11. エルフが高INTとは限らない
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寝起きでぼやけていた意識が、やっとのことではっきりしてきた、その5秒後には土下座をしていた。
なにしろ、気がついた時にはもうフミの唇を奪っていて――。挙句の果てには、舌まで入れていたのだから、弁明の余地があろう筈もない。
――いや、なんかおかしいとは思ったんだよ?
夢の中に登場したフミに、妙な存在感とリアリティがあったし。夢なのになぜか触れると感触があって、ほのかに温かくもあって。
とはいえ、夢の中でキスをしたつもりが、現実でもキスをしていたなんて――。
流石にそんな可能性までは、予想できなかったんだよ。
土下座を目の当たりにしたフミは、すぐにスミカの蛮行を許してくれた。
彼女の顔は耳まで真っ赤になっていて――。恥ずかし気に俯くその表情の中に、不快の色が浮かんでいないのを見て、心底ほっとする。
もし生理的に嫌悪されていたら、流石にショックだったところだ。
朝食にはフミが用意してくれた和食を頂いた。
普段は毎朝パンばかり食べているから、こういう『The 和朝食!』みたいな食事が本当に嬉しく、そして美味しくて。朝からとても幸せな気持ちになれた。
大根の浅漬けは今回初めて食べたけど、美味しいんだね。大根の漬物っていうと沢庵のイメージしかなかったから、新たな好みをひとつ発見できた気がする。
食事中、フミはあまり喋らなかった。
スミカから話しかければ、普通に会話を返してはくれるんだけれど。彼女のほうからは、あまり話題が飛んでこない感じ。
……やっぱり、許してくれたとはいっても、朝のことを気にしてるんだろう。
フミはまだ中1だから、ファーストキスだった可能性も高そうだし。それを無理に奪われたことに、戸惑いが大きいのかな。
思わずもう1度土下座をしたくなるけれど、流石に自制した。
フミは性格的に、何度も謝られても困惑するだけだろうからね。
食後の洗い物を済ませたあとは、自宅の庭にある蔵に移動。
鍵を開けて中に入ると、フミはとても興味深そうに室内を見回していた。
「わ、自転車が沢山ありますね」
「うん。自転車は祖父と祖母の共通の趣味だったから」
蔵の壁の一角には、自転車が10台ほど架けて保管されている。
取り揃えは普通のママチャリからロードバイクまで、実に様々。競技用のピストバイクもあるけれど、これはブレーキを取り付けないと公道では乗れない。
「フミはロードバイクに乗ったことある?」
「ないです。ペダルに足を固定する自転車ですよね?」
「……? フラットペダルのもあるよ?」
ペダルと足裏を固定するビンディングペダルのロードバイクは2台あるけれど、これは専用の靴が必要なのでフミに使わせるつもりはない。
それとは別に、気軽に利用できるフラットペダル――いわゆる『普通の自転車のペダル』を装着したロードも1台あるので、それを貸そうかと思ったんだけど。
一度も乗ったことがないなら、いきなりロードはやめたほうがいいかな?
小さい溝とか段差にタイヤを引っ掛けて、怪我をするかもしれないし。
「なら、クロスバイクにしよっか」
蔵の中で1台だけ床置きされていたクロスバイクを、作業しやすい場所に移す。
これは祖母が生前に、街乗り用として普段遣いにしていたものだ。最後の数カ月は身体が弱って、殆ど乗れなかったと聞いているけれど……。ある程度のメンテナンスはされていると見て大丈夫だろう。
「スミカ姉様、クロスバイクって何ですか?」
「そうだね……。ロードバイクと普通の自転車の、中間みたいなものかな」
本来はロードバイクとマウンテンバイクの中間、と説明すべきかもしれないけれど。この自転車はシティサイクル寄りなので、荒地や山地の踏破性能はない。
とりあえず、ポンプを使って手早く空気圧だけ調整する。この自転車は街乗り用でタイヤが結構太いので、圧はやや低めに調整。
ロードバイクほど軽快に走れるわけじゃないけれど、そのぶん乗り心地は良いと思う。ある程度は悪路面も走れるし、多少の段差なら衝撃も吸収できるだろう。
あとはサドルの高さをフミに合わせて調整し、ブレーキのシューが摩耗していないことも目視で確認。
ギアの変え方だけ簡単に説明してからクロスバイクをフミに貸して、2人それぞれ自転車に乗って自宅を出発。
普通のシティサイクルとは乗り心地が違うし、切り替えの操作感覚に慣れる必要もあるだろうから、道中はあまり速度を出さずにスミカが先導する。
のんびり20分ほど走って、掃討者ギルドの駐輪場に到着。
無料で利用できる駐輪場は有難い。自転車を停めて、向かいの白鬚東アパートのほうへ移動し、防災備蓄棟1階の受付窓口でダンジョン入場の手続きをする。
「乗り心地はどうだった?」
地下連絡通路に繋がる階段を下りながら、フミにそう問いかけると。彼女は笑顔ですぐに答えてくれた。
「スイスイ進むのでとても楽しかったです! ちょっとお尻が痛いですけど……」
「あはっ。慣れないうちはそうなるよね」
普通のママチャリに較べればサドルも小さいので、最初はそうなりがちだ。
まあ、3~4回も乗る頃には、殆ど気にならなくなるだろうけど。
「これだけ快適に走れると、この自転車でなら自宅から普通ダンジョンまで、通えそうな気がしてきちゃいますね」
「茅ヶ崎の香川からだと……墨田区までの距離はたぶん、70kmぐらい? 流石に往復140kmを走るのはかなりキツいから、通いはやめたほうがいいかな。
でも片道分の70kmなら、ちょっと慣れればあまり急がなくても5時間半ぐらいで着くから。週末の土曜日に私の家まで来て、日曜日に香川まで帰る、とかなら問題なく可能だと思うよ」
しっかり慣れれば、信号待ちを含めても時速15kmは安定するから、5時間もあれば来れる。
フミの自宅に近い香川駅からだと、電車でも1時間半から2時間ぐらいは掛かる筈だから。余計に3時間掛かる代わりに、往復で2000円を余裕で超える交通費を浮かせられると思えば、悪くないかもしれない。
「……えっ、ホントですか?」
「うん、本当。クロスバイクでなら坂道も快適に走れるしね。フミがそうしたいならクロスバイクとヘルメットは貸してあげる。でも、その場合は自力で多少のメンテナンスはできるようになって欲しいかな」
具体的にはタイヤを外してチューブ交換をしたり、輪行袋に詰めたり、といった程度のことは出来るようになって欲しい。
どちらも道中でトラブルがあった時に必要になるからだ。前者はパンクした時に対処するために、後者は雨が降ってきた時に途中から電車移動をするために必要な作業になる。
「うっ……。メンテを覚えるのって、難しいですか?」
「全然? たぶん30分あれば余裕」
「ぜひ教えて下さい!」
「ん、もちろん」
どうやらクロスバイクで走っているうちに気が紛れたらしく、普段のフミらしい饒舌さが戻ってきていた。
これからダンジョンに潜ることを考えると、このタイミングで調子が回復してくれたのは有難い。
ピティはそれほど脅威となる魔物じゃないけれど、変に考え事で気を取られたりすると、危ない場面もあるかもしれないしね。
地下へと移動しながら、スマホで掃討者ギルドの公式サイトをチェック。
今日も掃討者ギルドの職員が、白鬚東アパートの第1階層にある採取オーブの位置情報を更新してくれていたので、有難く地図を記憶させてもらう。
『石碑の間』に入った後に、自販機で500mlのスポーツドリンクを購入。
まあ、購入と言っても無料なんだけどね。フミは今日もペットボトル入りの緑茶を選択していたようだ。
「すみません、私のリュックを少し持っていて貰っていいですか?」
「お、了解。トイレ?」
「はい。今のうちに済ませておこうかと」
石碑の間の片隅には、簡易トイレが幾つか設置されている。
この部屋まで下りてくる階段の隅には、幾つかの配管があったけれど。わざわざトイレを置くために、上下水道を整備したんだろうか。
(お、エルフの子だ)
フミを待っている間に周囲を眺めていると、休憩用に設けられているテーブルのひとつで、2人の女の子が歓談しているのが見えた。
中学生と高校生ぐらいのペアだ。ひとりは綺麗な緑色の髪をしたエルフの子で、ピンと尖った特徴的な耳が頭の左右から飛び出している。
もうひとりは可愛らしいピンク色の髪の子で、こちらは肌が褐色なのが特徴的。
「……あんたねー。4回も本免許試験に落ちてんじゃないわよ」
褐色肌の子がエルフの子に向かって、苦笑混じりにそう告げていた。
土曜日とはいえ、まだ午前8時にもなっていないこの時間だと人も少ないから。静謐な石碑の間での会話は、スミカの耳にまで聞こえてきてしまう。
「ううう、ごめんー……。あーしバカだからさあ……」
「こことは別のダンジョンにもそろそろ行ってみたいんだから早く受かってよね。ちゃんと今日も稼いだ後に、勉強は見てあげるからさ」
「ありがとー、アリちゃ。あいしてるー……」
「はいはい、アタシも愛してるわよ」
……彼女たちもスミカと同じ同性愛者なんだろうか。
いや、この程度の会話の掛け合いなら、ノンケの子でも普通かな? 自分が同性愛者だと、他人もすぐ同類に見えちゃうから困ったものだよね。
話を聞く限りだと、どうやらエルフの子は頭があまり良くないらしい。
ゲームに登場するエルフは大抵、人間よりも『知力』や『INT』が高めだったりするものだけれど。現実だとエルフになっても、そこは変わらないのかな。
それにしても……中高生ぐらいの女の子でも、本免許を取得して掃討者として活動しようと考えている子がいるんだね。
本格的に掃討者をやっている人は、女性より男性のほうがずっと多いと、5年ぐらい前にテレビで見たことがあるけれど。今は案外そうでもないのかもしれない。
「お待たせしてすみません、スミカ姉様」
「もう準備は大丈夫?」
「はい、魔力を稼ぎに行きましょう」
フミと共に石碑の間の奥にある階段から、第1階層に向かう。
その階段をある程度下りたところで、不意にフミが足を止めた。
「どうしたの?」
「えっと……。階段を下りきった先に、たぶん2体です」
「おお、ここからでも判るんだね。了解」
フミは今日も、本当に頼もしい。
絶対に魔物に先手を打たれないのって、殆どチートじゃない?




