15 討死
摂津方面の雲行きが怪しい。
三好三人衆一党がここぞとばかりに攻勢をかけてくる。
幕府軍は劣勢を強いられ、国人衆への動揺が広がりんぐなう。
和田さんたちにも苦労をかけている。
私に出来ることは激励と労いの手紙を書いて送ることくらいだ。
もどかしいな。
あ、澄なる美酒も届けてやってくれ。
結構評判いいんだよ。
戦場での士気向上に役立つらしい。
巷では大樹酒と呼ばれ珍重されているとか。
需要に供給が追い付いてないせいで価格が高騰。
禁裏御用達というブランドが高級感に輪を掛けているようだ。
* * *
織田家の支配下にあった越前で一向一揆が発生した。
百姓の持ちたる国、加賀より門徒が襲来!
本願寺の指揮に従うものと無視するものがごっちゃごちゃの混ぜ混ぜになって大混乱。
まあ地獄絵図。
地獄に仏ならぬ仏で地獄。
法然上人や親鸞聖人が今世にあればどう思うかな。
守護代の桂田長俊は一揆衆に攻められ討死。
細かく言うと、最初に発生した一揆は富田何某が起こした不満からくる土一揆。
やはり朝倉一門から守護代を出すべきだったんじゃないかと思うが後出しに過ぎない。
信長にも婉曲に伝えたりしたけど黙殺。
任命された桂田も旧臣だったから矛を収めたが、失敗だったかな。
とは言え、誰がなっても何かしらの不満は出ただろう。
富田が率いる一揆衆は桂田を攻め滅ぼし、権力を得た富田の横暴に一揆衆がキレて門徒衆と合流。
一向一揆となって越前全土に広がった。
顕如の手腕だと正信は言っている。
その正信が言うには、加賀の門徒はヤバい。
乱世というより世の末だと嘆いていた。
同門からの評価とはとても思えん。
一門筆頭でありながら義景を裏切った土橋信鏡も討死したとのこと。
元の名を朝倉景鏡といった彼は孫三郎と仲が悪かったらしい。
その孫三郎は一揆側に加担。
織田方の代官や奉行たちと一揆衆との間を取り持ち、無事に退去させた。
これは功績と言えるだろうが、今後難しい立場に置かれること間違いなし。
なにせ加賀門徒衆は朝倉氏を敵視してるし、織田家からみても裏切り者となった。
もはや越前一揆衆のまとめ役として頑張るしかない。
その苦衷、察して余りある。
孫三郎も厳しい現実を直視しているようで、幼少の一族や家臣らを先んじて送り込んできた。
まとめてキリに任せたいところだが、キリも母となったばかり。
あまり余裕はないだろうからな。
ここは彩に部屋を与えて一戸を構えさせよう。
なんか彼女は側室になる気満々らしいが、今は置いておく。
避難してきた者たちに混ざれば表に出す理由付けに問題はない。
そうそう、聞くところによれば義景の遺児もいるらしい。
庶出の子を孫三郎が保護して養育していたとか。
なんだ、しっかり忠義の臣してるじゃないか。
心象良いぞ!
よし、多羅尾に言って護ってやろう。
こっちに来た奴のことは心配するなと伝えて…おっと、於市ちゃんにもちゃんと頼まないと。
越前の混乱は続いていたが、どうにか動きは見えていた。
* * *
「ご注進!和田太郎殿、重傷を負ってご帰還の由!」
和田太郎惟長。
摂津で奮闘する和田さんの嫡男だが、一体何があった?
父親と一緒に摂津で頑張ってたはずだが、帰還とはどういうことだろう。
一人でか?
和田さんはどうした!
「ご苦労。詳細は?」
「一色様より先行して伝えるようにと概略のみ承っております。
また、太郎殿は堺にて米田様の診察を受けております」
「概略でよい。話せ」
「はっ!」
三好三人衆の攻勢に守勢を強いられていた幕府方。
動揺した国衆に調略の魔の手が!
「池田左衛門尉、荒木信濃守相計って謀反の由。
筑後守殿は和田様に助けを求めましたが…」
「負けたか」
「はい。討ちし者は中川瀬兵衛とのこと」
フゥー…。
思わず漏れる大きな溜息。
乱世とはいえ近しい者の死は堪える。
ちょっと受け入れがたいが、誤報とは考えにくい。
追って式部から詳細が届くだろう。
その時にどういった心境になるものか。
今感じてるのは喪失感だろうか。
いや、気をしっかり持て。
私は将軍だぞ!
惟長の回復を待って正確な情報を…いや、そんな悠長な。
早急に後詰を出さねばならないだろう。
手早く準備の指示を出しつつ思考は止めない。
まずは和田家の後見を私が務めると発表しよう。
惟増は分家させて、本家を支える仕組みを作らねば。
和田さんの仇は池田知正と荒木村重、そして中川清秀か。
忘れないぞ…。
ああ、池田と言えば敗退した筑後守勝正は大丈夫か?
「時に、筑後守の行方は知れておるか?」
「申し訳ありません。聞いておりませぬ」
「そうか…。大儀であった」
頭を下げて去っていく使者を見送り、今後を憂う。
織田家は越前と伊勢の一向一揆、それと武田家の手当てで精一杯。
西に目を向ける余裕はほとんどない。
摂津の有力者といえば伊丹と茨城もそうだが、彼らの動向も要確認。
あと和田さん旗下の高山はどう動いたか。
三好三人衆が本気となれば、義継君や高政のいる河内も危ないだろう。
考えることが多くて混乱する。
何を思うにしても和田さんの顔がチラつく。
はあ…。
これではいけないと頭では分かってるんだがなあ。
…よし。
「半蔵、助右衛門」
「はっ」
「御前に」
「手合わせするぞ。まずは半蔵、槍を持て」
「御意!」
一旦身体を動かして頭をリセットだ。
まずは半蔵と槍を交わし、そのあと是政と共に弓を射る。
これで落ち着くはず。
しかる後に整理して、式部を待とう。
* * *
やはり槍の扱いでは半蔵には全く敵わなかった。
だが弓は数射た結果、是政に僅差で勝利。
二人とも将軍相手に手を抜くといった忖度は全くない。
当初こそ気が乱れて無様を晒したが、本気で向き合ったお陰でスッキリできた。
うむ、やはり私は家臣に恵まれている。
さて、気持ちが落ち着いたところで状況整理。
手拭とともに心利きたる側衆がスッと差し込む。
「公方様、整いましてござりまする」
「式部は着いたか」
「はっ。大広間にてお待ちです」
「よし、すぐに向かう」
広間で思案しながら待とうと思ったが、先を越されたようだ。
案外心を落ち着けるのに時間がかかったなあ。
元僧侶として情けない。
幾つになってもまだまだ未熟。
精進あるのみか。
評定に使う大広間に入ると、式部を中心に幕臣たちが勢揃い。
平伏して待つ彼らに声をかける。
「皆の者、大儀である。おもてを上げよ」
衣擦れとともに上がる皆の顔は一様に厳しい。
ある程度事前に打ち合わせはしたのかな。
「右衛門佐」
「御意。まずは一色式部少輔殿」
進行はゴローちゃん。
何かと粗忽さをクローズアップしているが、元来故実に詳しい教養人。
格式ばった司会進行こそ彼にぴったりな役処。
指名された式部が一歩分前に進み出、報告を始めた。
* *
内容は多岐に渡り、長くなったのでまとめよう。
まずは事件の概要。
大体は先触の通りだが一部誤りもあった。
三人衆が摂津の有力者に調略をかける。
さらに和泉と河内を窺う構えを見せて、義継君たちを引き付ける。
そこを見極めてからの本腰を入れた計画的な侵攻。
幕府軍として迎撃に出た和田惟政は衆寡敵せず敗北。
河内からの援軍が届かずに討死となった。
さらに和泉からは錯乱目的の偽情報が届いてもいたらしい。
念入りなことだ。
和田さんの他にも茨城重朝が討死し、伊丹親興と池田勝正が敗走している。
調略に応じたのは主なところで池田知正、荒木村重、中川清秀。
知正は勝正の同族で、一族内での相克もあったようだ。
荒木と中川は池田の与力みたいなもんだな。
そして結果的に敵対することになったのが高山友照。
彼は和田さんの組下で、清廉な人柄が皆に信頼されていた。
松永久秀に従っていた時期もあって、今も親交が続いていると聞いている。
そんな友照が敵対したのは調略の結果ではない。
和田さんの嫡男、太郎惟長の失態が原因。
いや、これを聞いた時は私も愕然としたね。
とても和田さんの嫡男とは思えない惰弱さ。
後見を撤回しようかと本気で悩んだが、とりあえず保留で。
やらかしたのは怯えと焦りからの暗殺未遂。
中川清秀と高山友照は親戚で、清秀が裏切ったから友照も怪しいと惟長は思ったようだ。
和田さんは摂津の国衆から見ると、幕府の重臣とは言え所詮は余所者。
危難に際しては見切られやすいという思いを持っていたらしい。
これが一番悪い方向に出た。
先手を取って裏切りを防ごうとしたのではなく、裏切った前提で成敗しようとしちゃったのよ。
阿呆かーい!?
仮にも甲賀衆の元締めとは思えん軽挙妄動。
惟増を離してたのが裏目に出たか…。
で、友照がいくら清廉と言われててもそこは戦国武将。
やられる前にやってやらあ!
ってことで返り討ちに。
計画漏れてる時点でお察しである。
負傷した惟長は這う這うの体で堺まで逃げ延びたって寸法だ。
どれだけ怯懦の阿呆でもそこは武家の嫡男。
甲賀衆の一員で力量がない訳でもない。
己の危難に際しての能力は悪くなかった。
それがまた腹立たしい。
堺で米田さんの保護下に入り、今に至る。
*
「某からは以上にござります」
うん、これは酷い。
今後のことを想うと頭が痛いわ。
しかし惟長を見捨てるという選択肢はとれない。
長年に渡り私を支えてきた功臣の嫡男。
立派な最期を遂げた和田惟政を想えば、その嫡子の処遇は…。
諸々差し引いて減俸が妥当なあたりか。
追放は…流石に、な…。
「では続いて後詰についてですが、構わぬでしょうか」
「うむ、続けてくれ」
慮る姿勢が有難い。
心中謝して先を促す。
今日という一日は終わりが見えない。
長丁場になりそうだ…。
* * *
つ、疲れた…。
ギリギリで夕餉には間に合ったが、ホントにギリギリだった。
戦場でないにも関わらずこの有様。
一応の手当ては出来たと思うが、どうだろうか。
「公方様」
頭を抱えていると、於市ちゃんが心配そうに側にやってきた。
娘たちの顔を見て癒されたい気持ちもあったが、流石にもう遅い。
自重しよう。
「御台よ。頼みがある」
「何なりと」
今夜は浸りたい。
そして活力を貰いたい。
「今宵は佐古のもとに渡りたいのだが」
「承知しました。すぐに手配致します」
「すまんな、手間をかける」
「これもわらわのお役目。大事ございませぬ」
奥の差配にも大分慣れてきたようで助かる。
女衆の動きにも張り出てきたのは於市ちゃんの影響で間違いない。
娘たちの存在もあろうが。
「ときに公方様」
「何かな」
「古馴染みの佐古殿でなければ癒せぬこともありましょう。
されど、わらわは御台所にございます。ゆめ、お忘れなきよう」
そう言うと於市ちゃんは身を翻して行ってしまった。
あれかな、釘を刺されたのかな。
見透かされた上で。
どうやら疲労が顔に出てたようで、心配させてしまったようだ。
「余は果報者よな」
女衆に心配されるのは男子の本懐。
思わず呟き、先導する侍女について歩き出すのだった。
ちなみにこの侍女、多羅尾に所縁の甲賀衆。
先ほどのやり取りと呟きは、今夜のうちに全て主だった者の耳に入ること間違いなし。
別に構わんのだが少し気恥ずかしいぞ。
* * *
将軍の古馴染みで愛妾たる佐古殿の部屋。
あれ?
愛妾はともかく、古馴染みなのはアザミちゃんであって佐古では…。
彼女が最初の側室なのは間違いないけど、古馴染みと言うほどの付き合いではない。
…まあいいか。
今はただ早く癒されたい。
正室が入ってから佐古殿の立場は少し下がった。
相対的に仕方のないことで、キリが男子を産んでまた少し下がった。
でもアザミちゃんはあまり気にしてない。
伊賀衆も気にしてない。
何故ならまた上がる可能性が高いから。
佐古殿は長男の生母。
正室が居たらその養子となって嫡子となる可能性があるのだ。
おっと、佐古殿は宇野氏の娘であって伊賀衆の娘じゃなかった。
キリも多羅尾所縁の娘じゃなくて大河内氏の娘だしな。
どっちも表に出てこないから忘れかけてたわ。
危ない危ない。
「公方様。如何なされました?」
部屋に入ってボケッと突っ立っていると、いつの間にか頭を上げたアザミちゃんから声をかけられた。
大分怪訝な顔をしている。
いかんいかん。
「佐古よ、周囲はどうか」
「…誰もおりませぬ」
極々限られた内輪の伊賀衆以外いないよってこと。
ならばよし。
「アザミー!」
激情のままにスレンダーな身体を搔き抱く。
良かった、避けられなかった。
「痛いですよ」
ペシンと頭を叩かれた。
「痛いではないか」
「わたくしの台詞です」
とりあえず力を抜くが解放はしない。
あー、安心する抱き心地。
「和田様のこと、話は聞きました」
「うむ」
アザミちゃんは、何なら臣下の誰よりも一番古い馴染みの相手。
側室がどうとか伊賀衆がどうとかクノイチは大事だけれども、そんなことを抜いても深く信頼している。
安心感が半端ない。
和田さんの討死。
これは結構なダメージを私に与えている。
惟長の無様も増幅要件。
現在進行形で蓄積し続ける心労。
「今の甲賀衆があるのは和田様の功績です」
そうなんだよ。
幕臣とはいえ、甲賀の有力な国人衆の一人だった和田さん。
彼が城を捨ててまで私に付き従ってくれたことが、後々に至る甲賀衆への厚遇に繋がっているのは間違いない。
「キリ殿や多羅尾殿との繋がりも同じく」
「う、うむ」
キリの名が出た瞬間にアザミちゃんの腕が軋むのは幻聴。
撫でてくれてる掌から伝わる痛みは幻覚。
わざわざ指摘するのは野暮だろう。
なお、多羅尾については源兵衛の伝手でもある。
「お悩みは太郎殿がこともあるのでしょう?」
「お見通しか」
「ええ。誠に失礼ながら、和田様の嫡子としては少々物足りないと思うておりました故」
これはクノイチとしての見解。
伊賀衆上層部の総意であったらしい。
嘆息しながらアザミちゃんの手を取り撫で愛でる。
ヒャッハー、すべすべだあ!
紛うことなき変態である。
「個人的にも恩を感じておる功臣の嫡子よ。蔑ろには出来ぬ」
「お察しいたします」
切り捨てろ、と目が語っていたので敢えて口にした。
次代の器量に問題があると分かっているのなら、上手く調整して対応するのが上司たる私の役目。
整理しながら自分にも言い聞かせる。
こうなってくると惟増の存在がありがたい。
惟長の暴発を防ぎつつ、実務は惟増に任せる。
難しいがやらなければならない。
だって私は将軍だから。
ナデナデ。
ふと静かにしているアザミちゃんを見てみる。
私が撫で回す手を見詰めていた。
ちょっとやり過ぎただろうか。
ナ~デナ~デ。
でも止めない。
頬に赤みが差してることに気付いたから。
うむ、良い。
「…公方様」
「何か?」
「次は、女子が欲しうございます」
…よっしゃ任せとけ!
昨夜は末永く爆発しみでしたね。
口語と文語と歴史的仮名遣いの使い分けが難しう御座候。




