16. Side:氷室リゼ - 1
(15:37) 誤って推敲前のものを投稿しておりましたので差し替えました。
人間を見れば即座に襲いかかってくる『魔物』。
それが多数棲息する『ダンジョン』は、極めて危険な場所と言われている。
けれど、私から言わせてもらうなら。それは真実ではあるけれど。必ずしも事実のみを説明したものではないと思う。
私――氷室リゼはレベル『10』の〈細剣士〉だ。
このレベルの掃討者なら、白鬚東アパートダンジョンに於けるレベル上げの適正階層は、単身かパーティかを問わず『第3階層』程度だと言われている。
けれど、今日私が探索しているのは『第2階層』。つまり適正階層よりも、ひとつ手前の階層になる。
なぜか、と問われればその理由は簡単で、手を怪我したくないからだ。
私は『カヴンクラフト』というバンドでベースをやっている。手を怪我すれば楽器が演奏できなくなるから、仲間に迷惑を掛けることになるし、何より自分が堪えられない。
なので充分な安全マージンを取り、常に適性階層よりも手前で、明らかに自分よりも弱い魔物を狩る。それが音楽の副業として掃討者をやっている自分にとって、必要なことだと割り切っているのだ。
(……ま、副業と言っても、こっちのほうが収入は多いんだけど)
最近のカヴンクラフトはようやく、収容人数が100人ぐらいまでの小さな箱でなら、ワンマンライブを演ることもできるようになってきた。
けれど、残念ながらチケットの黒字額はそれほど大きくない。
バンドだけで生計を立てるというのも、ギリギリできなくはないラインにまでは達しているとおもうけれど。余裕がない生活、そして貯蓄ができない生活を覚悟する必要があるのは明白で。
生憎と私は、そんな生活をしたいとは微塵も思わなかった。
私だけに限らずバンドメンバーの全員が、掃討者を副業としてをやっているんだけれど。こちらは正直、バンドよりもずっと堅実に稼げる。
……まあ、残念なことに私もバンド仲間も[幸運]の能力値が低いから、倒した魔物がアイテムを落としてくれる確率は低いんだけれど。
そんな私達でも、魔物の討伐記録を掃討者ギルドに申告すれば、それなりの額の収入を得ることができて。しかもその収入には税金が掛からないのだ。
更に、私達はダンジョンを探索することで、魔物の討伐収入やドロップアイテム以外にも余録で得ている収入がある。
それは――ダンジョン探索を『配信』することで得られる収入だ。
ダンジョン探索の配信は、各種動画サイトにおいて根強い人気がある。
危険な魔物を映した映像や、それを相手に人が全力で戦っている光景は、平和な日常を送っている人にとって魅力が感じられたりするんだろう。
それこそ、レベルが『20』を超えるような熟練掃討者の配信には、数千人から数万人という規模で視聴者が集まることも珍しくないという。
もっとも、私達のバンドは高くてもせいぜいレベル『10』程度だし、バンドメンバー全員が『手を怪我したくない』という強い意志を持っているため、自分の身に危険が及ぶような階層に挑むことは全くない。
なので私達が行っている配信は熟練掃討者のそれに較べるとつまらなくて、魅力に劣るわけだけれど。それでも私達の配信にも多少の強みぐらいはある。
――バンドメンバー全員の顔が良いのだ。
自賛するのも何だけれど、かく言う私もわりと顔の造形が良いほうだと思う。
そのお陰なのか、バンドメンバー全員で配信をする時は大体1000人ぐらい、私ひとりで配信するときでも200人ぐらいは、リアルタイムに視聴してくれる人がいることが多い。
もちろんアーカイブされた動画のほうが気軽に見られるぶん、生での視聴者数を遥かに上回っており、そちらは動画ごとに2万回ぐらいの視聴がある。
生とアーカイブの両方を合わせると月に10万円を超える収入があるので、結構バカにできない。
これに掃討者本来の稼ぎも加わるわけなので、掃討者としての活動で得られる収入に較べると、バンド活動で得ている収入なんて本当にちっぽけなものだ。
「――おっと、階段に着いたかな?」
スマホの地図を見ながら歩いていた私は、ようやく上へ登る階段へと到着する。
ダンジョン内ではGPSが機能しないけれど、慣れれば地図さえあれば現在位置を把握し続けるのは難しくない。
まあ地図を見ながら移動している間は、どうしてもそっちに集中しちゃうから。ずっと無言になっちゃうのが、配信としては良くないんだけれど。
幸いと言うべきか、私の配信をよく見てくれている視聴者はそれに慣れていて、もう文句のひとつさえ言ってくることはない。
むしろ配信者である私が無言なのをいいことに、視聴者同士がコメントで色々と他愛もない話を交わしていたりするぐらいだ。
《お疲れさん! 今日の探索も終わりかな?》
《リゼ姉様、お疲れ様ですわー!》
《第1階層は配信しないの?》
《うーむ、もっと配信見たいのう》
「しないよ。ピティを虐めてる映像なんか見たくないでしょ」
《それはそう》
《ピティは初心者でも超余裕のザコ魔物だからなあ》
《弱者をいたぶるリゼ姉様……。それもアリですわね!》
《ついでに俺もいじめてください》
《リゼちゃんに虐めてもらえる最後尾はここですか?》
「しないってば。じゃあ配信は終了するね。3時間付き合ってくれてありがと」
《おつかれ!》
《お疲れ様ですわー!》
自分の後ろを浮遊しながら追従する、全周撮影ドローンに手を振りながら。左手でポケットに入れたスイッチを操作して配信をオフにする。
それから、ゆっくりと階段を上がる。電源自体をオフにしたわけじゃないので、ドローンは現在も階段を上がる私のすぐ後ろをついてきていた。
(さて、あとは帰るだけだね)
階段を上がった先は『第1階層』。
まだ白鬚東アパートのダンジョン内ではあるわけだけれど。仮免許しか持たない初心者が多く利用するこのフロアには、最弱の魔物として有名なピティしか棲息していないから、危険は殆ど無く気楽なものだ。
もし遭遇しても狩るのに苦労することはないし。そもそも上り階段と下り階段を繋ぐ最短経路上には魔物がいないことが多いから、戦闘になる可能性は少ない。
(さすがに第1階層の道は覚えちゃったなあ)
第2階層に降りる際には、必ず第1階層を通ることになる。
往路でも復路でも通ることになるので、流石にもう地図を見たりしなくても、階段の間を繋ぐ経路ぐらいは判るようになっていた。
というわけで、一応細身の剣だけは鞘から抜いた状態で右手に持ちつつ、ほぼ無警戒のままに通路を歩いていたんだけれど。
「……!」
どこからか微かに聞こえた緊迫感のある声に、慌てて私は緊張感を取り戻す。
今のは――明らかに悲鳴だったような、そんな気がしたからだ。
私は目を閉じて意識を集中し、耳を澄ます。
これまでに10度のレベルアップを経験してきたことで、私の感覚は一般人よりもだいぶ優れたものになっている。
無論、それは聴覚も例外ではない。流石に探索を得意とする仲間には大きく劣るけれど。意識をしっかり集中さえしていれば、少し遠い場所からの音を探ることぐらいは難しくない。
「…………スミカ姉様! だ、大丈夫ですか、スミカ姉様っ…………!」
(あっちか)
悲痛な声が聞こえてきた方向を瞬時に察知し、駆け足で移動する。
〈細剣士〉の天職を持つ私は[敏捷]が最も成長しやすいため、レベルが10に達している現在、足の速さはかなりのものだ。
それに置いていかれないように、すぐにドローンが高速機動モードへと切り替わり、大きなプロペラ音をたてながら私に追従してきた。
「う、うう……! 私の身体が、もう少し大きければ……!」
――現場に到着した瞬間に、私が見たもの。
それは、どう見ても小学校2年生ぐらいにしか見えないような稚い女の子が、私よりも背が高い――おそらく180cmに満たないぐらいの身長がある女性の身体を、必死に背中で抱えようとしている姿だった。
大きい方の女性はなぜか、意識を失っているようだ。
意識を失った人間を抱えるのは、それ自体が結構難しい。まして身長が自分に較べて1.5倍近くある相手となれば、背に抱えるなどほぼ不可能だろう。
しかも抱える側である小さな少女は、その手に先程まで背負っていたものと思われるリュックサックと、鞘に入った片手剣まで持っている。
手荷物まであるとなれば、大人の女性を抱えるのは尚更不可能だ。
「手を貸そう」
「――えっ。あ、あなたは?」
声を掛けると、小さな少女はとても驚いた表情をしていた。
どうやら私が駆け寄ってきた足音や、その後ろを追従するドローンが鳴らしている煩いぐらいのプロペラ音にも、少女は全く気づいていなかったらしい。
「この下の階層で狩りをしていた掃討者だ。――こちらの女性はどうして気を失っている? ピティの攻撃を受けて脳震盪にでもなったか?」
「い、いえ。祝福のレベルアップを経験したあと、なぜか倒れました」
「……もしや、彼女は銀色のカードを選択した?」
「いえ、違います。スミカ姉様が選んだのは金色のカードです」
「金色だと⁉ ――なるほど、全て理解した」
腰の左側に固定してある鞘に剣を収めてから、2人に近づく。
意識を失っているほうの女性の額に手を当てると、明らかに高熱を発していた。
この状態にあることこそが、少女の発言を裏付けるものなのは明白だ。
また同時に私は、女性にこの場で手当を行う必要ないことも瞬時に理解する。
「心配は要らない。彼女の身体には、何の異常もないはずだ」
「そ、そうなんですか……?」
「ああ。だが彼女はおそらく、今後1週間ほど目を覚ますことはない。なので地上まで速やかに運び、彼女の身体の安全を確保する必要がある」
「1週間も⁉」
少女がとても驚いた顔をするが、まあ無理もないだろう。
とりあえず私は、背負っていたリュックサックを外し、少女のほうに差し出す。
「やや重いが、私の荷物を持ってくれると助かる。代わりにこの女性の身体は私が責任をもって運ぼう」
「……! 助かります!」
何かスポーツをやっているのか、意識を失っている女性は良好なプロポーションを保っているようだが。高身長な時点で人間の身体というのは重いものだ。
それでも、レベルアップで[筋力]が鍛えられている私になら、問題なく彼女の身体を抱えることができる。
「ここから地上までの道は把握している。ピティが出た場合は対処を頼む」
「任せてください!」
少女にそう告げた上で。なるべく身体を揺らさないように気をつけながら、やや早足気味に移動を開始する。
私が抱えている女性は、その身体が少しずつ軽くなっているようだった。




