102話 宿場町は温泉街!?
【エリー視点】
そこは空気が澄んだ空の近い場所であった。
舗装された道を黙々とひたすら登る。山を登る長い上り坂であり、勾配は急という訳では無いが、ひたすら続く長い坂道は常人の体力を須らく奪っていく。
ふと見ると、この道を歩いていた若い男性が汗をだらだらと垂らし、息を切らしながら苦しそうにこの坂を歩いていた。
S級並みの実力を持った僕達は特に誰1人として疲れる様子を見せず、ひょいひょいと速足で山道を登っていた。
ここはチェベーン家領内を出てギルヴィア山へと続くトルドコ街道の道だった。
ずいぶんと高いところまで登ってきたようで、道の脇の崖からは高い景色を眺めることが出来た。空は青く広く、山々の深い緑色がしんしんと連なっている。
ほとんど全てが山の自然が織りなす光景であったが、その山の麓に小さくチェベーンの都市が見える。
「エリー、フィフィー、宿場町見えたぞー」
「あ、はーい」
「今行きまーす」
足を止めて山の光景を眺めていた僕とフィフィーに、クラッグが声を掛ける。
S級冒険者の体力をふんだんに使って、チェベーン家領からわずか半日、僕達……僕、クラッグ、フィフィー、リックさんの4人はトルドコ街道の山腹にあるギルヴィアの宿場町に来ていた。
謎の集団『ジャセスの百足』について調査する為であった。
「おー」
クラッグの言った通り、そこからほんの少し歩いたところでギルヴィアの宿場町が見えた。
道を挟むかのように通りの両脇に大量の木造の建物が並んでいる。道自体が1つの町として機能しており、トルドコ街道を通ってギルヴィア山を越えようとする人たちのための宿が集まった町である。交通の要所であった。
大抵の人にとってこの宿場町はギルヴィア山を越えようとする為の通過点に過ぎないのだが、僕達はここが目的地であった。
『ジャセスの百足』。ナディア様とメリューが残したレポートに残された証言を頼りに、『ジャセスの百足』という謎の集団を探る為の調査の場なのである。
チェベーン家領内で『ジャセスの百足』の一員と思われる人物と接触し、トルドコ街道を通り、ギルヴィアの宿場町にてその姿を失った、とそのレポートには書いてあった。その追加調査として僕たちはここを訪れている。
レポート内には大英雄ナディオンの残した石碑、『幽水』と遭遇したドスフェ村の傍の深い森、『呪い子』の伝承が伝わるデステルテミナ地方のブリュー村落など、追加調査の出来そうな場所がいくつかあったのだが、アリア様とリチャードの婚約式の日付までそんなに時間はなかった。
それまでに行って戻って来られる丁度良い場所として、チェベーン家領から近いこのギルヴィアの宿場町が選ばれた。
僕にとっても好都合である。
ロビンの行方、という僕が最も知りたい事に一番関わるのが『ジャセスの百足』という組織だ。ロビンがいた村に『百足』と呼ばれる人物が現れたのだから、僕が追いたい組織は『ジャセスの百足』だった。
「じゃあ、ボクはまず宿を取ってくるよ」
「おう、頼んだ」
そう言ってリックさんは今日の泊まる場所を確保しに行った。僕たちはまず当てもなく調査を始める。
婚約式も近いという事でギルヴィア宿場町での調査期間はたったの2日だ。だから今回の調査は先行調査ということで、本格的な調査は後日改めて、という形になると思う。
婚約式に間に合わなくなる可能性もあるから、貴族関係者は調査不参加で少人数で行こうという事になったのだが……『百足』に関する調査に置いていかれてなるものかっ! 私は僕としてごく自然にこの調査に参加することにした。
僕の事情を知ってるフィフィーは苦笑いをしていた。
「さて、まずどうするの?」
「先行調査だからな。まずこの町の概略を調べるのがいいだろ」
「じゃあ、地図、歴史、町の特色、成り立ち……そこら辺をざっと洗っていきますか?」
「りょうかーい。イリスの調査令状は持ってきたから、普通は入れない場所も簡単に入れるからね」
「王族様様だなー」
なんなら今からだって令状増やせるのだ。
交通の要所とだけあって、この宿場町は中々に賑わっている。人通りは多く、行商人の通り道でもある為、売り物の種類も多種多様である。ここで少し商売をしていく人もいるくらいだ。
「あ、クラッグ、フィフィー。なんか珍しいお菓子売ってる」
「んあ? ……あー、こりゃ『センベイ』だな。東の国の菓子だ」
「え? わたしも知らない。なにそれ? 『センベイ』?」
「しょっぱくて固いクッキーだな」
「しょっぱいの!?」
「……それお菓子なの? クラッグさん?」
「おっちゃん、センベイ3枚」
「あいよー」
「え? ちょっと待って? しょっぱいクッキーとか……ゲテモノじゃないよね!? 僕達を嵌めようとしてないよねっ!? クラッグ!?」
「さあ、どうでしょー?」
その場で焼かれる『センベイ』とやらは香ばしくて良い匂いがしたのだが……なんでお菓子で香ばしい匂いがするのだろうか?
『センベイ』が目の前に現れる。食べる。
「どうよ?」
「……違和感」
「……これは……お菓子ではない?」
「わはははは!」
食べてみると、なんというか……しょっぱかった。不味い訳では無いのだが、日頃食べ慣れているケーキやクッキーのような普通のお菓子ではない。なんていうか……味付けが主食に近いものがある。
不味い訳では無いのだが……これは、お菓子と呼べるものなのだろうか……?
あとめっちゃ固い。クッキーの数倍は固かった。
僕とフィフィーは首を傾げながら『センベイ』なるものを食べ、その様子を見てクラッグは笑っていた。
「なに遊んでいるのさ」
そんな時合流したリックさんが僕らに呆れ顔を向けていた。まぁ、許してくださいな。
僕達は町の役場へと足を運び、その資料室を開けて貰う。
役場の人に言ってこの町の全体地図をゲットする。周辺の山の地形が記された地図も貰い、資料室でこの町の歴史、成り立ちを調べる。
この町の誕生自体はかなり古く、約700年前、水神歴で言うと280年程の頃にはこの町――当時は『村』だが――ここは存在していたらしい。
山腹の小さな村として細々と田畑を耕し存続してたということなのだが、そのずっと後にトルドコ街道が出来て、その街道上にある村が交通の要所として発展し、宿場町として大きくなっていったのだという。
「あれ? 町……というか村の方が先に出来たんだ?」
「なんか珍しいケースだね?」
普通だったら街道が舗装されて、人通りの多い道に沿うようにして町が出来ていくものだと思うのだけど……この村は街道よりもずっと歴史が古いようだ。
「それは……村を作った先人の知恵が素晴らしかったんだろうね。チェベル平野とレイエル平野のどちらにも行き易い位置にこの宿場町は存在してる。事実この暫く後に、チェベル平野にチェベーン家の都市が建って、レイエル平野にバルグマック家の都市が建ってる。その2つの都市を結ぶようにトルドコ街道が出来て……そうしたら必然的にギルヴィアの村に行き当たったんだろうね」
「はー……」
資料をめくりながら説明するリックさんの言葉に感心する。
平野、と言ったら建物が建て易く、人の活動の拠点となり易い。このギルヴィア山の両脇には平野が広がっており、事実、後にその2つの平野には大きな都市が出来上がる。
この宿場町の前身の村を作った人は、どちらの平野にもアクセスし易い立地として、ここに村を作ったのだ、という推測が成り立っていた。
「700年前って……かなり歴史が古いもんね」
「先見の明あり過ぎだろ」
「トルドコ街道が出来たのが400年ほど前だって」
今が水神歴985年、このオーガス王国が誕生したのが水神歴紀元前80年程、つまり1065年程の歴史を持っている。
その中で、このギルヴィアの村は700年もの昔から存在している。この村はかなり長い歴史を持っているようだ。
「うーん……?」
フィフィーが口をへの字に曲げながら少し唸っていた。
「フィフィー?」
「いやさ、ちょっと疑問があってさ」
フィフィーは歴史の資料をぱらぱらとめくりながら喋る。
「この村が300年近くの長い間、小さくひっそりと暮らしていたって、なんかおかしくない?」
「……なんで?」
「だってさ、交通の利便が良いって考えた人が村を作ったのだとしたら、その人絶対商売やろうって考えるでしょ? 村を拠点にして行商人やろうとするでしょ? そうしたら成功して村大きくなるでしょ? 現にこの宿場町が成功して大きくなってるんだから」
「…………」
……確かにフィフィーの言う事も一理ある。
交通の便が良さそうだ、として村を作ったのだとしたら、まず商売を始めようと考える。立地の良いこの村が300年目立たなかったのはおかしい?
「いや、そうとも言えないでしょ」
リックさんはフィフィーに反論した。
「まず村が出来た当時は、山の麓にある2つの大きな都市はなかった。つまり将来性はあった土地だけれど、その当時は商売が成り立つほどの立地ではなかった、とか。あるいは昔の法律とか事情とかで、平民は商売が出来なかった。または商売を始められるお金が農民には存在しなかった、とかね」
「まぁ……商売が出来ない、上手くいかない理由なんか幾らでもあるわな」
リックさんが説明し、クラッグが軽く合いの手を入れた。
「まぁ……そう言われたらその通りなんだけど……」
フィフィーはリックさんの解説に納得しながらも、ほんの少しだけ首が傾いていた。
他の事についても調べる。この村の特産品、名所、気候、行商人はどんなものを持ってくるのか、この町ではどんなものが売れる傾向にあるのか、そういった細かいところまで調べていく。
「あっ! この村、一部で温泉出るんだっ……!」
「えっ!? うそっ!? ほんとっ!?」
フィフィーの叫び声につい強く反応してしまう。
温泉……温泉かぁ……。王族として温泉の名所に招待され、温泉に浸かったことがあるが、あれは中々に良いものだ。
しまった。もう宿は取っちゃったんだっけ? 今から温泉付きの宿に変更することとかできないかなぁ……。
「もちろん、温泉付きの宿を取っております、お嬢様方」
「えっ!? ほんと! リック!」
「やったーっ!」
リックさんは恭しく手のひらを胸の前に持っていき、頭を下げ、まるで執事の様に礼をした。僕とフィフィーは両手を上げて喜んだ。
「良く知ってたな、リック」
「まぁね。この村の宿は大体温泉付きだし、それにボクは前にここに来たことあるから」
「え!? そうなのっ!?」
驚いたのはフィフィーだ。
「なーんでわたしが知らなくてリックが知ってんのっ! パートナーでしょっ!」
「……パートナーだからって常に一緒の仕事する訳じゃないでしょーが。フィフィーと別の仕事受け持ってるときに来たの」
「教えてよっ! こんな温泉付きで景色の良い場所っ!」
「…………」
仕事しての報告ではなく、観光としての良い場所を教えて貰えてなかったことにフィフィーは憤慨していた。多分、仕事での報告漏れよりもお怒りである。
でも、そっかー。今日は温泉だっ!
「クラッグとエリー君は同室だけど、別に構わないよね?」
「おいっ!」
「ダ、ダメに決まってるでしょっ!」
「ははは、冗談冗談」
リックさんはけらけらと笑いながら僕たちをからかった。くっ……こんな簡単な冗談で動揺した……。
資料室を後にし、役場の人に「この町で妙な事は起こってないか?」と聞いてみたけれど、特に面白そうな収穫はなかった。
取り敢えず、この宿場町の町長に話を伺ってみることにした。アポイントを取ると、丁度明日都合がつく、との返答があった。
これはとても運が良い。明日は町長との面会だ。
役場を出ると、もう日が沈みかかろうとしていた。遠い山の向こうに太陽が身を隠そうとしており、辺り一帯が夕焼けの赤で染まっていく。山の濃い緑もこの瞬間だけは太陽の色に染め上げられる。
今日は移動予定日なので、調査予定日は明日からの2日間だ。良いスタートが切れていると思う。
『ジャセスの百足』の調査が始まろうとしている。
勿論、たった2日で何か決定的なものが掴めるとは思っていないし、何も収穫の無いまま英雄都市に戻る可能性の方が高い。
だが先行調査なんてそんなもんだし……何より温泉に浸かれるだけでここに来た価値があるってものだっ!
「温泉!」
「温泉!」
「温泉っ……!」
「……うちの女子陣はテンションがたけーな」
「あはは……」
僕とフィフィーは肩を組みながら、夕焼けの道を歩く。クラッグとリックさんは少し呆れたような顔で僕達の事を見ていた。
ちょっとした役得の混じる2日間の短い調査が始まろうとしていた。
……この時はまだ気付いてもいなかった。
『百足』の足音が影に紛れながら、ひたひたと、僕達に忍び寄っていたことを……。
作者……閃くっ……!
天啓……! 全く予定に入っていなかったが……温泉っ……! 温泉を入れなければならないという……天啓っ……!
本筋には全く関係無いけれど……温泉っ! 温泉を入れなければ嘘だという……奴隷的……強制力っ……!
次話『103話 温泉回』は3日後 8/17 19時に投稿予定です。




