第二十話 強いんです
存在を引き継ぐ。
リッチロードが告げた言葉は、ゲーム中に用意された台詞ではない。それは文字通りの意味であった。貴楽という存在を上書きするという行為。貴楽が現実から消え去り、リッチロードが現実に現れるという非現実。情報量の増加により現実とゲームの境界が曖昧になっている今、VeStのシステムを使い、元が貴楽の記憶から発生しているからこそ可能性が生まれた。そのことを否応なしに理解させられる貴楽。自身が失われる、乗っ取られるという可能性に心の扉が小さく開き、恐怖という水が心の内を満たしていく。
「そんな、こと」
『できるわけがない、かね?』
「できるわけがない!」
『そうかね? それはどちらでもいい。後になればわかることだからね。攻撃は続いているのだが、いいのかね?』
「ッ!?」
大声をあげての否定。
虚勢であることを、信じたくないという希望を見透かしてできた隙に攻撃を加えるリッチロード。
油断ではない。バッドステータスでもない。だが動揺は隠し通せない。
貴楽が動揺している間に、リッチロードは“移動:浮遊”で貴楽から距離を取り、ジグラットとの連携で貴楽のHPを削っていく。
『さてこれで貴殿の勝ち目はさらに薄くなったね? いいのかね?』
「うおおっ!」
貴楽は突進を仕掛ける。なんの作戦もない。リッチロードに距離を取られてはまずい、というゲーマーとしての本能だけが体を動かす。当然、そのようなものは通用しない。ジグラットによって自動防御を削られ、リッチロードの水魔法〈凍結槍〉により足を止められる。
「ぐぁ!」
貴楽は地面に縫い付けられた左足から鋭い痛みと熱を感じる。回復するまで走ることができなくなった。これはバッドステータスではない。人体構造的に走ることに必要な箇所の筋肉が断裂されたのだ。“移動:浮遊”に切り替え、浮かび上がる。だが機動力は圧倒的に落ちてしまった。地面に縫い付けられているよりはマシだが、ジグラットの攻撃を回避するのはほぼ不可能になっている。
『防戦一方のようだね? はて? 貴殿はここまで弱かったか』
「くそ……」
悔しいがここは撤退しなければいけない。冷静な貴楽の意見と、弱気な貴楽の意見が合致する。ちらり、と後方を見た時、リッチロードが声をかけた。
『逃げるのかね? まあそれもいいだろう。我は貴殿の中に残り続ける。つまり、まだチャンスはあるということだからね』
貴楽は冗談じゃない、と心の中で罵倒するが、今は逃げるのが先決だ。魔王の特殊能力で撤退が可能なのだから、使わない手はない。
『ふむ。挑発には乗らないのかね? ではこういう挑発はどうだろうか?』
続くリッチロードの言葉に貴楽は動きを止めざるをえなかった。
『我の方が力が強いからね。貴殿が肉体に戻っても少しの間は支配権を得られるだろうね。おや? そういえば貴殿には家族、という存在がいたね?』
貴楽の動きが止まる。
「てめぇ、何するつもりだっ!」
振り返り叫ぶ。
『未熟者だね?』
貴楽に向けて赤い炎で形作られた大蛇が放たれる。リッチロードが予め準備していた“火魔法:上級”〈紅炎大蛇〉が放たれたのだ。一直線にしか飛ばず、速力もない。だが威力は最大レベルの魔法。相手が隙を見せている時でなければとても使えないが、連携や奇襲時には大変重宝される。摂氏数千度に及ぶ蛇は、振り返った貴楽の左腕に炸裂しそのまま何事もなかったかのように突き抜けていく。大蛇の通った場所にあったはずの左腕は肘から先の一切を失っており、肘は炭化していた。もはや痛みを感じることはないほどの損傷。HPバーも3割ほども減少している。
「いぎゃああああっ!」
『んんむ。いい声だね? 外してしまったのは残念だが、これが聞けたのであれば満足いく結果だね』
「ぐ、ぐうぅっ。ま、マジック〈聖治癒〉……」
呟くように回復魔法を唱えるが、腕が即座に再生するようなことはない。そもそもVeStに部位欠損という概念はプレイヤーキャラクターにはないのだ。モンスターならば部位で分かれていることがあるために“部位再生”という特殊能力が存在するのだが。
『で、だ。まだ逃げるのかね?』
逃げられない。
貴楽はその事実に絶望する。撤退という手段が、精神的束縛によって取れなくなってしまった。貴楽を逃さないためのハッタリに違いないと思いながらも、僅かなりと可能性があるならば、家族を危険に晒すことなどできない。この敵はここで倒すしか無い。だがしかしどうやって?
『どうやら逃げるのは諦めたようだね?』
「うるせぇ!」
貴楽の頭は混乱の極みにあった。リッチロードへの怒り、自身への不甲斐なさ、家族への不安、制限時間への焦り、撤退したいという弱気、ジグラットへの対処、失われた左腕への喪失感。
「フンッ!」
『何をしているのかね?』
貴楽は自身の額に右拳を打ち付けた。何を情けないことを考えている、と気合を入れ直すために。
今頭の中には負の感情が大半を占めているが、その中にあってなお強い敵と戦っている高揚感を捨てきれない。あの敵を思い切り殴りつけて倒してやったらどんなに気持ちがいいだろうという欲求を持ち続けてしまう。そのような自分を度し難く思うと同時、崩れそうな自分を立たせる芯になってくれることに感謝をする。
息を吐く。吸う。数えきれないほど行ってきた調息。
「ここからが本番だぜ」
『そうこなくてはいけないね?』
貴楽の声に応えるリッチロードの声が弾む。
リッチロードは残念に思っていた。1度は自身を見事に討ち果たした存在が、あまりにも弱いことに。強い相手だからこそ奪い取る価値がある。倒した本人の記憶に引きずられて強く賢くなったが、相手が弱くなっていたのでは興醒めであった。挑発をしても逃げようとする、怒りと怯えに行動が単純化する。そのようなつまらない相手であるならば、奪い取る価値はない。だが彼はもう1度立ち上がり自身に相対した。記憶にある挑戦者の時のまま、紫の眼で。自動回復と魔法の治療で足の傷は回復しているようだった。片腕になったからといって衰えぬ闘志。これを蹂躙してこそ魔王の本懐であると確信に至る。
『いいね。実にいい。我は満足しているよ』
「俺は不満だ」
『より、いいね?』
「ああ、いいぜ。全部ぶつけてやらあ」
告げるなり貴楽は走る。リッチロードが居る方向とは別の方向へ。気配察知をフルに利用し、ジグラットの位置を常に把握。貴楽を自動で追ってくるジグラットを誘導し、攻撃される回数を減らす。貴楽本来の機動力ならば、ジグラット2つの攻撃ならば十分にしのげた。そしてリッチロードからの攻撃も距離があるため回避は容易である。
『持久戦かね? 魔王相手にそれは悪手だと思うがね』
「俺だって魔王なんだぜ? まだまだ戦える!」
『期待しようかね』
走りながら〈聖光〉を放ち、ジグラットを行動停止に追い込もうとする貴楽。しかしそれはリッチロードによって尽く防がれた。次第に壁際へと追い込まれていく貴楽だったが、壁が目前に迫った時、動きが変わった。
「うおおっ!」
『……デタラメではないかね?』
貴楽が取ったリッチロードでも呆れる行動。それは壁走りであった。
走る勢いそのままに、垂直に近い壁を2、3歩と斜めに走り抜ける。最後の一歩で空中に飛び、ジグラットの1つを掴み取り、もう1つへ〈聖光〉を打ち込む。リッチロードから直線上、死角になっているジグラットは〈聖光〉の直撃を受けて行動停止に陥った。手で掴み取ったジグラットも、かけ直した〈聖付与〉によって魔力を遮られて行動が停止する。
「まず2つ!」
『やればできるじゃないかね』
「余裕かましてられるのも今のうちだ!」
2度同じ手は通用しない、と貴楽は考える。攻撃の手数が2つ減り、ジグラットは後2つ。無視して突っ切るか、ジグラットから狙うか。貴楽には選択肢が増えていた。その上でリッチロードの思考を読み始める。
魔王と魔王の対決で、互いに決め手が少ない。というよりも貴楽には現在決め手になる攻撃手段が無い。それでも弱点をつくことでダメージを与えることはできる。肉体戦の技術は貴楽の方が遥かに上であり、ジグラットが無くなれば接近してから近接戦闘を行うことでアドバンテージを確保できると貴楽は踏んだ。
逆に言うならば、ジグラットを駆使し中~遠距離を維持したままリッチロードは決め手になる魔法を当てることが勝負を決める手段である。〈紅炎大蛇〉を頭や胴体中央にでも当てられればその時点でHPバーが残っていようと勝敗は決してしまう。
接近戦を仕掛けるにあたり、あの異常な密度と重さは今は無視をするしかなかった。遠距離戦では勝ち目が0。ならばどうにかして密度と重さをなんとかする手段を発見し、近接戦を考えるしかない。
「最初にしてくるのは、俺を近寄らせないようにする牽制! マジック〈闇の礫〉」
『闇の下級魔法など我には通用せんよ』
貴楽は〈闇の礫〉を用意しながら走った。今度はリッチロードへ向けて。残り2つとなったジグラットをリッチロードは自分の近くへと移動させて一斉攻撃を行う。貴楽の背後や左右から挟むように攻撃し回避場所を削減するような攻撃だったのが、正面から面を当てるように変化した。これは貴楽を近づけさせまいとする牽制であり、正面に走りこめば必ず止めに来る、と貴楽が最初の1手として読んだ結果である。
「さすがに正面突破は無理か」
『当然だね?』
次の動きは貴楽が真横にステップしリッチロードの側面へと円を描くように走り抜ける。
西日を背に立った貴楽に向き直るリッチロード。その視界は眩しさで目が眩むなどといったことは起きない。そこへ貴楽から〈闇の礫〉が発射される。
『無駄だね?』
「その台詞好きなんだな。ワンパだぜ」
『なに?』
「マジック!〈影跳躍〉」
貴楽の狙いはこれだったのか、とリッチロードは驚愕する。〈影跳躍〉は闇魔法の移動魔法であるが、自身影と何かの影が繋がっている場合のみ使える移動魔法だ。あまり使い道はないが、今、西日によって影が大きく伸びている状況ならば、一手でリッチロードの懐に入り込める。〈闇の礫〉は囮、そう判断したリッチロードは即座に同じ魔法を唱えた。
『惜しかったね? マジック〈影跳躍〉』
西日が差し込んで影が伸びているのはリッチロードも同じ。貴楽が魔法を唱えた直後に唱えれば、懐に入り込まれることはない。周囲に待機させているジグラットも一緒に移動するため、握り潰されることもない。
「いいや、これでいいのさ」
貴楽の笑いと共に、浮かんでいたジグラットが破壊された。
『な、何が起こったのかね?』
リッチロードは移動魔法と移動魔法、距離は共に変わらないはずであり、攻撃はかわしたはずであると確信していた。
「簡単な話。〈闇の礫〉にお前から当りにいったんだよ。ご苦労さん」
『そういうことかね!』
貴楽は自身が〈影跳躍〉を行えば、リッチロードも〈影跳躍〉を行うと読み、出現ポイントに向けて〈闇の礫〉を放っていたのである。西日による影の伸び方から距離を概算し、移動直後にジグラットは動かせないだろうという期待も込めての攻撃であったが。
「さぁ、これで後1つだな」
『大したものだね? あの状況からここまで盛り返してくるとは』
リッチロードが声が喜びを含む。
『素晴らしいね?』
浮かんだままゆっくりと貴楽に近づいてくる。
「なにを考えてやがる」
『近接戦闘がしたいのだろうと思ってね? 相手になってあげようというのだよ』
「なに?」
『遠距離戦では勝って負けて、1勝1敗。ゆえに近接戦で勝敗を決しようと思ってね?』
「お前は1度俺に負けてるんだぞ。自信があるのかよ」
『さっきはそちらの近接戦も効かなかった。1敗1分ということだね? つまり我は挑戦者ということだね? 挑まれて逃げるかね? 魔王』
「……そんな言われ方されたら逃げられねぇよな。来いよ。ぶっ飛ばしてやる」
『そうこなくてはね』
タイムアップまで残り30分。
盤面はいよいよ最終局面に入っていた。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
可能な限り頑張りますが、明日は更新できないかもしれません。ご了承ください。




