第十一話 詰んだと思いました
貴楽がしばらく歩いていると、通路を抜けて大きな空間へとたどり着いた。ここに来るまで先の戦いから追加で戦うこと3回。時間は30分ほど経過している。どの戦いも相手はアンデットであり、戦いに慣れるには十分であった。レベルも1つ上昇し3になっている。
広間に抜ける一歩手前で貴楽は足を止める。貴楽が通路から左右を見渡しても両壁が見えない。それは薄暗さのせいと壁ほどに天井の灯りが無いため。周囲から照らされる中心部の暗闇は、さながら球体の怪物のようであった。
VeStでも広間に入った瞬間別エリア判定となりいきなり敵が湧くことがあったためだ。
「気配察知では何もわからないな。見えないし音もしない、っと」
覚悟を決めて一歩踏み込む。同時、背後の通路に鉄格子が降り後退ができなくなる。
「罠か!?」
他の場所でも鉄格子が降りる音がする。どうやら広間に閉じ込められたようだった。
壁と灯りが徐々に大きくなっていき、次いで天井に灯りが灯り始める。どうやらかなり高く、吹き抜けになっているようである。
影が徐々に晴れていく。
「あ、ああ……マジ、かよ」
貴楽は自分の死を直感する。
最初に見えたのはクリーム色の滑らかな流線を描く突起。象牙色のそれが左右に3本ずつ。それが巨大な爪だと知れたのは更に見えるようになってきてから。細かく鱗のついた強靭な2本の足。鱗一枚の大きさは小さいものでも数cmもあり、大きい部分では10cmを超えた。
次いで胴体。もはや見上げるような高さになってようやく気づけた。びっしりと鱗に守られた体躯にはいかな名剣でも傷などつけられないと錯覚するほどに頑強さを感じさせる。
腕部。胴体から伸びた2対の豪腕。腕の太さの直径だけで貴楽の身長を超える。その先には4本の爪がついた手があった。人間の体を2人分はまとめて掴めそうな巨大さであり、爪の鋭さはどんな防具でも耐え切るのは難しく思えた。
背に生える1対の羽根。コウモリのように皮膜と骨格で作られているが規模が違う。限定空間ゆえに今は閉じられているが、広げれば数十mは硬い。その皮膜ですら弓矢で貫くのは不可能だろう。なぜならいくら数十mに及ぶ羽根でも、巨大な体躯を浮かび上がらせることは物理的に不可能。浮かび上がらせるだけの魔法の力をその両翼に秘めているからこそ頑強にそして長時間の飛行を可能にしているのだ。
伸びる尾。巨大な体躯で殆ど見えないが、全身のバランスを取るために脚部と同等に力がはいる部分であり、先端に向けて細く長くなるそれは鞭の如きしなりを発揮する。尾の先端部で最速のタイミングで攻撃を受ければ、空気が弾ける軽い音と共に攻撃を受けた箇所は爆散するだろう。
そして頭部。ワニのような造形でありながら巨大さが比べ物にならない強靭な顎。噛み合う牙が数十本1本1本が生き物を殺すための殺傷武器。瞳孔の裂けた瞳が2つ貴楽を睥睨している。頭頂には角。あらゆる身体感覚を統括し、視覚以外の知覚器官として全ての奇襲を無効にする。そして口を開けばもはや兵器と呼ぶしか無い威力と範囲を誇る竜の吐息が放たれる。
身体中に張り付く鱗の色は燃えるような赤。呼吸をする毎にゆるりと揺れる様は大地の胎動のように力強く美しい。
これだけ巨大でも“気配察知:初級”では見えなかった。察知系の特殊能力を無効化されたのである。
そこにはVeStでも上位から数えた方が早いネームドキャラクター。レッドドラゴンがそこにいた。
「あ、あれ? 動ける? それに威圧も感じない……?」
貴楽は死ぬ、詰んだと思った。過去にレッドドラゴンと遭遇した時、“竜の威圧”という特殊能力によって体の自由を奪われ、そこへ連続攻撃を食らって為す術なく敗退した記憶があったのである。だが今は魔王の特殊能力である“無効:全状態異常”によって無効化されていた。
『魔王、じゃと?』
貴楽の頭に直接響くしわがれた声。長い年月をかけて培われた知性を思わせる声である。
「レッドドラゴンが喋ってる、のか?」
『応えい。魔王よ。よもやその矮小な力で儂を倒しに参ったと申すではなかろうな』
貴楽をじっと見下ろすレッドドラゴン。
「それは違う。倒しに来たわけじゃない。違うったら違う。偶々迷い込んだんだ」
『ほう。それは随分都合が良いことを。そう言いながら油断させて儂を倒すつもりか?』
「戦うならそれに則した状態になってから来るさ」
『怒らんのか』
レッドドラゴンは少し驚く。魔王とはプライドが高く少し挑発してやれば戦いになると踏んでいた。
「戦いに卑怯も何もない。勝った方が強い。正しさは別だと思うけどな」
『珍しい魔王よ。まるで人間のようだな』
「元人間だからな。心はまだ人間のままだ」
『珍しい。では人間を相手にしているつもりで話を進めようぞ』
「それでいいなら頼むよ」
『うむ。ここで戦わないというのであれば、儂の頼みを1つ聞いてくれんかね』
「あー、クエストか。一体どんな頼みだ?」
貴楽は納得する。まだ序盤とも言えるこの場所でレッドドラゴンのようなネームドボスキャラクターを倒せるわけがない。少しは貴楽の意識を反映するこのログアウト世界なら尚の事。クエストというのであれば納得できた。
『なに。難しいことではない。この先にある泉の底から宝玉を持ってきてもらいたいのじゃ』
「竜の宝玉!? 結構なお宝じゃないか。でも、なんでレッドドラゴンが持っていないんだ?」
『ゴブリン共の中に知恵の回る奴がおっての。盗まれてしもうた。頭に来て巣ごと燃やしたはいいが、その際に泉の底に落ちてしもうたのじゃ』
「巣ごとって……」
『まあ済んだことはよい。儂はこの体躯じゃから泉に潜ることはできん。泉ごと吹き飛ばせば宝玉が無事であることもなかろう。困っておったところよ』
「何か報酬はもらえるのか?」
『見逃してやろう』
「お? マジで? じゃあやるやる」
非常に軽い返事で貴楽はクエストを受ける。本来のゲームでならば何も報酬がないことに苛ついたかもしれない。だが今は命の危機で、安全の保証が確約してもらえるならば幸運であると判断していた。
『……軽いのう。本当に魔王か?』
レッドドラゴンは目を瞬かせる。脆弱な人間だとしても報酬も与えない取引というのは少しは思うところがあるだろう。そこを突いて反応を見るつもりがあっさりの承諾であったからだ。
「言っただろ。元人間さ」
『怖いのう。早まったかもしれんな』
なるほど、とレッドドラゴンは認識を改めた。この眼の前の若い魔王は負けたつもりが欠片もない。力の差を背景に要求を突きつけた形であるが、それを屈辱と思っていない。こういう輩はいつかまたここに来る。倒せるだけの準備をして、倒せると判断したタイミングで。油断も躊躇いもなく。それをレッドドラゴンは「怖い」と表現した。本音としては「面白い」であったが。
「全然怖そうに見えないんですけど」
『まあ、良いではないか。では頼んだ。西側の通路を開けておいたからそちらから行くといい』
「ああ、そういえば聞きたいことが」
『なんじゃ?』
「その泉の周辺に、何か生物はいるのか?」
『貴重な水辺じゃからな。そりゃおるじゃろう。詳しくは知らんが、アンデット共は近寄らんようじゃな』
「そうか。情報ありがとう」
『……少しは魔王らしく振る舞え』
「そのうちな。じゃあまた」
すっかり毒気を抜かれたレッドドラゴン。よもや魔王に礼を言われるとは思っていなかった。
西の通路を進んでいく魔王が知覚範囲を出るまで、そちらの方に意識を向け続けている。
誰かを待つ、という感覚は孤高の竜王にとって初めてのことであった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




