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顔も知らない旦那様

短編の連載版です。

 嫁ぎ先に向かう馬車の中、私の心は不安でいっぱいだった。


(上手くやっていけるのかしら……)


 王都から遠い北の地へ向かっている。そこは一年の半分は雪で閉ざされる場所なのだと言う。


 突然決まった政略結婚。

 ロランド男爵家の孫娘として生まれたけれど、十五歳で両親の死。私の子供時代はそこで終わった。

 私の両親を追うように祖父も亡くなり爵位は叔父に引き継がれ、引き取ってくれた叔父のおかげで学校は卒業出来たけれど、卒業と同時に北の辺境伯の元に嫁ぐよう言い渡された。


 いい噂を聞いたことがない嫁ぎ先だ。


 『化け物伯のところに嫁ぐのよ。いい気味よね』


 最後に会ったとき、叔父の娘、私の従妹であるリリーゼが言った。

 王都で育った私たちは辺境など行ったこともないけれど、噂だけは聞くのだ。


 曰く、北の辺境の地には、魔物と呼ばれる、化け物のような見た目の魔力の強い獣がいるのだという。

 それは誰もが子供の頃に絵本で読み聞かせられている恐ろしい生き物だ。かつて世界の脅威だったその魔物に、悪い子にしていると襲われると言われ育ち子供たちは怯える。お伽噺の生き物が、北の地には生き残っていて、その討伐を担う北の辺境伯は、魔物と同じく化け物のような容姿をしているのだとか。


(馬鹿馬鹿しいわ……)


 きっと珍しい害獣を倒してくれる屈強な騎士たちがいるのだろう。都会の貴族たちは、何かと自分たちと違うものたちへ差別の目を向けるのだから。


 小さくため息を吐いてしまったようだ。


「お疲れではございませんか?」


 向かいに座るエリーが気遣うように言う。

 彼女は、まだ見ぬ旦那様が寄越してくれた女性騎士兼メイド。旅の間、何度も休憩が必要か確認してくれた。

 背が高く姿勢がいい彼女は騎士服に身を包み、赤い髪を頭の後ろの高い位置で一つに結んでいる。柔和な眼差しの彼女と視線が合うと、にっこりと微笑んでくれた。同乗していないが男性の護衛騎士も外で馬を走らせている。


(迎えを寄越してくれて……きっと悪い人じゃないんだわ)


「大丈夫です。でも……私は体力がなくて情けないわ」

「そんなお気遣いは無用です。北の民は特別頑丈なだけなのです。なによりも、ブランカ様のお体に気を付けるようにと申し使っておりますので、遠慮なくおっしゃってください」

「……」


 彼女は優しい人だ。きっとその主人である辺境伯もお優しい人なのだろう。そんな風にも思えてしまう。


「ありがとう」


 北は、凍えるように寒く、一面の雪に閉ざされる、厳しい土地だと聞くけれど。

 でも……だからこそ、そんな場所だからこそ、寄る辺なく生きている私にも出来ることがあるのではないかと。結婚の話を聞いたときに思ってしまった。


 一人ぼっちで生きている私の、それは小さな希望のようなもの。






 世界が一瞬で変わった日をよく覚えている。

 両親の訃報を聞いた時、私は学園に居た。生徒たちの賑やかな声の響く昼休み。


 話題は、級友の婚約者の話や、来月の試験や、行ったばかりのデビュタントのこと。私の周りにあったのはどんな小さなことも心を弾ませるものばかりで、世界は、星一つない真昼の空から降り注ぐ眩い光のように煌めいていた。


 訃報は世界を暗く塗り潰すようだった。


 呼びに来た教師の突然の話に、まさか、本当は助かって、元気な笑顔で誤報だよ……そう言ってくれる、そんなことをぼんやりと思ってしまった。


 けれど肉親の死は確かに訪れていて。


 恐ろしく晴れた日。

 大地に染み一つ付ける雲のない空の下で、闇の中に閉じ込められるような棺の中の両親と逢った。


 遺体の損傷が激しいからと、最期の姿を見せてくれることもなく。領地にある、心躍らされる美しいステンドグラスのある、子供の頃から大好きだった教会の側の墓地に埋葬された。


 ぽっかりと空いた闇世へと続くような穴の中へ、閉じ込めた闇のような棺が降りていく。それはまるで、明るい日差しの下に立つ喪服姿の私のように。白と黒の、生と死の、線を引いたかのような分かりやすい境界線だった。


 ――そう、境界線。


 この光の中に立つ足を一歩踏み出せば、境界線を越えて一緒に行けるのではないかと。どんなに望んでも叶わないことを心から願った。世界を明るく照らした光は、儚い命の輝きを終え、私の目の前から消えてしまったから。


 だけど葬儀が終わった後は、不思議なことに、明るく笑う人たちとの間に境界線を感じた。


 心が重くてあまり笑えなくなった私と、明るい笑顔の学友たちとの間に。

 私を疎んじる叔父家族たちの幸福そうな生活と、ひとりぼっちの私との間に。

 世界と自分との間に生まれてしまった隔たり。


 ――ずっと、境界線を感じている。


(私はきっと、変わりたいのだわ……)


 どこにも属せなくて、寂しく、悲しくて。

 どうにかしたくても出来なくて。寄る辺ないこの世界の中で、誰かに必要とされてみたくて。


(厳しい北の大地でなら、少しでも私にも役立てることがあるんじゃないかと……)


 一歩踏み出す勇気が欲しくて。だからそんな希望を抱いてしまう。







 少しずつ景色が変わると、嫁ぎ先の領地に入る。


「美しいわ……」


 王都とは違い、北の地にはもう秋が訪れていた。

 夕暮れ時の青から菫色に移り変わりゆく空を背景に、枯れ始めた木の葉の舞う中、見たこともない美麗な灯りが点々と配置されていた。


 石柱の上に掲げられた大きな宝石のようなものが、まるで魔法の輝きを散りばめているみたいに青白い光を放ち煌々と輝いている。宝石が光るなんて聞いたこともない。そしてただのランプなら、ましてや魔法の炎なら、こんな寒色にはならない。


「あれはなんの光なのですか?」

「魔光です」

「魔光?」

「魔石、魔物の落とす石のことですが、それに御領主様が魔力を込めてくださるのです」

「……まぁ」


 魔光。魔物。魔石。

 幻想的な風景と相まって、全てがお伽噺の中のようだ。


「……本当に素敵な場所なのね」


 絵画のような光景に心奪われている私の台詞に、エリーさんが嬉しそうに微笑んだ。


(まるで夢の世界に入り込んでしまったようだわ)


 だけど素敵ね。心が躍るような気持ちに……少しだけなれるわ。






 着いた場所は、古く重厚な造りの、大きな城だった。

 夜が来ていた。星々が瞬く中、白い城を彩るように魔光が輝いてる。この地上にも、澄んだ夜空のように数多の星が堕ちているように。


(それにしても……お城)


 そう……お城なの……。あまりのことに驚いてしまう。

 だって寂れた辺境と聞いていた。もしかしたら小屋みたいな小さな家に着いたっておかしくないのではないか、そこまで思っていたのだ。


 馬車が停まると、幾人かの人たちが出迎えに外に出てくれている。

 先頭に立つ青年だけが纏う空気が違った。色素の薄い彼は青白い灯りに照らされまるで発光しているように輝いて見える。


「やっとお会い出来た。あなたをずっとお待ちしていました。私が、ホワイトヒル領主アーサーです」


 白い騎士服で出迎えてくれた人は、背がとても高く、逞しい体つきをしていた。まさに『屈強な騎士』のイメージ通りの肉体。だけど、顔立ちが驚くほど整っている。作り物のように。北の民特有の白い肌、切れ長の青い瞳、銀色の輝く長い髪を後ろで束ねている。全体的な印象が白く透き通るようで、人形のようにも、絵画のようにも思えた。


 思わず、見惚れてしまった。


(待って……聞いてないわ。どういうことなの?)


 事前に聞いていた情報を思い出す。名前はアーサー・ホワイトヒル、私より三つ年上。

 言いたくないけれど、化け物伯、という噂があるのは本当だ。だけど、彼はそんな言葉には程遠い。例えて言うならば、物語の中のお姫様の騎士に出逢ったよう。


(綺麗過ぎて……まるで魔光のような人だわ)


 人でなく、精霊と言われても信じてしまう。魔光を浴びて星の光を煮詰めたように輝きながらそこにいるのだ。王都の貴公子にだって、これほど魅惑的な人を見たことがない。


(なにか話が間違っているのではないかしら?たとえば違う人に婚姻を申し込んでしまったとか……)


 一瞬で王都への長い旅路をまた戻ることまで考えだした私を前に、彼は優し気に笑った。

 青い瞳が輝く。

 笑うと、印象が幼くなる。二十一歳のはずだけど少年のように。

 彼は恭しく膝を突くと、私の手の甲に口づけを落とした。


「デビュタントの夜会でお会いしたときから、あなたに恋い焦がれていました。こうして我妻に迎え入れられるなど夢のようです。生涯をかけてあなたをお守りすると誓います」


 真っすぐに見上げる青い瞳には私だけを映している。偽りは感じられない。


(……これは一体どういうこと?)


 デビュタントの夜会?会ったことはないと思うけれど?

 頭の中はハテナでいっぱい。

 違う人だったり……しない?


 彼はもう一度嬉しそうに微笑んだ。


「……ブランカ。あの日の面影がありますね。だけどずっと美しくなりました。待ち望んだ、私の花嫁です」


 ――人違いでは、ないようだ。


 健康な肉体の、子供を多く産む花嫁を求められているだけなのだとしても、嫁ぎ先で少しでも役に立てますように……そう思いながら私は辺境へ来たのに。


 けれど婚姻するはずの人は、お姫様を迎えるように私の前に跪いている。

 彼の手は温かくて、外気は涼しくて。ここは、遠い北の地で……私は彼の妻になる。


 少しの現実感もないままに、想像とはまるで違う辺境での生活が始まった。

 まるでお伽噺の絵本を開いたように。

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