第39話 役立たず聖女とは言わせない
ライムは薄く笑みを浮かべ、私を値踏みするような視線を投げかけてくる。
「役立たずの落第聖女が辺境伯夫人ねぇ。肩書きとしては見栄えがいいわね」
数年前と同じように嘲笑うような言葉をかけてくる。
「でも、その実態はどうなのかしら? ただ立場にしがみついているだけじゃないの?」
「しがみついているだけ、ですか?」
私は静かにライムを見つめ返しながら口を開いた。
彼女の言葉に感情的になる必要はない。
「確かに、私には過去に落第聖女と呼ばれた経験があります。そのことを恥じる気持ちも少しはあります。でも、私はその過去に囚われてはいません。今は辺境伯家の聖女として、夫人として精進している最中です」
「精進ねぇ。それで、どんな大それたことをしているのかしら?」
「辺境伯家は魔獣の脅威に立ち向かい、多くの人々を守っています。魔結晶を通じて、国に貢献するための重要な役割も担っています。私はその一端を担う者として、日々学び、成長しているつもりです」
私の言葉に、ライムは一瞬だけ言葉を失った。
想定していなかった返答だったのだろう。
だが、彼女はすぐに冷笑を浮かべて返してくる。
「まぁ、そうやって綺麗事を並べるのは簡単よね。でも、本当に辺境伯夫人としての役割を果たしているのかしら? どうせ形だけの――」
「ライム」
私は彼女の言葉を遮るようにして静かに口を開いた。
「私は今、ルンドヴァル辺境伯夫人です。貴族としての立場がある以上、あなたのように不用意な発言をすることは控えるべきだと思いますが、どうでしょう?」
「っ……!」
周囲の貴族たちがこちらに注目していて、ライムの取り巻きたちも目を丸くしている。
ライムの表情が一瞬だけ引きつり、紅潮していくのが見て取れた。
「立場と物言いを考えるべきです。あなたも一応聖女であるならば、相応の振る舞いをされるべきではないですか?」
「っ……」
ライムは悔しそうに歯を食いしばりながら、何も言い返せずに黙り込んだ。
そのとき、会場の端から甲高い音と共に、女性の悲鳴が上がった。
「きゃあっ……!」
その声に視線を向けると、会場の使用人らしき若い女性が足を挫いて転倒していた。
彼女が持っていたトレーの上のグラスが床に散らばり、割れた破片が足元に広がっている。
彼女は周囲に謝罪しながらも立ち上がり、青ざめた表情で涙を浮かべていた。
「申し訳ございません! 本当に申し訳ありません!」
参加者たちの中には不快感をあらわにする者もいれば、冷たい視線を投げる者もいた。
「はぁ、興ざめだな」
「早く片付けろ」
「申し訳ありません……っ!」
彼女は散らばった破片を片付けようとしているが、どこかぎこちない動きをしている。
見ると右足を引きずるようにしているので、挫いた時に捻ってしまったのだろう。
彼女が床に座り込んで謝罪を繰り返す様子を見て、私はいても立ってもいられなくなった。
「っ、リリアナ……」
シリウス様が私に声をかけたが、私は小さく頷いてから彼の元を離れ、転んだ使用人の女性の元へと駆け寄った。
「大丈夫ですか? 怪我をされましたか?」
私がそう声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げた。
「お、奥様……! こんな私のために、申し訳ありません……」
「そんなこと気にしなくていいわ。足を見せてください」
彼女の足首は腫れており、明らかに痛みを伴っている様子だった。
私はそっと彼女の足元に手を置き、目を閉じて集中する。
「『ヒール』」
聖女としての力を解放すると、私の手から柔らかな光が放たれた。
その光は彼女の足首を包み込み、腫れを抑え、痛みを和らげていく。
「えっ……?」
使用人の女性が驚きの声を漏らす。
周りで見守っていた参加者たちも、驚きの表情を浮かべていた。
「これで痛みは取れたはずよ。立てる?」
彼女が恐る恐る立ち上がり、足元を確認してから小さく跳ねてみせた。
「本当に……痛みがありません! ありがとうございます、奥様!」
彼女が深々と頭を下げると、周囲から感嘆の声が上がった。
「これが聖女の力か……」
「すごいな」
「だが聖女の力は対価が発生すると思うが……」
最後の貴族の言葉に、使用人の彼女がまた青ざめた顔をする。
だけど私は笑みを浮かべて首を横に振った。
「対価なんていらないからね」
「で、ですが……!」
「あなたのような使用人の方々のお陰でこの社交会は開催できて、私は楽しめているから。これはむしろ私からのお礼よ」
「奥様……!」
ざわめく会場の中で、私は穏やかに微笑み、彼女に声をかける。
「もう大丈夫だから、気をつけてね。あとは片付けを手伝ってくれる人を呼びましょう」
「はい、本当にありがとうございました!」
彼女は私に深く頭を下げた後に、その場を去った。
私は周りの方々に「お騒がせしました」と頭を下げた後、シリウス様の下へ戻る。
「シリウス様、勝手な行動を取ってすみません」
「いや、謝る必要はない。むしろ君をもっと好きになってしまったな」
「は、恥ずかしいです……」
優しい笑みを浮かべているシリウス様に、私は頬を赤く染めて視線を逸らした。
「リ、リリアナ、なんであんたがあんな高度な回復魔法ができて……!」
一部始終を見ていたライムは、唖然として立ち尽くしていた。
その声は明らかに動揺しており、先ほどのような余裕は感じられない。
ライムは私が妹に魔力を奪われていたことを知らない。
だから本当にただの落第した聖女だと思っていたから、驚いているようだ。
「辺境伯領にいたら、聖女としての力が戻ったのです。これも良き夫に出会えたからかもしれませんね」
チラッとシリウス様のことを見ながら言うと、彼は少し気恥ずかしそうに頬をかいた。
さっきのお返しができてなんか嬉しい。
「くっ……!」
ライムは悔しそうに唇を噛んでいる。
もうこれ以上彼女に関わる意味もないだろう。
「では失礼します、聖女ライム」
私とシリウス様は軽く頭を下げてから、ライムから離れる。
ライムは周囲の視線を浴びながら小さく舌打ちして、その場を後にしたのが見えた。
「これで大丈夫だったでしょうか?」
どこか失敗したか少し不安だったから、シリウス様に小さくそう問いかけた。
「ああ、完璧だったさ」
「それならよかったです。使用人の女性も治せてよかったです」
「ああ、君の行動は素晴らしかった。リリアナはルンドヴァル辺境伯家の誇りだよ」
彼が穏やかな笑みを浮かべながら私を見つめる。
これからも、この人の隣に立つにふさわしい自分でありたい――そんな思いを胸に抱きながら、私は微笑み返した。




