03. 仮免許講義2:祝福のレベルアップ(前)
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50分の講義はあっという間に終わった。
掃討者として現役なだけあって、講師の中島がしてくれるダンジョン関連の様々な話は、聞いているだけで学びが多い。
また、口調こそぶっきらぼうではあっても、軽妙かつ判りやすく説明してくれる中島の話術もまた素晴らしかった。
「よし、他に質問はないな? では講義はここまでにして10分間の休憩とする。休憩後に2つ目の講義もこの部屋で行うので、必要な者は今のうちにトイレなどを済ませておいてくれ。
それと講義の開始時にも言っておいた通り、仮免許だけでなく掃討者の本免許も取得しようと考えている者――最前列に座っている2人は、良ければこのあと俺と連絡先を交換しよう。そうすればギルドから連絡事項がある時などにも、速やかに伝えられるしな」
もちろん掃討者を本格的にやっていくつもりのスミカと冷泉に異存はない。休憩に入ってすぐに、講師の中島とはLINEの登録をした。
先輩掃討者にいつでも質問ができるというのは有難い話だ。LINEの友達欄がほぼ女性だけで埋め尽くされているスミカだが、これは登録せざるを得ない。
「冷泉ちゃんも登録していい?」
「はい、こちらこそお願いします!」
――まあ、それはそれとして。もちろん可愛い女の子の登録を増やせるせっかくの機会を、無駄にするスミカではない。
なので冷泉にそう問いかけたところ、すぐに快諾してもらえた。
「どんなことでも良いから、気軽に話しかけてね」
「ありがとうございます!」
講師の中島には掃討者関連の質問以外の会話メッセージを送るつもりはないが、冷泉が相手なら会話内容はどんなものでも構わない。
12歳ぐらいに見える冷泉は、流石に19歳のスミカにとって守備範囲外だけれど。恋愛や性愛を抜きにしても、冷泉みたいに可愛い女の子と話ができるなら、どんな話題でも大歓迎だ。
「それにしても……冷泉ちゃんも本格的に掃討者をやるつもりなんだね。どうしてそう考えるようになったのか、訊いても?」
「あ、はい。小さい頃より、剣術家の祖父に色々と教わりながら育ちましたので。ダンジョンに潜って自分の腕を試してみたいという気持ちがありまして」
「そ、そうなんだ? 小さい頃から……」
スミカから見れば冷泉は今も小さいのだが、流石に口には出さない。
それにしても――この歳で剣術を習っている子、っていうのも凄いな。
冷泉の身長は140cm程度か、それより少し低いぐらいに見える。
竹刀や木刀は普通1mぐらいの長さがあるだろうから。こんなに小柄な子が自分の身長の7割近い長さがある獲物を振り回している光景というのは、正直なかなか想像しづらいものがあった。
「お姉さんはどうして掃討者になろうと思われたんですか?」
「その……ちょっと事情があって、お金に困っていてね……」
あまり小さい子に話すような話題でもないんだけれど。冷泉から詳しく聞きたいと求められたので、スミカはこれまでの経緯を簡略に話す。
冷泉にとっては興味深い話題なのか、彼女は楽しそうに話を聞いてくれた。
「遺産相続で、かえってお金に困ることなんてあるんですね……」
「私もこんなことになるとは、思ってもいなかったよ」
冷泉が漏らした感想に、スミカも苦笑しつつそう答える。
まあ、もし今後維持費が捻出できなくなれば、家は売るしかないわけだけれど。きっとその時には天国の祖母も、仕方ないと許してくれるだろう。
立地が良くて面積も広いため、家と土地を売れば、逆にお金は使い切れないぐらい手に入る筈だ。
なんというか――すごく両極端な人生だなと、自分でも思う。
「でも、自転車で来られる距離に自宅があるというのは、ちょっと羨ましいです。私は家からここへ来るだけでも、結構遠くて大変で……」
「そうなの? 最寄り駅がどこなのか、聞いても?」
「香川です」
「……香川? まさか香川県じゃないだろうし……茅ヶ崎の?」
「わ、まさかご存知とは思いませんでした。そうですそうです」
「うわっ、それは遠い。片道1時間じゃ足りないでしょ」
茅ヶ崎市は相模川の下流、神奈川県南側のへこんだ辺りにある。
一応は東京の隣接県だけれど、そこから都心部まで来るとなれば結構な距離だ。
「乗り換え含めて1時間半ぐらいですね。でも時間より、電車代が片道1000円を超えることのほうがつらいかもしれません」
「その負担はしんどいね……」
往復で2000円を超えるともなれば、大人でも普通に痛い出費だ。
仮免許でも利用可能な白鬚東アパートダンジョンの第1階層では、時給に換算して500円程度の稼ぎしか得られないらしいから。移動費の補填だけで4時間ぶん以上もの収入が飛ぶことになる。
それは、ちょっと中学生には可哀想な負担じゃないだろうか。
「――こんにちは、出欠を取らせて頂きますね」
冷泉と会話しているうちに休憩時間が終了し、午後2時のチャイムが鳴ると同時に講義室に入ってきてそう告げたのは、先程の中島とは別の人だった。
ピシッとスーツを着こなしたハンサムな女性だ。年齢はたぶん30歳……よりも少し手前ぐらいだろうか。
キャリアウーマンを思わせるような、いかにもデキる雰囲気がある女性だ。
先程の中島とは違い、少し厳しそうな印象も受ける。
「祝部さん」
「はい」
「最前列に着席とは、意欲があって大変結構です」
出欠確認に応えたスミカに、スーツの女性がそう言って軽く微笑む。
格好いい女性は、微笑んでもまた格好いい。同性愛者であるスミカが好むタイプとはちょっと違うけれど。それはそれとして、こういう女性に甘えてみたいという気持ちもまた、心の中に少しだけ湧いた。
「15人全員いらっしゃいますね。これから行う講義の2単位目は、ギルド職員の清水が講師を担当させて頂きます。さきほど講師を務めました中島と同じく、私も現役で活動する掃討者です。どうぞよろしくお願い致します」
そう告げてから、深々と頭を下げる清水。
最前列の席に座るスミカと冷泉もまた、つられるように頭を下げた。
「2単位目の講義内容は『祝福のレベルアップ』についての説明になります。
ちなみに現時点で祝福のレベルアップに関して、多少なりとも知識をお持ちの方はどれぐらいいらっしゃいますでしょう。挙手をして頂けますか?」
清水の言葉に、スミカはゆっくりと手を挙げる。
ダンジョンに棲息する魔物を狩ることで経験できる『祝福のレベルアップ』は、日頃からテレビや雑誌といったメディアに取り上げられる機会が多い話題だ。
なので詳しいというほどではないにしても、スミカにも多少の知識はある。
「ありがとうございます、下ろしてくださって結構です。どうやら今回講義を受けに来られている皆様は、全員が少なからず既にご存知のようですね。
まあ、各種メディアが盛んにそのメリットを報じていらっしゃるようですから、無理もない話かもしれませんが。一応この講義では何も知らない方にも判るよう、いちから説明をさせて頂きます。既知の内容の説明になってしまい、少々退屈かもしれませんが、それについてはご容赦くださいね」
そう告げながら、清水は全ての受講者にプリントを配って回る。
用紙には『仮免許講義2:祝福のレベルアップについて』と題が打たれていた。
1単位目の講義と同じく、プリントの枚数自体は1枚だけなんだけれど。今回は用紙の裏側にも印刷が施され、様々な内容が記されている。
先程の講義よりも覚えるべき内容が多そうなので、少し気を引き締めたほうが良いかもしれない。
「既に皆様は、ダンジョンに多数の魔物が棲息していることや、魔物が『魔力』と呼ばれる要素によって構成されていることは、ご存知でいらっしゃると思います。ここまではよろしいですね?」
清水の問いかけにスミカは頷くことで応える。
どちらも1単位目の講義で中島から教わった内容だ。
ダンジョンに棲息する様々な魔物は、いずれも『魔力』と呼ばれる未解明のエネルギーによって構成された、不思議な生物だと考えられているんだとか。
ただし『魔力』というもの自体については、まだ殆ど説明を受けていない。
それについては次の講義で話があると、中島が説明を省略したからだ。
「魔物はある程度の損傷を負わせると討伐できるのですが、その際に倒された魔物は姿を維持できなくなって消滅し、代わりに魔物を構成していた魔力がその場には霧散します。
この霧散した魔力は、ほんの一部だけですが現場にいる掃討者の体に吸収され、蓄積されていきます。例えば最弱で有名なピティという魔物は、討伐すると周囲におよそ『100』の魔力を霧散させますが、このうち掃討者の体に吸収される魔力量はたったの『1』だけです」
「――その場合、残りの『99』はどうなるんですか?」
「近くに他の人が居るなら、その人達にも『1』ずつ魔力が吸収されます。そしてそれ以外の誰にも吸収されなかった魔力は、全て失われてしまいます。おそらくはダンジョンに吸収され、次の魔物の生成のために使われるのでしょう」
挙手をして訊ねた冷泉に、清水はすぐに回答する。
この説明で最も大事なのは、吸収できる魔力の量は人数によって目減りしない、ということだろう。
1体のピティを自分1人で討伐しても、あるいは4人ぐらいの仲間とパーティを組みながら倒しても。どちらの場合でも吸収する魔力量は『1』と変わらない。
つまり人数が多いほうが、魔力を体に貯めるという点では効率が良いわけだ。
「――さて。身体に蓄積した魔力ですが、これはゲームによくある『経験値』と同じ役割を果たします。つまり身体に一定量の魔力が蓄積すると『レベルアップ』と呼ばれる現象が発生するわけですね」
レベルアップがゲームだけでなく現実世界でも起こるというのは、テレビなどで頻繁に取り上げられる話題のひとつだ。
掃討者はレベルアップを重ねるほど、本人の能力が底上げされていく。
筋力が増し、身体が頑丈になり、機敏に動けるようになる。また身体能力のみならず、知性や精神の面もレベルアップを重ねるほど高められていく。
このためつい数年前まではあらゆるスポーツの選手に、掃討者としても活動している人というのが珍しくなかった。
レベルアップによって通常よりも高められた身体能力や精神能力を持つ人達は、運動競技でも知的競技でも、例外なく活躍することができたからだ。
もっとも、現在では多くの競技において掃討者の参加が禁止されたり、あるいは掃討者経験のある者とない者とで階級が分けられるようになったため、掃討者ばかりが目立つことはなくなっている。
「とりわけ人生で初めて経験するレベルアップ、即ちレベルが『0』から『1』へ成長する機会は非常に特別でして、これを『祝福のレベルアップ』と呼びます。
なぜ特別かと申しますと、この祝福のレベルアップを経験するとダンジョンから皆様に、3つの特別な恩恵が贈られるからです」
それから清水は、その特別な恩恵について順に説明を始めてくれた。
「まず1つ目は『天職』の獲得です。祝福のレベルアップを経験しますと、皆様の目の前に数枚のカードが現れます。これは『天職カード』と呼ばれるものでして、カードには様々な天職の名称が記されています。
天職はゲームの中でもRPGなどに――特にオンラインRPGによく登場する、職業の概念に近いものです。〈戦士〉や〈騎士〉、〈魔術師〉や〈射手〉などのようなものですね。
例えば〈戦士〉の天職を得た場合、その人は近接戦闘に関連する異能やスキルを得ることができ、他人よりも近接戦闘が得意になれます。〈射手〉の天職を得た場合には逆に、遠距離戦闘が得意になれるわけですね」
「〈魔術師〉の天職を得た時には『魔術』が使えるようになるんですか?」
講義室の後ろ側から、そう質問する声が飛んだ。
確かにそこは、誰にとっても気になる部分だろう。
「――なります。〈魔術師〉の天職を得た人は、その瞬間から『魔術』を行使できるようになります。〈魔法使い〉の天職なら『魔法』が行使可能になるでしょう」
そう即答した清水の言葉に、講義室の中がにわかにざわついた。
いやまあ、テレビ番組などに『魔術』を使う人はたまに登場するから、その存在自体はスミカも他の受講者も知っていたわけだけれど。
とはいえ、天職を得るだけで簡単に使えるものだとは知らなかった。
魔術を使うためには、もっと特別な修練とかが必要だと思っていたのだ。
「もしかしたら皆様の中に、じゃあ是非〈魔術師〉や〈魔法使い〉になりたいと、そう思った方もいらっしゃるかもしれません。まるで奇跡のような力を使えるようになるわけですから、魅力を感じるのも当然ですよね。
では――ここで皆様にクイズを1つ出しましょう。
いま皆様が〈魔術師〉や〈魔法使い〉に憧れを抱かれたのとは対照的に、掃討者を生業とする人達には、実はあまり〈魔術師〉や〈魔法使い〉のような天職は人気が無かったりします。それはなぜでしょうか?」
判る方がいらっしゃいましたら挙手をしてくださいねと、清水はそう告げる。
魔法が使える職業に人気がないというのは、もちろんスミカにとっても驚きの事実ではあったけれど。でも、考えてみれば理由はすぐに思いついた。
「はい、では祝部さん」
ゆっくり挙手をすると、講壇目の前の席ということもあり、すぐに清水から指名される。
「推測なのですが、魔法を使うために『魔力』を消費するからではないですか?」
「ご名答、まさにその通り。ここまでの講義をちゃんと聞いておられた祝部さんには、簡単な問題だったかもしれませんね」
そう告げて清水は、口元を左手の指先で隠しながら、くすりと笑ってみせた。
大人びたその仕草が、スミカの目には少しだけ扇情的にも見える。
いかにもお姉さんらしい魅力に溢れたものだったからだ。
「魔法や魔術を行使する際には『魔力』を消費します。ですが先程も説明しました通り、現実世界における魔力はゲームで言う『経験値』に相当するもの。魔力を消費するというのは、つまり経験値を消費することに他なりません。
そして非常に困ったことに、魔法や魔術を行使したことで消費する魔力の量は、魔物を討伐して得られる魔力の量よりも遥かに多いのです。もっとも、それなりにダンジョンの深い場所にまで潜れるようになれば、事情も変わってくるのですが」
つまり魔物を倒すために魔術を使っていると、得る分より失う分のほうがずっと多いため、差し引きで『魔力』がどんどん目減りしてしまうわけだ。
戦えば戦うほど経験値が減ってしまうようでは、いつまでも成長ができない。
それを避けるには、魔術を使わずに魔物を狩らなければならないわけだけれど。
それでは〈魔術師〉や〈魔法使い〉である意味がなくなってしまう。
だったら初めから魔法に頼らず戦うことができる〈戦士〉や〈射手〉のほうが、本格的に掃討者を生業とする人達にとっては好ましいというわけだ。
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□(茅ヶ崎の)香川
香川県と関係がないほうの香川。茅ヶ崎の中でもだいぶ田舎のほうになる。
利用できるのはJR相模線のみ。一応電車は15~30分に1本ぐらいと、なかなかのペースで来るのだが、これは単に相模線全線が単線であり優等列車が存在しておらず(=快速や急行などが存在しない)、茅ヶ崎発/行の電車が全て停車するからに他ならない。
クラフトビールで有名な熊澤酒造がある。




