43. 吸血姫の歌声
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錦糸公園ダンジョンの第1階層に棲息するゾンビは、レベル『1』の魔物。
強さ的にはピティと同程度……とまでは言わないにしても、ピティよりも多少は強いかな? という程度でしかないらしい。
なので現在レベルが『11』のリゼにとっては当然、ゾンビなど敵ではない。
苦戦することなんて、本来は有り得ないんだけれど――。
「よ、4体も来たんだが、どっちか前衛を手伝ってくれたりはしないかい⁉」
くぐもった唸り声を発しながら、ゆっくり近寄ってくるゾンビの集団を相手に、リゼは明らかに腰が引けていた。
まあ、見た目だけで言えば完全にホラー映画だし、結構キツめの悪臭がするし、気持ちは判らないでもない。
自分より強いか弱いかだけで、対峙した際の恐怖が決まるわけじゃないからね。
「嫌っす!」
「むーりー」
「それでもキミらは私の恋人かな⁉」
それはそれとして、協力要請は全力で拒否。
イヤだよ、こんな生理的嫌悪の権化みたいな魔物と、正面切って戦うなんて。
「そういうこと言うなら合羽を返して貰おうかなー?」
「許してくれ⁉ 私が悪かったから! 何でもするから‼」
リゼは現在、衣服の上からスミカが貸した合羽を着用している。
これはスミカが雨天時に自転車に乗る際に使用している私物で、今回はゾンビが棲息するダンジョンに行くということで、魔法の鞄に入れて持参したものだ。
フェイスガードも付属している合羽なので、これを着ていればゾンビと戦っても汚物が服や身体に付着することは避けられる。
……逆に言えばこの合羽がないと、攻撃動作などでゾンビの身体から飛び散る、汚い飛沫に汚染される可能性は飛躍的に高くなる。
合羽の没収を、リゼが全力で嫌がるのも当然だろう。
(言質は取ったから、あとで何かに利用しよう)
具体的には、お布団の上とかベッドの上とかでやる、あれやそれに。
だって、何でもするって言ってたもんね?
なお、リゼに貸した合羽には、予め《損害保険》を適用してある。
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《損害保険》/異能
迷貨を消費して物品に〔損害保険〕を永続付与する。
〔損害保険〕が付与されたアイテムに破損や汚損が生じた場合
即座にそうなる前の状態に復元されるようになる。
また付与したアイテムはいつでも手元に取り出せるようになる。
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スミカのレベルが『5』に上がった際に新しく得たこの異能は、迷宮貨幣を消費することで、任意の物品に〔損害保険〕を適用できるというもの。
適用された物品は、後から破損や汚損――つまり壊れたり汚れたりしても、そうなる前の状態へと瞬時に復元されるようになる。
なのでリゼに貸した合羽は、ゾンビの身体から飛び散るもので汚されても、瞬時に直前の綺麗だった状態へと戻る。
今回のダンジョン探索では、非常に便利なアイテムと化したわけだ。
〔損害保険〕は他にも、現在スミカが着用しているゴスロリ服の衣装や、リゼとスミカの武器である突剣と大鎌にも適用してある。
付着した汚れが一瞬で消滅するので、ゾンビを斬った後に武器を振り回しても、その汚れが周囲に撒き散らされることがないので、とても便利だ。
ゴスロリ服に関しては、撮影が終わってもう不要なので、スミカにくれるという話だから。万が一にも汚れてほしくないので〔損害保険〕で保護した。
ちなみに〔損害保険〕の適用時に消費する迷宮貨幣額は一律でないらしく、合羽やゴスロリ服には『銀貨1枚』が、突剣や大鎌には『金貨1枚』が、それぞれ必要だった。
多分……ダンジョン探索に役立つ品かどうかで、金額が決まるのかな?
合羽とゴスロリ服は『ダンジョン産』ではないので、防御性能はゼロに等しい。
なので保険適用時のコストも最低額で済んだんじゃないだろうか。
――というわけで。
リゼがぶつくさと戦闘のたびに文句を口にする以外は特に問題もなく、遭遇するゾンビを片っ端から殲滅していく。
アンデッド系の魔物の多くは、倒すと低確率で宝石系のアイテムをドロップするらしいんだけれど、残念ながら今のところ1個も発見はできていない。
でもまあ――免税ポイントが3倍というだけでも、収入としては充分だ。
第1階層のゾンビを討伐して得られる免税ポイントは通常時だと『6』、これは免税券を発行すると600円相当になる。
普通なら3人で分けて1人200円の収入ということになるけれど。3倍のポイントが付与されるお陰で、600円がそのまま個人個人の収入になる。
他人に売却する場合は価値が多少減じてしまうけれど。
それを加味しても、ゾンビを3体も倒せば、ちょっとしたバイトの時給ぐらいにはなるわけだ。
これが美味しくない筈がなかった。
しかも第1階層のゾンビは氾濫直前、ほぼ飽和した状態にある。
そのせいなのか、ダンジョンを探索する必要さえなく、その場で待っているだけで次から次へと、入れ食いのようにゾンビがやって来る状態になっていて。
リゼはパワーアンプが欲しいって話だったけれど……。今日の探索が終わったら多分余裕で買えるんじゃないかな、ってぐらいの金銭効率になっている。
まあ、パワーアンプが幾らぐらいする機材なのか、全然知らないんだけれどね。
でも仮に10万円するとしても、下手したら買えちゃうんじゃないかな?
「……鬱になりそうだ」
もっとも、当の本人であるリゼは、稼ぎの良さには気づいていないみたいで。
延々とゾンビの正面で戦うことになっている精神的苦痛から、どんよりと気落ちした表情を、ずっと浮かべていた。
「……なあ。良かったら何か、景気の良い歌でも歌って貰えないか?」
「歌? それは私に言ってるの? それともミサキに?」
「どっちでも良いので、気晴らしに頼みたいんだが」
「私はイヤっすよ。歌うの嫌だから、そこはパティとリゼに任せてるっすし」
「まあ、ミサキはそうだよな……」
リゼたちのバンド『カヴンクラフト』では、パティがボーカルを、リゼがコーラスを担当しているんだけれど。
これはミサキとチカの2人が歌うことを全力で拒否したせいで、消去法で決まったものだと、以前にリゼから聞いたことがある。
歌うのを嫌がる理由は知らないけれど……。となると、この場で役割を果たせるのはスミカだけなのか。
まあ、少しでもリゼの気分が良くなるなら、歌うぐらいは全然構わない。
「いいけど、何を歌えばいいの?」
「思いつかないので、何でもいいからスミカのほうで決めてくれ」
「ええ……?」
こういうのは『何でもいい』が一番困るんだけどなあ……。
大抵そう言う人に限って、大体の希望の方向性は持っていたりするものだから、例を挙げたら挙げたで否定されたりするし。
「うーん……。じゃあ『The First Nowell』でも歌おうか?」
「クリスマスソングのか? できればもっと、景気の良い曲がいいんだが」
「しかも今は初夏で、クリスマスとは季節感が真逆っすよ?」
「でも讃美歌だし、ゾンビまみれの環境下で歌うには良くない?」
「む、それはそう……か?」
顎に手をあてながら少し悩んだ後に、リゼは静かに頷いてみせた。
というわけで早速スミカは「ゾンビが来たら歌うのをやめるからね?」と前置きした上で、ゆっくりと歌を口ずさみ始める。
――『The First Nowell』はイギリスの讃美歌。
日本では『牧人ひつじを』のタイトルで、クリスマスソングとして知られる。
と言っても、クリスマスソングにはもっと有名なものが幾らでもあるから、知名度としてはそれほど高くはない曲になってしまうかもしれないけれど。
讃美歌といえば、ある程度の人数で歌うものというイメージがあるけれど。この曲は独唱でも、非常に美しい旋律と歌詞なのが特徴。
スミカが今この曲を挙げたのは、昔とある動画サイトで小さな女の子がひとりでこの曲を歌っている動画を視聴して、それに感動したことがあるからだ。
今はスミカも、その時に見た女の子と同じぐらい、身体としては小さい女の子になってしまっているから。
もしかしたら現在の自分になら上手く歌えるんじゃないかと、そう思ったんだ。
そして、それは実際に――見当違いの期待ではなかった。
嘗てのスミカは発声が明瞭過ぎていたため、こういう『穏やかに歌う曲』のようなものは、悲しいぐらい合わなかったんだけれど。
現在のスミカが歌うには、穏やかな讃美歌の旋律は――合い過ぎていた。
「………………」
「………………」
歌声を聞いたリゼもミサキも、探索する足を止め、一様に押し黙ってしまう。
その気持ちが、歌っている当の本人であるスミカにも、よく判った。
何人も遮ってはいけない――と、聞いている誰もにそう思わせるような。
あまりにも特別に過ぎる、儚さと魅力を帯びた、歌声だったからだ。
もしもこの場に面識のない聴衆が居たなら、歌声を聞いてその人はスミカのことを『天使』だと、そう思うかもしれない。
それぐらい、スミカは人間離れした容姿を持っているからね。
もっとも――実際には、背中から生えているのは『白い翼』ではなく『黒い翼』だし、種族も『吸血姫』だから。スミカは天使とは真逆の存在なんだけれど。
結局、5分ほど掛けて歌い終わるまで、リゼもミサキも一言も喋らなかった。
それどころか――歌い終わってもなお、たっぷり数分間は何も言わなくて。
随分と間が空いた挙げ句に、ようやくリゼが口にした最初のセリフが――。
「スミカ、ウチのバンドのボーカルをやってくれないか?」
……だった。
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『The First Nowell(The First Noel)』はパブリックドメインです。
ちなみに津川主一さんの日本語歌詞も著作権は切れています。
特に歌詞は書いておらず、タイトルだけの登場ですが念のため。
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日間総合124位、日間ローファンタジー2位、
週間総合124位、週間ローファンタジー4位に入っておりました。
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