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恋の花は荒れ地に咲いて

レナリアとジュリアス、恋のはじまり。

エリックたちも頑張ってます。



 王宮女官といっても、乳母ナニィ子守り(ナース)でもない限り、王宮で暮らすということはない。


 元より王宮で働く者は、貴族子弟の行儀見習いであったり、つまりは仕えるのではなく仕えられる側であったものがほとんどなのだ。王宮の多岐にわたるこまごまとした仕事はすべて当番制で、誰にでもできる家事を交代でやっている。王に水を出す係でさえそうなのだから不経済の極みだった。


 無事に王宮女官になったレナリアの職場は王太子宮紅茶係。そう、エリック付きのメイドであった。


 学院を卒業してもエリックから離れられないとは。新人女官、それも下位貴族の令嬢は下働きからはじめるものであった。上司にあたる女官に分不相応ではないかと問い質してみれば、にこやかにこう答えられた。


「あなたは殿下に信頼されているし、一回やったことがあるから実績として充分でしょう」


 アイリーンに贈るドレスの相談を受けた時のことだ。あの時はスパイらしき仕立て屋と聞き耳を立てているメイドがいたので、話がきな臭くなる前に人払いしてもらった。


 たしかにレナリアがお茶を淹れる流れになったが、まさかこんなことになるとは思わなかった。


 エリックの口に入るものはすべて毒味係を経由して安全を確かめてからになる。紅茶も茶葉と水、カップを調べてから淹れるが、その直前、紅茶係がなにか細工する危険もあった。紅茶係に採用されることは、信頼の証なのである。


 これにはレナリアもぐぬっと呻いて黙り込むしかなかった。アイリーンとセイリオスの――正確にはシクルシス伯爵家とドゥーシャス公爵家の一件で、誰よりもエリックの味方になり、親身になって動いたのは他ならぬレナリアである。


「そういうわけだ。これからよろしくな、レナリア!」

「……はい、殿下」


 その笑顔、殴りたい。レナリアは心から思った。


 ◇


「レナリア」

「はい、殿下」


 レナリアの仕事はエリックが望んだ時に紅茶を淹れる、これだけだ。

 茶菓子を所望した時は毒味を経て係の者が用意する。基本的に「はい」というだけで会話らしい会話はなかった。


 そして時間になればレナリアは帰ってしまう。エリックがふと顔を上げてお茶を頼もうとしたらすでに次の紅茶係に代わっていた、ということが頻繁に起きた。


「雇用のため、というのはわかるが多すぎないか?」


 レナリアで気づいてしまうと王宮使用人の多さが気になった。多い、というか、仕事が細分化されすぎているのだ。


「たしかに。こちらが自分でできることすら使用人がやりますよね」


 王宮生まれ王宮育ちのエリックも、幼い頃から王宮に出入りしているジュリアスたちも、王宮とはこういうものだと思い込んでいた。慣れていたのだ。


「学院では自分のことは自分でやる、という教えでしたからね。……なんといいますか、ギャップがすごい」


 そう言うマルティンも、王都住まいなので寮生活は経験していなかった。それでもペンを落とせば自分で拾ったし、椅子は自分で引いた。なにからなにまで、まるで赤子の世話を焼くようにべったりとやってもらうことはなかったのだ。


「人が多すぎるせいか、待機しているだけの者もおります。あれは無駄でしょう」

「なにもしない、というのも逆に疲れそうですね」


 シュテファンの意見にクロードが気の毒そうにうなずいた。騎士団に所属したクロードは訓練後にエリックの側に侍っている。エリックの護衛官としてではなく、気心の知れた友人としてだ。


「レナリアとは話をされましたか?」


 ジュリアスが訊ねた。エリックは首を振って、残念だとため息を吐く。


「いや。なにか聞こうとしても「それはわたくしの職務から外れます」と言うだけだ」


 事実そうなのだから仕方がない。職分を超えた行為をすれば、たちまち目を付けられるだろう。エリックがかまわないと言っても他の貴族がかまうのだ。そしてレナリアは、王都の貴族に目を付けられることも、気に入られることも望んでいなかった。


 学院での関係がどれほど自由で貴重だったのか、彼らは実感していた。


「……城外でレナリアと会ってみましょう。友人としてなら話をしてくれるかもしれません」

「頼む。レナリアに限ってないとは思うが、どこかの貴族に彼女を取り込まれたくない」

「はい」


 レナリアが紅茶係になったのはエリックと側近の推薦だ。せめてもの感謝と友情に報いたつもりだった。嫌がられないだろうと思っていたのだが、レナリアは一足飛びの大役に迷惑そうな顔をしていた。


「レナリアが王宮の夜会に参加してくれれば話が早いのだがな」

「無理でしょう。社交に出るより働いているほうが好きですよ、あれは」


 王宮で開催する夜会には招待状がなくても参加できる。ただし、資格があるのは高位貴族か主催者に認められた者だけだ。王の側室たちは自分の権勢を示そうと日ごとに夜会を開催している。子供たちに良い結婚相手をという思惑も十分に含まれているのはいうまでもない。そこにいる顔ぶれで誰がどこと繋がっているのかわかるのだから、社交というのはあなどれない。もちろん一番人気は王妃だ。


 そういえば、女官仕事が終わってからレナリアはどこでなにをしているのだろう。ふとジュリアスは疑問に思った。王宮女官の給料はそこそこだ。遊びにでも行っているのかもしれない。あれでレナリアも年頃の少女なのだ。


 勤務時間が終わり、使用人用の門を出たレナリアを捕まえたジュリアスに、彼女は冷たい目を向けた。


「仕事をしているに決まっています」


 なに言ってんだこいつ、と言わんばかりである。思いがけない返事にジュリアスはたじろいだ。


「仕事? 女官勤務の後にも?」

「はい。別に私だけではありません。みんなそうですよ」


 レナリアは手にバスケットを持っていた。上に布が被せられ、中身は見えない。

 ジュリアスが馬車で送るというのを断って、レナリアはさっさと歩きだした。ジュリアスが慌てて追いかける。


「……たしかにお給料は良いですけど、あんな短時間ではとても足りませんから。食費は節約できますけど、宿泊費が高いんです」


 そう言ってバスケットを少し持ち上げる。どうやら中身は料理のようだ。しかし、王宮の厨房で作ってきたのだろうか? ジュリアスが疑問に思ったのを見たレナリアが苦笑した。


「残り物を買うんです。王族のみなさまはほとんど残されますから。料理人はそれを商売にしていますよ」

「は?」


 つまりそれは、残飯ではないか。呆気にとられるジュリアスに苦笑が深くなった。


 ジュリアスは当然『食べる側』の人間である。大きなテーブルに並べられた、とうてい食べきれない数の料理を、その日の気分で選んで食べる。王宮だけではなく家でもそうだ。手を付けられなかった料理がどうなるか、知る由もなかった。


 王宮の食費は決められているものの、年々増える王の子供にあってないようなものだった。そうなれば料理人は食べきれない料理を作り、余ったものを横流しするようになる。アルバイト感覚だが公金横領だ。自覚はないのだろう。なにしろ長年続いたことで、誰からも止められていないのだ。


「私の住んでいるホテルにキッチンはありませんし、外食するより美味しくて安いんです。みんな利用してますよ」


 レナリアも働き始めて知った王宮の実態に驚いたが、よくできたシステムだとありがたく利用している。なにしろ王族に出されるものだから、調味料も肉もたっぷりなのだ。


 しかしジュリアスが気になったのはそこではない。


「ホテル住まい? どういうことだ」

「知らないのも無理はないですけど……」


 毎日王宮に通い、エリックの側近という立場のジュリアスでさえこれだ。レナリアのそっけない態度はただ仕事中だからではなかった。


「とりあえず、ホテルまで着いてこられても困るので、ちょっと待っててください」


 そう言ってレナリアが入っていったのは古びたホテルだった。たしかにこれでは、いかにも高位貴族といった姿のジュリアスは浮いてしまう。貴族でこそないが宰相の息子だとばれたら醜聞を書きたてられそうだ。


 こんなところにレナリアが、と周囲を見回して気づく。レナリアだけではない、王宮に勤めているらしき顔がちらほらあった。所作に品があり、身分卑しからずといった者が男女問わずいる。しかし、どうにも貧しさが拭いきれていなかった。チラチラとジュリアスを見て、彼を知っている者は頭を下げて通りすぎ、知らない者は舌打ちでもしそうに顔を顰めていた。


「ジュリアス様、こちらです」


 多少ましな服に着替えたレナリアが案内したのは、いかにも安っぽい喫茶店だった。


「こんにちはー」

「いらっしゃいレナリアちゃん! おや、男連れかい?」


 顔馴染みらしい女性店員がからかってくる。恋人いいひと?と聞かれたジュリアスは気恥ずかしくなった。


「やだなぁ、そんなんじゃありませんよ。学院の友人です」

「そうなの? イイ男じゃないの、しっかりね!」

「もう! 違うってば!」


 からからと笑う店員にレナリアは友人を強調する。そんな目で見られていないことは知っているが、そこまで否定しなくても。ジュリアスはこっそりへこんだ。


 紅茶とお茶請けが来たところで、レナリアが仕切り直した。


「驚きました?」


 ジュリアスがうなずいた。


「ホテル暮らしとはどういうことだ? それに王宮の残飯を販売しているだと?」


 紅茶で口内を湿らせて、レナリアが答えた。


「王宮には使用人寮がないので、部屋アパートを借りられない人はホテル暮らしなんです。だいたいの部屋にはすでに住人がいて、開いてる部屋があっても遠いか高いかでとても借りられないんです」


 王宮には住み込みメイドなどいないのだ。寮もない。ジュリアスは王宮に泊まりこむことがあるが、客室を用意されていた。


 王宮女官のほとんどは王都に実家があるか、部屋を借りるかになる。そして部屋は先住人がおり、退職などがない限り空くことはなかった。


 では、あぶれた者がどうするかというと、ホテルで一夜を過ごすのだ。これを見越して王都には王宮使用人専用といっていいホテルが連立されている。


 それもこれも、王宮で雇用されている使用人が多すぎるせいだった。細分化されすぎた仕事が限定され、他人の仕事を手伝うことなど許されなかった。


「私の労働時間は朝の九時から昼の三時までですもの。一日のホテル代と食費を残して、あとは仕送りしていたら貯金もお小遣いもありません」


 レナリアだけではない、ほとんどの者がそうなのだ。

 はじめて聞く王宮使用人の実情にジュリアスは絶句した。


「料理人なんてすごいですよ。メイン係、前菜係、スープ係、デザート係、ぜんぶ決まっています。お皿に盛りつける係の人もいましたね。紅茶係もそうですけど、潰しがきかなくて再就職苦労しそう」


 それでも若い娘なら結婚退職という道がある。女官の入れ替わりは激しくても、男の場合は結婚もできずにくすぶっている者も多いという。


「だ、だが、わざと多く作って残りを売るのは駄目だろう」

「私もびっくりしましたけど、長く続いている伝統、だそうです」

「……いや、横領になるぞ」

「王家から使用人へのほどこしだって言ってましたよ?」


 ほどこしなら金はとらない。ほどこしという名目で続けていくうちに、そういうものだと定着してしまったのだろう。事実レナリアのように助かっている者がいるのだ。ジュリアスは頭が痛くなってきた。


「……それで、王宮から帰っても仕事か」

「はい。マダム・フランザの店で針仕事もらってます」


 マダム・フランザは王室御用達の仕立て屋だ。王子も王女も側室も多い王家の御用達となれば人手はいくらあっても足りない。レナリアも先輩女官に紹介されたのだという。


 王宮での噂があっという間に広がるわけである。針仕事の間、女同士でおしゃべりが弾むのだろう。


「王宮ってもっと華やかなところだと思ってましたけど、せちがらいですよねえ」


 レナリアのしみじみとした声が、痛かった。


 ◇


 王宮使用人の総数をエリックの命で調べたところ、四千人を超えていた。


「……四千人?」


 嘘だろう、とばかりにエリックが唖然とした。多いとは思っていたが、まさかの四千だ。


「ちなみに王都の人口はおよそ一万人弱です」

「…………」


 今度はエリックのみならず、マルティン、シュテファン、クロードも絶句した。


「近衛騎士団は十五人で一組、三組が一隊となり、交代で勤務にあたっております」


 クロードが呆然としながら指を折って数えている。一口に近衛騎士団といっても第一軍、第二軍、第三軍とある。


「騎士より使用人のほうが多いのか? だいたいそんなにいて、仕事はなにをしている?」

「紅茶係だけでも朝・昼・夜・深夜と四人いますな」

「深夜? そんな夜中に紅茶を頼んだことなどないぞ?」


 調べたジュリアスは疲れた口調だった。


「たとえ頼まなくても、頼むかもしれないからいるのです。備えですね」


 エリックの側近として仕事を手伝っているジュリアスも、何度か夜中まで仕事が立て込んだことがあった。それでも深夜に紅茶を頼むのは気が引けて我慢した。その前にあらかじめ軽食と水の用意をさせていたものだ。


「その、深夜勤務の人はちゃんと起きているんでしょうか? レナリアを見ていると他の仕事を手伝うことはなさそうですが……」


 シュテファンが堪らずに言った。そんな深夜にいつ呼ばれるともしれない合図を待っているなんて酷すぎる。


 エリックが就寝していれば、紅茶係がいるのは控えの間だろう。護衛はいても話声でエリックの睡眠を妨げるわけにはいかず、ひたすら無言の時間が続くのだ。


「起きている……ことになっている」

「やはりか」

「深夜勤務を続けていたら体を壊します。建前上、そうなっているのでしょう」


 夜間の護衛にあたることもあるクロードがうなずいた。エリックもうなずく。


「深夜帯の者は別の仕事を割り振れないか、アントンに諮ってみよう」


 四千人を越える王宮使用人の名簿をぱらぱらめくったエリックは強い口調で言った。エリックが存在すら知らなかった仕事も多く、あきらかに過剰だった。


 ただでさえ国庫は乏しいのだ。まずは自分の周囲から、とエリックは決意を新たにした。


 しかし、事はそう簡単ではなかった。


「では、殿下。解雇された者たちの次の職はどうなさいます?」


 アントンにそう切り替えされたエリックは言葉を詰まらせた。


「殿下のご指摘の通り、王宮は過剰ともいえる使用人を抱えております。その者たちを一斉に解雇となれば、王都はたちまち大混乱に陥りますぞ」

「…………」


 仕事を解雇されれば稼ぎがなくなる。宿泊費がなくなればホテルを叩きだされる。ホテルも宿泊客がいなくなる。周辺の外食産業は軒並み壊滅し、職にあぶれた者たちが道を踏み外すのは目に見えている。当然彼らの恨みは王家、とりわけにエリックに向かうだろう。


 それだけではない。王宮で働く者は、汚物処理係でさえ貴族なのだ。当主になれない次男三男、結婚前の娘たちである。彼らの本家となる貴族がなにを言ってくるか、想像しただけで気が重くなった。


「具体案を出してください。雇用を生むのも王家の勤めですぞ」


 しょせんは小童の浅知恵よ。アントンに嗤われたエリックは唇を噛んだ。どう考えてもアントンに理がある。退くしかなかった。


 ◇


「――……王宮雇用の問題は、今にはじまったことではないようです」


 苦々しくそう言ったのはマルティンだ。


 アントンに一蹴されたエリックが悩んでいるのを見て、もっと深く調査した。彼の家は侯爵家だ、関係資料が家にあった。


「我が家に連なるものだけでも百人近くが働いています。王都ができ、王宮が大きくなるにつれ、使用人の数も増えていきました」

「それはわかっている」


 エリックがふてくされたように言った。マルティンが目を伏せた。


「王に伺候する貴族、側室たちが王宮での味方を増やすために系列の者を送り込み、それが苛烈していったのでしょう」


 王宮は社交界と同じく勢力争いの場になったのである。王宮でどこに誰がなにをしていたか。それを知るには実際に見聞きしていた者に聞くのが一番正確だ。


 また、情報を改竄するにも都合が良かった。スパイ合戦のはじまりだ。エスカレートしていったのはむしろ当然の流れだった。


 エリックはついジュリアスに目を向けた。おそらく現時点でもっとも多くの口利きをしたのはザント家である。ジュリアスは肩身が狭くなった。


「王宮女官の中には王の目に留まり、一夜の供をして解雇された者もいたようです」


 シュテファンがため息を吐きだした。まさに、愛憎渦巻く宮廷模様だ。


 一夜だけなら解雇まではいかなかっただろう。おそらくその一夜がクリティカルヒットしたのだ。本当に王の子なのかは本人にしかわからない。だが王の手付きになった女官が妊娠したとなれば、王妃と側室は黙っていられない。その結果が解雇だ。


「安易に解雇はできんか……」

「相応の理由が必要になりますね」


 解雇するのなら仕事を、産業を寄こせと言ったアントンはまだやさしかった。下手をすれば痛くもない腹を探られることになっていただろう。


「深夜勤務の者は密偵の可能性があります。夜目に慣れ、忍び聞きには絶好の機会ですからな」


 ジュリアスの言葉にエリックはうなずいた。エリックにはともかく、アントンの周囲には常に人がいる。足の引っ張り合いをしているのだろう。誰が裏で糸を引いているのか、うんざりした口調だった。


 ◇


 ジュリアスが例の残飯販売所に行ってみると、それぞれの料理人が出店のように並んでいた。


「ジュリアス様?」


 ジュリアスを見つけたレナリアが目を丸くした。料理人たちは平然としている。集まっている者たちも、当然といった様子で買っていた。


「お仕事はいいんですか?」

「今は休憩だ」


 さぼりかよ、と咎めるレナリアに苦笑する。あいかわらず、素直な娘だ。


「あんまり話しかけられると、目を付けられるんですけど」

「迷惑か?」

「迷惑ですね」


 レナリアはきっぱりと言い放った。素直というより、ジュリアスたちへの遠慮はすでに売り切れているのだ。


「ここに来れば会えると思ってな。そういえばこの前は家族について聞きそびれたし。仕送りは大変だろう」

「まあ、そうですけど……」


 ジュリアスが家族を気づかったのが意外だったのか、レナリアの声がわずかに弾んだ。


「弟がボンヌ学院に入学して、ようやくホッと一息ついたところです。学院ならアルバイトがありますし、これからはましになるでしょう」


 レナリアたち三年生が卒業し、レナリアの弟たち新入生が入学した。入寮の費用や服、教科書、文具など、もろもろ物入りだったがそれもやっと終わり、少しだけ肩の荷が下りた気分だ。


 弟よりむしろ妹だ。男に比べて女はなにかと物入りである。生理がはじまればその用意が必要になり、胸や腰回りの体つきが変わってくる。そのたびにドレスは仕立て直しだ。どんなに金があっても足りなくなる。特に生理が問題で、気をつけていても血は流れ、尻に血の跡があれば絶対にばれる。思えばあの淑やかな淑女の作法はそのためなのでは、とさえ勘繰りたくなった。


 さすがにそんな女の子の事情まで暴露はしなかったが、妹が三人だ。金はあっても困らない。それでもジュリアスに見栄を張ったのは女の意地である。


「そうか……」


 ジュリアスはほっとした。彼はスティビー家の台所事情まで詳しくなかった。そして女の生理についても、知識程度にしかしらなかった。もっとも話されても困るだけだろう。


「しかし、子爵家の嫡男が校内アルバイトとは……。地方はそれほど厳しいのか?」

「そうですね。といっても私は家のことしか知りませんが、バイトしてる子は多かったですよ。男子生徒も普通にいました」


 ジュリアスがやるせなさそうに首を振った。彼が生まれた時、ザント家はすでに裕福で、ジュリアスは金に困ったことなど一度もない。貴族の、特に地方の下位貴族の現状がどれほどのものか、レナリアでようやく身近に感じたほどだ。


「スティビー子爵家はマルティンの、チャルディ侯爵領にあったな。特産品は、なにかあるのか?」

「特にないです。小麦が主産業の、よくある農家の取締役ですよ」


 棘のある口調だった。

 ジュリアスが目をやれば、レナリアは不機嫌そうに唇を尖らせている。


 誰が聞いているのかわからない場所で、余計なことを言わせるな、と言いたいのだ。特産品の製法がばれて真似されたら特産の付加価値が下がる。

 すまない、とジュリアスが頭を下げる。レナリアはしばらく睨みつけていたが、やがて表情を緩めた。


 場所を変え、ジュリアスに用意された部屋に移ると、レナリアが重い口を開いた。


「……マルティン様がご存知かどうかは知りませんが、父の案のいくつかはチャルディ家のものになっています」


 控えめな表現だったが、それはスティビー家の功績を横取りされた、ということだ。


「宰相様は研究分野の後押しをなさいましたが、成果が結局貴族のものになるのではやっていられないでしょうね。在野の研究者は表に出ないか、他国に移住するか……」


 ドゥーシャスに追従した者の中には、そんな鬱屈が溜まっていた者もいたのだろう。ジュリアスにも察することができた。アイリーンたちは本当に、良い国を造るべく独立したのだ。


「わかった。ありがとうレナリア」

「いえ……」


 レナリアは余計なことを言わないし、聞かない。王宮女官になってそろそろ一年。王宮の恐ろしさを肌身で感じ始めている。


「あの、ジュリアス様」

「なんだ?」

「疲れたら、休んでくださいね。殿下は時々ひどく疲れた顔をなさいます。王宮では気が抜けないのでしたら、側近のどなたかの家に遊びに行くとか」


 ジュリアスは目を丸くした。レナリアのことだから、てっきりもっとしっかりしろと叱られるかもしれないと思ったのだ。


「そうか。……そう見えるか?」

「はい。私も働いていますけど、ジュリエッタたちと遊びに行ったりもしますよ」


 学院を卒業したエリックは正式に王太子としての公務に取り組み始めた。学生時代の傍若無人ぶりは鳴りを潜め、嘘のように真面目になっている。

 やっと王太子の自覚を持ってくれたと、ドゥーシャスとシクルシスに離反されて落ち込んでいた王と王妃は喜んだ。本来ならもっと早くに諭しておくべきだったが、誰もがアントンに気が引けてできずにいたのだ。


 アントンによる傀儡政権からの脱出。エリックの目指すところを誰もが薄々気づいている。今はまだアントンは怒りを露わにしていないが、いつエリックに反撃するか――気づいているからこそ、誰も表面上でしかエリックの味方をしなかった。


 エリックの頼りは幼い頃からの友人であり側近の四人だけ。どう頑張っても、エリックの勝ちはないだろう。


「なにもかも急激に進めることはないんですよ。勉強と同じです。文字の読めない子を学校に入学させてもついてこれないでしょう?」


 無知な子供と一緒にするな、と言いかけたジュリアスは、心配そうに見上げるレナリアに吸い込んだ息をそのまま飲み込んだ。


 エリックはようやく政治のスタートラインに立ったところなのだ。成人王族と未成年だった頃とでは公務の内容も違ってくる。まずは知ることからはじめなければ、混乱するだけだ。


「……そうだな。殿下も私もこれからだ」

「はい。……それと」


 レナリアはそこで言葉を区切り、周囲を見回した。

 ジュリアスの部屋にも護衛騎士と女官が数人控えている。意を決したように、レナリアがジュリアスに寄った。


「レナリア?」

「お耳を」


 レナリアの体が近づくと、やわらかな温度が肩に触れた。ほのかな紅茶の香りと、先程買った料理の匂いがする。

 こんな時だというのに頬が熱くなるのを感じたジュリアスは、次の言葉にすっと冷めた。


「諦めなければ殿下の勝ちです。……あのお方は、もうお歳ですから」

「レナリア」


 なんということを考える娘だろう。レナリアは宰相の息子であるジュリアスに、申し訳なさそうな表情だった。


 ジュリアスはそれどころではなかった。息を止め、硬直している。


 なぜこんな簡単なことに気がつかなかったのか――実の父の死を待ち望むかのセリフに怒る気にもなれなかった。

 アントンはすでに五十歳を超えている。いまだ健勝だが、それでも衰えたのをジュリアスも感じていた。


 対してエリックはまだ十七歳。若いのだ。このままいけばアントンが先に逝く。


「……殿下にはご自重していただこう」

「はい」


 アントンが死ぬより先に暗殺でもされたら元も子もない。


 アントンは実の息子に宰相位を継がせ、ザント家を貴族として栄えさせることを望んでいる。

 しかしジュリアスは、エリックの下で彼の力になりたかった。


 好きなのだ。理屈ではない。エリックのどうしようもない部分でさえかわいげに思えてしまえる。取り繕わなくていいエリックになら忠誠を捧げられた。頼りない王になるとわかって、それでもついていけるのは、単純に好意を抱いているからだ。マルティンたちも、そうだろう。


 ジュリアスはアントンではない。栄華を極めるより、自分の満足のいく人生を歩みたかった。エリックならそんな貴族らしくない願いも笑って許してくれる。そうありたいと言ってくれる。


 人間として認めてくれるお方が主なのだ。ジュリアス・ザントがエリックに尽くすには充分すぎる理由だった。


 ◇


 気がつけば、ジュリアスはレナリアと会うことが気晴らしになっていた。

 エリックはまず足場固めが重要だと理解したようで、書類仕事だけではなく積極的に外に出るようになった。時々先走って思い込みでゴリ押ししそうになるものの、ジュリアスたちに諫められれば引く冷静さを手に入れていた。


 そんな時、レナリアに会い、彼女の遠慮も容赦もない言葉ですっぱり切られると、不思議とすっきりするのだ。

 レナリアと会っていることを知っているエリックやマルティンに言われて手土産を持参するようになったせいか、そこまで迷惑がられることはなくなった。


 ただし、花を渡した時は微妙な表情だった。


「食べ物のほうが良かったか?」

「え、いや、それはそうですけど。ジュリアス様、女に花を渡す時はもうちょっと気をつけたほうがいいですよ」


 否定しないところがレナリアだ。


「なぜ。花を貰って怒る女はいないだろう」

「ええ、とても嬉しいです。嬉しいですけど、持ち歩くには邪魔なんですよね」

「は?」

「ジュリアス様のお相手でしたらお供の侍女がいるんでしょうけど、私は持ち歩くしかありません。せっかくのお花が傷んだらかわいそうです」


 綺麗にラッピングされた花にそっとレナリアの指先が触れる。バラよりはこちらのほうが似合いそうだと選んだ、オレンジ色のガーベラだ。


 高位貴族の令嬢であれば外出には供がつく。花を貰えば侍女が持ち、タイミングを見て人を使わせて屋敷に届けさせ、萎れる前に令嬢の部屋に飾られるだろう。令嬢本人が荷物を持つことは、まずない。


 しかしレナリアには侍女がいない。むしろ彼女こそ侍女だ。ジュリアスと並んで歩いていても、主人とメイドとしか見られなかった。レナリアが花を持っていればなおさら、これから届けに行くのだと思われるだろう。


 実にもっともな言い分に、ジュリアスは額を押さえた。


「あー……そうだな」

「そうですよ。お相手の家に迎えに行くのならその時に、サプライズで喜ばせたいのならどこかのお店と打ち合わせておくとか。邪魔にならないようにしておかないと気が利かない男認定されますよ」

「赤裸々なご意見、痛み入る」


 素直に頭を下げると「本番は頑張って」と気楽に励まされてしまった。おかげでこの日、レナリアは花が傷む前にとさっさと帰っていった。


 ジュリアス様のお相手、とレナリアは言った。自分がジュリアスとどうこうなるつもりは彼女にないらしい。二人の間にあるのは友情で、それに不満はないはずなのに、男として見られていないことがジュリアスは妙に悔しかった。


 ◇


 アイリーンとセイリオスが国に与えた打撃は大きかった。税収が激減し、宰相はそれを補うためにシクルシス伯爵家、シクルシス伯爵家とドゥーシャス公爵家に与した貴族の領地、財産を没収した。


 さらに、彼らの領地に罰として増税しようとした。罰を与えることで、領民に誰が悪いのかを認識させるためである。

 これに反対したのはエリックだった。


「領地没収で罰はすでに済んでおろう。そこにさらに税を重くしたら、民が逃げ出すのではないか?」


 ドゥーシャス公爵領改めドゥーシャス公国とは国交が成立していない。国境は固く閉ざされ兵が配備されていた。

 没収した領地は王家の直轄地となっている。そこに重税を強いるのか、とエリックは非難した。


「捨てられた民が捨てた主人の下に逃げることはありますまい。見せしめは必要です。一罰百戒とも言いましょう、ドゥーシャス公国への警告にもなります」


 アントンの反論に王と重臣たちもうなずいた。反対しているのはエリックだけだ。彼に向けられる目にはどこか憐憫の色が混じっていた。


「わかっている。罰は与えるべきだ。だがそれを、無実の民に押し付けてよいのか? 農民は置いて行かれたのだぞ」

「では、殿下には他になにか案がおありですか?」


 フン、と鼻で息を吐きだしたアントンに、エリックは「ある」と言ってジュリアスに合図を送った。


「税ではなく労働で支払ってもらうのはどうか。陛下、ご一考ください」


 会議の場では父と子ではなく王と王太子である。畏まったエリックに重臣たちはほうと見直した。


 エリックが増税に反対なのは、アイリーンの民だったからだと彼らは思っていた。大失恋を引き摺っているのだろう、と。

 しかしそうではなかった。エリックはきちんと計画を立て、直轄地となった民の救済を行おうとしているのだ。


「大規模な治水事業を計画しています。農業と水は切り離せない問題ですが、川や池のない土地での耕作は大変です」


 手元にある事業計画書を見ながらエリックが言う。


「こちらの水車とため池は、チャルディ侯爵が数年前に発表したものです。考案者のスティビー子爵は領内の水問題を解決するため、領内の村々で実験を繰り返したとあります。その報告書がこちらです」


 エリックの計画書に続き、ジュリアスが王と重臣たちに報告書の写しを配っていった。


「…………」


 地方の小領主の血と汗の結晶だ。どうすれば領内が豊かになるのか、スティビー子爵は私財をなげうって技術者と農民、村長たちと実験した。領主が自ら土に塗れ、費用を捻出し、苦労を分かち合ったからこそ、民は大事な田畑を実験に使うことを許したのである。共に苦労し、辛酸を舐めた。たとえ成果を奪われようともめげなかった。その結果である。


「まずは旧シクルシス伯爵領からはじめましょう。税ではなく人足ならば不満を抑えられましょうし、最終的には自分たちのためになりますから。耕作地が増えればそれだけ税収も増えます。小麦だけではありません。水を大量に必要とする牧畜も期待できるでしょう」


 エリックはただ外を見回っているだけではなかった。王家の直轄地ということは、いずれエリックのものになる土地なのだ。アイリーンとの関係で反感が強い民を慰撫する意味もある。


 ざわつく重臣たちを見回して、エリックがうなずいた。


「以前、宰相には具体案を出すよう言われましたからな。いきなり特産品を作り出すのは無理でも、今あるものを改良していくことはできると考えたのだ。アントン、どうだ?」

「……素晴らしい案かと思います」


 計画書と報告書を読みこんだアントンが呻くように言った。エリックが嬉しそうに笑って、またうなずいた。


 エリックだけの力ではできなかったことだ。ジュリアス、マルティンから話を聞き、スティビー子爵の報告書を読んで、王都にある農業研究所にも通った。彼らもここまで大規模な実験は知っており、自分たちでも試してみたいと希望していた。治水工事は地形によって難易度が変わってくる。エリックの計画は渡りに船。宰相に突かれそうな穴はないか、と連日額を突き合わせて議論を重ねた。


「しかし、費用はどうなさいます? 人足だけいても、これだけの費用が必要なのでしょう。領民に賄わせるのですか?」


 アントンの意地の悪い問いに、エリックは堪えきれない喜びが湧き上がるのを感じた。


「王宮の人件費を削る」

「っ!?」


 アントンが息を飲んだ。


「王宮の使用人のなかには、なんのためにあるのか不明な役職に就いている者も多い。彼らを解雇し、町を築かせよう。人足相手の商売だ。王宮でくすぶっているよりよほど人の役に立つ。上手くいけば定住してくれるかもしれん。まずは希望者を募るが、現状においてなにもしていないと判断された役職については、これを排除、もしくは統合の方向で行く」


 褒められるのを待つ子供そのものの顔で、エリックがアントンを見た。


「時間はかかるし、費用もかさもう。あれこれ文句をつけてくる者もでてくるであろうな。だが、やりがいはあるぞ。アントン、そなたの努力がついに実を結ぶのだ。学校や研究者を育ててくれた。土台があってこそ実現できることだ」


 エリックの計画書には、共同研究者の名前やスポンサーとなる商人の名前も記載されていた。そこにアントンの友人で国随一の商人となったフェリクス・リントンの名があったことにあざとさを感じる。前王の時代にアントンが提言したことの成果がまさに結実したのがこの計画だった。


 あの時渋い顔をしていた重臣たちも、エリックの言葉になにやらキラキラした眼差しでアントンを見ている。


 恩とコネを作り都合よく功績だけを取り上げていた過去が、まさか今になってこんな形で返ってくるとは予想だにしなかった。こんな形とは、アントンが反対できぬよう、そもそもやりはじめたのは彼だったと錯覚させ、しかも良い話に持っていく因果応報である。


 エリックらしいといえばエリックらしいが、エリックらしくないといえばエリックらしくない。あの王太子にこんな人の心の機微に聡い側近がいただろうか。そこがどうにも解せなかった。


「……畏れ入ります。研究者たちも殿下に認められたこと、さぞや誇りに思いましょう。機会を与えてくださいましたこと、彼らに代わって御礼申し上げます」

「うむ」


 アントンに褒められたエリックは頬を紅潮させ、国王にあらためて進言した。


「陛下、旧シクルシス伯爵領への罰は人足による労働。治水を行い町を築き、彼らの忠誠を国家に向けさせるのが良策と愚考いたします」


 国王は、つまりエリックの父は、息子の成長に眩しげに何度も瞬きをした。


 父として、エリックになにもしてやれなかったことを悔いているのか、重臣との会議にジュリアスたちの同行を許し、なるべくエリックの力になれるようにしていたのは、もしかしたら王なりの詫びのつもりだったのかもしれない。


 昏王として有名なこの王は、エリックの独り立ちを見届けて安心したようにあっさり崩御した。腹上死、という彼らしい死に様であった。


 さすがにエリックも父の早すぎる死には気落ちした。葬儀は質素に済ませ、服喪期間は大人しく父の冥福を祈っていた。


 その頃のレナリアは王太子の紅茶係から出世して、王太子付き侍女官になっている。

 この役職は、エリックのいまだ決まらない婚約者選定に関わる、重要な役目だ。


 学生時代の浮気騒動や、アイリーンにこっぴどくふられたあげくに国を割る結果にまでなったことは、他国にも当然知られている。エリックに同情的なのはそうなるように情報を操作したからであるが、それがなくてもエリックは近隣諸国きっての優良物件だ。


 まず、若い。甘ったれな性格も現実に晒されたせいかいくらか矯正され、顔つきに精悍さが加わった。またエリックのはじめた治水事業をはじめとする政策はおおむね順調にいっている。


 妃がもっとも気にするであろう女性関係も、アイリーンで懲りたのか浮いた話はだいぶ減った。女性に対してはずいぶん気を使うようになり、そのせいかエリックとの結婚を狙う高位貴族の令嬢が夜会でダンスを踊ろうと殺到するくらいだ。


「だからといって、揃いも揃って黒髪黒瞳の姫ばかりとは。馬鹿にしてます? と思います」


 届けられた姿絵を見て、レナリアが呆れた。王宮女官の長、女官長も言葉には出さないが不快を感じているらしい。レナリアを咎めなかった。


「陛下のお好みがそうだと思われているのは困ったことですわね。一番大切なのはご器量ですのに」


 女官長の言う器量とは顔立ちだけではなく、性格を含めた全体評価のことになる。レナリアもうなずいた。


「王侯貴族の令嬢ならお顔立ちは整っていて当然です。姿絵なんてどうせ三割増しカサ上げしているんですから、それより直筆のお手紙のほうがよほどお人柄が現れるものですわ」

「そうね」


 身も蓋もないレナリアの意見に女官長がくすっと笑った。


 妹が三人もいるせいか、レナリアの同性に対する目は辛い。どうしてもシビアになる。女官長は忌憚のないレナリアに満足そうにうなずいていた。


 このままでは女による容赦のない女性談議がはじまりそうで、ジュリアスは居心地が悪くなった。マルティンとシュテファンも尻の座りが悪そうにしている。


「では、この姫も駄目か」


 チャルディ家を介して届いた王女との縁談だ。こんな女同士のぶっちゃけトークで断っては角が立つ。


「駄目ということはないと思います。周囲の評判は良いようですし。ただ、婚約期間が短くなりますのでどこまで交流できるか問題ですね」

「陛下は喪中。あちらに行って直接お会いできればよろしいんですけどねえ」


 レナリアが難しいと眉を寄せれば、女官長もため息まじりに言った。

 即位した以上、結婚は急務だ。王妃が不在ではまたぞろ兄弟が蠢きかねない。


「レナリアは殿……いや、陛下にはどんな姫君がいいと思っているんだ?」


 ジュリアスの問いに、レナリアは「そうですね」と呟いて考え込んだ。


「情の篤いお方のほうが良いでしょうね。愛されるより愛することを得意とする方でないと、陛下は少し辛いかもしれません」

「愛されるより愛するほう、か。ずいぶん厳しいな」

「ええ。でも、アイリーン様のことがありますから。陛下は比べたりなさらないでしょうけれど、アイリーン様を忘れることもないでしょう。傷が深すぎました」


 ジュリアスが見ると、マルティンもこちらを見ていた。揃ってうなずきあう。


 十歳から十六歳まで、六年も引き摺った恋だ。周囲を混乱させ、友人の手を汚させた。それでも手に入らなかった。エリックが仕事に打ち込んでいるのも、アイリーンのことを考えていたくないからだろうと察している。


「アイリーン様を心に残している陛下を許容できる方でなければなりません。ご側室を賄えるほどの余裕、ないんです」


 前王の側室とエリックの兄弟姉妹たちは、エリックが王になったからといってはいさようなら、とはならない。曲がりなりにも王族だ。特に王女は婚姻外交など、言いかたは悪いが使い道がいくらでもある。王子たちもそこらの女に引っかかってほいほい子供を作られても困るのだ。王族は少なくても問題だが、多すぎても悩ましいものなのである。


「……アイリーン様を忘れられない陛下を愛せる姫か……。難しすぎないか?」


 さすがは国王陛下、難易度が高すぎる。レナリアもそれには同意した。


「はい。ですからお家騒動で泥沼のご家庭でお育ちとか、幼い頃からの婚約者に婚約破棄されたなどの同病相憐れむ系の姫か、陛下のことをわかってあげられるのは私だけ、という感じで思い込みの激しい姫、どこかにいませんかね」


 真顔で悪役令嬢かヒロインと言ってきた。

 ジュリアスは目眩がした。

 一考の余地ありと思ってしまったところがもうおかしい。女官長は真剣に考え込んでいる。おかしいと思う自分がおかしいのか。マルティンが悲痛な顔をしているのにほっとした。


「レナリアの意見も参考にしましょう」

「本気か?」


 女官長は真剣だった。


「ようするに、傷物の姫ですわね。まっとうな姫でもやたら気位が高かったり、こちらの足元を見られるよりはましでしょう。より良い条件でていただけたら嬉しいですわ」


 レナリアがうんうんとうなずいている。なるほど、そう考えれば一理あった。


 国王陛下の結婚とは政略上等だ。愛より国益。それでも少しでも良い家庭を持てればと思うのは贅沢ではあるまい。むしろレナリアと女官長はエリックを思っているといえた。エリックを国王という駒ではなく、人間として見ている。


 ◇


「レナリアは、結婚する気はないのか?」


 ジュリアスは思い切って聞いてみた。レナリアとは良い付き合いをしているが、友人の枠から抜け出せない。男として見られていないのだ。

 この、踏みつけられても根性で茎を伸ばし花を咲かせる雑草のようなレナリアは、高嶺の花より手に入れるのが難しい女だ。そこいらにありすぎて見つけるまでが大変だし、地中深く根を張っているから引っこ抜くのに労力がいる。


「妹の教育費と持参金の目途が立つまでは無理ですね。弟は成人しましたけど、家を継ぐまで修行の日々ですし、すぐに収入が増えるなんてありえませんから」

き遅れになるぞ」

「というか、どうも自分が結婚してる想像ができなくて……。結婚ってなんだか面倒ってイメージしかないんですよね」


 夢がなさすぎる。若い娘がそれでいいのかとジュリアスは気の毒になってきた。王宮の人間模様を見ている身としては気持ちはわかるが、それでは困るのだ。


「ジュリアス様はアナベル王女と縁談がすすんでいるとか」

「王女には秘密の恋人がいる。折を見て断りを入れるさ」

「……大変ですね」

「まあな……」


 適齢期なのだ。ジュリアスの婚約はアントンが張り切って進めているが、王女を金で買えばますます貴族の批判を買うだけだろう。断るしかない。

 レナリアもああ言っているがスティビー子爵の研究が世に出てから注目を浴びている。縁談が来ているはずだ。


 結婚してしまえば、こうして会うこともなくなる。レナリアは女官を退職して家に入り、社交に出ても他人行儀で、もうジュリアスを友人と呼んでくれないだろう。


 レナリアが暮らしていたホテルは王宮女官寮として借り上げられ、エリックの改革は少しずつ進んできている。


「私が妻にしたいのは、幸福が逃げても裸足で追いかけておまけまで捕まえるような女性だ」

「私が夫にしたいのは、自信がなくて頼りなくても、大切な仲間のために全力を尽くせる男です」


 隣を並んで歩く。

 そっとレナリアの手の甲に手をぶつけても逃げられなかった。指先を捕まえると、握り返される。


「普段は尻に敷かれていても、いざという時に頼れる男か」

「肝っ玉母ちゃんは男を立てるのが上手っていいますよね」


 レナリアの顔は見ない。レナリアも、ジュリアスを見なかった。ただ、お互いの顔が夕日に照らされているのがわかった。


「割れ鍋に綴じ蓋というやつか」

「お似合いですね」


 繋いだ手からたしかに伝わってくる。軽く揺らしてみた。レナリアは笑っていた。

 胸がすく気持ちになり、ジュリアスも気がつけば笑っていた。



参考資料「ヴェルサイユ宮殿 影の主役たち 世界一華麗な王宮を支えた人々」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ヒロイン役(バイト)のざまあ返し(笑) 12話迄一気に読みました。 普通の悪役令嬢ものかと思ったら、最後まで展開が読めず楽しめました。 悪役令嬢は頭が良すぎて自分達の策略が完璧だと過信…
[良い点] 参考資料に納得…!!あれはすごい本でした。 そしてアントンの現実を囁くあたり、本当に女子は戦況を見据えるのが的確…過ぎて…ステキ…!! 女官長と相談する件も最高でした。待ってる女に扱える男…
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