21. 吸血
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チカに[吸血]する前に、少し時間を置くことになった。
まあ、これは当然。流石に焼肉を食べ、焼きそばまで食べた後の口で、そのまま吸血行為まで行うっていうのは、ちょっと気分的にアレだろうからね。
「ちょうど買い置きがあって良かった」
「ありがとう、リゼ」
リゼから未開封の歯ブラシを貰う。
それから洗面台でリゼの歯磨き粉も使わせて貰い、口の中を綺麗にする。
歯磨き後に居間に戻ると、チカがなぜかソファに正座でスタンバイしていた。
いつの間にか、彼女が着ている服がスウェットシャツに変わっている。おそらく吸血の際に肩口を露出させやすいよう、わざわざ着替えてくれたんだろう。
また、リゼを含めた他の3人も、既に室内に待機していた。
どうやら3人とも[吸血]をしているところを見たいらしい。
「お待たせ、チカ」
「べ、べべべ、べつに、待ってへんし……」
話しかけると、チカはまだ顔を真っ赤にして、しかも凄く緊張していた。
その様子があまりに可愛らしくて、思わず胸にきゅーんと来るものがある。
(……私の好みにも、ストライクなんだよね)
ドワーフであるチカは種族特徴のために身体が小さく、大体9~10歳ぐらいの女の子にしか見えない。
相手が女の子でさえあるなら、わりと誰のことでもすぐに好きになってしまう、雑食なスミカだけれど。彼女のように小さくて可愛い女の子は特に大好物だ。
そして、チカはその見た目に反して実際には19歳の女子。
つまり彼女の手を出しても、条例などで捕まることはない。
頭の中に一瞬『合法ロリ』という単語が浮かび、思わずスミカは笑ってしまう。
まあ――それは自分も同じなので、他人事ではないんだけれど。
「それじゃ、血を頂いちゃっても良い?」
「……や、やさーしく、やさーしくやで!」
「そう言われると、ちょっと痛くして泣かせたくなるなー」
「い、意外といじわるなんやな、スミやん……」
チカの両肩に手で触れると、びくんと彼女の身体が跳ねた。
彼女の緊張っぷりが凄い。思わずスミカのほうまで緊張してきそうだ。
チカのスウェットの首元を拡げて、彼女の細い肩口を露出させる。
それからスミカがゆっくりと、チカの肩に顔を近づけていくと。
「……!」
唐突に――まるで情報のインストールが、たった今行われたみたいに。
スミカの頭の中に正しい[吸血]やり方が理解できてしまった。
どうやら肩に歯を立てて血を吸うのは、やり方としては誤りらしい。
まあ、別にやり方が間違っていても、相手の血さえ吸えれば『血晶』の生成はできるみたいだけれど……。これだと相手に[吸血]によるメリットの付与が行えないみたいなのだ。
「あー。ごめんチカ、一旦ストップ」
「……へっ? ど、どないしたん?」
「ごめん、今更だけど、ちゃんとした[吸血]のやり方が判ったんだ。このやり方だと間違ってるみたいで……正しい方法でやってもいい?」
「それは別に、かまへんけど……」
「ありがと。ところでチカは、私と濃厚なほうのキスとかできる?」
「――へェっ⁉」
チカの口から零れ出た、急に2オクターブぐらい高くなった声。
それもまた、あまりに可愛らしすぎて。思わず口元がニヤけそうになる。
「え、えっと……」
「したいな、チカとキス。しても良い?」
顎をくいっと持ち上げると、チカの目元と表情がふにゃっと緩む。
うーん、リゼが『ドM』って言ってたのは真実かも。この子、押しに弱いわ。
「………………ど、どうぞ」
「いただきまーす。あ、目を閉じるの禁止ね」
「――⁉」
抗議の声を上げさせないうちに、チカの口元を塞ぐ。
M気質がある子とキスをする時、目を閉じるのを禁止するのは結構有効な手で。まだ大学に通っていた頃に付き合っていた子にも、頻繁にやっていた。
「ん、んぅ……!」
口腔内で舌を絡ませるたびに、チカの唇の端から甘い嬌声が溢れる。
おずおずとではあるけれど、彼女の側からも舌を出してくれるのが嬉しい。
耳まで真っ赤に染め上げており、熱をもっているチカの顔。
彼女が尋常でなく恥ずかしがっていることが、表情からも伝わってくるけれど。それでもチカは、決して瞼を閉じたりはしなかった。
Mの子は基本的に、相手から要求されたことには従順だからね。
閉じることを許されていないチカの瞳を、スミカは至近距離でじっと見つめる。
ねちっこく舌を絡ませながらも、恥ずかしそうに、けれども期待に潤む瞳。
チカを満足させるべく、スミカは彼女の口内を蹂躙する。
「……んッ!」
その最中に、カリッと少しだけ、チカの舌に歯を立てる。
傷つけたのは、チカの舌の端をほんの少しだけ。
吸血姫の歯は決して、必要以上に相手を傷つけることはない。
舌を絡ませながら愉しむチカの血液は、なんというか――チカの味がした。
甘くて素朴で、とても濃厚な、そんな幸福の味わい。
まるでお酒を嗅いだ時みたいな、微かな酩酊感があって、それもまた愉しい。
「ぷはあっ……! はあっ、はあっ……!」
充分にチカの舌と口腔と、そして血の味を満喫した後に。
ようやく唇を離すことを許してあげると、チカは荒い息を吐いていた。
まあ、都合5分ぐらいはキスをしていたと思うから、無理もないけれど。
「こ、これ以上は、あかん。ご主人のこと以外、なんも考えられんくなる……!」
「……へえ? 私をご主人って、そう呼んでくれるんだ?」
「あっ――」
指摘されて、チカが慌てて自分の口元を抑える。
どうやら無意識のうちに、彼女はそう言葉に出してしまっていたらしい。
キスされる最中に、彼女がスミカに対してどんなことを想っていてくれたのか。その心の一部が垣間見えたような気がして、少し嬉しい気持ちになった。
「な、なんだか見ている方も、ドキドキしたよ……」
「この複雑なコーフン……! これがNTRなんデスネ……!」
「パティさんが新たな扉を開き掛けてるっす……!」
見ていた観客から、そんなコメントが飛んできて。
それを聞いて――今更ながらチカは、一部始終を皆からつぶさに見られていたことを思い出したらしく。顔を真っ赤にしたまま、俯いてしまった。
「痛くはなかった?」
「い、痛くは全然無かった……。せいぜい、途中でチクッとしたぐらい……」
「そう。ああ、言い忘れてたけれど――私と濃厚なキスをすると、向こう2週間は状態異常の完全耐性が付与されるらしいから」
「へっ? 状態異常……?」
「うん、ゲーム的に言うなら毒とか麻痺とかそういうヤツだね。現実感のある例を挙げると、2週間は絶対に風邪を引かなくなるし、頭痛や腰痛にもならなくなる。あとは、いまチカの舌から少し出血させちゃったけれど、これが舌炎になることも無いから安心してね」
舌炎とは、舌に生じる炎症のこと。判りやすく言えば口内炎の舌版だ。
口腔内は繊細なので、傷を負うと炎症になりやすい。これは歯で口の中を傷つけた痕が、いかに口内炎に発展しやすいかを考えると判りやすいだろう。
「スミカ」
「うん? どうしたの、リゼ――」
名前を呼ばれて、リゼのほうを振り向くと。
なぜか、凄く綺麗な所作で……こちらに向けて土下座をしているリゼが居た。
「……え?」
「スミカ、この通りだ。ひとつだけどうしても聞いて欲しい頼みがある」
「と、とりあえず土下座はやめて? 頼みは何でも聞くから。命の恩人に土下座をされるのは、流石に決まりが悪すぎる……!」
スミカがそう要求しても、リゼは頭を上げてくれない。
余程の頼みがあるんだろう――そう思い、まずは詳細を聞くことにした。
「それで、私は何をすればいいの?」
「私にもその、濃厚なキスを頼む」
「もしかして……リゼは何か、重篤な病気でも患っていたりする?」
「……ああ。辛いんだ……本当に、本当に辛いんだ。助けてくれ……」
そう告げるリゼは、まるで苦痛に塗れたような表情をしていて。
どれほどに切羽詰まった訴えなのかは、顔を見るだけで一目瞭然だった。
「判ったわ、すぐにでも。あ……でも一応、どんな病気なのかは聞いてもいい?」
「花粉症だ」
「………………ああ、なるほど」
体質的な問題なのか、スミカは人生で一度も花粉症になったことがないけれど。
それがどんなに辛いものかは、毎年のように何人もの友人から愚痴られている。
だから、まあ……花粉症の苦しさから逃れられるなら、土下座ぐらいなんの抵抗もなくできてしまうリゼの気持ちも、理解できなくはなかった。
「ワタシたちも!」
「お願いするっす!」
なんか――いつの間にか、リゼの両隣にも土下座が増えていた。
ブルータス、お前もか。お前たちも花粉症なのか……。
もちろんシーザーとしては、女の子とキスできるのは是非もないけどさ。




