駆逐艦総評
各国の駆逐艦をデータ化してみて感じたことは、「最強の駆逐艦」が日本の駆逐艦であり、「最良の駆逐艦」が合衆国の駆逐艦であるという、わかりやすい現実でした。
駆逐艦の実力を示す項目としては、大きく分けて「対艦」「対空」「対潜」の三つが挙げられます。
このうち「対艦」に関して言えば、やはり特型=吹雪型から続く日本の大型駆逐艦群がズバ抜けています。
こう書くと大概の方は、まず酸素魚雷の採用にともなう強力無比な雷撃力のほうを思い浮かべると思うのですけど(それはそれで事実ですが)、それよりも特筆すべきは、むしろ砲撃力のほうでした。
日本駆逐艦の標準砲となっている50口径5インチ砲の性能が、巷の評価と裏腹に実に素晴らしかったのです。
この長砲身5インチ砲はライバルである合衆国駆逐艦が標準砲としている38口径5インチ砲と比べると初速が大きく、それゆえに長射程で、かつ弾道特性も優秀なのでした。
有効射程にして、その優勢はおおむね2千~3千ほどあるんじゃないでしょうか。
つまり、日本駆逐艦がおおむね距離1万2千前後から有効打を浴びせてくる一方で合衆国駆逐艦は下手をすると距離1万弱に接近しないと有効打を浴びせがたい。
初速が遅い砲は弾道がお辞儀しがちになるので、目標までの距離が大きくなればなるほど急速に命中率が低下するからです。
くわえて、弾着観測の絡みから発射速度の優位性も活かしがたい(駆逐艦の砲撃戦だと砲弾が目標に到達するまで6秒程度かかるので、1分間に10発ほど発射できたら必要にして十分なわけです)。
そして、そこからちょっと踏み込んでしまう(場合によっては踏み込まなくても)と、今度は日本側から魚雷が放たれる。
昼間砲撃戦で特型(甲型にあらず!)とフレッチャー級が真っ向から撃ち合ったら、フレッチャー級が撃ち負ける可能性は高いと思われます。
正直、ソロモンでの戦いがほとんど夜間=距離1万以内での遭遇戦(つまり、当たる距離での乱打戦)になったことで、合衆国駆逐艦は馬脚を露わさずに済んだのではないでしょうか?
無論これは合衆国駆逐艦のみならず、欧州各国の駆逐艦、ほとんどすべてにも当てはまる事柄です。
というのも、こうした条件に合致しないのは、5.1インチ砲を搭載した南部連合の駆逐艦(データ自体はソ連駆逐艦のものを拝借してます)およびル=アルディ級以降のフランス駆逐艦、あとは5.9インチ砲を搭載したドイツ駆逐艦、5.3インチ砲を搭載したコマンダンテ=トスカーノ級以降のイタリア駆逐艦、50口径4.7インチ砲を搭載したイギリスの大型駆逐艦のみとなるからです(フランスの大型駆逐艦は除外。あれらは駆逐艦の皮を被った軽巡=「おまえのような駆逐艦がいるか!」艦なので)。
それぐらい日本の駆逐艦は強力で、個艦実力的には群を抜いていると言っていい。
彼女らが有する砲撃レンジ1は、それ以外の駆逐艦が持つ砲撃レンジ0(レンジ0の艦は、夜戦以外でまともな砲撃戦を行えません)とは一線を画すものです。
こうした傾向は、自国の艦隊駆逐艦に対し敵巡洋艦との砲戦をある程度期待した海軍、つまり仮想敵と比較して戦力的に劣勢な海軍に見られるものだと思われます。
ぶっちゃけ言うと艦隊駆逐艦に軽巡洋艦の役目を肩代わりさせようとしているんですね(実は戦間期のイギリス海軍も──主に予算面の絡みから──それを試みたことがあります)。
その一方、駆逐艦の砲撃レンジ0を受け入れている海軍、つまり条約明けの合衆国海軍やイギリス海軍は仮想敵国よりも優勢な巡洋艦戦力を保有しており、敵艦隊との昼間砲撃戦にわざわざ艦隊駆逐艦を参加させる深刻な必要性を感じていなかったようです。
そうした海軍にとって駆逐艦とは、(水雷襲撃任務を別にすれば)「敵の水雷襲撃から主力艦を守るスクリーン」または「艦隊の対潜(対空)護衛艦」という位置付けが強いのでしょう。
迫り来る敵駆逐艦を砲撃で阻止するのはあくまでも軽巡洋艦の役目であり、駆逐艦にはそれ以外の仕事がちゃんとあるぞ、と言ったところでしょうか。
条約明けの合衆国やイギリスが大型軽巡の大量産を図った背景は、ここらへんにあると思います。
そんな感じで改めて日本の駆逐艦を眺めてみると、特型以降のほとんどすべてが、常識的な「駆逐艦」としての役割ではなく、軍縮条約以前の「軽巡洋艦」と同様の役割を求められていたことがわかります。
もちろん哨戒や護衛など「駆逐艦」としての任務だって無視できませんが、何よりもまず水上戦闘で敵艦を撃破することが主目的に設定されているんですね。
だから、主力艦を撃破可能な雷撃力+軽艦艇を積極的に排除可能な砲撃力を与えられてる。
そして、それ以外の能力については、比較的優先順位が低く抑えられてる。
基本が艦隊・船団護衛艦(水雷襲撃を主任務としない)である他国の同種艦とは、設計思想そのものが異なってるわけです。
ここまで来ると、もはや艦隊主力の一角と言ってもいい。
そりゃあ、日本の駆逐艦が「最強の駆逐艦」になるのも当然です(そのせいで建造にかかる手間やコストも凄いことになってますが)。
とはいえ、日本の駆逐艦がよく言われているような対艦攻撃特化艦である、つまり他国艦と比べて対空・対潜力が著しく欠如した艦であるかと言うと、実はそれほどではありません。
そもそも対艦・対空を兼用する両用砲を搭載している=十分な対空火力を発揮できる駆逐艦は第二次大戦後の新鋭艦(架空艦多し)を除けば合衆国海軍の駆逐艦ぐらいしかおらず、合衆国とイギリスのものを除けば、対潜装備の性能も各国似たり寄ったりというのが現状です。
日本の駆逐艦が「対艦」以外のスペック順位でぽつりと独り底辺にいる、というわけじゃないんですね。
同じ陣営にいたドイツやイタリアどころか、航空攻撃に対して無力であったのはイギリスの駆逐艦も同じです。
イギリスの駆逐艦は史実の第二次大戦において、(すべてが航空攻撃によるものではないにせよ)1942年までの間に水上戦以外で100隻以上も沈んでいます。
また史実における日本海軍の対潜戦を見れば信じられない向きも多いかと思いますが、少なくともデータ化した結果を勘案するに、日本海軍が敵潜水艦の跳梁を許したのは、対潜艦艇の「質」ではなく、むしろ「量」の問題のほうが大きかったのでは、と思われます。
事実、日本海軍と大差ないレベルの対潜兵装しか用意できなかったイタリア海軍は、対潜戦においてイギリス海軍相手に善戦しています。
もちろん透明度の高い地中海という戦場と合衆国潜水艦との性能差による影響は無視できないほどのものですが、それでも日本海軍艦艇が対潜戦で無力であったとは思えません。
マリアナでの潜水艦による主力空母の損失は艦隊規模に比べて外縁を守る駆逐艦が少なすぎたため、敵潜に警戒線をすり抜けられたのが原因ですので、たとえ日本の駆逐艦をすべてフレッチャー級に入れ替えたところで結果は変わらなかったと考えられます。
十分な数の随伴駆逐艦がいなければ、合衆国やイギリスの艦隊であっても空母や戦艦などの主力艦が潜水艦の手で撃沈されてたりするのですから。
また文献などでよく書かれている日本海軍対潜艦艇の「諦めの良さ」も、要は艦隊や船団を護衛する対潜艦艇が少なかったので、いつまでも同じ場所に貴重な護衛艦を貼り付けておけなかったっていう切実な事情があります。
なので、上記のような事例をもって日本海軍「艦艇」の質的欠陥を語るのは、やや片手落ちなんじゃないかと思います(爆雷搭載数の少なさは確かに大きな問題ですが、火薬生産量=国力の問題が絡むので、艦艇側ではいかんともしがたいです)。
とまあそういうことなので、本作においては、日本の駆逐艦が持つ対潜力に対し特にペナルティを付ける真似はしませんでした。
もっともそれは、対潜力が「皆無なわけではない」ってだけの話なので、米駆逐艦あたりと比較したら、能力が対艦攻撃に偏りすぎてると見られても仕方ないところではあります。
ただ、こうした流れは島風型で頂点に達したのちに終了し、戦時急造型である松型の経験を経て、両用砲を搭載した妙風型の登場を迎えることと相成ります。
いわゆる汎用駆逐艦の採用というわけです(架空艦ではありますが)。
史実において軍令部が「速力33ノット、主砲を高角砲とし、8射線以上の雷装を持ち、急速建造に適する艦」を次世代駆逐艦に求めていたとおり、第二次大戦の戦訓を得た本作の日本海軍が米駆逐艦のような「なんでもできる」駆逐艦に舵を切るのは確実だったでしょう(もっとも、海軍上層部が思想的に対潜能力を重視したかと言えば、正直言ってはなはだ疑問ですが)。
それを前提に、戦後設計の新鋭艦である妙風型の対潜兵装は、秋月型/松型以降の艦ともども、イギリス製対潜迫撃砲を装備した形で数値化しました(秋月型/松型/橘型はヘッジホッグ。北風型/妙風型はスキッド)。
解説でも書いたように水雷戦で島風に防空戦で秋月に劣る艦ではありますが、島風+秋月より妙風×2のほうが有力(特に対潜力は圧倒的)なので、コスパはいい艦になっていると思います。
余談ですが、本作における三式以降の探信儀(アクティブソナー)は、イギリスのASDICを参考にしたものとなっております(史実と異なり、戦時中にドイツとではなくイギリスと技術交流しているので当然ではあります)。
そして、思想的にそんな日本海軍のはるか先を行っていたのが、「最良の駆逐艦」を大量産した合衆国海軍です。
合衆国の駆逐艦をひと言で言ってしまえば、それは「偉大なる凡作」というものであります。
強力な日本海軍の駆逐艦と比較したら、彼女たちは妙風型と同じく「水雷戦で島風に防空戦で秋月に劣る艦」に相異ありません。
ですが、そういう性能的に尖った艦にやや劣るだけの性能を全艦が等しく発揮できるというのは、艦隊編成としては素晴らしいとしか言いようがないものです。
「水雷戦で島風に防空戦で秋月に劣る艦」である米駆逐艦は、ひっくり返せば「水雷戦で秋月に防空戦で島風に勝る艦」であるわけで、駆逐艦という艦種が少々の性能優勢よりも数的優勢を求められる傾向が強いことを顧みれば、合衆国式の建艦思想がまったく正しかったことは確かです。
それは、史実における合衆国海軍の勝利が何よりも雄弁に物語ってくれてます。
「対艦」をある程度妥協しつつ「対空」「対潜」分野に十分なリソースを振った大型汎用駆逐艦、その思想的優越の賜物であると言って構わないでしょう。
数は力であり、力こそパワーを主張する合衆国の高笑いが、いまにも聞こえてきそうです。
また個々の日本の駆逐艦に「対艦」性能で劣るとは言っても、艦隊運用面で見れば、決してそうとも限りません。
確かに砲撃力で劣る(砲撃レンジ0)ため、日本の駆逐艦と昼間に真っ向から撃ち合えば一方的な展開は免れません。
でも先述したとおり、合衆国海軍にとって敵駆逐艦と砲撃戦するのは、あくまでも軽巡洋艦の役目なわけです。
駆逐艦は夜戦の時に頑張るか、敵艦が水雷襲撃してきた時に対応する軽巡洋艦の砲撃サポートができればそれでいい。
どうせ巡洋艦の総数はこちらが優勢なのだから、それをやるだけの戦力的余裕は大いにある。
そう考えれば、駆逐艦の砲撃レンジ0も大した問題ではなくなるって寸法です。
加えて言うと、米駆逐艦の雷撃力を凌駕するのは、数値的には日本の駆逐艦ぐらいです。
そもそも日本の駆逐艦以上の魚雷射線数を持ってる合衆国の駆逐艦は、魚雷の性能を別にすれば十分すぎるほどの重雷装艦だと言っていい。
本作での合衆国がRDX系炸薬(いわゆるトーペックス。炸薬係数1.6)を採用していないにも関わらず、です。
そうした視点で合衆国の駆逐艦を見れば、水上戦における彼女らは、日本の駆逐艦と同様、艦隊戦時での攻撃的運用=水雷襲撃を主に計画されていたと判断して間違いじゃないのでは?、とさえ考えられます。
史実においても合衆国の駆逐艦乗りは、艦隊型駆逐艦から魚雷兵装を撤去することに最後まで抵抗していました。
のちに海軍トップの座についた「31ノット・バーク」ことアーレイ=バーク提督やソロモンで彼の同僚であったフレデリック=ムースブラッガー提督のような勇猛果敢な駆逐艦乗りたちが、です。
空母が艦隊主力となった時代なのに、おまえら、どんだけ水雷襲撃が好きなのよ、と。
高レベルな対空火力や対潜力を用いて航空機や潜水艦の脅威から艦隊主力を守りつつ、いざ決戦となれば優秀な雷撃力を活かして敵艦隊への突撃を敢行する。
こうしたケース・バイ・ケースで艦隊の剣にも盾にもなれる柔軟さこそが米駆逐艦の強みであり「最良の駆逐艦」たる最大の理由だと思うのですがいかがでしょう。
んで、そんな米駆逐艦にとってもうひとりのライバルとなるのが南部連合の駆逐艦です。
南部連合の駆逐艦も、設計思想的には日本の駆逐艦に近いものがあります。
いわば「対艦」性能の重視ですね。
強力な米大西洋艦隊、特に大幅に劣勢である巡洋艦戦力を補うためにも、駆逐艦の砲撃力に妥協はできない。
それを条約一杯の5.1インチ砲、それも長砲身のものを搭載することで解決し(砲撃レンジ1)、同時に米駆逐艦に準じる重雷装艦となることで主力艦への攻撃力も手に入れる。
特にイギリスからRDX系炸薬(いわゆるトーペックス)の技術を導入することで魚雷と爆雷の威力を増し、凡庸な魚雷自体(通常の空気式魚雷)の性能と月並みな対潜兵装をカバーしたのは大きいです。
そのおかげで南部連合の駆逐艦は、日本の艦隊駆逐艦を上回る対潜力と米駆逐艦に撃ち勝てる砲撃力とを兼ね備えた艦になりました。
さらには機雷の敷設能力も有しているため、一見すると随分使い手のある戦力に見えてしまいます。
ただ、想定された戦場がメキシコ湾内に限定された設計であるので全体的に航続距離が短目な上、ガーネット級までの艦は航洋性の悪さから艦種記号にWまで付いてしまいました。
しかも駆逐艦向け両用砲の開発にも失敗したので、最新鋭のクリバーン級であっても対空火力が「ないよりマシ」のレベルに収まってます。
ただし、両用砲未搭載の駆逐艦でありながらまがりなりにも他艦を守れる対空火力を有している事実は、相応に高く評価すべきだと思います。
もし南部連合が本格的な両用砲の開発に成功していたなら、そしてその砲を駆逐艦に搭載できていたなら、彼女らはより有力な汎用駆逐艦として誕生できていたかもしれません。
その夢は10年後に58口径5.1インチ両用砲として実現するわけなのですが、残念なことに1948年当時だと駆逐艦に搭載できる両用砲候補は56口径100ミリ(3.9インチ)砲が最大で、この口径では対艦威力不足が明白でした。
4インチクラスの艦砲とは第一次大戦時の標準砲であり、そんな砲を搭載した艦が5インチ砲クラスを搭載した現役駆逐艦に撃ち負けるのは必然です。
対空火力を獲得するために、より重要性の高い対艦火力を失っては「駆逐艦」として本末転倒。
そう考えた艦隊側がやむなく平射砲を選択するのも、これはこれで仕方ないことかもしれません。
そもそも、戦間期に駆逐艦向け両用砲を戦力化できたのは前述したとおり合衆国海軍のみであり、同時期の艦載高射砲を流用しようにも5インチクラスの重高射砲を実戦配備できていた国もまた、合衆国以外には日本ぐらいしかなかったのです(ドイツの128ミリ高射砲は配備開始が1942年)。
もちろん、イギリスの5.25インチ砲や4.5インチ砲、フランスの5.1インチ砲など新開発の両用砲は続々誕生していたのですが、どれも戦艦や空母、巡洋艦に回すのが精一杯で、駆逐艦に搭載する分の生産体制などまったく整ってませんでした。
となれば、駆逐艦の主砲は「対艦」を重視して平射砲を積むか、「対空」を重視してより小口径の高射砲を積むか、の二択になります。
両用砲としても使用できる八十九式12.7サンチ高角砲(松型/橘型の主砲です)を持っている日本海軍でさえ、「対艦」性能の劣化を嫌って水雷戦隊用駆逐艦には平射砲の採用を止めなかったのです(対艦威力で平射砲を上回る五式12.7サンチ高角砲が実用化されなければ、妙風型でも平射砲が採用されたでしょう)。
そんなわけなので、最大の仮想敵国である合衆国の駆逐艦が5インチ砲を標準搭載している以上、それらに撃ち負けることを許容してまで低威力の高射砲(この場合は100ミリ砲)を駆逐艦主砲に採用するインセンティブは、当時の南部連合にはなかったと思われます。
このあたりも、日本海軍と似通っている部分ではありますね。
さてお次は、ゲームにおける主役の一方、ドイツの駆逐艦について語っていきます。
独駆逐艦に関してまず言えることは「デカい」ということです。
初っ端の1934級からして、すでに2000トンを越える図体です。
これは狙ってやったというよりは、設計技術の未熟による水太りに近いものと思われます。
もちろん大柄な船体のおかげで武装を置くスペースが十分に取れたので、両用砲を持たない艦でありながら(弱体ではありますが)対空火力を有することに成功しました(大口径対空機銃のおかげです)。
ただ、排水量(建造コストに直結します)の割りにパッとしない実力なのは否めません。
航続距離も短く、航洋性の不足から艦種記号にWの付いた艦が軒並みなのも問題です。
主砲の性能も凡庸(砲撃レンジ0)なので、他国の同種艦に優勢を取れるわけでもありません。
予備浮力の関係から耐久力こそ高いのですが、それを生かせる場面はあまりないのでは、と思えるような出来映えであります。
少なくとも、強力な日本の駆逐艦と四つに組める性能ではありません。
砲撃レンジの差でまず撃ち負けるでしょうし、海軍全体として見ても、そんな彼女らを支援できる巡洋艦戦力は整っていません。
しかしながら、そうした自国の状況に懸念を持ったためか、1936C級以降の独駆逐艦は急激な進歩を遂げます。
まず主砲の更新。
大柄な船体を利して5インチ両用砲の搭載に成功しました。
有名な61口径FLAK40と混同されることの多いこの砲は、砲身長こそ45口径と日駆逐艦と撃ち合うには力不足(砲撃レンジ0)でありますが、独駆逐艦に優秀な対空火力と水雷突撃してくる敵艦艇を痛打できる砲撃力(対艦火力2)を与えることに成功しました。
長砲身故により高性能(砲撃レンジが1になる)な61口径FLAK40を採用しなかったのは、分不相応な5.9インチ砲を搭載して苦労した1936A級/1936A+級の経験がモノを言ったのだと思います。
61口径FLAK40は、高性能だけどクソ重いんです。
日本の五式12.7サンチ連装高角砲も十分にクソ重いのですが、妙風型はあえて単装砲を採用することによって重量問題をクリアしました。
一方ドイツは、連装を維持しつつ砲身長を短くすることで軽量化を果たし、艦載化に成功しました。
両者による対応の違いは、前者が(長砲身による)「対艦」性能を重視し、後者が(砲門数×発射速度による)「対空」性能を重視したからです。
これは、秋月型の配備が進み相応の対空火力を備えつつあった日本海軍と、自国空軍の挙げた対艦戦果を顧みて艦隊の対空防御に危機感を覚えたドイツ海軍との立場の差が影響を与えたものと考えます。
なお、独駆逐艦の進化はこれに止まりません。
何を思ったか、ドイツは駆逐艦にクソ重いディーゼル機関を搭載することを試み、あろうことかそれを達成したのです。
これによって1944級以降の独駆逐艦は長大な航続距離を獲得するとともに艦種記号のWを払拭。
一気に外洋海軍的航洋駆逐艦に脱皮しました。
ただし、その結果として駆逐艦の大型化(ディーゼル機関は燃費がいいけどクソ重いんです)は一気に進み、(大型艦の作りすぎで)ただでさえ不足気味だった海軍予算をさらに圧迫する羽目になりました。
これによってもたらされたのは艦艇調達数の削減という当然の帰結であり、第三次大戦時のドイツ海軍は多数の主力艦/準主力艦と比べて数的に貧弱な軽艦艇というアンバランスな艦隊編成に悩まされていくことになります。
総じて独駆逐艦は、大型艦と同様、「どのように使うべきか」を定められることなく建造されてきたイメージがあります。
「最良の駆逐艦」である米駆逐艦と比較するのは間違いだとしても、独駆逐艦は全体的にバランスの取れた攻防力を持ち、尖った部分もない代わりに航続距離を除けば凹んだ部分も見当たりません──ただし、この大きさの艦でなければ、ですが。
巡洋艦の総評でも書いたのですが、ドイツ海軍という組織は、どうも大型艦に対する偏愛が強すぎるように思えます。
なまじ帝国時代に世界第二位の戦艦部隊を持ってしまったためでしょうか。
Z計画の原案では多数の軽巡洋艦や駆逐艦を建造してバランスのいい艦隊を構築する青写真が描かれていたようなのですが、じゃあそうした軽艦艇の数を揃えるための努力、つまり量産性や稼働率に対する設計努力が図られていたかというと、その形跡が見えないんですよね。
むしろ複雑な新技術(CODOS=ディーゼル/蒸気タービン複合機関や高温高圧缶など)を躊躇いなく採用するなど、コスト減とは逆行している様子さえうかがえます。
戦間期の日本海軍も特型などで似たような真似をしているのですが、こちらはむしろ個艦性能重視の流れであり、ドイツ海軍のそれとはかなり毛色が違います。
事実、戦争が始まってしまってからは、松型のような戦時急造艦の設計に成功しています。
じゃあドイツ海軍は?
そりゃあ、潜水艦の建造にリソースを傾けたからって理由はあるでしょう。
でもそれだからこそ、安くて数が揃えられる戦時急造型駆逐艦を「設計する」努力はあって良かったのでは、と思えるんですよね(一応、多数建造された水雷艇が「それ」と言えるかも)。
もちろん当時のドイツで実際に起工できたかは別の話ですが、少なくとも史実で計画が進められたSP級偵察巡洋艦なんかよりはよほど役立つ艦になったと思います。
まああえて擁護するなら、現実的な戦争計画(そもそも、そんなものを策定する気があったかどうかは別として)を策定する前に第二次大戦が始まってしまって、建艦計画が序盤でおじゃんになってしまったという(情けなくも)哀しい事情は考慮してあげるべきなのかもしれません。
第二次大戦時のドイツ海軍トップであったエーリッヒ=レーダー提督ですらが、「外洋で遊撃戦を行い、分散した英海軍に北海で決戦を挑む」という第一次大戦と同様のプランしか持ち合わせていなかったのです。
運用側に具体的プランがないのに、設計側が実用的な艦艇を提供できるわけなどありません(このあたりは、実のところ日本海軍も他人のことは言えません。ですが、戦局の変化に応じて松型や各種海防艦など戦時急造艦の設計を短期間でやってのけた日本艦政本部のほうが、H44設計して悦に入っていたドイツ艦艇設計局よりは随分とマシな存在です)。
そしてそのツケは、ドイツ海軍がインド洋で強力な日英同盟海軍と激突した際、一気に噴出することになるわけです。
そうしたドイツ海軍に付き合わされる形で対日戦に参加するのが、彼の国の属国と化したかつての列強・フランスです。
戦間期には世界第四位の偉容を誇っていた仏海軍ですが、他国の駆逐艦とはまったく異なる思想の元で発展してきました。
まずもって、仏駆逐艦は同国独自の分類から大型の「水雷艇駆逐艦」と中型の「艦隊水雷艇」とに分けられます。
このうち前者は、駆逐艦というよりは無装甲の軽巡洋艦と言うべき存在です。
立ち位置としては砲撃力を重視した大型駆逐艦になるのでしょうが、運用面では紛れもなく軽巡洋艦のそれに当たります(本作でも巡洋艦として扱いました)。
ただ、改装を受けた自由フランス艦を除けば索敵範囲を持っていない(=レーダー未搭載)ため、単独で艦隊を構成することは難しいでしょう。
あくまで戦艦や巡洋艦と同一艦隊を組んでの行動が主になると思います。
仏海軍がなんでこんな艦を続々整備したのかと言うと、恐らくですが駆逐艦と巡洋艦の建造/運用経験の決定的不足があるのだと考えられます。
これは第一次大戦前の仏海軍が青年学派の台頭によって水雷艇に傾倒しすぎ、近代的駆逐艦の建造に後れを取ったことが原因でしょう。
しかも、保有している軽巡洋艦が第一次大戦による戦利艦のみというお寒い状況。
純粋な軽巡には太刀打ちできないけど建造費はその分安く、かつ戦闘力的に駆逐艦なら撃ち勝てる艦隊護衛艦というのは、予算不足に喘いでいた仏海軍には、文字どおり「渡りに船」な存在だったでしょう。
最初期のシャカル級を除けば彼女ら大型駆逐艦は、主砲の口径的に紛れもない条約型軽巡洋艦なわけなのですが、仏海軍はラ=ガリソニエール級の就役以降もこうした艦を整備し続けます。
海軍上層部としては、役に立つ艦種だと思っていたんでしょうね。
でもその割りを受けて、もう一方の「駆逐艦」である艦隊水雷艇のほうは整備が遅れてしまいます。
シャカル級と同時に計画されたブーラスク級ですが、次級のラドロア級共々、性能的には凡庸です。
戦間期の艦隊駆逐艦としては、及第点の攻防力と言ったところでしょうか。
ただ航続距離が短く航洋性にも難ありなので、同時期の英駆逐艦と比べれば、決して使い勝手は良くありません。
ところがです。
条約明けに建造されたル=アルディ級で仏駆逐艦が覚醒します。
それまでの標準砲であった40口径5.1インチ砲を改良した45口径5.1インチ砲を採用したことで、彼女らは他国の新鋭駆逐艦を凌駕する砲撃力(対艦攻撃力2+砲撃レンジ1)を獲得したのです。
その上、第二次大戦後に建造されたシュルクーフ級/ラファイエット級では、大型化した船体に両用砲化した本砲を搭載することである程度の対空火力まで手に入れることができました。
このシュルクーフ級/ラファイエット級の登場は、仏海軍に水雷艇駆逐艦の新規建造を諦めさせる結果をもたらします。
汎用駆逐艦(フランス名「艦隊護衛艦」)の誕生です。
ただ優秀な砲撃力を得た一方、仏駆逐艦の対潜力は実にお寒い限りです。
なんといっても、日駆逐艦でさえ標準装備している側方への爆雷投射機を最新鋭のシュルクーフ級/ラファイエット級でさえもが装備していないのです。
無論、より進歩した対潜迫撃砲など影も形もありません。
これはいくらなんでもあんまりです。
そのくせ、対潜を主任務としていない水雷艇駆逐艦のほうにはわざわざイギリスから輸入した爆雷投射機を積んでいるのですから、仏海軍はいったい何を考えていたのでしょう。
これはあくまで想像なのですが、仏海軍にとって潜水艦の脅威とは、通商破壊にともなう商船攻撃のほうではなく艦隊に対する水雷襲撃のほうだったのでは、と考えます。
機動部隊(空母主体のそれではなく、高速戦艦を中核に据えた遊撃戦部隊)護衛のための大型駆逐艦に対潜兵装を優先させたのは、それゆえだったのではないでしょうか?
比較的狭い地中海における伊海軍との覇権を競っていた仏海軍にとって、海上輸送路の防衛とはそれほど重視するものではなかったのかもしれません。
北アフリカ植民地から本国南部への距離的も、さほど長いものではありませんしね(ただそうした甘い考えは、史実における地中海の戦いが完全否定しちゃってるんですけど)。
こうした対潜兵装への軽視は、実際に戦後建造された艦艇でもきっちり継承されていますので、本作における戦後駆逐艦も側方への爆雷投射機は設置されない(艦後方への投下軌条のみ)ものとしてデータ化しました。
そのため、艦隊護衛艦としては相応に優秀なのですが、敵潜水艦に打撃を与えることは航空機による支援があっても難しいものになるでしょう。
もし史実で独仏戦が長引けば、独潜水艦による損害が深刻化したのは確実でしょうから、そうなったら仏海軍も考え方を改めたかもしれません。
しかしながら、本作においては仏海軍の思想がそれほど変化しないだろうと考えて、対潜兵装の増加はないものとしてデータ化しました。
ドイツもそうですが、フランス人も妙にプライドが高いところがあるので、英海軍が開発した対潜迫撃砲などの新型装備を真似する可能性は高くないでしょうしね。
というわけで、今度はそうした仏海軍と競っていたイタリア海軍駆逐艦を語っていきます。
伊駆逐艦をひと言で言うなら「弱くて小さい」ということに尽きるでしょう。
一時期は仏大型駆逐艦に対抗できる「偵察艦」という名の大型駆逐艦(レオーネ級/ナヴィガトーリ級)を整備していた伊海軍ですが、ナザリオ=サウロ級以降、1500トン未満の中型駆逐艦へと建造計画を変更します。
おそらくは条約による制限とコスト面の制約によるものなのでしょうが、個艦性能より隻数を選択したその姿勢は、財政難に苦しむ彼の国にとって、ある意味身の丈に合ったものだったと思います。
ただ、彼女たちマエストラーレ級まで続く中型駆逐艦群は、同時期の他国艦と比べて低性能な艦であることに疑う余地はありません。
よほど設計技術にレベル差がなければ、軍艦の実力は排水量に比例するからです。
幸い航続距離の短さは狭い地中海という主戦場ゆえに問題となることはありませんでしたが、不十分な砲撃力と低性能な魚雷がもたらす貧弱な雷撃力は、その実力に疑問符をもたらすに十分なものでした。
伊海軍もそのことは重々承知していたようで、無条約時代になったのち、従来型の4.7インチ砲を搭載したソルダティ級の建造を経て、5.3インチ両用砲を搭載したコマンダンテ=トスカーノ級大型駆逐艦の整備を開始します。
そして、両用砲を採用したことでそれなりの対空火力を獲得した上に対潜力も向上したコマンダンテ=トスカーノ級は、より大型化したコマンダンテ=エスポジート級/サン=ジョルジオ級へと進化していきます。
ただそれでも、他国の新鋭艦と比べると実力不足は否めません。
その最大の理由が、(仏駆逐艦もそうなのですが)搭載魚雷の低性能に所以します。
仏伊の艦をデータ化したことで感じたのですが、どうも両国は巡洋艦以下の補助艦艇で大型艦(この場合は戦艦なのですが)を「仕留める」という思想がなかったように見えるのです。
いわゆる条約型戦艦の水中防御がTNT300キロ相当の炸裂に耐えられるレベルなのはわかっているはず(自国でも建造しているのですから)なのに、それを打ち破る弾頭を持つ新型魚雷の開発を怠っていたのは、思想的なものでないとするなら怠慢の誹りを免れないと感じます。
ただ、こういった魚雷の軽視はドイツも同様(磁気信管による艦底起爆で対応していた節もありますが)なので、この問題は欧州陸軍国に共通するものなのかもしれません。
なおカピターニ=ロマーニ級軽巡洋艦は駆逐艦として扱ってもいい艦なのですが、仏大型駆逐艦に準じるような存在なので、こちらも同様に巡洋艦として数値化しました。
総じて伊駆逐艦は仏駆逐艦ともども、優秀な砲撃力を持ちつつも艦隊戦には向かない艦と評して構わないと思います。
特に戦艦などの大型艦に対する攻撃力が貧弱なのは、致命的ではないでしょうか。
このあたり、戦間期におけるライバル同士であった仏伊海軍の建艦思想が垣間見えるようで、なかなか興味深いところでもあります。
さていよいよ最後になりますが、大御所であるイギリス海軍の駆逐艦を語ります。
英駆逐艦に関しては、A級~I級までの条約型、トライバル級~M級までのポスト条約型、O級~Cr級までの戦時急造型、バトル級以降の戦後型という4つの流れが存在します。
A級~I級までの条約型につきましては、第一次大戦型駆逐艦の更新を目的とした中型駆逐艦で、性能的にはパッとしたところがない艦であります。
海軍全体が財政的に苦しむ中、性能面よりも数を揃えるのを重視したことが伺えます。
ですが海洋国家らしく船としての能力は良好で、そのことは旧式化が進んだのちも護衛駆逐艦への改装によって活躍し続けた事実が何より雄弁に物語っています。
英駆逐艦はこうした面が顕著でありまして、陳腐化も甚だしい第一次大戦型の駆逐艦ですらが第二次大戦においてもなお、十分現役の働きを見せております(単に物持ちがいいだけかもしれませんが)。
巡洋艦の際にも語ったと思いますが、英海軍は数的優勢を重んじる傾向が強く、建艦費用や運用コストなんかと比べれば個艦性能は軽く見られる傾向がありました。
こうした姿勢が一変し、他国の新鋭駆逐艦に性能面で対抗することを目論みだしたのが、トライバル級~M級までのポスト条約型です。
切っ掛けとなったのは、日本の特型駆逐艦、吹雪型の登場です。
彼女らの誕生に刺激された英海軍は、条約型の標準であった45口径4.7インチ砲4門という搭載砲を一気に2倍(トライバル級)から1.5倍(J/K/N/L/M級)に増加するという荒療治を強行します。
加えて、最新鋭のL/M級には、新開発の50口径砲を採用することも決断します。
この50口径4.7インチ砲は高価ですが極めて優秀な砲で、L/M級に日駆逐艦と並ぶ砲撃力を与えることに成功します。
英海軍としては、コストは掛かるが強力なL/M級と、それらに劣るがより安価なJ/K/N級というハイローミックスで艦隊駆逐艦を整備し、それらを逐次トライバル級で支援するという形での運用を計画していたと思われます。
つまるところ、トライバル級は軽巡洋艦の代わりなんですね。
本来なら軽巡洋艦が欲しかったのだけど、カネがないから火力支援用の大型駆逐艦を建造する。
その判断自体は正しいと思います。
ですが、その正しさが実戦で証明されることはありませんでした。
なぜなら、第二次大戦が勃発したからです。
「駆逐艦とは消耗品である」という現実を認識していた英海軍は、すぐさま建艦計画を変更。
トライバル級やL/M級といった高価な大型駆逐艦の整備を諦め、比較的艦形の小さいJ/K/N級を元にした戦時急造駆逐艦を設計します。
O級~Cr級までの駆逐艦群ですね。
彼女らは、中型クラスの船体に凡庸な砲(45口径4.7インチ砲)を必要最低分(4門)搭載した安価な艦として設計されました。
重視されたのは個艦性能ではなく調達コストと建造期間です。
船体が小振りなのも高性能な新型主砲を採用しなかったのも、すべては安く大量に建造することを最優先したからです。
その考えはおおむね正しかったのですが、同時に性能の急速な陳腐化も避けられないものでした。
その最たるものは、貧弱な対空火力です。
英海軍は、戦時急造型に搭載する砲を改良して仰角を上げ、限定的な両用砲として運用できるようにしましたが焼け石に水。
Z級以降は、搭載砲を生産に余裕の出てきた45口径4.5インチ両用砲に変更したのですが、それでも目立った性能向上は果たせませんでした。
結果として英駆逐艦は、ドイツの急降下爆撃機などから滅多打ちにされるという屈辱を受ける羽目に陥るのです。
そんな戦訓を得た英海軍が本格的な防空能力を備えた新型駆逐艦を計画するのは、第二次大戦に間に合わなかったバトル級以降です。
計画が遅れたのは、厳しい戦況が新鋭艦へのシフトを許さなかったからです。
これらバトル級と、その安価型であるウェポン級は、対空・対潜を重視した汎用駆逐艦であり、対艦火力は比較的軽視されていました。
航空機と潜水艦を主敵とした戦闘経験が、そうした流れを形成したのですね。
その結果、バトル級もウェポン級も、両用砲を用いた実用的な対空火力と強力な対潜力(ASDICに対応した対潜迫撃砲の装備によります)を兼ね備えた優秀艦として誕生します。
雷撃力も相応にあるため、インド洋での対日戦においても大いに活躍できるでしょう。
ああ言い忘れていましたが、これら戦後就役の新鋭艦はドイツの属国である正統イギリス政府に属しているので、日英同盟軍とは敵対する立ち位置にあります。
とまあ長々と英駆逐艦の流れを話してきたわけなのですが、ぶっちゃけて言いますと、英駆逐艦は具体的な設計思想によって建造されたというよりは、直面した問題、深刻な予算不足や悪化する戦況への対処などに少しずつ応じた形で進化してきた艦だと言えます。
なので、日米駆逐艦のように練り込まれた海軍戦略に適応した艦艇ではないとも評し得ます。
事実、条約明けの新鋭艦以外は個艦戦力として必要最小限のものでありますし、45口径4.7インチ砲を延々使用していたことからもわかるとおり、実に保守的な艦でもあります。
しかしながら、キングジョージ5世級戦艦がそうであるように、彼らは必要な時、そこに存在することを最重視して設計され、結果としてそれに応えた艦でもあります。
本作においては、ドイツに敗れて敵味方に分かれて戦うことになった英駆逐艦でありますが、彼女らの真の価値はユニットデータに表れないところにこそあるのだと感じてもらえれば幸いです。




