60. コニー・クレイス
とりあえず集落の人に教えてもらった通り、青い屋根の家を訪ねると。
ドアノッカーを鳴らして、さほどの時間も置かず出てきた住人からも――。
当たり前のように、地面に額を擦り付けて平伏されてしまった。
……なんでこの集落の人達は、どいつもこいつもノータイムで土下座するんだ。
とりあえず普通に話がしたいので、立って欲しいとお願いしたんだけれど。
「とんでもありません! どうぞこのままでお願い致します!」
「やめて。お願いだからやめて……」
頭を下げる前に、ちらっと見えた顔や髪型、そして声。
それらの要素から、相手が『女性』であることがすぐに判っただけに。
尚更のことスミカは、とても不快で――そして悲しい気分になった。
女好きのスミカにとっては、女性に土下座をさせる人間というのはその時点で、須らく唾棄すべき存在なわけだけれど。
まさか――それに、自分がなる日が来るとは……。
「ホント、お願いだから、立ってよ……」
「投資者様の前で立つなど、とんでもありません!」
「あなたが立ってくれないと、この場で自殺したくなりそうなんだけれど?」
魔法の鞄から大鎌を取り出し、スミカは自分自身の首元にあてがう。
もちろん自殺というのは冗談だ。……8割ぐらいは。
2割ぐらいは今、わりと本気で死にたい気分になっているけれど……。
「た、立ちます! 立ちますから、おやめください!」
「ついでに敬語もやめて」
「えっ……? い、いえ、流石にそれは……」
「そっかー。じゃあまた来世で」
首元にあてがっている刃に、ほんの僅かにだけ力を込める。
鋭い刃が喉に近い場所の肌を傷つけ、少量だけ血が垂れたのが判った。
「ほわあああああ⁉ ――やめます! 敬語やめますからっ、おやめください!」
「………………」
ゆっくりと刃を横に引くと、ぷしゃっと血の飛沫が弾けた。
深く食い込ませているわけじゃないから、怪我としては些細なものだけれど。
「ああああああああ⁉ やめるぅ‼ 今すぐやめるからぁ‼」
それでも、眼の前で血が飛び散ったのはショックだったんだろう。
村長の女性は、殆ど哀願にも似た声色で、そう叫んでいた。
「はーい、了解ー」
「し、心臓に悪すぎる……」
大鎌を魔法の鞄に収納すると、安堵の息を吐くと同時に女性の身体が崩折れた。
今度は平伏したのではなく、単に疲労感から座り込んだだけだろうけれど。
「脅すようなことをしてゴメンね? 私は女の子が大好きな性分だから、女の子から平伏されたり慇懃に話されるのは、苦痛でしかないんだよ」
もちろんフミみたいに、誰に対しても敬語で話すのが地なら別だけれど。
そうでないなら、なるべく女の子からはタメ口で話されるほうが好きだ。
「はあ……。女の子が好きなら、御身の――じゃなかった、自分の身体もちゃんと大事にしなさいよ。アンタだって女の子でしょう?」
「む、それはそう」
「全くもう……。一気に疲れたわ……」
村長の女性はその場に再び立ち上がると、小さな声で何かをつぶやく。
すると――スミカの首元が温かくなり、出血と共に生じていた痛みが、和らいでいくのが判った。
「おお――もしかして回復魔法?」
「もしかしなくても、そうですよ。――じゃなかった、そうよ。
……敬語を使わないようにするのは徐々に頑張るから、暫くは大目に見てよね」
「ん、了解」
「とりあえず、家に上がって頂戴。生憎とまだお茶も出せないけれど」
促されるままに、青い屋根の家の中へと入る。
入ってすぐの場所で靴を脱ごうとしたんだけれど、それは女性から止められた。
どうやら家に上がるのは、土足のままで大丈夫らしい。
彼女の家は、村長が使うものにしては随分と小ぢんまりとしたものだった。
間取りでいうなら『1R』で、広さは8畳ぐらい。
部屋の中にあるのはテーブルが1台と椅子が4脚、4段の衣装チェストが1つ、あとは部屋の奥側にシングルサイズのベッドが1台あるぐらいのもの。
どれもこれも簡素な調度品ばかりで、贅沢感は全く無かった。
家屋内に水場や調理場などはなく、おそらくはトイレもお風呂もない。
もしかしたらトイレなどは、集落全体の共有施設だったりするんだろうか。
「私たちを創造してくれた投資者様と、どう関係を構築できるか不安に思ってはいたけれど。まさか初対面でいきなり自殺を仄めかされて、脅されるとは予想もしていなかったわ……」
いかにも疲れた表情で、椅子に座りながら村長の女性がそう告げる。
スミカもまた、テーブルを挟んだ逆側の椅子に腰を下ろした。
「ゴメンて。とりあえずお詫び代わりに、お茶でもどうぞ」
そう告げながらスミカは、魔法の鞄からマグカップを2つと、中身入りのティーポットを取り出す。
魔法の鞄の中身は状態が保存されるので、ティーポットに入っているのは以前に収納した時のままの、淹れたてで熱々の紅茶だ。
その証拠に、マグカップに注ぐだけで濛々(もうもう)と湯気が上がった。
「……凄いわね。何か収納系の異能を持っているの?」
「ううん、単に鞄の性能」
「へー、そうなんだ。便利だけど、盗られないように気をつけなさいよ?」
たっぷりマグカップに注いだ紅茶を差し出すと、村長の女性が「ありがとう」と言いながら両手で受け取る。
タメ口で話してくれてはいても、その所作には気品があるように見えた。
「香りも良いし、美味しいわね。この茶葉は高いのじゃない?」
「いや全然?」
普段スーパーで購入している、量だけは沢山入った廉価品だ。
確か200g入りで300円とか、そのぐらいのもの。激安品と言っても良い。
飲み物に関しては、スミカはあまり味を気にしないほうなのだ。
まあ、そんなスミカがよく購入しているような紅茶でも、彼女にとっては気に入るものだったみたいだけれど。
「私の名前はスミカ。祝部スミカだよ。――あなたは?」
「コニー・クレイスよ。よろしくね、投資者様」
そう告げて、コニーと名乗った女性がにこりと微笑む。
こうして正面から、ちゃんと顔や体つきを見てみると――。
村長のわりに、コニーは随分と幼い見た目をした少女のように見えた。
せいぜいフミよりは、ちょっぴり大人に見えるぐらいかな?
フミは中学1年生のわりに、容姿だけで言えば小学4年生ぐらいにしか見えないわけだけれど。コニーはそれより多少は上で、小学5~6年生程度に見える。
ぶっちゃけ、小さい女の子が大好きなスミカにとっては、かなり好みの容姿をした女の子だと言えた。
髪はフミと大体同じぐらいの長さなんだけれど。全体的にウェーブがかっている上に、特徴的な薄桃色をしているため、2人の印象はまるで違っている。
どちらかと言えば、フミのほうがより好みではあるけれど。
とはいえコニーはコニーで、堪らないぐらい可愛く見える女の子なのも事実だ。
「……敬語はやめてってことだったけれど、お礼を言うぐらいは構わない?」
「お礼? 別に良いけれど――礼を言われるようなことは、何もしてないよ?」
「そんなことないわ。我々『下位吸血鬼』の一族をこのダンジョンに創造してくださり、そして我々の生活のために家屋や畑、井戸や家畜に至るまで、様々なものを与えてくださり本当にありがとうございます。――我々『下位吸血鬼』の一族は、投資者様であるスミカ様に対して、永久の忠誠を誓わせて貰うわ」
「えっ、重っ」
「重い⁉」
反射的にスミカが漏らしたつぶやきに、露骨にショックを受けるコニー。
その表情が可愛らしくて、スミカは思わず笑ってしまった。
「別に忠誠がどうとか、そういうのは要らないよ。私や私の仲間には攻撃をせず、仲良くしてくれると嬉しいから、それだけお願いしても良い?」
「そ、その程度のことは当然です。村民全員にもちゃんと周知しておきます」
「うん、ありがとう」
感謝からニコリと微笑むと、コニーが僅かに頬を赤らめた。
なんかちょっと脈がありそうな反応に、スミカは嬉しくなる。
「あ、そうだ。この集落の中に1軒、個人的な建物を設置させて欲しいんだけれど構わないかな?」
言うまでもなく、動画を再生するスマホを安置しておくための建物だ。
防壁に囲われている集落の中に設置しておけば、勝手に侵入してきた誰かに再生を止められるようなこともないだろうからね。
「無論です。ここは我々の集落である前に、投資者様の土地。いかようにもお使いください」
「別に私の土地ってわけじゃないと思うけれどね……」
スミカはただ、ダンジョンの『安全階層』に無断で集落を設置したに過ぎない。
なので土地の所有権は、きっと誰のものでもないだろう。
「ちなみに、どの程度の大きさの建物でしょうか? 面積が必要なようでしたら、適当な畑を潰すなどして用意致しますが」
「コニー、敬語はやめてね?」
「……うっ、ごめんなさい」
「大きさはこの家と同じぐらいかな? もしかしたら一回りは大きいかも」
「その程度なら、この家の隣にでも建てるといいわ」
「ん、了解。じゃあ後で建てさせて貰うよ」
どうせならスマホじゃなく、大画面のテレビを持ち込んで設置しようかな?
建物を開放して、テザリングで動画を常時再生しておけば、この集落に住む人たちにとっても良い娯楽になりそうな気がするし。




