10. Side:冷泉フミ - 1
「んんーっ……!」
意識が覚醒したあと、上体を起こして背筋を伸ばす。
布団のすぐ脇に置いておいたスマホをチェックすると、時刻はほぼ朝の5時。
大体いつもこの時間に、自然と目が覚めるのがいつものことだった。
(他人の家だから、少しは感覚変わるかと思ったんだけどな)
いつもとは違う天井。いつもとは違う室内の景色。
ここは普段私が目を覚ましている自室ではなく、スミカ姉様の家の居間。
スミカ姉様は私を自宅に無料で泊めてくれただけでなく、居間にお客様用の布団まで出してくれたのだ。
あまり使ってない布団だと思うから少しカビ臭いかもしれない、と。そんな風にスミカ姉様は言っていたんだけれど。
匂いなんて全くしなかったし、それに――普段私が使っているものより明らかに高級な布団は、びっくりするぐらいふかふかで。
控えめに言っても寝心地は最高だった。毎晩これで寝たいぐらいだ。
一晩泊めてくれただけでも充分過ぎるぐらい有難いのに。遠慮なんてせずにいつでも泊まりに来ていいよと、昨晩スミカ姉様は言ってくださった。
多少は遠慮すべきかもしれない、と思いつつも。掃討者ギルドや白鬚東アパートに近いこの家に今後も泊まれるというのは、本当に有り難くて。
スミカ姉様が親切なのを良いことに、完全に甘えてしまったなと思う。
(いつかちゃんと、恩返ししないと)
心の中で、そう決意をする。
自分で言うのもなんだけれど――幼い頃から祖父に鍛えられてきた私の剣術は、それなりの腕前に達していると思う。
私と同じく、スミカ姉様も近いうちに本免許を取得し、ちゃんとした本業として掃討者をやっていく心算らしいから。その時には魔物との戦いで、お役に立つことができるだろうか。
(そのためには、ちゃんと腕を鈍らせないようにしないと)
そう考えた私は、布団を畳んだあとに玄関へと向かう。
靴を履いて玄関の鍵を開け、家の外へと出た。
スミカ姉様の家は東京都の副都心にありながら、信じられないぐらい広い。
昨晩聞いた話だと、間取りがなんと8SLDKだというんだから驚きだ。
更に言えば、家が建つ土地自体は、それに輪をかけて広大なもの。
非常に大きな庭があり、明らかに家庭菜園ではないサイズの畑がある。
しかも庭の一角には蔵まであって、そちらもまた大きい。
蔵自体は私の家にもあるんだけれど……スミカ姉様の家の蔵は、うちの蔵の4倍ぐらいの大きさがある。
ぶっちゃけ、それなりの大家族が、蔵の中だけでも快適に住めそうなサイズだ。
これだけ大きいと、中がどんな風になっているのかちょっと興味があるから。いつかスミカ姉様にお願いして、一度見せて貰えないかなと思う。
(――よし、走ろう)
スミカ姉様の家の敷地をぐるりと取り囲む、背の高い塀。
その塀の内側沿いを、ジョギングとランニングの中間ぐらいの足取りで駆ける。
普段は毎朝、自宅の敷地内にある小さな道場で、祖父と共に剣の鍛錬に励んでいるんだけれど。今朝は木刀がないから、流石に剣の鍛錬はお休みするしかない。
とはいえ、朝から全く身体を動かさないでいるのも、それはそれで落ち着かないから。代わりにスミカ姉様の自宅内を走ることで身体を温める。
家の敷地からは出ず、あくまでも走るのは塀の内側だけ。
玄関の鍵を開けてしまっているから、それを放置して家の外へ走りに行くのは、防犯上あまり良くないと思うし。
庭を取り囲む、防犯に役立ちそうな高い塀は、なまこ壁が特徴的。
格子状の漆喰を脇目に眺めながら、軽快に走る。
塀の内側沿いを3周もするころには、程よく身体が温まってきた。
ゆっくり走るペースを落としつつ、邸宅の玄関口があるほうへと戻る。
本音を言えばもう少し走っていたいところなんだけれど――これ以上走ると徐々に汗が出てきそうだから。下着の替えが無いので、それは避けないといけない。
(スミカ姉様が起きられる前に、朝食の準備をしちゃおう)
勝手に家の中へ再び上がらせて貰ったあと、キッチンへ移動。
冷蔵庫から鮭の切身と4分の1サイズのカボチャ、卵などを取り出す。
これらの材料は昨日、白鬚東アパートからの帰る途中にスミカ姉様と一緒に立ち寄ったスーパーで購入したもの。
すき焼きの材料はピティの肉を除き、全てスミカ姉様が出してくれたから。せめてものお礼として、私は翌朝の朝食を用意させて貰うことにしたのだ。
朝食の献立は、鮭の塩焼き、だし巻き玉子、カボチャの煮物、エノキの味噌汁。あとは大根とキュウリを浅漬けにしたものも用意するつもり。
和の朝食としてはかなりベタなラインナップだけれど、これは理由があって。
スミカ姉様は普段、パンがメインの朝食ばかり食べているとのことだったから。たまに食べる和の朝食には、定番のものを用意したほうが喜んで貰えそうな気がしたのだ。
どれも別に難しい料理ではないので、手早く調理していく。
カボチャの煮物は電子レンジを使用して、手軽に10分ぐらいで作る。
まあ、カボチャは柔らかくするのも味を染み込ませるのも簡単な食材なので、普通に煮込んで作っても30分ぐらいしか掛からないけれど。
(うん、これでオーケー)
調理を終えた料理を居間のテーブルに並べて、準備完了。
あとはご飯をよそうだけだ。ちなみにご飯は、昨日すき焼きの際に炊いたものがまだ余っている。
壁に掛かっている時計を見ると、時刻は6時20分。
スミカ姉様は低血圧気味で、朝が弱いと言っていた。なのでこの時間だと、まだ起きるには少し早いのかもしれない。
(でも、どうせなら冷めないうちに食べて欲しいし)
そう思った私は、居間から移動。
スミカ姉様が自室として使っている、部屋の前へと向かう。
昨晩は眠気を感じ始めた24時頃までスミカ姉様と一緒に過ごしたんだけれど。その際には途中で居間から移動して、この部屋にお邪魔させて貰った。
あまり家庭用ゲームを遊んだことがないという話を私がした時に、じゃあ今から一緒に遊んでみる? とスミカ姉様に誘われたからだ。
スミカ姉様は結構ゲームを遊ぶほうらしく、部屋には様々なゲーム機がずらっと並んでいた。2人で一緒に遊べるゲームも沢山あって、昨晩過ごした時間が本当に楽しいものだったことを、今になって思い出す。
その部屋のドアを、コンコンと2度ノックする。
20秒ほど待ってみても返事が無かったので、更に強めにもう3度ノックした。
(やっぱりまだ眠ってるのかな)
そう思いつつも、私は静かにドアのノブを回してみる。
そして、そっと部屋の中へと入ってみた。
案の定というべきか、スミカ姉様の姿はまだベッドの上にあった。
このまま寝かせておくべきかどうか、ちょっぴり迷うけれど。やっぱり朝ご飯を温かいうちに食べてほしいので、起こさせて貰うことにする。
「スミカ姉様、スミカ姉様。朝食が出来ましたので起きてください」
「んぅー……?」
カーテンを開けて呼びかけると、ゆっくりスミカ姉様が目を開く。
それからスミカ姉様はベッドの上で、上体だけを起こしてみせた。
(……裸⁉)
その姿を見て、思わず私は大きな声を上げそうになる。
スミカ姉様が何の服も身につけていなかったからだ。
どうやらスミカ姉様は、全裸で布団の中に入っていたらしい。
「す、スミカ姉様。そのままだと風邪を引いちゃいます」
慌ててベッドのすぐ傍に駆け寄り、毛布をスミカ姉様の身体に掛ける。
私を見つめるスミカ姉様の目は、どこか虚ろで。明らかに、まだ完全には意識が覚醒していない様子が伺えた。
「起きて、起きてください」
スミカ姉様の両肩に触れて、軽く身体を揺らす。
すると、スミカ姉様の表情が、どこか嬉しそうに緩んだ。
「……あー、おっけおっけ。おいで?」
「わわっ⁉」
肩に触れていた手を引っ張られ、私の身体がベッド上へと引き寄せられる。
バランスを崩して膝をついた私の頬に、スミカ姉様の右手が触れてきて――。
「………………⁉」
抵抗するかどうかを、迷う暇さえ無く。
一瞬のうちに私の唇は、スミカ姉様によって奪われてしまっていた。




