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2:側近の腹筋が試される

側近の腹筋は試されている



 ジュリアス・ザントがその話を聞いた時の感想は「この女、馬鹿じゃないのか」だった。

 横目で窺い見てみれば、ジュリアスの主であるエリックも心なしか口元が引き攣っている。笑えばいいのか怒ればいいのか自分でもわからなくなっているのだろう。無理もない。他の側近たちも似たり寄ったりだ。


 ジュリアスたちの葛藤も知らず、レナリアは力説している。


「見るからにアホの子の媚び媚びにバカップル全開なら、令嬢のみなさまも呆れてなにも言えなくなります!」

「ああ、そうだろうな」


 ジュリアスもなんと言ったらいいのかわからない。


「加えて今までにいなかったタイプの女です。アイリーン様もいくらなんでもこんな女に負けてたまるかと思ってくれるかもしれません」

「待て。それでは『こんな女』に引っかかった殿下はどうなるのだ」


 ジュリアスのもっともな抗議にレナリアはふふんと笑った。


「そこは『毛色の変わった女だな。なかなか面白い』ですよ」


 ドヤ顔で言いきられた。


「そもそも殿下はすでに浮気を繰り返す節操なしと学院に知れ渡っているのです。女コレクションみたいなものですわ」


 女の冷静な分析って怖い。ジュリアスは不敬罪ぎりぎりアウトな発言を言い切るレナリアに感心した。


 女が女社会でルール違反をすれば生きていけなくなることを、レナリアはよく理解していた。彼女の言い分はおおむね自分の保身だが、身の程をよくわきまえている。本当にエリックの寵愛を望んだり、そうなるような強かな女であれば、令嬢たちはレナリアを敵とみなして排除しようと攻撃を開始する。女の団結力を舐めてはいけない。


 しかし逆に手のつけようがないほどのアホであれば、放っておけば自滅すると無視一択だ。いや、もしかしたらあんまりな言動にレナリアが処刑されるんじゃないか、と心配してくれるかもしれない。学院の令嬢は育ちが良いから、見ていられないと忠告してくれる可能性もある。


 もしかしてこいつ馬鹿に見せかけて計算高いのではとジュリアスは疑ったが、頭が良ければそもそもこんな計画を立てないだろうと否定した。保身うんぬんはともかく、レナリアの評判は極めて悪くなる。


 エリックがあて馬に選ぶだけあって顔は可愛いし、胸はなく手足も細いががりがりというわけでもなかった。女官志望で立ち居振る舞いはしっかりしている。それだけに、中身が非常に残念だった。


 レナリアが下がるとエリックがなにも言わずにため息を吐いていた。


「……殿下、本当に彼女を採用しても良かったのですか?」

「女官としてか? あて馬としてか?」

「両方です」


 エリックは半眼でジュリアスを睨んだ。他の側近たちも不安が拭えないのか、黙ってエリックの返答を待っている。


「女官になれば、あれは真面目に働くだろう。根が善良だし高位貴族の誘いに乗ることはまずあるまい。上に報告し、指示を仰ぐ分別はありそうだ。だからこそ、あて馬になってもよほどのことがない限り酷いことにはならんだろう」


 なるほど。ジュリアスはうなずいた。レナリアはまぎれもなく善人だ。悪だくみをしたところでうっかり失敗し、巻き返しを図っても思いもかけない方向へすっ飛んでいきそうな危なっかしさがある。


 はたで見ていれば笑っていられるが、仲間になったら苦労が絶えない。そういうタイプだ。


「良かれと思って余計なことをしでかしそうではありますな。殿下、念の為彼女にアイリーン様と接触するなと言っておいたほうがよろしいかと」

「……そうだな」


 エリックは力なく同意した。


 ジュリアス・ザントは宰相の嫡男である。母は数多くいた父の愛人の一人だったが、王妃と同時期にジュリアスを生んだことで妻として迎え入れられた。父が欲しかったのは王太子の側近という操り人形だった。


 父の望みは宰相位をジュリアスが継ぐことである。宰相は世襲制ではなく、議会と国王の承認が必要だった。王太子の側近として、今から貴族を味方にしておこうというわけだ。


 ジュリアスは父の期待通りの優秀さを発揮した。貴族ではなかったが、貴族以上の富と栄誉がザント家に集中している。ジュリアスは最高の家庭教師と友人を得て、エリックの側近となった。


 そんなジュリアスの前に立ちはだかったのが、セイリオス・ドゥーシャスである。


 五歳の歳の差があるとはいえ、エリックの側近にして宰相の嫡男であるジュリアスを差し置いて次代の宰相と言われていたセイリオスは目の上のたんこぶだった。彼の存在はジュリアスの立場を常に脅かしていた。


 実際に会ってみればその思いはさらに募った。セイリオスこそ生まれながらの貴族。なんの努力もせずに自然と周囲が頭を下げ、敬愛の眼差しで彼を見る。貴族の傲慢な冷徹さを微笑みと弁舌で包み、人が好意を抱かずにはいられない雰囲気を醸し出していた。


 おまけにセイリオスにはうつくしい婚約者までいた。政略結婚が当然の貴族でありながら、相思相愛の恋人同士という、非の打ち所がない婚約だった。親の七光りと陰で囁かれているジュリアスの自尊心は傷つけられ、劣等感が肥大した。


 だから、エリックにセイリオスの婚約者に恋をしたと相談された時、ジュリアスは驚いてみせつつも内心で喜んだのだ。これであのセイリオスの鼻を明かせてやれる、と。


 なのにアイリーンは、セイリオスがいなくなってもエリックを拒絶した。彼女の心にはセイリオスが居座り、ジュリアスの主の邪魔をしている。微笑み一つ、エリックに与えてはくれなかった。


 レナリアという娘がどこまでやれるか未知数だが、どうか上手くいってくれ。ジュリアスは天に祈る気持ちになった。


 ◇


 作戦会議から一週間後、エリックはレナリアに会いに行くようになった。浮気相手ができるたびに女子舎に通っているので今さらである。今度の相手は誰なのか、女生徒たちは好奇心丸出しで囁きあった。あわよくば、と擦り寄ってくる者もいた。


「レナリア」


 レナリアの教室に行くと、友人と談笑していた彼女がぱっと振り返った。ジュリアスは腹筋に力を入れる。


 レナリアのアホの子作戦発動である。


「あっ、エリック様ぁ。レナリア会いたかったですぅ~」


 打ち合わせをした時とは口調も声色も違っている。レナリアの中のぶりっ子とはこういったものらしい。参考文献が知りたいとジュリアスは思った。

 貴族令嬢にあるまじき小走りで机の間を潜り抜け、きゃっと体をくねらせた。


「ああ、私もだ。君のいない教室はつまらなくて、足が急いてしまったよ」


 頑張れ殿下。ジュリアスの励ましを知ってか知らずかレナリアの頬を両手で包み込んだエリックは、そっと髪にキスを落とした。


「やだぁ、もう。エリック様ったらぁ」


 わ・た・し・も。つん、とエリックの胸を指先で突き、レナリアはその場で一回転した。いちいち動作が大げさである。


 ぐふっ、と隣で吹きだす声がした。ジュリアスの隣にいたクロードが両手で口を押さえている。マルティンは直立不動で頬の内側を噛んで笑いを堪え、シュテファンは目を反らしつつ腹を抓っている。


「私の心が飛び立って、君の耳に小鳥のように愛の囀りを届けられればいいのに。そうしたらいつも一緒にいられる」

「エリック様ったら、もう、甘えん坊さんなんですからぁ」


 さらさらと髪を撫でるエリックの肩にとん、と頭を乗せたレナリアの顔が一瞬真顔になった。見てしまった教室の生徒が崩れ落ちる。


「今日もお昼一緒に食べてくれますよねぇ?」


 気を取り直したレナリアがきゅるん、という目でエリックを覗き込む。一瞬ぎくっと肩を揺らしたエリックは、申し訳なさそうに目を反らした。


「ああ……すまないレナリア。今日は昼休みに生徒会室に行かなくてはならないんだ」


 ここ数日レナリアと昼を一緒にとっているが、笑いを堪えるのが大変でまともに食べていられないのだ。成長期の男子に昼飯抜きはつらい。エリックは心苦しそうな顔を作って謝罪しつつ、勘弁してくれと訴えた。


「えぇ~? ひどいですぅエリック様……。それならレナリアも一緒に生徒会室に行きたいです」

「えっ」


 素が出そうになったエリックの前にすかさずジュリアスが進み出た。


「レナリア、殿下は前生徒会長として、卒業パーティの最終調整を頼まれているんだ。遠慮してくれないか」

「でもぉ、卒業パーティはエリック様が主役なのに、いつまでもお手を煩わせるなんて。レナリアが一緒に行って、ぷんぷん! ってしてあげます!」


 ぷくっと頬を膨らませて両手で拳を握り頬に当てる。怒ってますのポーズなのだろうがリスがドングリを齧っているようにしか見えなかった。わざとらしい舌足らずな口調のわりに目は真剣で、話があると言っている。


「いや、だが……」


 生徒会室にはエリックの浮気相手を連れ込んだことがなかった。レナリアだけとなれば、彼女が特別だと勘違いされてしまいそうである。


「ね? エリック様、レナリアとお仕事、どっちが大事?」


 ここでレナリアは必殺『どっちが大事なの!?』を出してきた。言える答えがほぼ一択しかない、究極のカードである。


「それはもちろん君だよ」

「いやぁん。レナリア、嬉しい!」


 エリックの腕に抱きついたレナリアがそっと片手で胃を押さえているのを、ジュリアスは見た。


 ◇


 王立ボンヌ学院は、多くの王族が通っている。歴代の王太子もここの卒業生である。

 生徒会は成績と生徒からの推薦で選ばれる。王族がいれば生徒会役員、特に会長となるのが自然な流れだった。


 王太子ともなれば学業の合間に公務もある。そのため生徒会室には、公務のための執務室が隣接されていた。


 エリックが浮気相手を生徒会室に連れ込まない理由は完全な個室だからだ。側近と意見が交わせるよう大きなソファまである。実にお誂え向きなことに、人一人が横になれるほど大きなやつだ。


 そこに女を連れ込もうものならよろしくやっていると勘ぐられ、その日のうちにいかがわしい尾鰭と根も葉もない背鰭がついて学院中を飛び交うだろう。不純異性交遊は停学ものの不祥事である。エリックはそのあたりをわきまえていた。


「アイリーン様、手強すぎません……?」


 そんな危険を冒してまで入室させたレナリアは、ソファに座るなりそう言った。組んだ両手に額を置き、さっきまでのアホの子が嘘のように重く暗い雰囲気だ。


「なにを今さら。わかりきったことだろう」


 言ってて悲しくなったのか、ジュリアスも額に手を置いた。


「一応探りっぽいことはされたんですけど、私があまりにもアレだったせいか「ない」と思われたようで、以後スルーです」


 アイリーン派の令嬢が難癖という名の探りを入れに来たのだが、どう見てもアホの子のレナリアにまともに会話が成立せず、首をかしげながら帰っていった。浮気相手を見極めるどころか人類かどうかも怪しいレナリアにさぞかし混乱したのだろう。同じ言語を話しているはずなのに会話にならないのは恐怖である。ジュリアスは令嬢にそっと手を合わせた。


「殿下をどう思っているのか尋ねられたので、とりあえず持ち上げておきました」


 ただ、とレナリアが首をかしげる。


「それがアイリーン様のお耳に入ったかどうかはわかりかねます」

「アイリーン様はその場にいなかったのか?」

「アイリーン様ほどの令嬢が、木っ端貴族の娘を気に留めるとでも? あれは派閥貴族の令嬢が、排除するか放置かの判断に来たのでしょう」


 案外よく見ているし、自分の立場をよくわかっている。


 アイリーン派の貴族令嬢とは、セイリオスのドゥーシャス公爵家と繋がりがある者たちだ。セイリオスを待つアイリーンの純愛を応援しつつ、家の意向も含んでいる。少女の純情と令嬢の事情が複雑に絡み合った乙女心だ。


「思うに、アイリーン様はセイリオス様を諦めきれないんですよ」

「だから、今さら……」


 わかりきったことだとジュリアスが言うのをレナリアが遮った。


「いえ、そうではなく……。セイリオス様の手がかりもなにもないからこそ、諦めきれないんじゃないかと思うんです」

「…………」

「巷で言われるような駆け落ちだったり、公爵家に恨みのある者の誘拐だったり、はたまた不慮の事故でも、なにかしらの形跡がないのはおかしいですよ。まるで妖精に攫われてしまったかのようです」


 レナリアなりにアイリーンの気持ちを推測してみたのだ。もしも大事な人が突如として消えて、しかもなんの手がかりもなく生死すらわからなくなったら。それはどんなにか辛いだろう。なんでもいい、生きていて欲しい。どこか遠いところででも、会えなくても、せめて生きていてさえくれたらそれでいい。そんな思いが諦めきれなくなる。


「生きているって希望が捨てられない。だから恋を諦めることもできなんじゃないかって思うんです。アイリーン様の心には、今も恋人であるセイリオス様がいるんですよ」

「しかし……三年も経っているのだぞ。なんの音沙汰もなく、三年間も音信不通の相手を……?」

「問題はそこじゃありません」


 レナリアがきっとエリックを見据えた。


「殿下。アイリーン様と婚約する前に、セイリオス様の捜索に加わりましたか?」

「兵は出したはずだ」


 公爵家の総領息子が行方不明になったのだ。警察はもちろんドゥーシャス公爵家、シクルシス伯爵家が懸命に捜索した。王家からも兵が派遣された。一個人の捜索に国を挙げてというわけにもいかず、形ばかりだ。


 そうではない、とレナリアが首を振る。


「殿下ご自身がアイリーン様と共に捜索に参加していたか、という話です」

「なぜ私が」


 憎い恋敵を捜さなければならないのだ。不愉快そうなエリックに、レナリアはあーあ、とまた首を振った。


「フリでもセイリオス様を心配して、アイリーン様を慰めておけば良かったんですよ。そうすれば、セイリオス様を思い出にできたかもしれないのに。殿下のことですからどうせ嫉妬してセイリオス様の話を聞かなかったんでしょう」

「ぐぬぅ……」


 図星のエリックに、レナリアはさらに残念そうな目を向けた。


「手がかりもなく、思い出も語れない。これじゃあ忘れられませんよ。というか、殿下のお気持ちが伝わっても、アイリーン様が受け入れるきっかけがないんです」

「きっかけ?」

「セイリオス様を捜すアイリーン様を傍で支えていれば、そこから愛を育んだのだと世間も納得できます。セイリオス様とアイリーン様の仲睦まじさは有名でしたからね。婚約者が失踪したからはい次、じゃアイリーン様のイメージが壊れちゃいますよ。悲しみに暮れる少女を近くで慰め、励ましていた男が次の恋になるのは小説でも現実でもお決まりのパターンです」


 ありきたりでわかりやすいからこそ、セイリオスの家族も友人も新たな恋に生きるアイリーンを非難できない。セイリオスがのこのこ出てきても、それこそなにを今さら、だ。


 しかし現実にエリックがやったことといえば、必死に恋人を探すアイリーンを横目にそ知らぬふりをして、一年経ったのだからほとぼりも冷めただろうといわんばかりの婚約だ。やっとできたばかりのかさぶたを強引に引っぺがし、そこを消毒と称して舐め回されたようなものである。痛いし、キモイ。


「……そこは傷口に塩ではないのか」

「捜索打ち切りで葬式勝手にやったのなら塩ですけど。婚約でしょう? 「こいつ下心かよ」ってなりますよ、絶対」


 恋が芽生える要素がどこにもない。それどころか積極的に除草剤を撒きにきている。過去の行動をレナリアの女子視点で振り返らされたエリックは、あまりの酷さに蒼ざめた。


「……卒業後に結婚式ですし、セイリオスの葬式やりますか? せめて後顧の憂いを失くす名目で」

「ジュリアス様、今やったら確実にアイリーン様の気持ちを逆撫でしますよ」


 八方ふさがりだ。結局この女はなにをしに生徒会室にやってきたのだ。まさか、エリックとのふしだらな噂をでっちあげて取り入るつもりか。

 胡乱な目で睨むジュリアスなど気にも留めず、レナリアはエリックに言い募る。


「生徒会室に浮気相手連れ込んで、昼休み中籠っていたとなれば、アホの子相手でもアイリーン様のお耳に入るでしょう。きっと自ら確認しようとするはずです」


 今までは最低限、一線を守っていた。アイリーンは静観していれば良かった。

 だが、もしもレナリアを手付きにしたとなれば、いくらなんでも冷静ではいられないはずだ。


「殿下はずっとセイリオス様のことで悩んでいた、ということにしましょう。アイリーン様を想うがゆえに、セイリオス様とはきちんと決着をつけたかった。しかしセイリオス様はいらっしゃらない。アイリーン様を泣かせた男であるが、彼が消えてから彼女は笑顔を忘れてしまった。はたしてこのまま結婚して、アイリーン様は幸せになれるのか……、と」

「……浮気しておいて都合が良すぎないか」

「苦悩からの逃避ですよ。一時いっときの慰めに逃げてもやはり愛しているのは君だけだ。なにがあろうとアイリーン様のところに戻る、というのが胆です」

「なるほど。セイリオスとは違って帰ってくる、ということを伝えるのだな」


 浮気なんて男にありがちな弱さだと周囲もアイリーンに許すよう諭すだろう。なにしろエリックの父親であり国王でもある人が次から次へと側室を作っている。あんな父の背中を見てたらエリックも右に倣うのはむしろ当然だ。

 そして、セイリオスとは違い、エリックはアイリーンのところに帰ってくるのを教えこめばいい。


「そうですそれです! ただ納得してもらうには、殿下と親しいジュリアス様たちでは逆効果になりかねません。今までの浮気相手の子か、女子生徒に頼んだほうがいいでしょうね」

「私たちが一番殿下を知っているのに?」

「男だからですよ。男の浮気を男に許容しろと言われても腹立つだけです」


 私だって殿下の本心をあらかじめ聞いていなければ、ふざけんなこのスケコマシで許せません。嫌悪感丸出しのレナリアに、聞いているジュリアスのほうがひやひやする。王太子殿下を前に、たいした遠慮のなさだ。


「……ふむ」


 こうまではっきり最低男と言われたことのなかったエリックは、眉間に皺を寄せて耐えている。少しは良い薬になったのかもしれない。


 レナリアの言にも一理ある。たしかにセイリオスが失踪した三年前にそういう流れを作っておけば、今日こんにちまで悩むことはなかっただろう。自分のことしか考えず、アイリーンの気持ちを思いやれなかったことがすべてのはじまりだ。


 ようするにそれはエリックは長期的戦略を立てる能力がなく、ジュリアスたち側近にもそれをカバーできるだけの才能がないことが露呈したわけだが、まだなんとかなるはずだ。新たな人材、レナリアは女ならではの視点でエリックの曇りを晴らしてくれる。なかなかどうして頼もしいではないか。


「殿下、ひとまずセイリオス様を捜索しましょう。手がかりの一つも見つかればラッキーですが、見つからなくてもかまいません。殿下が探すということが大切なんです」


 むしろ今だからこそセイリオスを捜す姿勢を見せるのだ。エリックだってセイリオスを忘れたわけじゃない、むしろ決着をつけ、堂々とアイリーンへの愛を叫びたいことを示す。


「そうですな。殿下、ここは男を見せましょう」

「あ、そっくりさんを連れてくるとか、手紙の捏造は止めてくださいね。公爵家の財産目当てかと疑われて徹底的に捜査されます」


 謝礼金目当ての捏造は三年前にもあったのだ。相手は公爵家、真偽を明らかにした上で詐欺だと判断された者には容赦なかった。

 まさにいざとなったら捏造でもすればいいと思っていたジュリアスは言葉を詰まらせた。多少曖昧でも三年も前のことならどうとでもなると考えていたのだ。

 ジト目を向けるレナリアから顔を反らし、ジュリアスはコホンと咳ばらいをした。


「そ、その間に殿下はアイリーン様の心を解きほぐしてください。王太子が探しても見つからなかった、あるいは――セイリオスが死んだ証拠が見つかったが、アイリーン様にどう伝えればいいのか悩んでいる。そう演技してください」

「セイリオスを忘れさせたほうが早い」


 むすっとしたエリックは、理屈はわかっても感情が納得できないらしい。そういう性格だからアイリーンにも素直になれないのだろう。


「やだ……。殿下の心、狭すぎ……?」


 うっそーとでも言いたげに、レナリアが大げさに目を剥いた。

 もはや遠慮もへったくれもない。先程からずけずけとまったく容赦なくエリックの心を抉ってくるレナリアに、ジュリアスも乗ることにした。


「殿下、そう言ってなにもしなかった結果が今です。現実をご覧ください」

「そうですよ。それに、アイリーン様だってきっかけが必要です」

「きっかけ?」

「はい。アイリーン様も殿下に愛されているのは薄々勘付いていると思います。ただ受け入れられないだけで。微笑みをなくすほどセイリオス様を忘れられないアイリーン様に苛立って、浮気を繰り返しているのだ、と」


 そしてたぶんそんな男の妻にさせられるのかと絶望しかけているのだろうな、とレナリアは思った。アイリーンには、エリックを正しく導いてやるだけの情も、彼の想いに応えるだけの愛もないのだ。ただひたすらに心を殺して時が過ぎるのを待っている。セイリオスの許へ行く日を。


「わかっていても浮気されたんじゃあ女のプライドが傷つきます。アイリーン様が許す口実が必要なんですよ」


 レナリアはアイリーンがエリックを許し、受け入れることを前提にしている。


 許すしかないのが現状だ。エリックとアイリーンの結婚式は、もう半年後に迫っている。このまま互いに意地を張って、人生最高の日を最悪の気分で迎えたくはないだろう。


 レナリア自身は結婚は弟と妹たちの先行きが安定してからだと、ようするに無理だと諦めているが、政略結婚することになっても相互理解のための努力はするべきだと思っている。少なくとも自分を知ってもらいたいし、相手のことも知りたいと思う。一方通行ではあまりにも哀しすぎた。


「……もちろん今すぐに解決なんかできません。でも、もっと齢を取った時に「あの頃は若かったね」と笑いあえたら、それでいいじゃないですか」


 ジュリアスは密かに感心した。

 エリックが折れることで、アイリーンが歩み寄りやすくなるとレナリアは言っているのだ。ジュリアスたちはどうしてもエリックのためにと考えて行動してしまう。しかしレナリアは、エリックの浮気相手(あて馬)として雇われた部外者だ。第三者の視点とはこうも違うものなのか、と唸るような気持ちになった。


「……わかった」


 いかにも不承不承うなずいたエリックに、レナリアは弟を見る目で微笑みかけた。すっく、とソファから立ち上がる。


「よっし! それじゃあ私はアイリーン様を煽ってきますね!」


 さっきまでのシリアスを返してほしい。ジュリアスは上がったはずの評価を修正した。


「待て。アイリーンになにをする気だ」

「ご本人に直撃はしないですよ? アイリーン様のご友人とか、私が次になにをしでかすのか気にしている人たちがいますので、ちょっとからかうだけです」


 生徒会室に押しかけたのは良いネタになる。笑いが喉元まで出かかって、ジュリアスは咳きこんだ。マルティンはテーブルに突っ伏し、シュテファンは口元を押さえ、クロードなど黙って震えながら腹を抱えている。


「しでかしている自覚はあったのだな」


 すん、とレナリアが表情を消した。


「あのですね、ジュリアス様。いくら私でも気合い入れないとあのアホの子ぶりっ子になりきるのきついんです……」


 あまりにも切実な物言いに、ジュリアスの肩は笑いの発作で震えだした。


「そ、そうか。うん、そうだろうとも。あれは素ではないな、わかっている」

「そうですよ! この歳になって自分のこと名前で呼ぶ女って……! もはや痛いを通り越して不気味。未知の生命体です!」


 しかしそのキャラを作ったのはレナリア本人である。ブーメランがスピンしながら返ってきたようなものだ。

 あくまでも演技だと主張するレナリアに、とうとう耐え切れずにジュリアスは吹き出したのだった。




レナリアは真剣にアホの子やってます。

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