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45 やっぱり来世こそは畳の上で死にたい



 

 子守唄みたいな総主教の口上が続く。

 そんな中、先生がふいにぽつりと呟いた。


「まあでも、レクター・マーロウじゃないけど、バイトちゃんの花嫁姿は俺にとっても感慨深いものがあるよ」

「と、いいますと?」


 伺うように顔を覗き込む私に、先生は切ない表情をして続ける。


「前世での葬式の最後……気丈にも、喪主の挨拶に立った君のお父さんが言っていたんだよ」

「父が? えっと、何て……?」

「――〝娘に、ウェディングドレスを着せてやりたかった〟と」

「お、おとうさん……」


 葬式のシーンは、先生の夢の中で見ていた。

 ただし、あの温和な父が先生を殴った辺りからは、辛くて目も耳も塞いでしまったから、喪主の挨拶に関しては初耳だったのだ。


「世界を跨いでしまったけど……お父さんの願い、やっと叶えられたね?」

「はい……」

「ついでに、俺の願いも聞いてもらえると嬉しいんだけどな?」

「先生のお願い? それって、何でしょうか?」


 首を傾げる私に頬を寄せ、先生は囁くように言う。


「今世は、どうか俺よりも一分一秒でもいいから長く、誰よりも幸せに生きてほしい」

「ええっと、先生よりも長く、幸せにですか……?」

「まあ、幸せにするのは俺の役目だからね。バイトちゃんは、とにかく生き長らえることだけ頑張ってくれたらいいよ。優秀なマーロウ一家のロッタちゃんになら、できるだろう?」

「う、ううーん、ううーん……頑張り、ます」


 一見おどけた風を装っていても、前世で私の死によって人生を狂わされた先生の言葉は切実で、頷かないわけにもいかなかった。


 その時である。



「――それでは、誓いのキスを」


「えっ、キス!?」



 ここまでムニャムニャ言っていたはずの総主教が、異様にはっきりとした言葉で口上を締めくくった。

 ぎょっとする私に、先生が片眉を上げる。


「何を今更驚いてるの。古今東西、結婚式に誓いのキスは付き物だろう?」

「だ、だだ、だって! 私と先生って、全然そういう仲じゃなかったじゃないですかぁ!」

「……あのね、バイトちゃん。君、いつまで前世の話をしてるのかな?」

「い、いつまでって……」


 先生はもごもごと口籠る私の頬を両手で包み込み、コツンと額同士をくっ付けて至近距離から瞳を覗き込む。

 彼の青い瞳の中に私の赤い瞳が映り込み、まるで青空の中に夕日があるみたいで不思議な感じがした。

 お互い日本人らしい焦げ茶色だった前世とは似ても似つかない。

 虹彩だけではなく髪だって、今世の私達はまるで違う色をしていた。

 それなのにお互いの関係だけは前世を逸脱しないと考えること自体、確かにナンセンスな気がしてくる。


「せっかくこうして、君と再会する運命が巡ってきたんだ。前世の関係に留めて満足する気なんて、俺はさらさらないんだけど?」


「――新郎新婦。誓いのキスを」


 額をくっ付けて見つめ合う私達に、総主教がキスの催促をした。

 私は往生際悪くおろおろと視線を彷徨わせたものの、「キッスをなさい」と老齢の総主教に急かされるのが居たたまれず、ついに観念してぎゅっと両目を瞑る。

 その直後、自分の唇を覆った柔らかく温かな感触に、かっと燃えるように頬が熱くなった。

 何だか目を開けるのが恥ずかしい気がするし、そもそもタイミングが分からなくてそのまま固まっていると、私の唇に重なった先生のそれがふるふると震え出す。

 まさか、感極まって泣いているのだろうか?

 そう思って薄く目を開けてみたものの、そもそもあの先生がしおらしい反応などするわけがない。

 にんまりと弧を描いた瞳にかち合っただけだった。

 

「ふふ……バイトちゃん、俺がさっきあげたクッキーの味がするね。ポケットのやつも食べる?」

「あー、そういうこと言っちゃいます? せっかく空腹なのを忘れようとしていたのに……」


 先生が口にしたクッキーという単語に反応し、私の節操のないお腹の虫が食べたい食べたいと騒ぎ出す。

 大勢の参列者が見守る前でお腹を鳴らすなんて、普通だったら穴があったら入りたいくらいの赤恥だが……


「大丈夫、俺にしか聞こえていないよ」


 ぐーっという盛大な音は、私達の誓いのキスと同時に湧き起こった盛大な拍手が掻き消してくれた。

 総主教もうんうんと満足そうに頷きながら、鷹揚に手を叩いている。


 こうして、この日。


 私と先生は多くの祝福に包まれて、晴れて夫婦となったのであった。












 ――と、これで終われば大団円だったのだが。



 そうは問屋が卸さないのが、先生と歩む人生である。


 それを証拠に、突如入り口の扉がバーンと大きな音を立てて開き、大聖堂に数人の男達がなだれ込んできたではないか。


「な、何? 何ごとですか!?」


 驚いた私は、思わず先生にしがみつく。

 祭壇脇の扉の側に控えていたモアイさんが、すかさず腰に提げた剣の柄に手をかけて乱入者達の前に立ち塞がった。

 おかげで、先生は私の頭をよしよしと撫でながら、のんびりとしたものだ。


「どうやら、ミッテリ公爵家とその一味だね」


 その口から出たのは、随分懐かしい名だった。

 ミッテリ公爵家といえば、先生ことクロード殿下の婚約者であったにもかかわらず、当時の近衛師団長カイン・アンダーソンと通じて子供を身籠っていた令嬢の家である。

 さらには、不貞がバレるのを恐れて先生を謀殺しようとしたというのだから、なかなかの悪女だ。

 

「俺と令嬢の婚約破棄に不満を募らせていたようだから、いつか来るだろうとは思っていたけど……このタイミングかあ」


 この結婚式は無効である! 王太子妃にふさわしいのは、自分の娘だ!

 祭壇に立つ私達を睨んでそう喚いているのは、先生と令嬢の婚約破棄によって著しく立場を悪くしたミッテリ公爵その人だった。

 本来ならばこの日の結婚式にも参列してしかるべき身分でありながら、招待さえされなかったというのだから、公爵家とはいえもう名ばかりなのはお察しである。

 彼に向けられる参列者達の眼差しも、凄まじく冷ややかだった。


「あははっ、うるさいうるさい。よく吠える負け犬だねー」

「ちょっと、先生。煽らないでくださいって。聞こえちゃいますよ」


 結婚式に乱入されたにもかかわらず先生が上機嫌なのは、式自体がすでに完結していたからだ。

 つまり、神にも総主教にも世間にも認められた私達の結婚に、今更異議を唱えたところでまったく意味がない。

 先生からすれば、この乱入劇は式の後の余興くらいの認識なのだろう。もちろん、不届き者どもが一網打尽にされるところまでがセットである。

 先生の期待に応えるように、副団長ダン・グレゴリーを先頭にして、近衛師団も大聖堂に駆け付けた。

 ダンが近衛兵の恰好した男の首根っこを掴んで引き摺っているが、もしかして乱入の手引きをした犯人だろうか。

 捕まった仲間の姿に焦ったのか、乱入者のひとりが隠し持っていた短剣を抜いてしまう。

 それをきっかけに、大聖堂はたちまち大混乱に陥った。

 女王陛下はあちゃーという感じで天を仰ぎ、無礼者どもに噛み付こうとするアルフ殿下を、王配殿下が羽交い締めにして止めている。

 ボスとアンは先生と同様に余興でも眺めているような面白そうな顔をし、そもそもの元凶であるザラなんて手を叩いて喜んでいる。

 可哀想なのは、何も知らない来賓客達だ。突然の騒動に巻き込まれて、おろおろしっ放しである。

 一方、私が引くほどめちゃくちゃに怒ったのが、自らが取り仕切った晴れの舞台にけちをつけられた総主教だった。

 無作法者どもめっ! 破門じゃ! と、血管が切れそうなくらい顔を真っ赤にして叫んでいる。

 先生はそれをまあまあと宥めると、壇上から乱入者達に向き直った。

 彼らの目的は、今日の結婚式をぶっ潰し、令嬢のお腹の子供を先生に認知させることらしい。

 とはいえ、先生がそんな不条理を受け入れるはずもなかった。


「残念だけど、私はパウル様――父ほど人間ができていないのでね。他の男の、それも自分を殺そうとした人間の子を愛せる自信なんてないから、子供の幸せを思うのならば私と関わらせない方がいいよ」


 さりげなく、先生は初めて王配殿下を指して〝父〟と呼んだ。

 思いがけないサプライズに、王配殿下は参列席ではわわとなっている。

 身に覚えのない子供の認知を断るのは当然であるから、先生の台詞は至極真っ当だっただろう。

 ただ、差し障りのない言葉で終わらせないのが先生である。

 彼は、私をこれ見よがしに抱き寄せると、ふんと鼻を鳴らして言い放った。



「そもそも、こんな可愛い妃を得たというのに、今更他の女のために心を砕いてやる気なんてさらさら起きないね。ご令嬢には、二度と私やこの子に関わるなと伝えてもらえるかな?」



 先生の煽り体質は今世も健在。

 彼の物言いに逆上した連中が、汚れた足でバージンロードを踏み荒らす。

 それを阻もうと立ち塞がるモアイさんと、追い掛ける近衛師団。ついには客席も巻き込んで、大聖堂の中は大混乱に陥った。

 そんな中、モアイさんバリケードの隙をついた男が二人ばかり、恐れ多くも祭壇に続く階段に足をかけようとする。

 私はとっさに両方の木履を脱いで、それぞれの顔面に投げつけた。



「あははっ、おっかしい! 一生忘れられそうにない刺激的な式になったねぇ! バイトちゃん!!」

「う、うれしくなあああいっ!!」



 裸足になった私を抱き上げ、先生が朗らかに笑う。

 その腕の中から足下で右往左往する人々を眺めつつ、私はこれからの人生を思ってため息を吐いた。


 どう考えたって、波瀾万丈。


 今世もまた安らかな最期を迎えられる気がまったくしない。


 私は、ボスがくれた髪飾り型の暗器も手に取りつつ天を仰いだ。



 願わくば、せめてーー





「――来世こそは畳の上で死にたい!」





 そんな私の切実な心の叫びに、鬼が笑うよ、と先生が前世的な言い回しで、至極楽しそうに突っ込むのだった。






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― 新着の感想 ―
[一言] 完結、ありがとうございます! 主人公と先生の軽快な会話回しが、楽しかったです。何気に先生が、スキンシップ多めなのもたまらないです。 もっと二人のやり取りを見ていたかったので、終わってしまうの…
[良い点] 腹ぺこロッタちゃんと先生のコンビが最高に素敵でした!ボスと先生のロッタちゃんの取り合いに悶えました~ 侍女頭さんのスキップがツボです(笑) [一言] 最後はハトさんも乱入して欲しかったかな…
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