第88話「鎧魚の瀑布」
視界が暗転し、次の瞬間俺は薄緑色をした少し粘度のある液体の中に浮かんでいた。
排水機構が作動し、大きな泡を立てながら水位が下がっていく。
俺一人分が収まるサイズの円柱のガラスケースの中にいたらしい。
「……死に戻りってこんな感じなのか」
大きな試験管のようなガラスはちょうどアップデートセンターの機械と同じような構造だった。
ふと視線を落とすと、スキンの張り付いていない鉄製の無骨な構造が見える。
「ああ、たしか死体……機体は死亡地点に残ってるんだったか」
このゲームでの死亡は単にセーブポイントへ送り返されるということではない。
死亡しても元々の機体はとり残され、意識だけが事前にデータのバックアップを取っていた町に戻される。
その意識が非常用のサブ機体へと移され、行動が再開されるのだ。
サブ機体の状態でも一定時間以内に死亡地点まで戻るなどして機体を回収できればデスペナルティはない。
しかしゲーム内時間で24時間、それまでに回収されなかった場合や自力での回収が困難な場合はスサノオの機体回収用ロボットが出動する。
そのかわりにバックアップ時点までスキルなどが巻き戻り、ついでに回収費用を取られてしまうのだ。
『もしもしレッジさん、大丈夫ですか?』
空になった試験管の中で呆然と立ち尽くしていると、レティから通信が飛んでくる。
「レティか。そっちはどうだ?」
『とりあえず〈水蛇の湖沼〉に戻って、ヤタガラスのポータルに避難してます。……ラクトがちょっと消沈してますけど』
「……とりあえずヤタガラスでそこまで行く。回収できるかは……そこで考えよう」
通信を切り、深いため息をつく。
そうして俺はつい数分前の出来事を思い返しながら、中央制御区域の地下ホームへと足を向けた。
†
「この先が進めるようになったんだな」
「そうみたいですね。以前あった倒木が無くなってます」
ラクト、エイミーたちと合流し四人集まった俺たちは、意気揚々と武器を掲げて〈水蛇の湖沼〉を進んでいた。
相変わらずの濃霧は数メートル先も見通せない視界の悪さだったが、水分量の多い泥には以前ほど足を取られない。
シャドウスケイル装備の威力は目覚ましく、俺とレティは〈歩行〉スキルのレベル以上の歩きやすさを実感していた。
「敵も楽に狩れるようになりましたし、この先の新マップも余裕ですかねぇ」
レティなど、そんな軽口を叩くほどだ。
「そんなこと言って。あっけなくやられちゃっても知らないわよ」
エイミーも彼女をたしなめつつ、まだ見ぬフィールドに胸を膨らませる。
ラクトは新たなアーツチップを集めるのだと息巻いていた。
そうして俺たちはついに〈水蛇の湖沼〉の最奥に辿り着き、その先を阻んでいた巨大な倒木が無くなっているのを発見した。
「じゃあ、行きますよ」
「ええ。気をつけましょう」
先頭のレティとエイミーが生唾を飲み込み足を踏み出す。
俺とラクトもそれを追って、倒木の先を進み……。
「きゃあっ!?」
「ラクトッ!」
突然足下が崩れ、視界の端に映っていたラクトの頭頂部が掻き消える。
咄嗟に伸ばした手が彼女の青いローブを掴む。
「れ、れっじぃ……」
「じっとしてろ。動くと手が滑る」
顔をくしゃくしゃにするラクト。
霧の中で見えたのは、ゴウゴウと飛沫を上げる激流だった。
体格が小さくて軽いフェアリーで良かった。
もし落ちたのがエイミーだったら、俺は支えきれなかっただろう。
「湖沼から川が続いてた? 全然気付かなかったわ」
「下手に動いちゃだめです。足下が凄く脆い……!」
足を投げだし地面に胸を付けた俺の代わりに、レティとエイミーが周囲の状況を把握する。
まるで図ったかのように霧は薄らぎ、景色が鮮明になっていく。
〈水蛇の湖沼〉から続く道は、急流の川筋に沿った細いものだった。
これだけでなく、幾つもの激しい水の流れが束なって先の方で雄大な大河を形成している。
周囲に背の高い木々はなく、大きな岩に青々とした苔が豊富に生していた。
「レティ、エイミー、手を貸してくれないか」
「分かりました。もう少し耐えて下さいね」
ふらふらと風に揺れるラクトが俺の腕に縋り付く。
俺が動けば彼女もろとも激流の中に落ちてしまいそうだった。
二人は足下が崩れないよう慎重に俺の左右へ移動する。
そうして、彼女たちが膝をつきラクトに手を伸ばそうとした時。
「ッ!」
「レッジさん!?」
白濁する激流の中に巨大な影が現れ、俺は咄嗟にラクトを強引に引き上げる。
殆ど考えのない行動だったが、結果的にそれは功を奏した。
「きゃあああっ!?」
ラクトの悲鳴。
水面下から大きな顎を限界まで開いて現れた巨大な魚。
黄色く濁った牙が鋭く並び、ラクトの足へと狙いを定めていた。
「うおおおおっ!」
力任せにラクトを引っ張り上げる。
その代わりにバランスは崩れ、ボロボロと崩れる地面ごと俺は巨大魚の口へと落ちていった。
「レッジ!」
「レッジさん!!」
ラクトが目を見開き手を伸ばす。
エイミーに肩を押さえられてなければ、そのまま飛び込んできたかも知れない。
「死んで、たまるかっ!」
空中で身を捩り、同時に槍を取り出す。
紅の刃を振り回し、怪魚の口に傷をつける。
麻痺や石化にこそならなかったものの魚は怯み、口を閉じる。
それを蹴って水面に叩き付け、崖上に手を伸ばし、
「くそっ」
「レッジ!」
後数センチのところで指先は届かず。
俺はあっけなく激流に飲み込まれ、瞬く間にLPを消し飛ばされてしまったのだった。
†
「まあ事故みたいなもんだし、ラクトもそう気にするなって」
ヤタガラスから〈水蛇の湖沼〉のポータルに降り立つと、目を赤くしたラクトが飛びついてきた。
俺の腰に張り付いて謝罪を連呼する彼女を引き剥がし、エイミーに預ける。
「でも、わたしのせいでレッジ……」
「別にラクトのせいじゃないさ。運が悪かっただけ」
「でも、機体が……」
「捜せば良い。まあキャンプセットとかもないからちょい大変かも知れんが」
ぐずぐずと鼻を鳴らすラクトの透き通るような水色の髪を少し乱暴に撫でる。
「俺はもともと戦闘力もないし、お荷物具合は変わらないさ。幸い〈歩行〉スキルなんかのステータス系は残ってるから付いていくだけならなんとかなる」
「はい。護衛はいつも通りレティに任せて下さい!」
俺の気持ちを汲み取って、レティが陽気な声で胸を叩く。
エイミーもラクトの肩に手を置いて頷いた。
「そういうわけだ。ラクトもよろしく頼む」
「……うん。分かったよ」
くしくしと目を擦り、そこに気弱な少女はいない。
若草色の瞳に鋭い光を宿した、怜悧な彼女が自慢の短弓を構えて立っていた。
「とはいえあの激流の中だ。どこまで流されてるんだか」
今度こそ足を踏み外さないように慎重に足を運びながらぼやく。
まさか川に落ちたその場所に沈んでいるわけはなかろうし、それにしてもあの激流の中に飛び込んで回収しようにもミイラ取りがミイラになるのが関の山だ。
「とりあえずは川の下流を目指して歩くしかないですね」
レティもそういうように、俺たちが採れる行動は限られていた。
「くっそぅ、あの魚ぜったい釣り上げてやる……」
ラクトを喰らおうと飛び出してきた怪魚を思い出し、思わず歯を噛み締める。
大物も大物、魚拓取るのも一苦労だろう。
だからこそ釣り人としての血が騒ぐ。
「あれ、釣り上げるタイプの魚なんですかね」
「到底持ち上げられるとは思わないんだけど……」
前を歩いていた二人が振り返って言う。
「魚は魚だろ。魚ならきっと釣れるさ」
「理論が強引すぎやしませんかねぇ」
そんな俺の主張を聞いても、レティは胡乱な表情を崩さなかった。
「それにしても、レッジのスケルトン姿は新鮮ね」
「レティも久しぶりに見ましたよー」
エイミーの言葉にそれもそうかと頷く。
ゲーム初日にはレティに連れられてスキンショップに行っていたし、ラクトとエイミーは俺のスケルトン姿を知らない。
俺自身、死に戻ったときにガラスに映る自分の姿に少しぎょっとしたのだ。
「スケルトンは表情が読みにくいから苦手だわ」
「そういうもんか? たしか、スケルトン限定の集まりもあるんだろ」
「そういう集まりの話が流れるくらいにはレアってことですからね」
……。
四方山話に花を咲かせながらも、俺は隣を歩くラクトをちらりとのぞき見る。
いつもは積極的に混じってくるのに、今は大人しい。
……そこまで責任を感じられてもやりにくいんだが。
「なあラクト」
「ぱぴっ!?」
驚いて俺を見上げる彼女の目をのぞき込み、口を開く。
「……新天地のメニューで一番好きなのはなんだ?」
「はえ?」
俺の質問は完全に彼女の虚を突いたらしい。
鳩が豆鉄砲を喰らったように小さく口を開けて、ラクトが首を傾げる。
その少し間の抜けた姿に思わず吹き出して俺は続ける。
「無事に帰れたら、ラクトのおすすめを奢ってくれよ。そうしたら許してやるよ」
「あ、え……」
混乱するラクト。
そのやりとりを見て、レティがぽんと手を打った。
「それいいですね。今後は死んじゃった人に生き残った人が何か奢りましょう」
「いいわね。私、最近ずっと紅茶しか頼んでなかったし」
エイミーもそれに乗っかり、話が進む。
左右に首を振って困惑していたラクトも、ついには小さく笑みを浮かべた。
「分かった。……じゃあ帰ったら、新天地の永久凍土ブリザードマックスミックスベリーベリーハードトッピングホワイトホイップキャッスル、奢ってあげるよ」
「……それほんとにおすすめか?」
「おすすめだよ。楽しみにしてて良いからね」
いつの間にかレティだけじゃなくラクトまでもが新天地の魔に飲み込まれてしまっていたらしい。
俺は数秒前の言葉を既に後悔しながら、頷くしかなかった。
Tips
◇ポータル
高速装甲軌道列車ヤタガラスが発着する、開拓地に設置された拠点。内部は狭いものの簡易な椅子が置かれた休憩室が併設されており、危険な開拓地における数少ない安全を確保できる空間。
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