62.ダンジョンへ
「わぁ! やっぱり、広い!」
ダンジョンへの入口を通り抜けた瞬間、ひんやりとした空気が肌を撫でた。そこに広がっていたのは、想像していた地下とはまるで違う光景だった。
一面に生い茂る緑。足元には柔らかな草が敷き詰められ、踏みしめるたびにしっとりとした感触が返ってくる。視線を上げれば、高く伸びた木々が枝を広げ、葉の隙間から淡い光が降り注いでいた。天井があるはずなのに、空があるように感じられるほど、開放的だ。
「いつみても、想像を超えてくるね」
空気は澄み、土と草と水が混じり合った匂いが鼻をくすぐった。外の森よりも、どこか整えられたような、不自然なまでの美しさがある。
作られた自然。そう直感した瞬間、背筋に小さな緊張が走る。ここは安全な楽園ではない。間違いなく、ダンジョンだ。
「久しぶりのダンジョンだけど、どう?」
「うん! 最高に楽しい! また、ここに来れて良かったよ!」
「そう……。楽しそうで良かった」
そう言って、わずかに微笑んだ。シグナさんもダンジョンが気に入っているのか、ダンジョンを褒められて嬉しいっていう感じだ。
そんな好きなダンジョンにいれるのだから、お互いにテンションは高いはず。このテンションのまま、ダンジョンを歩き回りたいけれど、その前にやることがある。
「じゃあ、まず……剣の取り扱いかたから」
そう。ダンジョンには魔物がいる。その魔物を倒すためには、攻撃手段が必要なわけで、その技術がない私はそれを磨かなければならない。
冒険するのには避けて通れない障害。それを、自分の力で排除する力が必要だ。
シグナさんは私の腰にぶら下げていたショートソードを抜き、刃をこちらに向けないよう、自然な動きで構え直した。
「まずは基本から。ショートソードは軽くて取り回しがいい分、力任せに振る武器じゃない」
「うん、速さと正確さ、だよね」
「その通り」
そう言って、私の手に剣を渡してくる。少しの重みはあるけれど、両手剣ほどではない。握った瞬間、金属の冷たさが手のひらに伝わった。
「持ち方はこう。柄は強く握りすぎない。親指と人差し指で支える感じ。他の指は添えるだけ」
「……こう?」
「いい。今度は足」
シグナさんは一歩前に出て、見本を見せてくれる。前足と後ろ足を肩幅より少し広めに開き、重心を低く保つ。
「前傾しすぎない。逃げる時も、踏み込む時も、すぐ動ける姿勢を意識して」
「なるほど……」
言われた通りに足を動かすと、最初は少しふらついたが、何度か調整していくうちに安定してきた。
「構えはこれが基本。剣先は相手の喉元を狙う高さ。視線は剣じゃなく、相手全体を見る」
「剣を見ちゃだめなんだ」
「見た瞬間、反応が遅れる」
淡々とした口調だけど、ひとつひとつが実戦を想定した言葉だ。私は深く頷き、剣先を定める。
「じゃあ、振ってみよう。大きく振らなくていい。手首と肘を使って、真っ直ぐ」
シグナさんが空中に、仮想の標的を示す。
「ここを、切るつもりで」
「……えいっ!」
剣を振る。空を切る音がして、少しだけバランスを崩した。
「今のは力が入りすぎ。もっと置く感じで当てる」
「置く……」
もう一度。今度は力を抜いて、教えられた通りに。
シュッ。
先ほどより、ずっと軽い音がした。
「今のはいい」
「ほんと?」
「うん。十分合格点」
その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなる。剣を握る手に、少し自信が宿った気がした。
「次は連続で。振って、戻して、すぐ次。剣は振りっぱなしにしない」
「分かった!」
一振り、二振り。動きはまだぎこちないけれど、最初よりも明らかに身体が剣に慣れてきている。
ダンジョンの静かな平原の中、剣の風切り音だけが小さく響く。遊びじゃない。けれど、怖くもない。
私は今、確かに一歩ずつ、冒険者として前に進んでいた。
◇
「あー、もう無理ー!」
「……ここまでにしよう。少し休憩」
剣を下ろした瞬間、腕から一気に力が抜け、その場にぺたんと座り込む。太ももがじんじんと痺れていて、手のひらは剣を握り続けたせいで、じっとりと汗ばんでいた。
息を整えようとしても、呼吸がうまく追いつかない。思っていた以上に、全身を使っていたらしい。肩も重く、指先は少し震えていた。
「体力、使うでしょ」
「うん……。剣振るだけなのに、こんなに疲れるとは思わなかった……」
そう言いながら仰向けに倒れ込み、草の上に大の字になる。ひんやりとした地面の感触が、熱を持った背中に心地よかった。見上げると、木々の隙間から差し込む光が、ゆっくりと揺れている。
ダンジョンの中なのに、どこか穏やかで……だからこそ、余計に体の疲れが際立つ。
「無駄な力が入ってる。慣れれば、もっと楽になるよ」
「慣れる前に、筋肉痛で動けなくなりそう……」
私のぼやきに、シグナさんは小さく息を吐くように笑った。そして、水筒を取り出してこちらに差し出してくれる。
「ちゃんと水飲んで。今は休むのも訓練」
「はーい……」
受け取って、一口飲む。冷たい水が喉を通ると、体の奥に溜まっていた熱が、少しずつ引いていくのが分かった。
剣の扱いは、まだまだだ。振り方も、足運びも、考えなければ出来ないことばかり。それでも――。
草の上に置いたショートソードに目を向ける。先ほどまで重く感じていた剣が、今は不思議と嫌じゃない重さに思えた。
ピロン
その時、通知音が鳴り響き、ウィンドウが開く
『体力1アップ、筋力1アップ』
あっ、パラメーターが変わった! 今まで日常クエストとガチャの特典でしか上がっていなかったけれど、こうやって訓練すれば上がるんだ!
まぁ、そうだよね。普通はそうやって体を鍛えていくものだから、パラメーターが変わるのも頷ける。
じゃあ、このまま訓練をすれば、もっと能力値が変わっていくのかな? 日常クエスト以外にでも、能力値を上げる手段が見つかって良かった。
「なんだか、嬉しそう。どうしたの?」
「えへへ、ちょっと良いことが起こったの」
「それは、良かった」
私が嬉しそうに笑うと、それだけでシグナさんが少しだけ笑ってくれる。それがとても心地よくて、体の疲れが吹っ飛んでいく。
「後はのんびりとしよう。急いでも何も良いことがない」
「シグナさんがそういうなら、そうしようかな。じゃあ、お喋りしようよ! ここだと、周りの目がないでしょ?」
「……そうね」
体を起こして詰め寄ると、シグナさんが遠慮がちに頷いてくれた。それから、周りの目を気にしないで楽しい時間を過ごせた。




