17. 知らない天井と7日後の私
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「んぅ……」
ゆっくりと意識が覚醒していく。
夢も見ずに、随分と長い間眠っていたような――そんな気がした。
(……知らない天井だ)
明らかに自宅のものとは異なる、モスグリーンの天井。
この部屋の主はあまり明るい部屋が好きではないようで、天井に設置されているシーリングライトには、間接照明化するための覆いが被せられている。
天井だけでなく、室内に置かれている家具の数々は、どれもスミカにとって身に覚えのないものだ。
特に室内で目立つのは大型の本棚とCDラック。どちらも書籍やCDがギッシリと詰まっており、この部屋の主の趣味嗜好が垣間見えるような気がした。
時刻は日中のようで、アイボリーのカーテンの端から日差しが部屋の中に入ってきている。なのでカーテンを閉めてはいても、意外と部屋の中は暗くなかった。
(倒れたところまでは覚えてる、けれど……)
ダンジョンでのことを思い出そうとしてみるが、どうも倒れたあとすぐに意識を失ってしまったようで、それ以降のことは何も憶えていなかった。
なんとなく感覚的に、スミカが倒れてしまった時から1日は経過しているような気がするけれど……。判ることと言えば、それぐらいか。
スミカが急に倒れたことで、一緒に探索していたフミに間違いなく多大な迷惑を掛けてしまったことだろう。
こうしてスミカが生きているということ自体が、フミが必死になって助けてくれた証左だとも言える。彼女にとても大きな恩がひとつ出来てしまったようだ。
(ところで、ここは一体……誰の家なんだろう?)
部屋の中には勉強用に使えそうな机と椅子のセットがひとつと、3人ぐらいまでなら一緒に座れそうなソファ、あとは台の上に乗った液晶テレビがある。
ソファに掛けられている衣類は――デニムパンツとブルゾンかな?
どちらも男物のように見えるけれど。まさか意識を失っていたのをいいことに、男性にお持ちされたということは……流石に無いよね? 無いと信じたい。
眠気がしっかり覚めたせいなのか、お腹が空いていたり喉がカラカラに渇いていることが、なんだか急に自覚されてきた。
このままゴロゴロしていても何も解決しないし、とりあえずベッドから起き上がろう――上体を起こしたスミカはそう思い、ベッドの端に身体を寄せて地面に足を下ろし、立ち上がろうとしたんだけれど。
「――ふぎゃっ⁉」
スミカの身体はつんのめるように、ベッドから床に叩きつけられてしまう。
ベッドの端から下ろした足が、なぜか地面に届かなかったからだ。
「い、いたたた……?」
過去に散々『デカ女』と揶揄されてきた私の足が、まさかベッドから床に届かないほど短い筈がない。
そう思いながらも、自分の足を見確かめてみると――。
そこには信じられないほど短く、そして細くなった両足があった。
まるで子供の、それも小学生ぐらいの稚い肉付きの足に見えるが……。
その時――不意に、ガチャッと部屋のドアが開いた。
思わずスミカはびくりとしてしまう。一体どんな相手が姿を見せるのか、想像もできなかったからだ。
ドアを開けてやってきたのは、中性的な顔立ち、そして男物の服を着た人物。
(よ、よかった、女性だ……)
それでも――スミカにはその人が『女性』なんだと、すぐに判った。
まあ、同性愛者だからね。相手が自分の性対象かどうかぐらいは、一目見るだけで判別できる。
「悲鳴のような声がしたが……。大丈夫か?」
女性にしてはやや低めの、落ち着いた声。
それでも男性の声とはまた違った響きがあるから、声を聞けばスミカでなくとも彼女が女性だとすぐに気付けそうだ。
「だ、大丈夫です。ここはどこでしょうか? あなたは一体……?」
「その辺の経緯はこのあとゆっくり説明しよう。とりあえずお腹が減っていたり、喉が渇いていたりはしないか? 何しろ――キミは1週間も寝込んでいたんだ」
「は?」
女性の言葉に、思わずスミカは目が点になる。
1週間、という言葉の意味を飲み込むのに、たっぷり10秒は要した。
「ええ……? 流石に1週間というのは……」
「嘘は言ってない。これを見てくれ」
そう告げて、女性は右手に持った何かを見せてきた。
スマホだ。画面に大きく表示されている時計には――確かに彼女の言葉の通り、スミカがフミと一緒にダンジョンを探索し、祝福のレベルアップを経験した日から1週間後の日付が書かれている。
「ま、マジで……?」
「残念だが大マジだ、こればかりは受け入れてもらうしかない。ところでもう一度問わせて貰うが、キミが望むなら食事と飲み物を用意する、どうだ?」
「……あ、そうだった。ぜひ頂けると嬉しいです」
「承知した、では少し待っていてくれ。ああ――ちなみに私の名前は氷室リゼだ。気軽にリゼと呼んでくれ」
リゼはそう告げて、部屋を出ていった。
まるで必要事項を伝達するだけとでもいうような淡々とした口調で話し、しかも表情が殆ど変わらないので、そこだけを見ると『冷たそうな女性』という印象を持ちそうになるけれど。
こうして話してみると、彼女がいかに親切な人なのかがよく判る。
それにしても――まさか、あの日から1週間も経っているとは。
なるべく早めに、フミには連絡したほうが良さそうだ。
おそらくダンジョン内で倒れてしまったスミカのせいで、彼女にかなり心配させてしまっただろうから。
(それに、約束も反故にしちゃったなあ……)
1週間が経過しているので、今日はもう『日曜』になっている。
いつでも泊まりに来ていいよと、そうフミに言っていたのに。スミカがずっと眠っていたせいで、結果的に今週は彼女を泊めてあげることができなかった。
合鍵でも渡しておけばよかったかなと、今更ながらちょっと後悔する。
そうしておけばスミカが不在でも、宿泊場所として利用できた筈だからだ。
そんなことを考えていると、程なくリゼが部屋に戻ってきた。
彼女は両手でトレーを抱えており、そこに食事と飲み物が乗っているようだ。
「私は料理ができないので、レトルトで申し訳ないが……」
「これは、味の素の『玉子がゆ』ですね?」
「……み、見ただけで判るものなのか?」
「普段よく食べてますからね。これ好きなんですよ」
スミカは料理が好きだけれど、朝食だけは作るのが面倒に感じることも多い。
そういう時にレトルトのお粥はちょうどいいので、家に常備しているのだ。
特に味の素の『玉子がゆ』と『梅がゆ』が好きで、この2つは通販サイトで頻繁に購入して切らさないようにしている。
マグカップに入った飲み物は、程よく温められた白湯だった。
1週間も寝込んでいたスミカに配慮して、わざわざ温めてくれたんだろう。
スミカは(やっぱり親切な人なんだな)と、改めてリゼのことを思う。
「食べながらで構わないので、聞いて欲しい話が幾つかある」
「これまでの経緯とかですか?」
「それも話すが、まずはキミの――」
「あ、私はスミカです。祝部スミカ。スミカと呼んでください」
「承知した。まず先に、スミカの身体についての話をしたい」
それからリゼは、祝福のレベルアップにより生じた『若返り』により、スミカの身体がおそらく『9歳』程度まで大きく若返っていること。
また、髪が黒から真逆の白髪へと変わり、それに合わせたように肌の色も白く。そして瞳の色が真紅になっていることなどを、順序立てて説明してくれた。
どうやら最初に立ち上がろうとした時に、ベッドから垂らした両足が床に着かずつんのめって倒れてしまったのも、スミカの身体が一気に若返ったことで脚が短くなったのが原因のようだ。
そして今、お粥を掬うスプーンの自分の手がどこかぎこちないのもまた、同じように若返りが原因なんだろう。腕や指が急に短くなってしまったから、以前の感覚のままだと上手くスプーンを扱えないのだ。
「リゼさんから見て、今の私の身長ってどのぐらいに見えますか?」
「私のことは呼び捨てで構わない。身柄を預かる時にフミから聞いたが、スミカはもともと、私と同じぐらいの年齢らしいじゃないか?」
「19歳ですね」
「では同級生だな。私も呼び捨てにしているのだから、遠慮は無用だ」
そう告げたあと、リゼはスミカの身体をじっと見つめつつ、何かを思案しているような表情を浮かべてみせた。
「私の見立てだと――140cmは無いな。おそらく身長は137cm程度か」
「え、マジですか。そんなに?」
「大マジだ。鏡を見るかね?」
「見たい見たい!」
スミカがそう求めると、リゼは軽く笑いながら、部屋の隅にある棚に置かれていた鏡をスミカの近くにまで持ってきてくれた。
B5サイズぐらいの卓上ミラーだ。この大きさの鏡でも、現在のスミカだとほぼ全身を映すことができた。
「ご自身の身体を見てみた感想はどうだい、お嬢様?」
「これが、私……?」
嘗て『デカ女』と揶揄されてきた過去のせいか、いつからかフミみたいに小さくて可愛い女の子のことが、大好きになっていたスミカだけれど。
まさか19歳にもなって、最も愛するその容姿に自身が変異してしまうことになるなんて――夢にも思っていなかったのだ。




