏みにじってきたのが王族とそれに繋がる貴族だっ! それは我ら『百足』が集めてきた長い歴史の情報が証明しているっ!」
「……っ!?」
ローエンブランドンが怒気を吐く。
「お前にも見せてやりたいくらいだっ、王女イリスティナ! この長い歴史の中で王族貴族が隠匿してきた数々の事実、その証拠を!」
「そんなバカなっ……!」
「バカな、だと? 本気で言っているのか? お前は気付いてきているのだろう? 自分の国がそういうことを平気でやる国だって事をっ……!」
「…………ッ!」
私は歯を噛み締めた。
私は彼の言葉を否定する為に咄嗟に口を出したのだが、それはいとも容易く封殺された。
何も否定できない。現に、この前のリチャードの事実は簡単に隠匿された。目の前の男は間違っていない。体が震えそうになる。
その時、ローエンブランドンが腰の剣を抜いた。いや、いつの間にか抜いていた。
ひゅっと小さな風の音がして、気が付いたら私の首筋に彼の剣が立てられていた。剣は首の皮を浅く裂き、首から一筋の血が垂れる感覚があった。
「まだあるっ!」
「な、なにを……」
「王家には『叡智』の情報を隠匿している疑いが掛かっているっ!」
「…………っ!?」
「世界の至る所で様々な災害を起こしている『叡智』について、何かしらの秘密を隠しているっ!」
ローエンブランドンの口調が強くなる。
「災害の根本の存在を知っているのに、それを知らぬ存ぜぬとし、900年近く傍観を続けているっ!」
「そんなバカなっ! 私は何も聞いていませんっ! 王族は『叡智』の存在すら知らない筈ですっ!」
「知らないことはあり得ないっ! 腐っても王国のトップだ! 何か重い事実を知っていて、知らぬふりをしている筈だっ!」
あり得ないっ!
こう見えても私はこの国の上位の権力を持っている。ほとんどトップの付近に位置している筈だ。その私に知らされない秘密なんて……一体どのレベルで情報が伏せられているというのか。
「探れ、イリスティナ」
怒気を含んだ目が私を見下ろす。
「余さず探れ、王家が隠している『叡智』の情報を。全て余さず曝け出し、その秘密を掴み取れ」
「…………」
「それは必ず世の為となる……」
迫力が私を襲う。私の体が硬くなっていく。
それでも私は小さく首を振る。
「それでも……スパイ行為なんて出来る筈が……」
「まだ偽りを重ねるのかっ!」
叱る様な怒鳴り声が私に叩きつけられる。
「偽りの称賛で心を騙しっ! 偽りの罪で人を陥れっ! 偽りの尊厳を自我に宿しっ! そして情報をも歪め、隠し、世界に偽りを重ねるのかっ!? その情報が世の為になる物だったらどうするっ!? その情報で『叡智』の被害が弱まり、人を助けるものだったら広く世に知らせるべきではないのかっ!? それが例え王族の破滅に繋がる物であってもっ!」
「…………ぅっ!」
「私は話したぞ! 王家への疑念をっ! お前はそれを探るのに最適な位置にいるっ! それを探ろうともせず、自己保身に走ることは恥ずかしい事ではないのかっ!?」
「……っ!」
彼は叫んだ。
「王族なんて小さなものに縛られず、世の中全体の為に生きろっ!」
「…………!」
「お前はっ! 王家に生まれて恥ずかしいと思った事はないのかっ!」
「…………うぅぅっ!」
ローエンブランドンの言葉が私の心を痛めつける。
「うぅぅっ……」
王家に生まれて恥ずかしいと思った事はあるか。
兄弟の尊大な行動を見て恥ずかしいと思ったことはあるか。貴族たちが媚びへつらう様に私を褒める様子を軽蔑した事はあるか。王族や貴族が意味もなく無駄に贅沢する様子を浅ましいと思ったことはあるか……。
「……うぅ……ううぅぅっ!」
……あるに決まっている。
恥ずかしいと思ったことがあるに決まっているのだ。
「……うううううぅぅぅぅっ!」
瞳から涙がぼろぼろと零れていた。
自分の中から力が抜ける様な感じがした。気が付けば私はがっくりと項垂れ、首を目の前の男に垂らしていた。
何も……反論することが出来なかった……。
私は私に失望を感じた。
「……王族の利ではなく世の中の利の為に動け、イリスティナ」
「…………」
語り掛けるように百足の長がささやく。
それから、また沈黙がこの部屋を包み込んだ。体に力が入らない。ロープに縛られているから私の体は倒れない、そんな感じがした。
沈黙は痛々しく私の体に突き刺さっていた。
「具体的な内容については、シルト、説明しなさい」
「……かしこまりました」
ローエンブランドンが引き、シルトさんが近づいてくる。私はまだ頭を上げられない。
「イリスティナ様にやって頂きたいことは、王族、貴族内部でしか分からない情報の調査です。最優先事項は『叡智』に関わる情報の調査。それ以外にも王族、貴族の不正に繋がる情報の取得をお願いします」
「…………」
「報酬は『ロビンの行方』という事ですが、別に報奨金もお支払いさせて頂きます。報奨金の代わりに、私達の組織が持っている情報を報酬として選択することも出来ます。情報や報酬のやり取りの方法については、そこにいるリックを仲介役にするも良し、賭博場『マリスベル』にお越しいただくも良しです」
シルトさんがつらつらと喋る。
契約書だろう紙を手に取り、それを読み上げているようだ。具体的な報酬金額、口止め料、違約行為、組織として支援できる範囲、などが読み上げられていく。
「……報酬の『ロビンの行方』の情報については、王家の隠す『叡智』の情報について、一定以上の価値が得られたと『ジャセスの百足』が判断した時、今日契約した日から数えて3年後に『ロビンの行方』の情報をお伝え致します」
「……はぁ?」
声を上げたのは隣にいたフィフィーだ。
「どういうこと? 3年後? 例えば明日、イリスがあんたたちに情報を持ってきたとして、でもその報酬は3年後まで公開されないって事?」
「はい。どの時点で情報を持ってきたとしても、今から3年後まで情報の公開はすることが出来ません。報酬の情報の公開は、『叡智』の情報を持って来られた時から3年後ではなく、今から3年後とさせて頂きます」
「ばっかじゃないのっ!? そんな契約、受けられるはずないじゃないっ! さっきから黙って聞いてれば、あんたたちふざけてんじゃないわよっ!」
……フィフィーが私の為に怒鳴ってくれた。
「大体っ、イリスをここまで追い込んで自分たちの要求を呑ませようってやり方が気に入らな……」
「フィフィーっ!」
制止するよう叫んだのはリックさんだった。
「フィフィー、この場で汚い口を効かないでくれ」
「でも、リック!」
「頼む。君の為なんだ。君の首が飛ぶところなんて見たくない……。頼む……」
「…………」
リックさんはフィフィーに頭を下げていた。そう言われ、フィフィーも口を閉じる。
「この3年という期間には意味がある」
「…………」
「3年が経ち、この契約が完了される頃にはその意味が分かるようになる。今はこれだけしか言えん」
ローエンブランドンはそうとだけ言い、黙った。これ以上は喋る意思がないようだ。
シルトさんが指を振ると、私を縛っていたロープが一人でに動き、私の体を縛ったまま右腕だけを解放する。彼女は今まで読み上げていた契約書の紙面を私の方に向け、私の右手にインクの付いたペンを握らせた。
「このように迫って申し訳ありませんが、この契約書に同意のサインをお願いします」
「…………」
紙面には名前を書く欄があった。ここに名前を書けば『ジャセスの百足』と契約したことになり、私は王族のスパイとなるのだろう。
私は……。
「……同意はしない」
「……えっ?」
そう呟いた。
ばっと顔を上げる。
私はペンを捨て、空いた手でシルトさんの手から契約書をぶんどった。シルトさんが小さな声を漏らす。
ぱっと奪い取った契約書に噛みつく。
口と右手を使って私はこの契約書を真っ二つにした。ビリリと紙の裂ける音がして、契約書はただの紙屑へと変化する。
「えぇっ!?」
「なっ……!?」
「……ッ!」
驚愕の短い声が相手から漏れる。
咥えていた紙をぺっとはき出し、意味を為さないただの紙屑がはらはらと床に舞う。
「バカにするなああああああぁぁぁぁぁぁっ……!」
私は叫んだ。皆の顔が強張る。
「確かに……確かに貴方達の言う通りですよっ! 王族や貴族が歪んでると感じる時はありますよっ! 多いですよっ! 王族であることが恥ずかしいと思う時もありますよっ……! 否定できませんよっ!」
「…………
「でもっ……! でもですっ!」
叫ぶ。溜め込んだ鬱憤を晴らすかのように、ただ声に思いを込めた。
「それでも家族なんですっ! 貴方達にとっては忌み嫌う王族なのかもしれませんけど……私にとっては家族なんですっ! 当たり前ですっ! 17年一緒にいる、血を分けた家族なんですっ!」
「…………」
「お前らと家族、比べるまでもないんだあああぁぁっ……!」
大きな叫び声とは裏腹に、目からは小さな涙がぽろぽろと零れていく。リックさんやシルトさんが息を呑む様子が伝わる。
「お前らなんか信頼できないっ! 家族と比べるまでもないっ! 私は報酬に目を暗ませて家族を裏切るなんて真似はしないっ! 非があるのなら私が王族を正す! 私が王族を立派にするんだっ!」
叫ぶために息を吸う。涙は少しずつ大きくなり、ぼろぼろと零れて出していた。それでも叫ぶ。叫ばずにはいられれない。
山を壊す様に、大声で叫んだ。
「姫をナメんなあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」
「…………!」
「…………ッ!」
「…………」
部屋全体が揺れる。みしみしと音を立てる。
でもそれだけで、誰も来ないしどこも壊れない。相手は目を丸くしている。私は息切れを起こし、涙は零れ、顔がとても赤くなった。
「…………」
「…………」
「…………」
周囲は唖然としている。
先程と同じような沈黙が流れているけれど、先程とは意味の違う沈黙だった。皆が唖然としており、目を丸くしている。先程私の為に怒ってくれたフィフィーさえ口をポカンと開けていた。
「…………」
「…………」
私はローエンブランドンを睨む。その私の視線を彼は真っ向から受け止めている。
視線が交錯する。この男から逃げ出したくはない、そう思った。
そう思ったのだが……。
「フフ……」
「…………?」
「……フハハハハハハハハッ!」
ローエンブランドンは突然大口を開けて笑い出した。楽しそうに、愉快そうに。
彼の部下である筈のリックさんやシルトさんが困惑している。私もキョトンとせざるを得なかった。
「ハハ……ハハハ……」
「…………」
彼の笑い声が止まり、また私と視線が合う。
そして私は驚く。
彼の顔は穏やかであった。目付きは細く、顔は恐ろしいままだが、それでも人を射抜いて殺そうというような目の光は鳴りを潜め、柔らかな顔つきになっていた。
「先程までの無礼をお許しを、王女様」
「…………??」
困惑する。全てを斬り裂く鋭いナイフのような声にも丸みを帯びている。
私は驚き硬直する。私程ではないようだけど、リックさんやシルトさんも少しびっくりとしていた。
「実は君の事は昔から知っていた。7年前から知っていた」
「え……?」
「君という人となりは聞いていた。イリスティナ王女殿下がエリーと名乗り、市井に出ている事はある者によって報告を受けていた」
「え? えっ……?」
ローエンブランドンは背を丸め、少しだけ頭の位置を下げる。それだけで威圧感がとても減り、恐ろしい印象が和らいだ。
……というより、7年前? 7年前から私の事をエリーだと知っていた人?
「前『百足』の長、ヴィリージアだ。知っているだろう?」
「……??」
「……名前を知らないのか? パーシーナ村の村長をやっていた……って、これも伝わらないのか?」
呆れた、とローエンブランドンの顔には書いてあった。そして言う。
「ロビンのいた村の村長だ」
「…………あ」
ロビンのいた村の村長。とてもお世話になった人であった。
ロビンの祖父を演じ、彼を育て、村全体の支え役だった人だ。
……そうだった。あの人にはバレていたんだ。僕がこの国の王女様だってことがバレていた。
それでもあの人は私を認め、ロビンとずっと友達であってくれと、そう言ってくれた人だった。
「我はあの方に報告を受けていた」
「…………」
「とても変わった事情の子がいるが、何も心配するなと。あの子は疑いなくロビンの大切な友人であり、この国の王女という難しい立場に立っているが、平たく良い子であると。心根の優しい子であると」
「…………」
「信じろ、と」
また涙が出そうになった。
あの村長は全てを知っていて、それでも私を信じていてくれたのだ。
「……あの方の意見を我が無視できる筈も無い。正直、我が語った言葉は我の本心であり、我は心から王族や貴族を軽蔑している」
ローエンブランドンは言う。
「しかし、君の語った先程の叫びは一目に値する。君の思い、君の悩み、聞かせて貰った。王族など信頼できないが……そうだな、ヴィリージアの意見を最大限考慮して……」
彼は笑った。
「……君を解放しよう」
そう言うと、私を縛っていたロープは独りでに解けた。ロープがぱさりと地面に落ちる。
「スパイとして雇うのは諦めよう。君は立派な王族になるといい」
彼はそう言って、小さく小さく微笑んだ。
私の目からぽろりと涙が零れた。
嬉しかった。あの村の村長がそんな風に私の事を言ってくれていたなんて。7年前のまだ生意気だった私を、心根の優しい子だと、そう思ってくれていたとは思わなかった。
ローエンブランドンは村長の事を、前『百足』の長と言った。
ならば私なんて疑って然るべき存在なのに、良い子、悪い子なんて感情論を持ち出してはいけないだろうに……。
それでもあの村長は私を良い子だと言ってくれていたのだ。
「うう……」
涙が床に滴る。
そして王族なんて最低だと言っていたローエンブランドンが、私の事を少しだけ認めてくれたのが……立派な王族になるといいと言葉を送ってくれたのが……、
「うううううううぅぅぅっ……!」
それがなんだかとっても嬉しかったのだ。
57話 村長との姫の秘密についての会話
「儂とエリー君だけの秘密じゃ」
すまん……ありゃ嘘だった……。
次話『109話 ここで首を刎ねてやろう』は4日後 9/9 19時に投稿予定です。




