剣聖の正体
油断した―――
それがその時彼、アッシュ・ウィンドが抱いた思いだった。
バルダ山中にある広場。ここで先程までガーベルグと戦っていたが、右前脚を斬り落とすと絶叫し、そのまま飛ばれて逃亡されてしまった。
セラとリルが魔術で撃ち落とそうとしたが、鱗の耐魔術性能が高すぎ、失敗してしまった。
(だが、まだ遠くには行っていないはず)
「セラ! 翔けるぞ!」
その言葉にセラはうなずき、白羽を器用に鞘に納める。
鞘に収まったのを確認するとアッシュは跳んだ。
当然すぐに重力に引かれ落下するが、宙を蹴るとまるで目に見えない足場があるかのように体が前に出る。
実際に足場があるためだ。
正確に言えば、セラが一瞬だけ風で構築した足場を利用し、空を翔けている。
ただしこの方法は白羽を操作しながらでは、セラにかかる負担が大きすぎて使用できない。
だからこそ白羽をしまう必要があり、ガーベルグ戦ではできなかった行為だ。
「リルを置いて来ちゃったけど、後が大変そうね」
「仕留め損なうよりはいいだろう? それにあいつだってSランクなんだから1人で街までは来れるしな」
空を翔けながら会話をするアッシュとセラ。
少しでもバランスを崩したり、タイミングがずれれば大変なことになりかねないことをしているのに余裕である。
長年戦場を共に過ごしてきたが故の信頼がそこにはあった……
*****
「見つけた!」
予想よりも早く追いつけたことに安堵しつつ、アッシュはガーベルグに向けて突撃する。
どうやら誰かと戦っているみたいだ。
「!! アッシュ、まずいよ! アイツが闘ってるのルーフェリアの……」
「ツッ!?」
それを聞いた瞬間さらにスピードを上げる。
しかし……
「クソが!」
カーラがレナを庇い黒龍の爪に斬り裂かれた。
そして次はお前の番だとばかりに黒龍がレナに近付く。
それを見てアッシュは歯を食いしばり、愛剣に吸わせる魔力を増やす。
そして距離がある程度近付いた瞬間―――
「疾ッ!」
闘気術【迅雷】を用いて一気に加速する。
【迅雷】は【疾風】の上位技であり、【疾風】を上回る超高速で移動する闘気術だ。
そんな超スピードと切れ味が極限まで上げられた大剣が組み合わさればどうなるか?
答えを示すようにガーベルグの首が音もなく落下した……
*****
一瞬の静寂の後、すぐにレナが動き出した。
「カーラ!! 今治しますから!」
そう言いながら倒れて動かないカーラに治癒術を使い始めるレナ。
突然現れた黒龍に殺されそうになり、また突然現れたアッシュに黒龍が倒されたりとパニックになってもおかしくはない状況ですぐに行動できる。
その行為にアッシュは密かに感心する。
レナが動いたことによって残りのメンバーも我を取り戻していた。
「で、どこから現れたのよあんたは?」
どこかいらついた口調でアニスが尋ねる。
カーラが死にかけ、前線で戦った男2人もかなりのダメージを受けているせいで感じている不安や心配で、苛立っているのだろう。
「空を翔けてきた。 そこで死んでるダークネスドラゴンは名付きで俺とリルの討伐対象だった。 追いつめたところで逃げられたから追いかけてきたんだ」
「つまりあんたたちのせいで私たちはコイツに襲われたってこと?」
「そうとも言えるな。 俺たちが討伐に行かなければ少なくとも今日は無事だったろう。 いずれ街に来たとは思うけどな……」
「!? あんた……」
「アニス様、お止め下さい」
アッシュに詰め寄ろうとしたアニスを羽交い絞めにするソフィア。
目の前の男はまるで反省をしておらず、彼らのせいでこんな目にあったのだと思うとソフィアだって腹が立つ。
しかしどう足掻いても勝つことはできない以上喧嘩を売るべきではない。
それにアッシュが言ったように、討伐しなければより大きな被害が出た可能性が高い以上その行為はしなくてはならないものだ。
確かに自分たちのパーティーに大きな被害は出たが、この程度の被害なら討伐しなかった時よりも遥かに少ないだろう。
アニスも頭では、運が悪かったせいだと、止むおえない被害だと、彼に喧嘩を売ってはいけないと分かっている。
だが、どうしても感情がコントロールできない。
そのせいで睨みつけてしまう。
アッシュはアニスのそんな様子に肩をすくめると治癒術を使っているレナの方を見る。
必死の表情で使い続け徐々に傷が治っていくが、段々と治癒術の光が弱くなっていく。
(魔力切れか……)
元々黒髪であるレナの魔力は少ない。
治癒術は自身の魔素を相手の体内に送って相手の魔素を活性化させ、自己治癒能力を高める術だ。
しかしこの術は消費魔力が大きいという欠点がある。
魔力の少ないレナではすぐに魔力切れになるのは当然だろう。
(やれやれだ…… できればまだ明かしたくなかったんだがな……)
そう思いながらアッシュはレナに近付き、そして……
「!! んっ!?」
いきなり口付けをした。
「!? ちょ、ちょっとあんた何やってんの!!」
当然のごとくアニスが怒髪天で詰め寄って来る。レナはどこか呆けたまま治癒術を続けている。
それに対しどこか疲れたような、それでいてめんどくさそうにアッシュは答えた。
「魔素を分け与えただけだ。 ぎゃあぎゃあ騒ぐな」
「魔素を分けたってあんた……」
信じられないと言わんばかりの表情を浮かべたが、実際にレナの治癒術の輝きが戻っているのを見て唖然とする。
確かに魔素の受け渡しには口付けが一番効率がいい。
しかし、魔素の受け渡しはとある条件を満たさない限り不可能である。
すなわち治癒術もしくは呪術が使用できること。
あるいは……
「2等親以内の血縁者であること……」
カーラの治療が終了したレナがボソリとつぶやいた。
「アッシュさんが治癒術や呪術を使えるとジョゼフさんは言いませんでした。 そして2等親以内の血縁者は1人を除いて全員ルーフェリアにいるはずです。 つまりあなたは……」
一度言葉を切る。そしてこちらをしっかりと見つつ少女は続きを言う。
「生きていたんですね…… 会いたかったです、アイン兄さん……」
その瞳からは涙が零れおちている。
そんなレナ……ルナフィリアの姿に気まずさを覚えつつ彼アッシュ・ウィンド……アインスレイ・クロス・グランドールはフードを取った……




