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107話 ローエンブランドン

【エリー視点】


 僕達の額から汗がつぅと垂れる。

 たった1人の男が放つ重圧が膨らみに膨らみ、まるでこの部屋を内側から押して壊そうとするかのようだった。その男の存在感だけでこの部屋全体が小さな音を立て軋んでいる。


 緊張を余儀なくされる。

 それは捕えられている僕とフィフィーだけでなく、その男の味方であるはずの、今膝を付き(こうべ)を垂れているリックさんやシルトさんでさえ体が硬くなっている様子が見られている。

 圧いプレッシャーがこの部屋全体を呑み込んでいた。


 その男の年齢は50代程だろうか、顔に皺が刻まれており、常人よりも手足が長い。2メートル以上の巨躯であり、三白眼の鋭い目がこちらに向けられるだけで生きた心地がしなくなる。


 S級以上の実力者、『領域外』の人間なのだと見ただけで理解させられる。


「我は『ジャセスの百足』、団長、ローエンブランドンという」


 その男は名乗る。表舞台には決して出ない組織、『ジャセスの百足』という闇の長が僕達の前に姿を現した。


「宜しく頼む」

「…………」

「…………」


 低く重みのある声が僕達を突き刺す。その男の一音一音に僕たちは息を呑む。


「この国の王女様に謁見出来て光栄だ」

「…………」

「我らは日陰者。王女様に拝謁できる機会などは一生無いものでね」


 その男は私に会えて光栄だと言う。

 何かの冗談だろうか。その王女は今、椅子に括り付けられ情けなくも縛られ、生殺与奪権を握られている。


「さて、何から話そうか……」

「わたし達をどうするつもりですか」

「ん?」

「捕えて、動けなくして、わたし達をどうするつもりですか。答えなさい」


 フィフィーが目の前の男を睨みながら、淡々と物怖じせずそう言った。S級の実力を持った彼女が敵意をその男にぶつけている。

 しかし目の前の男は微塵も動じない。


「さぁ?」

「…………」

「…………」


 口の端を歪めながらローエンブランドンと名乗った男が小さく答える。

 それは僕達の態度次第という事なのだろうか。それとも、自分の知ったことではないと言う事だろうか。


「我は疑問を感じているのだ」

「……はい?」

「何故ここに王女様がおられるのだろう、と……」


 目の前の彼が顎に手を当ててそう言う。その仕草は少し演技掛かっているのに、まるで目が笑っていない。突き刺すような視線が僕達に向けられる。


「我らが王のロビンを探しているのだと言ったな? イリスティナ様?」


 ……王?


「……はい。正直に申し上げると、私は幼い頃にエリーとしてロビンと友好関係を……」

「聞いている」

「…………」

「しかし、疑問だ。何故……何故王女様が自ら変装し、冒険者として偽りを抱え、自ら友の行方を捜しているのだろう。王宮の権力で情報を集める、人を使う……いくらでもやり方はあっただろうに。何故、考え得る限り一番手間が掛かり、面倒で、自身の負担が大きい手段を取っているのだろう……」

「…………」

「我は疑問を感じているのだよ、敬愛すべき王女殿下」


 ローエンブランドンは私を値踏みするかのように厳しい目つきで私を見据える。心臓の鼓動が荒くなる。そんな必要はない筈なのに。

 何故ならロビンを追う私に後ろめたい動機など一切ない筈なのだから。


「私は世界を知りたかったのです」

「…………」

「自分の目で世界を見なきゃ駄目なんだって思いました。バカなまま、人からの言葉だけを呑み込み、肥え太らされている様では駄目だって思ったんです。人から聞いた世界と本当の世界はあまりにも違っていて……私は自分の足で歩かなければいけないんだって思ったんです」


 私は心の内を(さら)け出す。私にやましい気持ちは一切ないのだから。


「自分の足で世界を歩き、自分の頭で考えて、自分自身で人と向き合わなければ分からないことがたくさんある。……私はそれをロビンに出会って知りました。だから私は冒険者になりました。ロビンが私の知らない世界を教えてくれたから……」

「…………」

「教えて下さい……。貴方は……『百足』はロビンの行方を知っているのですか?」


 『百足』の長の目を見る。三白眼の険しい目が私を射抜き、それだけで私は身を振るわせたくなる。しかし、視線は逸らさない。逸らしてはいけない。

 今この場は絶望的な危機的状態であり、そして千載一遇のチャンスなのだから。


「……把握している」

「……ッ!」


 ローエンブランドンは確かにそう答えた。私は息を呑む。

 初めてだ。初めてロビンの行方を知っている、と言った人と出会えた。心臓がバクンバクンと高まる。


 彼は「把握している」と言った。その言い方から、もしかしたら『百足』の組織にロビンは所属していないのかもしれない。彼をコントロール下に置けてなくて、もしかしたら『百足』とロビンは現在敵対関係にあるのかもしれない。

 ただ、もしロビンが現在死亡しているのなら、「行方を知っているか」という問いに「把握している」と返さないと思う。


 拙い理ではあるけれど、そう思い、息を呑んだ。


「ロビンは……」


 震える声で必死に言葉を紡ぐ。


「ロビンは、私の大切な友達です。私を変えるきっかけをくれた尊敬するべき友達です。そして喧嘩別れをしたまま行方が分からなくなってしまいました……。私は彼に謝りたい。仲直りがしたいのです……」

「…………」

「教えて下さい……ローエンブランドンさん。お願いします、私にロビンの行方を教えて下さい」


 彼の目を見ながら誠意を込めて思いを伝える。必死に思いを伝えようと頑張る。縛られて捕まっているからといって縮こまっている訳にはいかない。


 しかし、ローエンブランドンの口からは冷たい声が漏れだした。


「……愚図が何を言うか」

「……え?」


 ローエンブランドンが私の事を酷く冷たい目で見ていた。


「愚図が我らの王を友達だの、大切だの……下らぬ。敬意なき下らぬ口が人に謝りたいと申すのか? 戯言を……」

「……ッ!」

「貴様ら王族は人への敬意を覚えない。故に言葉に意味は無い。唾棄すべき、醜い生き物よ」

「な、なんですって……!?」


 急に罵倒され、目の前がかあぁっと赤くなる。

 ロビンの行方の手掛かりを得た時とはまるで違う意味で、私の血は熱く沸騰していった。


 大男は私を見下す。ここまで侮蔑の念を込められた重く圧し掛かる視線は初めてかもしれない。


「お前はちゃんと理解しているのか? 王族、貴族の卑劣さ、矮小さを。その王族が謝罪したいという敬意の心を持っている? 下らん」

「あ、貴方に王族の何が分かるというのです……」


 心の底を凍えさせるかのような冷たい声に抗い、必死に抵抗をする。ここは、はいそうですね、なんて絶対に認めてはいけないところであった。

 しかし、ローエンブランドンは滑らかに言葉を続ける。


「それは過去の行いが証明している」

「…………」

「200年前の天下の悪法の流布、80年前の大量公開処刑。いや、つい最近もあったな。第6王子リチャードの婚約者アリアの暗殺計画。人を陥れ、嵌める事しか脳に無い……自らの成果、武功で伸し上がろうとせず他者を貶めることしか出来ない屑共だ」

「……っ!」


 この人はリチャードやアドナ姉様の陰謀を知っている。それは世の中から隠された事案である。……いや、何もおかしい事ではない。何故ならこの件はリックさんにも話しているからだ。


「……その事件は私自らの手で解決しました」

「ならばお前は自分の兄弟とは違う、と言うのか? 王族の浅ましさを語る我の弁を否定せず、自分だけは違うと? ……見下げた奴だ」

「……っ」


 強く歯を食い縛る。顔が熱くなるのを感じる。

 確かに、あのリチャードの件を私は酷いことだと感じている。否定出来る筈も無かった。


「……昔から王族、貴族というものは自らが讃えられることを常に重要視してきた。何もしていなくとも褒められる日常が当たり前で、彼らを諫めようとする者は処分されてきた。

 それでは人間として歪む。当然。当然だ。失敗を否定されず、何もしていないのに自分達が偉大であると錯覚し、ただただ讃えられることのみ与えられれば……歪む。歪むのだ」

「…………」

「王族、貴族は人として歪んでいる。それは、先人たちがそのような土壌を築き上げてきたからだ。不毛にも、せっせと、こつこつと……」

「…………」


 あぁ、ダメだ。黙りこくってはダメだ。何かを言い返さないと。そんな事はないのだと否定しないと。

 ……でもだ。

 私は泣きそうになる。恥ずかしくなる。この人が言ったことは痛いほどに心当たりがある。


 ロビンの村を訪れる前、まさしく私がそうだった。自分は優れているのだと教えられ、全ての国民から愛されているのだと教えられ、自分は偉大なのだと信じていた。

 大して成果を上げていないにも関わらず、ただ自我だけが大きくなっていた。

 あの頃を思い出すと笑えて来る……。何が、私が優れているのは当然の事、だ。


 そしてそれは私の家族にも言えることだった。知り合いの貴族の人たちにも言えることだった。

 否定できなかった。目の前の男の言葉は確かに真実だった。


「…………」

「…………」


 沈黙がその場に佇む。

 それは私が言葉を紡げなかったからだ。ローエンブランドンは私の言葉を待っていたが、私はいつの間にか彼の目から視線を逸らしてしまっていた。

 重苦しい空気が流れているのは私が歯を食い縛って俯いているからだろう。


 フィフィーが心配そうな顔で私を見ている。ここで助けを求めるような視線を送れば、彼女は私を弁護してくれるのだろう。

 でも私は小さく首を振り、そうしないで欲しい事を伝えた。


 それを見たのか、百足の長が口を開いた。


「……ロビンの居場所を教えてやってもいい」

「え……?」


 それは意外な言葉であった。私は思わず目を丸くし、口をぽっかり空けてしまう。


「ただし、条件付きだ」

「…………」


 ローエンブランドンが椅子から立ち上がり近づいてくる。たった2mの距離がさらに埋まり、手を伸ばされたら届いてしまう位置に彼が立った。彼の高い頭が容赦なく私を見下ろしてくる。


「お前はスパイになれ」

「……え?」

「普通に王族の暮らしを続け、その様子を我らに報告しろ。王族、貴族内で怪しい影を探り、我らに密告しろ」

「…………は?」


 冷たい声が響く。私の血の気が引いていくような感じがした。


「王家の隠し事を全て我らに曝け出せ。世の中に利となる隠し事を探れ」

「…………」


 私は耳を疑う。

 私に……私に王族を裏切れと言うのか? 逆賊の不名誉を被れというのか……?


「『百足』に付け。そして、世の為となる働きをしろ、イリスティナ」


 ローエンブランドンの冷たい声が部屋の中にゆっくりと広がっていく。

 部屋の中が異常に寒いと感じた。それはきっと錯覚で、それは目の前のこの男の冷たい視線のせいなのだと感じた。


 私の額から汗がつぅと一筋垂れた。


次話『108話 ヴィリージア』は4日後 9/5 19時に投稿予定です。

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