40. ジャケ写と意外と近くにあったダンジョン
暫くリゼと他愛もない会話を交わしていると。
ほどなく玄関の戸が開けられた音がして、それからチカの「たっだいまー」という元気な声が聞こえてきた。
どうやら、どこかへ出かけていたらしい。
今日の気温だと汗を掻いているかもしれないから。スミカは席から立ち上がってキッチンへ行き、グラスを用意してチカのために冷たい麦茶を用意する。
それを持ってリビングに戻ると――そこにはチカと一緒にミサキの姿もあった。
「おっと、ミサキも来てたんだね」
「はい、ただいまっす。ガレージに車を停めさせて貰ってるっすよ?」
「もちろん、それは好きに使って」
自宅を相続する際に、祖母が所有していた自動車は売却してしまったから、現在ガレージの中はかなりスカスカになっている。
流石にガレージを、クロスバイクやロードバイクを置いておくためだけの場所として使うのも勿体ないから、ミサキが活用してくれるならそのほうが良い。
とりあえずチカに麦茶の入ったグラスを差し出してから、スミカはミサキの分も用意するために、再びキッチンへと向かう。
すると、もう1つの麦茶をグラスに用意した時点で、ミサキもキッチンへやってきた。
「すみません、冷蔵庫を使わせてもらっていいっすか?」
「お、何か色々買ってきたみたいだね」
見れば、ミサキは両手に一杯の買い物袋を持っていた。
スーパーマーケットなどで食料の買い込みをしてきたんだろうか。
「ちょっとコストコまで行ってきたんす」
「コストコ? この辺には無かったと思うんだけど……?」
「ドライブも兼ねて、川崎倉庫店まで」
「それは、なかなかの距離を走ったのねえ」
コストコホールの川崎倉庫店は、当然『川崎』なので神奈川県にある。
比較的東京に近い場所にあるとはいえ、東京都の東部エリアに位置する墨田区からだと、それなりに距離は離れている筈だ。
「大田区のCDショップまで納品に行ったんで、そのついでっすね」
「納品?」
「はいっす。インディーズも扱う幾つかのショップには、うちらのバンドのCDを置かせて貰っているっすからね。在庫が切れそうらしいので、追加の納品に」
「おおー、人気があるのねえ」
インディーズバンドには全く詳しくないスミカではあるけれど、CDの追加納品を店から求められるのなら、結構売れているんじゃないだろうか。
いや、まあ――そりゃ売れてるよねえ、とスミカはすぐに思い直す。
リズムギターとボーカルを担当するパティは、本人から聞いた話によるとフィンランド人らしく、まだ若干日本語に怪しいところがあるけれど。
綺麗で豊かな金色の髪を持つ彼女は、容姿にとても華があり、また声も魅力的だから。彼女の歌を聞けば、惹かれる人はとても多そうに思える。
そしてリードギターを担当するミサキや、ベースを担当するリゼの容姿に関しては、もはや言うまでもない。
2人とも、いかにも女心をくすぐりそうな、整ったルックスを持っているから。彼女たちに熱狂的なファンがついていることは、想像に難くなかった。
残るドラムのチカに関しては……うん、ある意味では、ミサキやリゼを上回るかもしれないレベルのファンが居るんじゃないかな。
何しろ『地底種』、ファンタジー作品で言う『ドワーフ』に相当する種族である彼女は、既に19歳であるにも拘らず、どう見ても小学生にしか見えない容姿をしているわけで。
合法ロリで、しかも貧乳――と呼べる程度の胸さえない彼女には。それはもう、狂信的と言っても良いレベルの信者が居そうな気がした。
……まあ、容姿に関しては、スミカも人のことを言える立場にはないんだけど。
あ、でも一応チカよりはまだ、多少は胸の膨らみがあるんだよね。
「バンド名は『カヴンクラフト』って言うのよね?」
「はいっす。リゼが決めた名前なので、意味は知らないんすけど」
おそらく『ウィッチクラフト』から取った名前なんだろう、とスミカは思う。
ウィッチクラフトとは『魔女』が行使する様々な技術や魔術、彼女たちが有する叡智などを総称する言葉のようなもの。
そしてカヴンは、確か『魔女集団』を意味する言葉だったかな?
海外のロックバンドのバンド名にはわりと、宗教やシャーマニズムといった要素を取り入れたネーミングが多いように思うから。
多分リゼが、その辺を意識して付けたバンド名なんだろう。
「あ、そうだ。コレ、スミカさんにお土産っす」
そう言いながらミサキが差し出してきたのは、ピザが入った箱を思わせる、薄くて大きいサイズの容器。
簡素な透明プラ容器に入ったそれは、ひと目見ただけでコストコでとても有名な定番商品だと、スミカには判った。
「わ、トリプルチーズタルトじゃない!」
「スミカさんって、ケーキの中じゃチーズケーキがお好きなんすよね? だったらコレは間違いなく気に入って貰えると思ったんで、買ってきたっす」
「ありがとー! コストコに長らく行ってなかったから、かなり久々に食べるわ。早速カットしてみんなで頂きましょう」
というわけで、包丁でカットして更に取り分け、リビングへと運ぶ。
『トリプルチーズタルト』はその簡素な見た目に反して、とても濃厚で美味しいチーズの味わいが楽しめるタルトだ。
直径が30cm近くあるため、タルトなのにデリバリーピザの『Lサイズ』にも匹敵するほどの大きさがある。
確かお値段も1600円をちょっと超えるぐらいするんだけれど……。サイズがサイズなだけに、特に高いとは思わない。
何しろ、8ピースにカットするぐらいだと、1人前にはちょっと多いと感じるぐらいの大きさがあるのだ。
個人的には12ピースぐらいに切り分けるのが、充分な食べごたえが得られて、けれど食べ過ぎという程でもなく、ちょうど良いと思う。
タルト12人分で1600円ちょっとって考えると、お得感が凄いよね。
チーズタルトを頂きながら、暫し4人で歓談する。
やっぱりチーズには熱い紅茶が合うということで、途中で飲み物も取り替えた。
「そういえば、良ければスミカにひとつ頼み事があるんだが……」
「ん、了解。何すれば良い?」
頷きながらそう返したスミカの言葉に、リゼが軽く驚いた表情をしてみせる。
それからリゼは自身の額を押さえ、軽く眉間にしわを寄せた。
「……あまり安請け合いをするのは感心しないが?」
「私には命の恩人が2人居てね。ひとりがフミで、もうひとりはリゼ。なので、あなたがしてくる頼みなら、よっぽどのことでない限り断ったりなんてしないよ」
「恩義とか、そういうのは気にしなくて良いんだが……」
リゼはそう零しながら、困ったように笑う。
つられるように、スミカもまた笑顔で応えた。
実際、スミカはリゼにとても感謝しているのだ。
恩義の幾許かは、自宅の地下にあるシアタールームを楽器演奏の場所として提供することで、返せたと思ってはいるけれど。
でも、それだけで足りているとも思わないから。他にもリゼのために何かできることがあるなら、助力を惜しむつもりは毛頭ない。
「実は、スミカの写真を撮らせてもらえないかと思ってね」
「写真……? 私の裸を撮りたいなら、脱ごうか?」
「バカたれ」
「あうっ」
襟元を指先でちょっと広げて、胸元の上部をちらっと見せるようにしながら、リゼにそう問いかけると。
返事をする代わりに、リゼから軽く頭を小突かれた。
「実は、ジャケ写にスミカを使わせて貰えないかと思ってね」
「ジャケ写? CDとかの『ジャケット写真』って理解で合ってる?」
「合っている。まさに次に出すCDのジャケットに使いたいんだ」
「へー。そんなことなら、もちろん全く構わないけど?」
「そう言ってくれると助かる。ジャケットデザインはいつも私が担当しているが、正直もうネタ切れなんだ……」
リゼたちのバンド『カヴンクラフト』では、既に10枚を超えるCDを出しているらしい。
インディーズでしか活動していないのに、それほど沢山のCDを作り、また収録可能な曲も揃っているバンドというのは、かなり珍しいんじゃないだろうか。
「撮影はスマホで?」
「自分がデジタル一眼のカメラを持ってるんで、それで撮るっすよ」
「おおー。じゃあ早速、家の中か庭あたりで撮っちゃう?」
「いや、収録する楽曲のイメージに写真を合わせるためにも、できれば結構広めの公園とかで撮影したいところだな」
「なるほど……。なら錦糸公園かな。近いし」
錦糸公園は、錦糸町駅の北口を出て徒歩3分ぐらいの距離にある公園。
墨田区内では屈指の広さがある公園で、園内に『ひがしんアリーナ』という総合体育館もあるため、平日でも利用者がかなり多い場所だ。
また現在は、すぐ隣にオリナスモールという大きな商業施設が出来たため、公園の利用後に買い物もして帰れるなど、とても便利な場所になっている。
「じゃあそこで撮影をしよう。ちょっと衣装と小道具を用意してくるので、暫くはこの家で待っていて欲しい」
「それは構わないけれど……衣装?」
「我々は結構衣装にも拘っているバンドなので、ジャケ写にもそれを反映する必要があってな。元々はチカで撮るつもりだったので、衣装はチカのサイズで発注してしまっているが、スミカなら着れるだろう?」
「サイズほぼ一緒だからね。大丈夫だと思う」
「20分ほどで戻るのでゆっくりしていてくれ。ミサキ、車を借りるぞ?」
「了解っすー」
ミサキが放り投げた車のキーを、リゼが器用に受け取る。
そのままリゼは出かけていってしまったんだけれど。彼女が使っていた皿を見ると、しっかりチーズタルトは平らげてあった。
こういうところ、リゼは抜かりないんだよなあ。
「――っと、そろそろウチも出掛けるわ」
「お? チカは一緒に公園行かないの?」
「別に行ってもええけど……撮影にそう何人もいらんやろしなあ。梅雨に入る前に済ませときたい買い物がまだあるし、今日はひとりで出かけるわ」
もう暦が6月に入っているわけなので、梅雨の訪れは近い。
その前に面倒を済ませておきたい気持ちは、よく理解できるものだ。
「そっか、了解」
「ジャケ写はええ感じに頼むわ。ほなね」
「うん、また夜にでも」
「お疲れっすー」
チカも居なくなったことで、リビングにはスミカとミサキだけが残される。
ミサキとパティは引っ越し作業を終えておらず、まだ以前の家に居住しているので、彼女と2人きりになるのは結構珍しいことだった。
「へー、錦糸公園ってダンジョンもあるんすね」
「……えっ、そうなの?」
「はい。かなり不人気らしいっすけど」
ミサキが見せてくれたスマホの画面には、東京23区の東部エリアに存在する、ダンジョン一覧のページが開かれていて。
利用者数が多い順にソートされている、その最下位に『錦糸公園ダンジョン』の名前が、確かに記されていた。
「ダンジョンがあるなんて、全然知らなかったや……。人気がないのは、今の私にとっては好都合な面もあるし、ちょっと興味があるかも」
「じゃあ撮影が終わった後にでも寄ってみるっすか?」
「もしリゼが承諾してくれたら、それも良いかもね」
大変に不本意ながら、掃討者界隈でちょっとした知名度を得てしまったスミカにとっては、人気がないダンジョンのほうが利用しやすい。
しかも自宅から非常に近いとなれば、興味が湧くのも当然だと言えた。
(利用者が少ないダンジョンを、こっそり自分にとって都合が良いダンジョンに、改変しちゃうというのもアリか……?)
東京23区で『東部エリア』と言えば、大抵は墨田区に台東区や江東区、荒川区と足立区、葛飾区と江戸川区を加えた、全部で7つの区のことを指す。
かなり沢山の名所があり、それに伴って数多くのダンジョンがあると思われる、それらの区の中でランキング最下位ともなると……。
本当に救いようがないぐらい、人気がないダンジョンなんだろう。
それなら、スミカが好き勝手にダンジョンを『改変』してしまっても、案外それに気づく人は少ないかもしれない。
例えば――ダンジョン内に配置される採取オーブや宝箱の数を、一気に倍以上に増やしちゃったりとかね。
《階層投資》を活用すれば、そんなこともスミカにはできてしまうのだから。
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日間総合85位、日間ローファンタジー3位、
週間総合123位、週間ローファンタジー4位に入っておりました。
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