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29 策謀

「さればでござる」


みっちゃんが眼光鋭く話し始める。

教養ある紳士たる彼が声を荒げることはほとんどない。

常に淡々と理路整然と話し進めるのみ。


「御屋形様は丹羽殿、羽柴殿の言を入れ──」


冷徹なものの見方が出来る人物は貴重で、特に目上の者に言上できる存在は決して多くはない。

信長が重宝するのもそうだし、私が手放さないようしているのもこれが要因。


「柴田殿は佐久間殿や滝川殿と共に──」


みっちゃんが言う御屋形様というのは信長のこと。

丹羽や羽柴などは上様と呼ぶべきとの意向を持っているようで、これまた源兵衛たちが憤慨する事案なのだが…。


「…そういえば、勘九郎様は武田のことを気にしております。

 やはり公方様が進める許嫁のことが気になるご様子にて」


言いながら、オイオイ目が笑ってるぞ。

信重と武田松姫の婚約について話が及ぶと冗談交じりな塩梅に。

…まあこのように面白みもある奴なんだ。


この場合揶揄ってる対象は私なのか信重なのか。

イマイチ判断しかねるが、好意的な視線だからまあいいや。


「十兵衛殿。…この場は敢えて十兵衛殿とお呼び致す」


真面目な空気が緩みかけたところに服部さんの発言。

まあみっちゃんは此処にいない人物だからな。

本人もそう名乗ったのだから十兵衛でいいんだろう。


「もちろん構いませぬよ。

 なんでござろうか、石見守殿」


みっちゃんもにこやかに対応する。

此処も結構長い付き合いになるな。

特別深い間柄ではなさそうだけど、色々便宜を図ったり図ってもらったり。

私の関係で何かと協調していたとの記憶がある。

今更遠慮し合う仲でもないってことだ。


「三介様と三七様についてお伺い致したい」


「ふむ…」


これまで流暢に話していたみっちゃんが再び腕を組む。

沈思案件だろうか。


いや、確かに信重の弟たちだ。

色んな意味で慎重に考える必要はあるだろうな。


織田一族の不協和音は今のところ少ないが、皆無ではない。

それに信意と信孝の兄弟は少々特殊な関係性。

同い年で地位に差がある上に、最近は信孝の周りが特に騒がしい。


叩けば埃が出るかもね。


*


結局みっちゃんが知る範囲でも兄弟仲は微妙とのこと。


「互いに意識はすれども疎遠になる程度のもの。

 それが拗れるのは周囲の動きが為でしょうな」


信重が二人の間に入って決定的な事になってないらしい。

でも信孝の周りにいるのが丹羽と羽柴だろ?

絶対割れるわあ。


信孝サイドが信意に対抗するような様相らしく、前者には丹羽と羽柴。

後者には織田一門と北畠一門が付いてるイメージ。

織田・北畠サイドには斯波一族も多少関与。


「ならば十兵衛。

 何かあれば三介の話を聞いてやって欲しい」


「公方様?」


敵の敵は味方と言う訳ではないが、この場合は信孝の肩を持つ意味がない。

信意を助ける強い理由がある訳でもないが…。


「心弱き者に寄り添うのも我が務めと考えておる。

 されど、余が直接手を差し伸べる機会はなかろう」


優秀な兄と弟に挟まれたら苦悩も深いだろう。

信意も別に無能でもないとは思うんだけどな、比較対象が悪い。


「なるほど…。公方様の御考え、確かに承りました」


「だが無理に手を差し伸べる必要はないぞ。

 機会があれば、な」


「御意!」


味方は多いほど良い。

敵じゃないだけでも意味はある。

是非ともそうなって欲しいものだ。


チラリと服部さんを見ると満足気に頷いている。

源兵衛とアザミちゃんも不満そうには見えない。


「(可能な範囲で助けてやってくれ)」


「(御意のままに…)」


と言う訳で伊賀衆にも頼んでおく。

答えたのは源兵衛。

みっちゃんが了承の意を示すべく頭を下げた瞬間を見計らってのやり取り。

すっかり慣れたもんだ。


さて、信長一族への手はこれで信広、信重、信澄に続いて信意にも可能性が生まれた。


信重は我が猶子であるが、信長の嫡男だから難しい面もある。

一方で信澄はみっちゃんの娘婿。

これは確定。

更に信重、信意の周囲には織田一族が多い。

大事にしたい縁だよ。


*


「ふむ、概ね話し終えたかの」


あれやこれやと話が飛んだり跳ねたり。

ちゃんと記憶しておけば色んな場面で役立つだろう。

幸い我が頭のスペックは悪くない。

元僧侶として学識豊かな将軍というのは案外ウケが良いのではなかろうか。

最初は悪公方の再来を恐れた者もいたようだが…。

まあいい。


大体話は終わったと確認したところ、みっちゃんが真面目な表情をしている。

どうやらまだあるらしい。


「公方様、今少し宜しいでしょうか」


「いくらでも構わぬぞ。申すが良い」


「有難き幸せ」


どうやらここからが本番か。

私が聞きたかったこととは別に、あちらが話したかったことがあるっぽい。

なんだろうね。


「公方様を追い落とす策謀が進んでおります」


「ほう…」


思わず源兵衛を見る。

頷かれる。

いや知ってたんかーい。


そして背後から溢れ出る殺気。

思わず冷や汗をかいてしまうような濃密なそれ。

いやいや抑えて抑えて!


「お怒りは御尤もと存じますが…」


「そうだぞ、十兵衛に非はない。少し落ち着かぬか」


「は…申し訳ありません…」


アザミちゃんは今、男装して小姓を務めている。

そらそうよ。

側室が同席するような場じゃないもの。

ホントはね。


これまで表向き口をはさまずに来たが、主への侮辱?に堪え切れず殺気が漏れた。

と考えればまあ理解はできるね。

多分わざとだろう。

だって凄腕のクノイチだぜ?

殺気を抑えるなんておちゃのこさいさい。


だよね?

本気じゃないよね。

気まずげに顔を逸らさないで!


「十兵衛殿。その出所は?」


微妙な空気を察して横から尋ねる服部さん。

うん、助かった。


「切支丹をご存じでしょうか」


おう。

切支丹ときたか。

いや、最近かなり国内に食い込んでるとは思っていた。


九州では結構な勢いらしく、畿内でも信者が増加傾向にある。

信じるのは自由で構わないと思うのだが、ちょっとなあ。


教義というか、その排他性が一向宗過激派と似通ったものがあって好ましくない。

立派な人物は立派だと思うのだが、本音と建前があからさまでお題目を掲げた俗物も多い。

そんな印象。


「彼らは御屋形様に取り入り、重臣の一部からも彼らを上手く使うべきと…」


話された内容は随分と刺激的だが、雑賀衆や甲賀衆から入ってくる情報とも一致する。

みっちゃんは名をぼかしたが、重臣とは丹羽や羽柴のことだろう。

他にも数名上がっているがこの二人に勝る大物はいない。


畿内においては信長の庇護下にあって行動している切支丹。

将軍たる私は認めてないものの、積極的に排除している訳でもない。

お陰で洗礼を受ける大名すら出てきつつある。


今はまだ畿内では鳴りを潜めているが、そのうち神社仏閣の破壊行為も出て来るだろう。

その時が一つの切欠となるだろうな。


…そういえば、甲賀に潜んでいた六角の残党が甲斐に逃げたらしい。

六角はどうでもいいが、甲斐の武田には越後と誼を結ぶよう伝えよう。

もしもの時は越後を頼る様にとも。


私も再び都を離れる時が来る。

その時は紀伊が本命。

河内や大和、伊勢・伊賀とも近い。

詳細は未確定ながら、その辺のことを大まかに伝えておいた。


「なるほど。故に北畠三介殿の話をと」


大きく頷くみっちゃん。

どうやら彼の中で話が繋がったようだ。

概ね正解だけど、多分みっちゃんの中では私の中よりも圧倒的に広く深い範囲に理解が及んだことだろう。


後ほど、伊賀衆や弥平次を通じて繋ぎをとる時に驚かない様気を付けたい。



* * *



三宅十兵衛は伊賀衆の案内で去り、明智日向守光秀へと帰っていった。


みっちゃんが去って一息ついたところで思考の整理。

場所は変わらず伊賀衆最奥の結界が張ってある部屋。


「有意義な会談でしたね」


「弥平次殿には感謝致さねば」


「褒めてばかりではならぬ。

 我らも一段と精進し、公方様の御為に努めねばならぬ」


伊賀衆たちが頷き合う。

その公方様こと私は目の前にいるのだがそれは…。


まあ確かに今回の会合は大いに意義があった。


信長率いる織田家だが、その方針は必ずしも信長の意向と合致しない。

以前にも感じたが、この隔たりが大きくなっている模様。

しかも勢力が大きくなるに従い、トップにいる信長としても強権を発動しずらくなっている。

そのうち粛清が起きるかも知れないとは衆目の一致するところだ。


織田家としては、東が一時の安寧を得たところで西に手を伸ばしたい。

しかし都には将軍があり、それを中心として畿内への影響力を保持している。

せっかく堺を擁する和泉国を保持しているのに、摂津や河内に手が入らないのは上手くない。

特に摂津国。


本願寺の総本山があるが、ここを抑えればより大きな力が手に入る。

切支丹との関係もあってどうにか手に入れたい。


摂津の次は播磨があり、こちらも魅力的。

在地領主の何人かは既に繋がりを持っている。

特に小寺と別所は羽柴との結び付きが強固であるとか何とか。

小寺はともかく、別所は本願寺との関係もあって必ずしも一枚岩ではなさそうだが…。


あとは丹波。

丹後一色は幕府を通じて織田家にも誼を通じている。

若狭も守護職を抑えて半ば領国化に成功。

今のところ小康状態とはいえ潜在的な敵対勢力は少なくない。

代々守護職を務めた細川家当主、六郎昭元は信長の妹婿。

大義名分はあるのだ。


それもこれも、都に私がいると上手く機能しない。

だから排除したい。

できれば穏便に。


色んな思惑が絡み合い、将軍追放に向けた策謀が進んでいるとのことだった。


「上手く利用する他あるまいな」


「…消すことも出来ますが」


怖いことを仰る。

だが、暗殺は却下だ。


「圧倒的弱者に成り下がるならば止む無し。

 しかし、余は征夷大将軍である。

 安易な手法に頼ることは許されぬ」


但し、時と場合による。


畏まる伊賀衆を見ながら声を落とす。


「技術は正しく使ってこそだと思う。

 余は其方らにもそうあって欲しい。

 無論、必要であれば躊躇うことはないぞ」


「御意」


うむ。


さてさて、向こうが策謀を進めるならばこちらもやるしかない。

近衛太閤を通じて進めている、本願寺取込大作戦を。


*


そういえば、先日雑賀衆から硝石生産の目途がたったと報告があった。

しばらくは購入量を微減に留めて備蓄を進める様に指示。

輸入は鉛玉とセットだから著しい増減は疑念を招く。

消耗品だからあって困るものでもないしな。


「伊賀でも生産を始めたと聞いたが」


「ええ、一部の限られた地域のみですが」


「左兵衛佐には?」


「一色様にも許可を得て、既に」


「うむ」


雑賀衆の利益は式部の権益でもある。

伊賀衆と義郷君に供与するならその許可もとるべき。

確かにそうだ。


硝石の件はみっちゃんには敢えて伝えなかった。

直接関係ないのと、運用が未確定だったから。


堺を抑えた織田家と違って将軍家には確固とした集積地がない。

伊賀だと判り易いし紀伊は遠い。

信長たちにはそう思わせておきたいものだ。


伝えなかったといえば毛利のこともだな。

敢えて対面して言うことでもなかったし。

時間は有限。

取捨選択は大事だぜ。



* * *



伊賀衆の区画から戻って奥殿の一室。


「公方様、ややを授かりましてございます」


キリから懐妊のお知らせ。

うむ、見立て通りか。


「よくやったキリ。身体をいとえよ」


肩を抱くと身体を寄せてくる。

相変わらずお胸様を中心にナイスバディ。


子を生すと丸みを帯びると言うが、キリはそうならなかった。

アザミちゃんみたいに訓練とかしてるのだろうか。

それにしては女性特有の柔らかみとかが…。


「公方様。キリは次も男子を生してみせまする」


「あー、いや…。余は女子も良いと思うぞ?」


相も変わらずキリは男子指向。

これも時代か。


*


「公方様!わたしにも、この彩にも御子を授かりとう存じますっ」


「おお落ち着け!」


彩の部屋を訪れたら開口一番このセリフ。

いつになくグイグイくるな。


私の子を生してないのは彩だけ。

それは事実。

でも房中の秘術があるといっても確実じゃない。

子は授かりものといつも言っているんだけどなあ。


「…安居の、朝倉の血を絶やす訳には…」


時間をかけて落ち着かせて話を聞いた。

なるほどプレッシャーか。

孫三郎が生きてると知らないから余計に。


「朝倉がことは悪いようにはせぬ。

 余を信じよ。彩はまず、心穏やかになるべきぞ」


「…仰せの通りにございますが…」


納得しかねる。

よほどストレスになっていたのだな。


済まない…。


しかし謝る理由は話せない。

私にできるのは可能な限り寄り添い、無事に子が授かるよう努めることのみだ。


*


「勘九郎殿を次の将軍に据えるというのは誠でしょうか」


於市ちゃんを訪ねるとそんなことを聞かれた。


はて。

何のことだろうか…。


「勘九郎が余の猶子であるのは相違ない。

 されど織田家の嫡子という立場は重いはず。

 流石に短絡的過ぎよう。

 …話の出所はどこだ?」


場合によっては厳しく詮議しなければならない。

その意味を込めて少し強めに尋ねてみる。


「侍女たちが、そのような話を聞いたと…」


ふむ。

条件付きで有り得ると考えたことは多々ある。

しかし声に出したことはない。

ならば…。


「御台よ。その侍女は織田家所縁の者かな?」


「左様にございますが…」


「根も葉もない噂であるが、事が事。

 少々厳しく言わねばならぬやもしれぬ」


「ッ…申し訳ございませぬ!」


於市ちゃんが何かを察して謝ってきた。


織田家が仕掛けてきたと。

その可能性が頭を過り、厳しい言い方になってしまった。

しまったな。

於市ちゃんは悪くないのに。


「御台が謝る必要はない。

 余も少し過敏に過ぎたやもしれぬ」


「ですが…」


「こちらで調査を行う。

 済まぬが御台からも軽く注意しておいてくれ」


「承知しました。きつく申し付けておきます」


正室という女衆の管理責任者。

変な重荷は背負わせたくないのだけど…。

問答しても仕方がない。

ここらで区切りだろう。


「うむ。堅い話はここまで。

 さ、御台よ。

 余は膝枕を所望するぞ」


「ふぅ、分かりました。…どうぞ。

 ……そういえば公方様?

先日佐古殿に膝枕をしてもらいながら臀部を堪能していたと聞き及びました。ああいえ、言い訳は良いのです。別にそれそのものを咎めている訳ではないのですから。ええ。ただあまりそういった行為は広めない様にして頂きたいと思いまして。何よりも娘たちに悪影響があると困ります故…。ええ、ええ。決して悋気ではありませんとも。ただ御台所として奥の風紀を気にしているのであって──」


おうふ、なんかスイッチ入った。


このあと一生懸命話を聞いて宥めて撫で回した。


相手の思惑を見極めて進めないと策は上手くハマりません。

だからこそ情報が大事になる訳で、そこを重視・重宝する義昭君に乗っかる人が多いのです。

一見して隙は無いように見えても場合によっては隙だらけとなることも。


さて、キリが二度目の妊娠確定。

まだ子のない彩は焦り、男子が欲しい於市ちゃんもタガが外れかけて…。


一方で佐古ことアザミちゃん。

様々な策謀を巡らせ義昭君の傍らにあるため余裕綽々。

これを薄々感じ取っていたキリが気合入れて喰いに行ったという裏話。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 奥方達がバチバチやり合ってる中に我らが主人公がのほほんと和かに介入することで、仲良し夫婦として成りなっている。やっぱりこの時代の女性からしたら推定現代対応インストールした主人公の対応は文字…
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