105話 這い寄る酒の酔い
【エリー視点】
「まぁまぁ、悪かったよフィフィー。ほら、お酒吞みな」
「くっそ~~~、こやつら隙あればからかってくる~~~!」
「それは君もだろうが。あ、エリー君もどうだい?」
「あ。ありがとうございます」
ギルヴィア山の旅館の庭先で、僕とフィフィーとリックさんの飲み会は続く。
山の星空は美しく、きらきらと強く輝く。王都の空よりも星の数が多く、その下で飲むお酒はいつもより美味しかった。
自棄になったのか、フィフィーがリックさんから注いで貰ったお酒をぐいっと一気に飲み干す。ごくんごくんと喉が鳴り、グラスのお酒を空にして、だはぁっ! と男らしい荒い息を吐く。そして空のグラスをリックさんに向け、また酒を注ぐよう要求していた。
つまり、フィフィーが少し荒れていた。
「フィフィーがS級で友達いない言う事でしたけど、冒険者登録時からもう凄く強かったんですか?」
「友達いない言うなぁっ……! エリー!」
思ってみれば、僕はまだフィフィーともリックさんとも付き合いが短い。一般公開されている経歴などの情報は知っているが、2人の詳しい冒険記などは聞いたこと無かった。
「冒険者登録時かぁ……。フィフィーはCぐらいだったかなぁ?」
「うん、そんぐらい。確かに新人としては破格の実力だったけど、S級並みの力は全然無かったよ」
「へぇ……。確か、フィフィーは10歳の時に登録したんだっけ?」
「うん、そうだよ。良く知ってるね」
「そりゃ、お2人は有名人ですので」
僕は15歳の時登録してB-級くらいだったので、フィフィーの10歳のC級には印象的に敵わない。っていうか、フィフィーは15歳の時にS級の認定を受けていたらしいから、やはり歴然とした差が見られてしまう。
「10歳でC級っていうのもとんでもない実力でさ……その頃から友達が少ないままなんだ」
「友達が少ない少ない言うなぁっ……!」
「あっ……ごめん、これは本当に失言だった。ごめん、フィフィー……」
「ガチ謝りすんなぁっ! リックぅっ! 悲しそうな顔するんじゃないっ!」
「リックさんは登録時どれくらいの強さだったんですか?」
「ボクはA-級ぐらいだったね」
「強っ!」
しれっととんでもない事をリックさんは言った。リックさんは慌てるように手を振り、あ、いやボクはフィフィーの1個上だから、11歳登録なんだけどさ、って言ってたけど何の言い訳にもなってなかった。
「……え? なんですか、11歳でA級? 本当に人間ですか? 本当は人間に化けてる怪物なんですか?」
「正真正銘人間だよっ!」
「懐かしいなー。こんなに体が頑丈なんだから、冒険者として成り上がろうと王都に出てきた日の事をー……」
フィフィーがうんうんと頷きながら、昔の事を思い出していた。
「王都に来て冒険者やるまでどこに住んでたの?」
「この国の西の端の方のイエロークリストファル領。そこの貧民街に住んでた」
「あぁ、あの大きめの都市」
イエロークリストファル領。この国の西端の方に位置している都市で、王都からは離れているけれど、隣の国との貿易で大きくなった都市である。
ただ、貧困の差が他の都市よりも大きい都市だと聞いている。
「そうそう、そこでリックと2人、貧困街でなんとか頑張って生きてたんだよー。タダ働き同然でちまちまと頑張ってたなー」
「え? 親は?」
僕は不躾な質問をしてしまった。
「わたしは親に捨てられて……あれ? リックはどうだっけ?」
「ボクの親は死んだんだよ」
「そっか、そうだったねぇ」
「……ご、ごめんなさい。失礼なこと聞いて」
「いやいや、いいのいいの。もう親の顔も覚えて無いし、昔の話ってのは喉元が熱くならないものだからさ」
何でもないようにフィフィーは笑った。
「で、王都に出て来てからは稼ぎに稼いだね。今やS級ですっごいお金持ちだよ、わたし!」
ふふんと鼻を鳴らしてフィフィーは自慢をした。
その友人の姿がなんだかおかしくて、僕は少し笑った。リックさんも笑っていた。
「……片や、うちのクラッグはいつもいつも金欠に喘いでおります」
「ねぇ……わたし前々から疑問なんだけど、なんでクラッグさんとエリーはまだD級なの? 実力通りのS級なら金欠になんかならないと思うんだけど? ランク詐欺にも程があるよ? 冒険者登録をした直後のリックよりもタチが悪いよ?」
「ボクを引き合いに出さないでくれるかなぁ!? ボクのは詐欺じゃなくて仕方ない現象だと思うんだけど!?」
そう言いながらリックさんはフィフィーにお酒を注ぎ、その後には僕にも注いでくれた。ありがたい……んだけど、僕は大分酔いが回って来ちゃったようだ。フィフィーの方も少しふわふわしてる感じがする。
「ぼ、僕だって気が付いたらこんな事になってたんだっ! クラッグが『下積みが大事、下積みが大事』って言って安全で簡単な仕事ばっか取ってきて……クラッグは一応冒険者として先輩だったから言うこと聞いてたらこんなことになってたんだっ!」
「巻き込まれて嵌められたね、エリー君」
「やっぱあいつわざとなのかなぁっ!?」
酔っぱらった頭で叫ぶ。
「でもあいつぅ、僕との訓練の時だけは容赦なくて……気が付いたら実力だけは上がって、冒険者のランクは上がってなかったんだぁ……!」
「クラッグさんって、なんでぇ自分の実力隠してんのぉ……?」
「ボクが知るかよ」
「僕も知らなぁーい……」
僕はランク詐欺師じゃないんだ。クラッグに巻き込まれただけなんだ!
「リックぅ……ちゃんと吞んでるぅ……? あんま酔っぱらってないよーに見えるけどぉ?」
「……そんなことないよ」
「わっひゃっひゃ……!」
酔っ払いの面倒臭い絡みが始まった。
「リックさんぅ? お酒ぇ、お注ぎしましょーかぁ?」
「いや、もうやめておくよ」
「そーんなこと言わず、さぁさぁ。さささ……」
「エリー君も大分酔っぱらってきたみたいだね」
「そーんなことないですよ」
くすくすと笑う。僕はまだそんなに酔っぱらってない。
でも、あれ? なんか急に、少し、頭がくらくらする感じがあるなぁ? フィフィーとリックさんが用意したお酒が美味しいのが悪いのだ。
「あー……リックが持ってきたお酒、おいしー……」
「旅館にあったやつだけどね」
「吞め吞めー、吞めーリックー」
「仕方ないなぁ……」
苦笑しながらリックさんはフィフィーのお酌を受ける。その後、リックさんはフィフィーに注ぎ返していた。フィフィー、これ以上吞んだらいかんとちゃう?
「ふわあああぁぁぁぁ……、眠くなってきちゃいましたぁ……」
はしたなくも大きな欠伸をしてしまう。あー、これ、結構回ってるなぁ……。いつもはこんなに酔わないんだけどなぁ……。
「じゃあそろそろお開きにしようか? エリー君?」
「でもぉ、まだまだ寝るには早い時間じゃないですかぁ……?」
「エリーの言う通りぃ! まだまだ夜はこれからだぞぉ……!」
呂律の回らない口で大声を出し、フィフィーはお酒を一口呷る。
彼女の上体はふらふらと前後している。多分頭の中はくらくらと回り、星がきらきらと輝いている事だろう。
「まだまだぁ……、語り明かすぞぉ…………」
にかっと子供らしい笑みを作って……、
「…………きゅう」
小さな言葉を吐いて、机にびたんと倒れ込んだ。
動かなくなる。うつ伏せになって机に突っ伏している彼女から、すぴーすぴーという鼻音が聞こえる。
「あはははははっ……!」
「…………」
僕は笑った。
「しょーがないなー! フィフィーは……!」
もう完全に酔い潰れてしまっている。なんとも情けない姿だった。
いつも彼女はこんなに酔う事はない筈なのだが、まぁこういう日もあるのだろう。
全く、しょーがない。
フィフィーを部屋に連れて行って寝かせてやらないと。こんな風に潰れるようじゃ、明日の朝が大変だろう。きっとフィフィーは二日酔いで頭ががんがんと痛むのだろう。その様子を見て、明日はからかってやろう。
僕はフィフィーを運ぶために立ち上がって……、
「…………あれ?」
立ち上がれない。体に力が入らない。
フィフィーに近づこうとした体は僕の意思に反して動こうとはしなかった。
力が抜けていくような感覚を覚える。
僕も酔っぱらってるのかな? ちゃんと足に力を入れて、立ち上がって部屋に戻らないと。
視界がくるくると回る。
気が付いたら僕もまた、机に頬っぺたを付け、倒れ伏せていた。
「……あれ?」
力が入らない。眠気が襲い掛かってくる。動けない。
視界が霞んでいく。
「リック……さん……?」
1人の男性が視界に入る。
その人は驚いていなかった。笑ってもいなかった。困ってもいなかった。
ただ表情に色はなく、目の前で起こっていることが当然の事であるような顔をしていた。
冷たい視線が僕を見下す。
驚きもせず、笑いもせず、困りもせず……倒れ伏せた僕たちを介抱しようとすらせず、小さな杯に自分で酒を注ぎ、それをくいと飲み干した。
意識が消えようとしている。
視界が霞んでいって、僕は眠りに抗えなくなっていく。
目の前の男性の表情が何を意味するのか、それを考える頭も回らず、ただ意識は夢の中に落ちようとしていた。
「ごめんね」
男性がそう小さく口にする。
でもその声には詫び入る気持ちが全く入っていなかった。
…………。
* * * * *
「エリーっ! 起きてっ! エリーっ……!」
……大きな声がする。
少し喧しい声だ。うるさいと感じる。意識が少しずつ芽生えだしてくる。
「んんぅ…………」
「エリー! 起きてっ! 寝てる場合じゃないんだよっ……!」
……やめて欲しい。大きな音が煩わしく、僕の瞼が開き弱い光が差し込んでくる。
……よく分からない。この感じ……あぁ、寝ていたのか……。大きな声は、フィフィーの声だろうか。叩き起こす様に大声を出すのは止めて欲しい。
「エリーっ……!」
「…………」
意識が覚醒していく。目がぱっちりと開いていく。
僕のすぐ横にはフィフィーがいた。僕が目覚めた様子を見て、少しほっとした表情を見せた。
寝ていた体をほぐそうと伸びをしようとして、何か強烈な違和感を覚えた。
なんだ? これ?
理解するよりも早く、僕は目の前にいた女性に声を掛けられる。
「あ、エリーさん。目覚められましたね。お早うございます」
「え? はい、お早うござ…………って、なにこれっ!?」
目の前の女性に返答しようとして、目が覚めてきたからだろうか、僕は体の違和感の正体にやっと気が付いた。
僕の体は縛られていた。
椅子に座らされ、縄で体を椅子に括り付けられている。何かしらの魔術が施されているのだろうか、S級並みの全力を入れてもびくともしない。
隣を見ると、フィフィーも同じように椅子に縛られ座らされていた。
「フィフィー!? これどういうこと!?」
「わたしだって分からないよっ……!」
分からない。一体何がどうなっているのか?
この部屋に窓はなく、外の光は入って来ない。倉庫の様に閉鎖された部屋なのか、それとも地下なのか。壁も床も木で出来ていることから、多分あの旅館と同じ建物ではあると思うのだが……。
「……あっ! 僕、貴女見たことがあるっ! 辛うじて覚えているっ!」
「えっ!?」
「はい、エリー様。この度はどうも」
僕に挨拶をしてきた青髪の女性には見覚えがあった。覚えている、と言っても辛うじてギリギリ、と言ったところではあるが。
それは王都の地下のことであった。
情報屋『クロスクロス』。カジノ運営を隠れ蓑にした情報売買の非合法組織。リックさんに紹介して貰った王都の地下のカジノで、その女性を見た。
彼女はカジノのディーラーだった。
黒くシンプルな服を身に纏い、ギャンブルに紛れてリックさん達と情報交換を行っていた人だ。
彼女が一体何故ここに……?
「リックさん、お2人お目覚めになられましたよ」
「あぁ、はい。ありがとうございます」
ディーラーのお姉さんに声を掛けられ、扉がぎぃと重い音を立てて開く。
そこから入ってきたのはもう見慣れた紅色の髪の男性……。
「リック……! これは一体、どういうことなのっ……!?」
「…………」
言うまでもなくリックさんであった。
フィフィーが耳を劈くほどの大声で叫ぶ。部屋全体が揺れるかのようであった。
しかしリックさんは動揺せず、冷静な表情を崩そうとしない。
「……ここは情報屋『クロスクロス』の拠点の1つだよ。この旅館が……いや、この宿場町全体を『クロスクロス』は裏から支えているんだ」
「え……?」
「…………」
リックさんが僕たちの対面にあった椅子に座る。視線が同じくらいの高さになる。いつも穏やかなリックさんの雰囲気は鳴りを潜め、今はナイフの様に鋭い視線が僕たちを見据える。
フィフィーは見慣れているのかもしれないけど、僕はこんなリックさんは初めてだった。
「そしてこの隠し部屋は情報屋『クロスクロス』の更に裏……その本当の意義を知る者にしか知られていない」
「…………」
「…………」
「改めて自己紹介を……」
空気は重く、氷のように冷たかった。
「ボクは『ジャセスの百足』の一員。『叡智』の力を巡る組織の内の1人だ。よろしく頼む、イリスティナ様」
「え…………?」
「は…………?」
唖然とした小さな声が僕の口から……いや、フィフィーの口からも漏れる。
『百足』は7年の時を経て、再び私に這い寄ろうとしていた。
地下の構造物に木材使って大丈夫なのかな? すぐ腐っちゃったりするものなのかな?
次話『106話 リック』は4日後 8/28 19時に投稿予定です。




