02. 仮免許講義1:ダンジョンについて
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「それでは1つ目の講義を始める。と言っても、いま渡したプリントの内容を皆に説明するだけなんだがな。そのプリントは持って帰ってくれて構わないから、メモを書き込むとかは好きにしてくれ。
講義内容は普通に説明するだけなら20分もあれば済む内容なんで、途中で判らない点や疑問に思ったことがあれば、何でも質問してくれて構わない。なんなら講義の内容に関係なく、単に先輩の掃討者に訊きたいことでも受け付けるぞ」
「あ、では早速ひとついいですか?」
スミカの隣の席に座る少女、冷泉がすぐに手を挙げた。
「構わんぞ。なんだ?」
「中島先輩の収入がどれぐらいかを教えて下さい」
「ぶはっ」
質問のあまりの直球さに、思わずといった調子で講師の中島が吹き出す。
なんとか我慢できたけれど、たぶん油断していたらスミカも同じように吹き出してしまっていただろう。
「これがもうちょっと年を重ねた女性からなら、婚活の相手として見定められてるのかと期待するところだが……。嬢ちゃんからだと、単純な質問なんだろうな。
まあ、金の話は興味があるヤツも多いだろうから軽く説明しておくと――白鬚東アパートダンジョンの地下11階以降に丸一日、大体6時間も籠もれば、少なくとも10万、多い時だと300万円を超える収入がある」
「……‼」
300万円という金額に、思わず目が眩む。
もしそれほどの収入が得られる掃討者になれれば、祖母から相続した自宅の維持ぐらいは何の問題もなく行えそうだ。
というか、少ない時の10万でも充分に凄い額だ。6時間で10万なら、時給に換算して1万5千円を超えるじゃないか。
「とはいえ収入に見合うだけの危険は当然ある。死んでもおかしくないような目になら今まで幾度となく遭ってきたし、実際に死んじまった知り合いも片手で足りないぐらいはいる。ダンジョンってのはそういう場所だから、高収入を望むなら覚悟はしとけよ。
――と、軽く脅しておいてなんだが。実は仮免許で行ける区画に限れば、危険はほぼ無いと思って構わない。そういう区画だけでもレベルを『1』に上げることは可能なんで、レベル『1』だけが目的ならわりと安全ではあるな」
中島の言葉に、講義室内の何人かの女性が、ほっと安堵の息を吐いた。
おそらく彼女たちは本格的に掃討者を職業としてやりたいのではなく、中島が言うように、レベルを『1』に上げることが目的なんだろう。
「さて、少し話が逸れてしまったが仮免許講義1つ目の今回は、プリントにも書かれている通り『ダンジョンについて』の説明を行う。世界各地でダンジョンの発生が確認されたのは20年以上も前のことで、当然ながらその時には世界中が大パニックに陥った。
俺は当時、まだ中学生だった。その時のことは今でもはっきり覚えてるが……この講義を受けに来た皆にとっては、生まれる前の話ってことも多いだろうからな。俺とは違って実感は湧かないかもしれない。
ダンジョンは世界中の様々な場所に出現した。普通に考えれば、国土が広い国にほど多くできそうなもんだが……。実際にはなぜか人口の多い国、そして人口密度の高い土地でほど、ダンジョンは多く発見されている。
例えばカナダは言うまでもなく広い国土面積を持つわけだが、そのわりに人口があまり多くない。なのでカナダはダンジョンの数があまり多くないそうだ。
それとは逆に、一時期減少していたとはいえ、まだまだ1億を超える人口がある日本はダンジョンの数がかなり多い。特に人口が密集する東京都やその近隣県は、それはもう沢山のダンジョンが犇めくように存在している」
中島の講義は、彼の無頓着な容姿やぶっきらぼうな言葉遣いに反し、意外なほど内容が判りやすかった。
彼の説明によると、ダンジョンはなぜか旅行のガイドブックによく載っているような『名所』に出現することが多いらしい。
例えば都内なら東京スカイタワーや東京タワー、上野動物園や両国国技館、浅草寺に明治神宮、新宿御苑に代々木公園、東京駅や新宿駅や渋谷駅、築地市場に豊洲市場、更にはアメ横商店街や渋谷スクランブル交差点などの場所にもダンジョンがあるそうだ。
ちなみにダンジョンがなぜ『名所』にできるのか、その理由は全く判っていないらしい。
学者の人達が様々な説を唱えてはいるものの、結局はそのどれも信憑性に乏しいと言わざるを得ないんだとか。
「ダンジョンの中には『魔物』と呼ばれる、独自の生物が多数棲息している。殆どの魔物は人間を発見すると問答無用で襲いかかってくるため、これは非常に危険な存在と言っていい。当然、魔物が多数棲息するダンジョンの中に侵入することは、命を危険に晒すのに等しい行為だと言える。
魔物は基本的に棲息するダンジョンの中から出ることはない……んだが、何事にも例外はある。ダンジョンの中に棲息する魔物は、時間の経過と共に少しずつ数が増えることが既に判ってるんだが、その結果ダンジョン内部に棲息する魔物の数が多くなり過ぎると、魔物の一部がダンジョンの外へ溢れ出してしまう。
先にも述べた通りダンジョンの多くは『名所』と呼ばれる場所、つまり人が多く訪れる観光地にある。なので数体の魔物がダンジョンの外へ溢れるだけでも、大変な被害が出ることは珍しくない」
中島が告げる言葉は、決して大げさではない。
実際につい先日も、上野駅から徒歩1分の距離にある国立西洋美術館、その地下にあるダンジョンから魔物が溢れる事件があり、その時は死者3名に加え重軽傷者を22名も出す惨事になったとニュースで報じていた。
魔物が溢れ出たタイミングが平日の朝方だったため、まだこの被害で済んだとも言える。国立西洋美術館は週末はもちろん、平日でも午後になれば混み合う場所なので、場合によっては本当に大惨事となることも充分に有り得ただろう。
「平穏を守るためにも、ダンジョンから魔物が溢れる事態は防ぐ必要がある。そのためにはダンジョン内部に誰かが侵入し、魔物を『間引き』することが望ましい。普段から魔物を討伐して、増えるよりも多く数を減らしていれば、ダンジョンから魔物が溢れることは起こらないからだ。
国防に必要だと考えられたため、この役目は当初、自衛隊が担っていた。しかし現在では日本国内だけでも300を超える数のダンジョンがあり、この全てを自衛隊が間引いて回るというのは現実的じゃない。
そこで生まれたのが掃討者という職業だ。掃討者は全国各地にあるダンジョンに侵入して魔物の間引きを率先して行う。国防に必要な事業を代行するわけだから、掃討者への報酬は当然国が出す。魔物と戦うことになる危険な職業だが、サラリーマンと違って勤務先が潰れたりしないのはメリットだと言えるかもしれないな」
軽く笑いながら、中島は『掃討者』の職業についてそう説明した。
現代において掃討者は社会に不可欠な職業のひとつとされている。
充分な掃討者が居ない地域の住民は当然、魔物の氾濫に脅えることになる。なので政府はその志願者を増やすため、掃討者に対して税金面を始めとした様々な優遇措置を講じていた。
また、当初は掃討者となるには『20歳以上』が条件とされていたんだけれど。この制限は『18歳以上』、『15歳以上』と数年おきに緩和され、現在ではなんと『12歳以上』なら誰でも掃討者資格を手にできるようになっている。
これはつまり、中学生でも戦闘に自信がある者には活動して貰わなければならないほど、国内の掃討者の数が足りていない証左だと言えるだろう。
「あー……。今のうちに受講者の皆に質問させて貰うが。この中で掃討者を本格的な職業としてやりたいと考えている者はいるか? 挙手してくれ」
中島が問いかけた言葉に、スミカは迷わず手を挙げる。
スミカの目的は祖母の自宅を維持するためにお金を稼ぐこと。
つまり掃討者業を生業とすることにあるので、当然の返答だ。
他には――スミカのすぐ隣に座る冷泉もまた、しっかりと挙手していた。
(……こんな小さい子に、危険な役目をやらせなくても……)
その姿を横目に見ながら、スミカは密かにため息を吐く。
スミカは同性愛者であり、特に小さい女の子が好きだ。それだけに――冷泉のように可愛らしい女の子が危険な生業に就くというのは、正直を言って受け入れがたいものがあった。
とはいえ挙手の姿勢がピンと伸びている様子を見れば、彼女が間違いなく自らの意思で掃討者資格を取得しに来ていることは判る。
ならば、所詮は他人に過ぎないスミカに、彼女に対してどうこう言える筋合いがあろう筈も無かった。
「ありがとう、下ろしてくれ。手を挙げてくれた最前列の2人は、良かったら後で俺とメッセージアプリなりメールアドレスなりを交換しよう。男の俺だと不都合があるなら、ギルド受付窓口に立ってるねーちゃん達でもいいぞ。
本格的に掃討者をやっていくなら、今後色々と判らないことも出てくるはずだ。そういう時は俺でも窓口のねーちゃんにでもいいんで、いつでも質問を送ってくれて構わない。それに回答するのもギルド職員の仕事のうちだからな。
……さて、ではここからは受講者の皆が今日無事に『仮免許』を取得できるものと考え、仮免許でも入ることができるダンジョン、つまりこのギルド施設のすぐ隣りにある、白鬚東アパートダンジョンの地下1階について説明する。
当該階層に出現する魔物は『ピティ』という魔物で、この魔物は非常に弱いことで知られている。それこそ武器も何も持たない丸腰の中学生でも、何の苦労もなく倒せてしまうような魔物だ。詳しく説明するとだな――」
それから中島はプロジェクターで投影した魔物の映像と共に、ピティという魔物の特徴について色々と話してくれた。
ピティは兎の姿をした魔物なんだけれど、そのサイズはかなり大きく肥満体型。大型犬と同程度の体格があり、体重も10kgぐらいはあるそうだ。
そしてピティの主な攻撃方法は、2m以上の高さにまで大きく跳躍して、相手の頭部に飛び掛かること。
10kgの重量が頭部めがけて飛んでくるわけだから、マトモに喰らえば大怪我をすることも充分にあり得るそうだ。
「ピティは足が遅いし飛び掛かり以外の攻撃を用いてくることはない。だが、どう見ても『デブ兎』にしか見えない体格のせいか、兎のくせに受け身が取れない。
なのでピティを倒すには、ただ『飛び掛かり攻撃を避ける』だけでいい。こちらが回避すれば、その度に向こうは2mの高さから受け身も取れず、地面に叩きつけられることになる。ピティは耐久力が低いので、2~3回も攻撃を避ければあっさりくたばる筈だ。
ちなみにピティの弱点は頭部だ。なんでより速く倒したい場合は、ダンジョンの壁を背にして攻撃を避けるといい。そうすればピティが頭から壁に衝突するので、より早く討伐することができる。ただし壁を背にするリスクもあるので――」
「あの……。少し良いですか?」
「もちろん質問はいつでも歓迎している。なんだ?」
「そのピティという魔物は、兎の姿をしているんですよね? 動物を殺すようなことには、ちょっと抵抗があるんですが……」
スミカよりも少し上の、大学2~3年生ぐらいに見える女子が、おずおずと講師の中島に向けて不安を訴える。
その言葉を受けて、中島は「あー……」と唸りながら、困ったような表情でポリポリと後頭部を掻いてみせた。
「魔物に情けを掛けるのは勝手だが、掃討者が駆除して数を減らしておかないと、数ヶ月で魔物はダンジョンの外へと溢れるようになる。ピティは足が遅いから大人なら問題なく逃げられるだろうが、小さい子供や老人、車椅子に乗った人などが狙われたら無事で済むと思うか?」
「それは……。済まないかもしれません」
「魔物を狩るのは、弱者を守るために必要なことなんだ。それでもピティを殺すのに抵抗を感じるようなら……残念だが、掃討者となるのは諦めたほうがいい。向いてないのに無理に心を押し殺すのは、なかなかつらいと思うぞ。
ああ――ちなみに魔物は死ぬと、光の粒子になってその場から消滅する。死体を直視することは無いと思うから、そこは安心してくれていい」
中島と女子のやり取りを聞いて、掃討者が魔物を『殺す』職業であることを、改めて思い知らされた気がした。
けれど中島が言う通り、魔物を間引きしなければ、そのしわ寄せは普通に地上で暮らす一般市民に、それも子供や老人といった弱者に向くかもしれない。
人を積極的に害そうとしてくる相手に同情しても、たぶん何も良いことはない。
たとえ魔物が可愛らしい姿をしていても、必要なら『間引く』対象にする。
その覚悟を今のうちから、心に決めておくほうが良さそうだ。
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□国立西洋美術館
ル・コルビュジェが設計したことで知られる国立美術館。
国内の美術館では利用客がトップクラスに多いので、静かに落ち着いて作品を見たいと思うなら平日の午前中とかを狙うほうが良い。(その時間帯でさえ結構お客さん居るけれど)
設立の経緯を調べると、もれなくフランスのことを嫌いになれる。
収蔵作品で作者が個人的に好きなのは『Poplars in the Sun』。
□カナダの人口密度
1平方キロメートルあたりの人口密度は『4人』。
これは世界的に見ても密度が超低い方。ワースト10にさえ入る。
ちなみに日本の1平方キロメートルあたりの人口密度は『340人』。
言うまでもなく世界的に見ても高い方で、大体40位ぐらい。




