第八話 帰りたいです
遅くなりました。
「早速呼び出しだ。それじゃ俺はこれで。またね」
「はい。お気をつけて」
貴楽はホルスへ別れの挨拶を告げるとすぐに要請されたチャットへチャンネルを切り替える。
† †
そこにいたのはスーツを纏った男性。年の頃は40手前、黒のアンダーフレームでやや隠れてはいるが、目の下にある隈は濃い。そして瞳の色が赤く、肌の色は病的に白かった。アルビノであるということが一目で分かる。恐ろしいほどの美形だが、ゲーム内用に作った外見ではなく雑誌インタビューに載っている写真と同じであった。
「どうも、初めまして。宇佐美 國弘です。急なお呼びだて申し訳ない。サンラットさん。あ、この外見は」
「あ、こちらこそ初めまして! いつも楽しく遊ばせてもらってます」
「そんなに緊張なさらず」
緊張するなと言われても貴楽には難しい。普段遊んでいる世界の造り主、いわば神の一柱であるとも言える存在だ。そのような立場の人から聞き取り調査をされるとなれば、緊張してしまうのも道理であった。
「今回は要報告案件のメールありがとうございます。早速ですが聞き取りをしたいので、詳しく話してもらえますか?」
貴楽は「ええと」と返答してから、自身に起こったこれまでのことを詳しく語った。ホルスとオットーのことについては「友人に心配された」とだけ答えるにとどめた。2人に迷惑が掛かるかもしれない、と考えた上でのことである。
「なるほど。ではその時手に入れたアイテムを見せていただけますか?」
「あ、はい」
貴楽は言われるがままにショートソードとスモールシールドを取り出して宇佐美の前に置いた。宇佐美はそれを手に取り、じっくりと観察する。何か特殊なプログラムを走らせて精査しているように貴楽には思えた。
「……これは確かにゲーム内のアイテムではありませんね」
「やっぱりそうなんですか」
チートアイテムだとはっきり分かり貴楽は落ち込む。MMOでチートを行っても何も楽しくはない、というのが貴楽の感覚なのだった。
「はい。この2つのアイテムにはアイテム管理番号が存在していません。つまり、あらゆる効果の対象外のアイテムになっています。攻撃力は設定されているので、装備すればその分攻撃力は伸ばせますが、改造や付与の対象に取ることは出来ません。また、管理番号が無いため破壊や除去対象にされることも無ければ、使用回数さえ存在しません。つまり、絶対壊れないし無くなりません」
「……見事なチートっぷりですね」
「そうですね。さすがにこんなアイテムが溢れだしたらVeStのバランスは崩壊してしまうでしょう」
「はあ、そうですか」
貴楽はため息を吐いて俯いた。このアイテムを失うのは全くもって構わないのだが、持ち込んだ自分にはどんな罰則が下るのだろうと憂鬱になっていく。
そんな貴楽に宇佐美は微笑みかける。
「サンラットさんはどうやら真面目なプレイヤーのようですね。真摯にゲームを楽しんでもらえてこちらとしても大変嬉しく思います」
「恐縮です」
「……今回の事態はサンラットさんが悪意を持ってVeStを壊そうとしたものではなく、事態解決の糸口を掴んでくれた、私達はそのように解釈したいと思います」
「え?」
貴楽は宇佐美の発言に驚きながら顔をあげる。
「現状の調査報告をご説明させていただきます。まだ表には流していない情報なので、ご内密にお願いしますよ?」
「はい。もちろんです」
「現在VeStで発生している現実と同じ感覚になってしまうという現象を我々は『情報統一化現象』と呼んでいます」
「『情報統一化現象』……?」
初めて聞く言葉に貴楽は反芻するように繰り返す。
「この現象は、一定範囲内における情報量が限界に至った際に発生する現象と言われています」
提唱されたのはVR技術初期の頃なんですけどね、と笑いながら宇佐美は言葉を続けた。
「どういう現象なんですか?」
「詳しい説明は省かせていただきますが、そうですね。紙に正方形を鉛筆で書いたとしましょう。その中もしっかりと塗りつぶします。この際、鉛筆の芯は無限に存在し、書かれた紙も破けず、塗りつぶしは正方形からはみ出さない、とします」
「はい」
「1度塗りつぶしたのではただの正方形のまま。10でも100でも変わりません。芯で描いた分少しずつ積み上がりはできますが、正方形のままです。ですがこれがもし、億、兆という桁まで積み重なった場合、それは正方形と呼べるでしょうか? どこかの段階で塗りつぶしで作られた立方体になる。だとしたなら、絵に描いた立方体も、現実に紙で立方体を作るのも、同じ立方体として成り立つ。つまりそれは情報が積み重なることでいずれは現実と同じ現象が起こるだろう、という理論でした」
「確かにはみ出ることもなく、破けることもなく、芯が無限に存在したなら立方体になりそうに思いますけど、途中で崩れちゃいますよね? 重力とかあるし、鉛筆の芯だって粒子だから何度もこすられれば動いちゃうでしょうし」
理屈倒れの理論ではないか、と貴楽は返した。
「はい。発表当時からそのように思われていました。理論が正しいかの実証などできない。どれだけVRが現実に近づいても、現実が持つ情報量にVRが追いつける訳がない。これはSFものの小説などと同じ空想の産物だ。いわゆるジョークネタの定番ともなっていました。今ではそのジョークさえ古くなり忘れられてしまいましたけれど」
「そのジョークみたいな状況が、今の現象なんですか?」
「完全に一致はしませんが、近い状況ではあると思います」
「なるほど。でもVRMMOっていろいろと処理を省いている部分がありますよね? だとしたら情報量が現実に近づくなんて難しいんじゃ? 情報量に対してリミッターが掛かってるようなもんでしょうし」
「確かに。VRが持つ情報量は過去に比べて桁が2,3個違うほどに多くはなっています。ですがそれでも現実には及びません。及ばないようにしているのだから当然なんですが。ダメージを受けて実際に痛くて死んでしまうゲームは殆どプレイする人がいないでしょう。そうなると企業は開発費の回収もできませんから、そもそも作りません」
「じゃあなんだってこんな状況になっているんですか?」
「足りない情報量を、脳が想像してしまったのです。それも多くの人が」
「集団催眠みたいなもんですか?」
「そうですね。問題はその催眠をかけたのが催眠術師1人なのではなく、催眠をかけられている人々それぞれが少しずつ催眠をかけあっている、ということなのです」
「どういうことですか?」
「VRMMOをプレイする内に、こっちが現実だったらいいのに、とか考えたことはありませんか?」
「そりゃあ、1度や2度は」
貴楽は嘘をついた。廃人などと呼ばれるレベルでやり込んでいるのだ。当然1度や2度ということはない。
「そういった人々はゲーム内で強く刺激を求めます。よりリアルに、もっと感覚を鋭く、と」
「確かにそういった部分はありました。スキル後の硬直とか、敵の感知タイミングとか、皮膚感覚の違和感とかで」
「ええ。そのような要望はそれこそ毎日のように届いています。もっとリアルに、と考える人々はゲームに現実を求めている人でもあります。足りないものを想像したり、要求したり、創作たり。つまり情報量を増やしているのです」
「ゲーム全体で情報量が限界値に到達した、ということですか」
「正確には限界値に近くなりつつある、ですね。どれだけ近くなってもまだ足りません。今なら自動ログアウトならば、現実に帰還もできます。ですが――」
宇佐美は溜めてから言葉を放つ。
「サンラット、いえ、三玉 貴楽さん。貴方は今のままでは現実に帰還できません」
貴楽にとって、半ば予想できていたことはいえ、それは衝撃的な言葉だった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




