01. 掃討者になろう
女主人公・現代ダンジョンものです。
百合要素が多分に含まれますのでご注意下さい。
あと主人公は途中で外見が幼女化します。
[1]
(入る時と違って、辞めるのって簡単なんだなあ……)
大学の構内を出たあと、街路を歩きながらスミカはしみじみと思う。
約一年前に、それなりに受験勉強を頑張って入った大学なんだけれど。ネットで事前申請しておいたこともあってか、学生課を訪問すると、ものの数分であっさり退学は認められた。
当たり前だけれど、学生課に勤務する職員の誰も、退学を思い留まるようスミカを引き止めたりはしない。
手続き上、書面に退学の理由を書く必要はあったけれど、それだけだ。
事務的に淡々と処理されたそれを、淋しいと感じたかどうかは……スミカ自身にもよく判らない。
せっかく入学したんだから、できれば退学ではなく休学で済ませたかった。
だけど、スミカが通っていた大学は国公立ではなく、私立の大学だ。そして私立の大学では休学するにもお金が掛かる、というケースが珍しくない。
その金額は、年に10万円。――決して安い金額ではない。
そもそも、これ以上大学に通うことが難しくなったのは経済的理由によるものだから。今のスミカに許容できる金額ではなく、退学を選ぶしかなかった。
(……まさか、この歳でこんなにお金に困ることになるとは)
スミカが――祝部澄夏が困窮することになった理由はたったひとつ。少し前に亡くなった母方の祖母の遺産を、スミカが相続したからだ。
と言っても、祖母が負債を遺していたわけではない。借金は一切なく、むしろかなりの現金資産があり、他人に貸し出している家屋さえ幾つかあった。
祖母の家には高級な着物が何点もあったし、蔵には祖母より数年早く亡くなった祖父が集めた骨董品も大量にあった。なので相続した資産自体はかなりのものだ。
――だったら、どうして遺産を相続したスミカがお金に困っているのか。
それはスミカを相続人として指名していた祖母の遺書の中に『自宅は売却せずに相続して欲しい』という希望が書かれていたからだ。
祖母には生前、なにくれとなく世話になっていたから。恩人からの最後の願いだと思うと、スミカには無下にすることなどできなかった。
祖母の自宅があるのは東京都墨田区、錦糸町駅の近く。
しっかりリフォームされているとはいえ、年月がそれなりに経っているので、建物の評価額自体は低いけれど。庭が広くて蔵まであり、土地の面積もかなり広い。
駅近くという立地の良さも相まって、かなりの相続税を払う必要が生じた。
まず自宅以外の貸家は全て売り払い、相続する家にあった価値ある品々のうち、簡単に手放せるものの大半を売り払う。
売却益と祖母が遺した貯金額を合わせるとかなりの額――だったんだけれど。
それでも多少の足が出て、スミカの貯金の大半が消し飛んだ。
残っている貯金額は50万円に少し足りないぐらい。
高校時代から喫茶店でのバイトに精を出し、大学生になってからは追加で家庭教師もするようになって、日々コツコツと貯めていた貯金なのに……。
これまでの努力を帳消しにされてしまったように思えて、正直かなりヘコむ。
まあ貯金が50万円もあれば、19歳の女子としては十分なんだろうけれど。
とはいえ今後、土地や家屋の維持費を支払っていかなければならないことを思うと、決して余裕のある額とは言えない。
少なくとも、今までにやっていた喫茶店のバイトと家庭教師を続けるだけでは、遠からず祖母の自宅を売り払う結果になるのは目に見えている。
(良いバイトだったのになあ……)
高校生の頃からスミカが働いていた喫茶店は、男性には非常に入りづらい可愛らしい店構えをしているため、客の9割以上が女性。
なので給料は安くとも同性愛者であるスミカにとっては、趣味と実益と兼ねた非常に良い職場だったんだけれど。
でも、もう店長には辞める旨を告げてある。自宅の維持を真面目に考えるなら、東京都の最低時給に近い仕事を続けるわけにはいかないからだ。
電車で最寄り駅の錦糸町へ戻ってきたあと、スミカは駐輪場に預けていた自転車に乗り、駅から北方向へ走り出す。
途中で東京スカイタワーのすぐ傍を通り過ぎつつ、安全運転で20分ほど軽快に自転車を走らせていると。ほどなく見えてきたのは背の高いアパートが何棟も数珠つなぎに連なった、随分と横に長い建物群。
その名は『白鬚東アパート』。かつては都内でも知る人ぞ知る名所だった……らしいんだけれど。世界各地にダンジョンが出現した今では、日本人なら誰でも知っているような場所になっていた。
なぜならこの白鬚東アパートのすぐ地下に、有名なダンジョンがあるからだ。
建物名から、そのまま『白鬚東アパートダンジョン』と付けられているそこは、都内や近隣県に沢山あるダンジョンの中でも特に初心者向けとして知られている。
そんな白鬚東アパートの向かい側には『日本掃討者事業協会』――通称、掃討者ギルドと呼ばれる組織の本部も設けられていた。
『掃討者』とはダンジョンの内部を探索し、そこに棲息する魔物の狩猟を生業とする人達のこと。
魔物は人間を発見すると、躊躇なく襲いかかってくる危険な生物。そんな魔物が多数棲息するダンジョンは当然、基本的には立入禁止の場所なんだけれど。掃討者ギルドで試験を受けて合格し、資格を取得すれば内部に入ることが許可される。
初心者向けダンジョンのすぐ側にギルド施設が設けられているのは、掃討者資格を手に入れた人がそのまま近場のダンジョンで、つまり初心者に向いた低難易度な場所で腕を上げられるように、という配慮からなんだろう。
というわけで早速スミカは、掃討者ギルド本部の駐輪場に自転車を停める。
一応ここは掃討者の資格を持つ人だけが無料で利用できる駐輪場なんだけれど。仮免許の資格取得だけなら即日で済むので、初めてここを訪れたスミカも問題なく利用できるらしい。
まあ、もし試験に落ちて仮免許を発行してもらえなかった場合には、200円の駐輪料金を支払うことになるけれどね。
(へー。けっこう大きな建物なんだ)
隣に白鬚東アパートという巨大な建物群があるせいで、対比的に小さな建物に見えていたけれど。実際に中へ入ってみると、この掃討者ギルドの本部も充分大きな建物なんだとすぐに理解できた。
とりあえず、入ってすぐの案内窓口に立っていた綺麗なお姉さんに声を掛けて、施設についての説明を受ける。
「掃討者資格には本免許と仮免許がございますが、このうち仮免許については本日中の取得も充分に可能となっております。詳しくご説明いたしますか?」
「はい、お願いします」
「承知いたしました。仮免許の取得にはまず『50分の講義を2つ受講する』必要がございまして、この講義は毎日、午後の1時と2時より行われます。現在はまだ午前中ですから、今のうちに資格取得や受講に必要な書類だけ記入して提出頂き、それから近場で昼食を済ませて頂くのがよろしいかと存じます。
午後にはまたこちらへお戻り頂き、1時からと2時からの講義を両方とも受講されましたあと、3時より仮免許の筆記試験を行います。筆記試験で出題されますのは講義中に教わる内容だけですから、真面目に受講なさっていれば問題なく合格が可能です。合格点に達していれば4時30分頃には仮免許が発行されます。
――ここまでで何かご質問などはありますでしょうか?」
「受験や受講にお金は掛からないと聞いたのですが、本当ですか?」
「国から掃討者の支援が行われておりますので、受講や受験は誰でも無料で受けることができます。再受験や免許の発行も含め、費用は一切掛かりません」
「仮免許でもダンジョンに入れると聞きましたが……」
「はい。全国に沢山ありますダンジョンのうち、『初心者向けダンジョン』として指定されている場所の地下1階だけに限り、仮免許でも入場できます。このギルドの隣にあります『白鬚東アパートダンジョン』もそのひとつですね。本日仮免許を取得されましたなら、すぐにご利用頂けますよ」
「おおー」
費用が一切掛からないのは、スミカにとって非常に嬉しいことだ。
また、今日のうちからダンジョンに潜れるというのも有難い。
ネットで軽く調べた内容によれば、白鬚東アパートダンジョンの地下1階でも、時給500円程度なら稼げることが多いという。
言うまでもなく、東京都の最低時給を大幅に下回る金額だけれど、それでもスミカにとって貴重な現金収入だ。
2時間も潜ればスーパーで夕飯の材料ぐらいは買って帰れそうだしね。
というわけで、さっそく窓口のお姉さんから受講と受験の申請用紙を受け取り、その場でさっと記入して提出する。
身分証を求められた際に、思わず学生証を提示しそうになったけれど。念のためそちらではなく、運転免許証を提示した。
退学しちゃった後の学生証を使うのは、ちょっと問題がありそうだからね。
資格証の作成に使う証明写真も提出する必要があったけれど。これは受付のすぐ横に証明写真機が用意されていて、その場で撮ることができた。
写真機の利用は無料。これも国からの支援で賄われているそうだ。
「では記入に不備もありませんので、これで受理させて頂きます。先程も申し上げました通り、講義は午後の1時からです。昼食やトイレをお済ませになった上で、なるべく開始より少し早めにいらっしゃってください」
「ありがとうございます」
窓口のお姉さんにお礼を言い、いったん掃討者ギルドの建物から出る。
そのあとはギルドの近くにあった小さなスーパーマーケットでお弁当を購入し、白鬚東アパートのすぐ隣にある東白鬚公園で食べることにした。
最近はすっかり気温が春めいて、暖かくなってきたから。天気の良い日に公園で食べる昼食は、ちょっとしたレジャー気分が味わえてなかなか楽しい。
食後には腹ごなしも兼ねて、公園内を散策。
東白鬚公園は南北に長い広々とした公園なので、歩き回っているだけで幾らでも簡単に時間は潰せる。
というわけで適当なタイミングで移動を開始し、講義が開始する15分前には再び掃討者ギルドの施設まで戻ってきた。
昼食休憩中なのか、残念ながら窓口に先程のお姉さんはいなかった。
受講票を確認したところ、講義は『第三講義室』で行われるらしい。
施設内の至るところに案内板が設置してあるおかげで、目的の部屋までは迷うことなく移動できた。
講義室の中に入ると、既に10名ばかりの人達が席についていた。
どうやら席は決まっておらず、好きな席に座って良いらしい。
なぜかみんな後方の席にばかり座っているようだったので、迷わずスミカは講壇から最も近い、最前列中央の席を確保した。
この位置なら講師の声も聞き取りやすそうだからね。なんとしても今日のうちに仮免許資格を取得したいので、遠慮するつもりはない。
「失礼します。お姉さん、隣に座っても良いですか?」
スマホを弄りながら時間を潰していると、不意に横から声を掛けられた。
振り返ると、そこには小さくて可愛らしい女の子が居た。
やや色味の薄い茶色の髪をショートボブ……と言うより、おかっぱに近い髪型にした少女だ。身長はかなり低いけれど、ピンと背筋が伸びており、なんとも利発そうな顔立ちをしている。
年齢はとても幼そうに見える。ともすれば小学生にも見えるけれど……。
セーラーの学生服を着ているから、たぶん中学生なのかな。
「もちろん。前の席にひとりで、ちょっと寂しかったから大歓迎」
「なぜか殆どの人は後ろ側の席に座っているみたいですね。講義のあと、教わった内容をもとに試験を解くわけですから、聞き取りやすい席の確保は重要だと思うんですが」
「ん、そうだね。私もそう思う」
席に座ると、すぐに少女は持っていたカバンから筆記用具とノートを取り出し、机の上に広げてみせた。
その様子だけでも、この少女がとても真面目な子だと判る。
ほどなく講義開始を知らせるものと思われる、チャイムが室内に流れた。
この時点で室内に居るのは……スミカ自身を除くと、全部で15人かな。
多分これが、今日の受講者の全員なんだろう。
(ネットで見た情報の通り、女性がかなり多いね)
辺りを軽く見回しながらスミカはそう思う。
15名のうち実に13名が女性だ。年齢層はバラバラで、スミカの隣に座っている少女がよくて中学生にしか見えない一方で、後ろの席には40代ぐらいの年齢に達してそうな女性も居る。
室内の女性率が高すぎるせいなのか、2人だけの男性は少し肩身が狭そうだ。
「あー、出欠を取らせてもらうぞ」
チャイムからさほど間を置かずにやってきた気怠そうな男性が、部屋に入るなり全員に向かってそう告げた。
年齢は30台後半ぐらいだろうか。随分と無精髭が伸びており、またヨレヨレのスーツを着ているため、正直あんまり真っ当な仕事に就いてる人には見えないんだけれど……。
出欠を取ると言っているぐらいだから、この人が講師なんだろうか。
「祝部」
「はい」
10番目ぐらいに姓を呼ばれたので、手を上げて返事をする。
気怠そうな男性が、こちらをちらりと見てニヤリと笑った。
「こいつは個人的な意見だが……。講義で一番前の席に陣取るヤツほど、掃討者として成功するやつが多いと俺は思ってる。いちギルド職員として期待してるぞ」
「ありがとうございます」
講師を担当するだけあって、この男性はギルドの職員らしい。
無精髭にヨレヨレのスーツでも大丈夫だなんて、掃討者ギルドって組織は随分と規律に緩いんだろうか。
「最後に、冷泉」
「はい」
「お前も最前列とは、小さいのに真面目だな。期待してるぞ」
スミカのすぐ隣に座っている少女の名字は、冷泉と言うらしい。
名前順で出欠確認が行われたため、彼女が最後のひとりのようだ。
「……うん、ちゃんと15人全員居るな、大変結構。受験手続きをした際に窓口のねーちゃんから聞いてると思うが、仮免許の取得には試験で合格点を取るだけでなく、『講義を2つ受ける』ことも必須条件になってる。
ちなみに仮免許の試験は難しくはない。講義中に寝てたらダメかもしんねえが、話半分にでも聞いてりゃまず受かると思う。もし退屈だったらスマホ弄ったりしてくれても構わねえんで、耳だけは傾けといてくれ。
ああ――ちなみに俺はギルド職員の中島という。10年ぐらい前から掃討者として活動していて、今も現役だ。ギルドでの勤務は副業みたいなモンなんで、悪いが公務員らしい真面目さみたいなものは持ち合わせちゃいない。不快に思う者も居るかも知れないが、とりあえず今日のところは我慢してくれ」
そう自己紹介してから、中島と名乗った男性は室内にいる受講者全員に1枚ずつプリントを手渡していく。
一番前の席にいるスミカは、そのプリントを真っ先に受け取る。
用紙の冒頭には『仮免許講義1:ダンジョンについて』と題が打たれていた。
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□墨田区
東京23区の中で、やや東寄りに位置する区。JRの総武本線で言うと錦糸町駅と両国駅が墨田区にある。
昔は「両国国技館がある場所」として知られていたけれど、今となっては「東京スカイツリーがある場所」という認識で圧倒的に上書きされてしまった印象。
オタクなおじさんには『逮捕しちゃうぞ』の舞台と言うと一発で通じる。若いオタクには「喫茶リコリコがある所だよ」と言おう。
つまり百合の聖地ってことやね。せやね。(作者は病気のため『逮捕しちゃうぞ』を実家に全巻持っているのに百合作品だと認識しています)
なお、東京スカイツリーは権利関係に非常に厳しいため、名称を本作の本文中に登場させることはしないつもりです。
代わりに『東京スカイタワー』という架空の建物が登場します。もし本文中でうっかりスカイツリーと表記しているのを見かけたら、ぜひお知らせください。
□錦糸町駅
特定の人たちには『総武線で秋葉原の3駅先』と言うと非常に理解されやすい駅。お陰で秋葉原で0時販売(日付が変わって発売日を迎えた直後に、特定の商品の販売を開始すること。Windows95の0時販売で有名になった。人気作のエロゲーが販売される時にもよく行われた)があるとき、自転車でとても行きやすい。
2003年3月に東京メトロも利用できる駅になった。作者が住んでいた頃には無かったので、私の中では未だに『JRの駅』として認識されている。
昔は(特に北口は)風俗店が非常に多かった。今はある程度減った……けれど、近隣駅に較べるとまだまだ多いらしい。
ガラの悪そうな兄ちゃんが呼び込みでずっと立っているせいで、当時は正直、夜間の治安はあまりよろしくなかった。今は風俗店の呼び込みに規制が入ったおかげで、だいぶマシになったそうだ。
私は昔から総武線のことを『そうむせん』と誤って口に出す人間なので、しばしば『総務線』と誤表記(誤変換)していることがあると思います。
こちらも作中で見かけたら、ぜひ誤字指摘してやってください……。
□白鬚東アパート
大体作中で説明した通りの場所。『東京の名所』として名前が上がるような場所じゃないけれど、知っている人は名所として認識しているし、建物のすぐ西に広々とした公園があって居心地が良い場所なので、一度訪れればまたたまに行きたくなる場所でもある。
高さ40mのアパートが1.2kmも連なっているのは本当に凄い威容で、『進撃の巨人』を彷彿とさせる……かもしれない。(未読)
ちなみにアパートを横に長く並べているのは、全体でもって『防火壁』の役割を果たすため。歴史的に見て火事の被害が非常に多い土地なので、このアパートを堺に延焼被害を食い止められるよう設計されているのだ。
幸いというべきか、建設後にこのアパートが実際に『防火壁』の役割を果たしたことはまだない。
元々は『鐘淵紡績』の東京工場があった場所に建てられている。
おじさんおばさんには『カネボウ』と言えば「あー、あの会社かー!」と伝わるかもしれない。
これは鐘淵紡績の略称である『鐘紡』から付けられた名前。




