魔物討伐
(魔物が現れた……)
呆気に取られている私を置き去りに、城の中は騒然として、騎士たちがアーサーを取り囲む。真剣な表情で話し合いをした後に、アーサーは言った。
「準備が出来次第、発つ!」
そうして彼は私の元へ駆けて来た。
「討伐に向かうことになった」
「アーサー……」
「いいかい、ここには結界が張られている。ここで待っていれば安全なんだ。心配はいらない。戻ってくるまで、待っていてくれ」
「お気を付けて旦那様……」
私に言えるのはそれだけだ。
アーサーは満足したように頷くと、そっと私の頬に口づけを落とした。そうして城を後にした。
魔物とはどのような生き物なのだろう。どれほど強いのだろう。彼らは幾たび戦ってきたのだろう。
今まで現れなかったから、詳しく聞ける機会に恵まれなかった。きっと聞けば教えてくれる。だけどそれには、無事に戻って来てもらわねばならない。
苦しいほどに旦那様たちの無事を祈りながら、待ち続けるしかない。
私は結婚式をした教会に通った。
魔光の灯りとステンドグラスの光の輝きに溢れるそこは、美しいこの北の土地の為に祈るのにふさわしい場所に思えた。
(アーサーと騎士団のみんなが無事に帰ってきますように)
長い時間を祈っているうちに思い出していく。
両親を亡くして、家の近くの教会に通っていた時、世界のどこにも居場所を感じられなくて、祈っているときだけ、心が穏やかになれる気持ちがしていたのだ。
あの頃、ずっとずっと、祈っていた。
あまりに寂しくて、心が挫けないように頑張らせてください、と祈った。
いつか誰かの役に立てますように、そんなことも。ただ無心に。空虚な日常を埋めるように。
『両親に捧げた愛を。いつかまた誰かに捧げさせてください』
少女の私には、あれは、悲痛で切実な願いだったのだろう。
どれだけ時間が経ったのか、エリーが声を掛けてくれた。
「奥様、体が冷えます。そろそろ戻りましょう」
「エリー……」
心配そうな視線を受けて、私は思わず聞いてしまった。
「魔物は恐ろしい生き物なのでしょう?」
「はい」
「彼のお父様も、お爺様も、討伐で亡くなられたと聞いたわ」
「そうです。ただ、アーサー様は歴代の御領主様の中でも、特別にお強いのです。あのお方に、倒せない魔物はいないかと思います」
「特別……?」
「そうです。いつかすべての魔物を倒しきるのではないかと……そう望まれている御領主様です。無事に帰って来られますよ」
「そうなのね……」
エリーは朗らかな笑顔でそう教えてくれたけれど、私にはその揺るぎない信頼がどこから生まれているのだろうかと不思議な気がした。
三日ほど過ごしたころ、騎士たちが帰還した。
城の外では馬上の騎士たちを出迎えている。
喜びの声が湧く中に私も飛び出した。
「ご無事ですか……!」
「奥様」
「はい!魔物は無事討伐致しました!」
騎士たちはぼろぼろの姿で傷を負っている者もいる。手当をしなくては。アーサーはどこだろうか。そう考えていると、一番後ろから一人馬に乗って戻ってくる姿が見えて――一瞬、ぞっとした。
(アーサー……?)
真っ赤な、悪魔の化身を見たのではないかと、そう思ってしまった。
とても険しい顔つきをしていた。今にも人を殺しそうな……冷たい眼差しが、どこか遠くを見つめている。そして全身が血濡れていた。髪も顔も服も、全てが血に染まっている。
見ているだけで死に憑りつかれそう。
まるで威圧されているかのように、息が吸えなくなる。彼の周りだけ空気が違う。人ではないかのような張り詰めた空気を纏っていた。
「――っ」
恐怖に体が硬直する。
まるで別人。どうして?
私がそう感じているだけではないんだろう。団員達も彼を遠巻きにしている。誰も彼に近付けない。
声が掛けられず立ち尽くしていると、副団長のリチャードさんが気まずげに私を見つめてから、声を掛けてくれた。
「団長……奥様です」
「……ああ」
どこかぼんやりと私に視線を移したアーサーは私を無表情に見つめた。しばらくじっと見つめてから、少しだけ表情を緩めた。
「……ただいま」
「お、おかえりなさいませ。あの、お怪我は」
「ああ……心配ない。返り血だ」
心臓が煩いほどに鼓動を打つ。彼が戦士であることを、魔物と戦う領主であることを、今初めて実感した気がした。
(知らなかった……)
本来、アーサーはこういう人だったんだわ。
きっと私が見て来た優しい彼は、穏やかな日々の中だけの仮初の姿の方だったんだろう。私は本当に、噂通りの、魔物を討伐する北の辺境伯に嫁いで来たのだ。
その夜。
アーサーは、いつも以上に私を求め、優しいながらも激しく私を抱いた。朝まで何度も。
荒ぶった心を抑えるように。戦いを終わらせようとするように。愛と快楽の中で、人の姿を取り戻そうとするように。
やっとアーサーが眠りについてから、私は安らかに眠る顔を見つめた。
ふぅ、とため息を吐いてから目を瞑る。体が熱い。切なくて哀しくて。何故こんなにも感情が溢れるのか分からない。
けれど私は、辺境に来てから初めて、やっと現実感を得られた気がした。
ここは王都から遠い……厳しい辺境の地なのだ、と。
その後三日ほど、アーサーは纏わりつくように私を頻繁に抱きしめていた。
抱きしめながら仕事をしたり、本を読んだり。
「だ、駄目ですよ。旦那様。皆さん見てますよ」
「なぜ駄目なんだい?」
「いいえ、奥様、宜しければそのままで。討伐の後に団長がこれほど穏やかだったのは見たことがありません。奥様のおかげです」
「……」
リチャードさんの言葉に、泣きたいような感情が心の中に溢れる。
アーサーの背負って来たもの。国の民はお伽噺のようにしか知らないもの。辺境の民たちにだけ負わされた使命。考え始めると、心の中がぐちゃぐちゃになりそうだ。
「愛している。ブランカ」
そう言いながら、アーサーは私のこめかみに口づけを落とす。その瞳には愛情と信頼の色が見える。
幸せそうに微笑みながら私を抱きしめ、安堵を感じている様子のアーサーを見ていて……私は初めて、騙されているのではなく……もしかしたら本当に心から愛されているんじゃないかと感じ始めた。
それから私は図書室で調べものをした。魔物についてだ。
『魔物とは。
古くから存在する、魔力を蓄えた生き物。強力な魔法攻撃をしてくる個体もいる。生息域は年々減少し、今では北の地にのみ生息していると思われている』
(そうね……王都の人でも知っているようなことだわ)
昔は多く存在していたと言われているけれど、その具体的な話があまり残されていない。恐らく、それははるかな昔のことなのだ。お伽噺よりも前の……。
(お伽噺……)
あれは、もしかして、少しは本当にあったことを元にしたものなのじゃないかしら。急にそんなことを思いついてしまって、居ても立っても居られず絵本を開く。
『剣の勇者の物語』
それは数百年は前から語り継がれている、民間の伝承だ。
昔々、凶悪な魔物が人々を襲った。民が襲われ、国が荒れ、困った国王が、勇者様を召喚したのだ。召喚できるような魔法が存在していないから、恐らく本当にお伽噺だろうと言われている。物語の中で、勇者様は魔物を倒し、めでたしめでたし。
(……めでたしめでたし?)
もしも本当だったなら。
この物語の中の勇者様はその後どうなったの?魔物とは結局、なんだったの?
(……この地に住む人なら、きっと本に書かれていること以上のことを知っているわよね)
アーサーに聞いてみよう。
私が質問したところで、嫌がられることなどないはず。きっといつものように優しく答えてくれるんだろう。
ぱらり、と絵本をめくっていた手を止める。
『お姫様は勇者様に言いました。
民の為に戦ってくださるあなたの為に祈りましょう。
朝も昼も夜も。あなたの健康と幸福を私は願い続けましょう。
安らかなる日も、病める日も、戦地からは遠い場所で過ごしていても。
私たちのために戦ってくださるあなたのために、心は共に戦いましょう』
(――あ)
私、これを言ったことがあるわ。
騎士だったお父様に、子供の頃に毎日言っていた台詞。それは絵本が大好きだったからだ。
けれど……お父様じゃない人に言ったことがある。
あれはどこだったかしら。そう、たしか王宮のホールに向かう廊下。
はしゃいでいた私は……廊下で転びそうになったのだ。支えてくれたのが怪我をされていた騎士様だったから申し訳なくて、そうして詫びのつもりで、口癖のようだったその台詞を伝えた。ああ、記憶が遠い。でも……あれは、あれはもしかしたら。
(……旦那様だったのではないかしら)




