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44 嫌いになんてなれない




「――何があったの!?」


 はっと我に返ると、すぐ目の前に今世の先生の整った顔があった。

 私の手を掴んでいる相手も、いつの間にかボスから先生に戻っている。

 そう気付いたとたん、それまで聞こえなかった周囲の音が一気に耳に入ってきた。


「あわわ……」


 今まさに、私達は割れんばかりの拍手に包まれていた。

 大聖堂の高い天井に反響してますます大きくなる音に、圧倒されそうになる。

 先生は怖気付いた私の手をぐっと握り、何があったの、ともう一度問うた。

 大聖堂の入り口から先生が待つ祭壇の前まで――つまり、前世でいうところのバージンロードを、一体どうやって歩いたのか私にはまったく記憶がなかった。

 ボスの前世にこだわらないでおこうと決意したとたん、いきなり彼にその記憶があることを匂わせる発言をされて、頭の中が一気にキャパオーバーしてしまったからだ。

 明らかに様子がおかしい私を抱き寄せ、先生はここまでその手を引いてきたボスをじろりと睨む。

 それに対し、ボスはにっこりと微笑み浮かべて口を開いた。


「以前も申し上げました通り、私は一時でも一家に属した人間は死ぬまで身内であると考えております。特にロッタは赤子の頃から面倒を見てきた手前、マーロウ一家の長としても、私個人としても思い入れが深いのです」


 そう言いつつ、ボスの手は私の頭を撫でるように見せかけて、結い上げられた髪に何かを差し込んだ。

 拍手を続ける参列者達の目にはきっと、新婦が新郎に託される感動的な場面として映っているだろう。

 だが、ぴくりと眉を上げた先生は、ボスが差し込んだのが髪飾りに見せかけた暗器であると気付いているようだ。

 花嫁にふさわしくない血腥い贈り物だが、美しいだけの装飾よりもよほど今世の自分の身に馴染む気がした。


「それでも、本人が殿下のお側がいいと言うのですから致し方ありません。ひとまず、ロッタは殿下にお預けしましょう。ですが、どうかお忘れなきよう――」


 鳴り止まない拍手に掻き消されて、花嫁の保護者の声は参列者にまで届かない。


「殿下がこれを蔑ろになさる、あるいはこれが殿下に愛想を尽かすようなことがあれば、即刻返していただきます」


 それをいいことに、ボスは声も潜めずに続けた。




「その時は――ヴェーデンを火の海にしてさしあげましょう」




 笑顔のままそう凄むと、彼はあっさり私と先生に背を向けて、参列者席へと去っていった。

 まだ鳴り止まない拍手の中、私と先生は額を突き合わせてこそこそと言い交わす。


「つまり、だ。俺がバイトちゃんを蔑ろにせず、バイトちゃんも俺に愛想を尽かさなければいいんだろう? 全然問題ない。余裕だよね」

「どこからくるんですかー、その自信」

「だって、俺がバイトちゃんを蔑ろになんてするはずないし、バイトちゃんも今更俺に愛想を尽かしたりしないでしょ?」

「まあ、しないですけどー」


 私の答えに満足そうな顔をした先生は、参列者席に目を向けた。

 私もつられるようにして、その視線を追う。

 右側の最前列は新郎の親族席だ。

 女王陛下と王配殿下、そして感極まった様子のアルフ殿下の姿があった。

 今日の結婚式に先駆けて先生ことクロード殿下への譲位を周辺各国にも伝え終わり、肩の荷が降りたのだろう。女王陛下の表情は晴れやかだった。

 その隣で微笑みを浮かべて手を叩いている王配殿下には、幸いカインに斬られた傷の後遺症は見受けられない。

 あの時、身を挺して守られたことから、さしもの先生も彼への当たりが幾分柔らかくなった。

 すべての蟠りを無くすにはまだ少し時間が必要かもしれないが、それでも一緒に食卓を囲むのが常態化し始めているので、父子水入らずで酒を呑む、なんて日もそう遠くないかもしれない。

 アルフ殿下に関しては、完全に先生の懐に入り込むのに成功したと言えよう。

 その扱いは弟というよりはワンコだが、気まぐれに与えられる先生の優しさに、全力で尻尾を振って応える彼は毎日幸せそうだ。

 右側の二列目にはボスウェル公爵夫妻が座っている。

 結局ボスウェル公爵が狸なのは見た目だけで、普通に人のいいおじさんだった。

 一方、左側は新婦――つまり、私の親族席だ。

 といっても、実際私の身内と言えるのは最前列のボスだけで、二列目以降は来賓席となっている。

 ボスの隣には、ちゃっかり森の魔女ことアンの姿もあった。

 けれども私の度肝を抜いたのが、その隣にいた人物の存在である。


「誰ですー!? あれをここに呼んじゃったクレイジーな人はっ!!」

「俺だけど?」


 アンと一緒ににっこにこしながら手を叩いているのは、一連の事件の元凶であったザラだ。

 記憶にある女王然としたかつての彼女とのギャップと、自分達の命を脅かしていた人間を結婚式に招待してしまう先生の神経の図太さに、繊細な私の背中には鳥肌が立った。

 彼女と関係していたことで事情聴取を受けたモーガン家なんて、当主の不倫が発覚して修羅場を経験したに違いない。来賓席の後ろの方にいるモーガン家当主は、般若のような表情をした夫人の隣で今にも死にそうな顔色になってた。

 そんな参列席の悲喜こもごもを、私と先生以外で唯一見える位置にいるのが、本日の結婚式を取り仕切る総主教だ。

 白い髭を蓄えたサンタクロースみたいな彼が、両手を掲げて宥めるような仕草をすると、ふっと拍手が鳴り止んで大聖堂が静まり返った。

 それに満足げに頷いた総主教が、今度は私と先生に向かって手招きをする。

 すると、先生が私の手を引いて階段を上がり、祭壇の前まで連れて行ってくれた。

 総主教が分厚い教典を開き、長い長い結婚式の口上が始まる。

 私と先生が――前世ではただのアルバイトと雇い主に過ぎなかった私達が、同じ世界の同じ時代に生まれ変わって、出会って、そして夫婦になるなんて。

 こんな奇跡のような出来事があるのだから、神様なんてものももしかしたら本当に存在するかもしれない。

 ムニャムニャと不明瞭で、ともすれば眠気を誘う総主教の口上に、今世も前世も無神論者の私が感慨深い思いを抱く一方、同じく無神論者で現実主義の塊みたいな先生は聞いちゃいない。

 私の肩を抱き寄せる振りをして、こっそり内緒話を始めた。

 

「それで? 結局、ここに来るまでレクター・マーロウとの間に何があったの?」

「それが、その……私のこの恰好を見て、ボスが〝馬子にも衣装〟って……」

「へえ……随分と回りくどいカミングアウトの仕方じゃないか」

「そうですよね? あれってやっぱり、そういうことですよね!?」


 ボスには、いったいいつから前世の記憶があったのだろうか。

 今世に生まれ出た時からなのか、それとも私や先生みたいに大人になってから何かのきっかけで思い出しでもしたのだろうか。

 私がぐるぐると思考の渦に飲み込まれていると、先生が何でもないことのように軽い調子で言った。

 

「っていうか、きっかけとして一番考えられるのは、あれでしょ?」

「あれ?」

「ほら、バイトちゃんが俺の夢の中に来る前に、レクター・マーロウも魔女の花の根を試して君の夢の中に現れたそうじゃないか。その時に見たんじゃないかな。君の前世とその最期を」

「――あっ」


 先生の言葉に私ははっとする。

 その指摘通り、いつぞや女王陛下と会わせるために私を呼び出す際、ボスは魔女の花の根を煎じたものを飲んで夢の中に現れた。

 あの時の私が見ていたのは、前世で絶命するまさにその瞬間の夢であり、ボスもそれを見たと言っていたのを思い出す。

 

『……因果なものだ』

 

 今世では心を砕いて育ててきた私という存在を、前世では自分自身が殺したという事実を突き付けられれば、そう呟きたくもなるだろう。

 はぁあああ……、と私は長い長いため息を吐き出す。

 自分を殺したちんぴら君の生まれ変わりがボスだという事実は衝撃だったし、恨み言の一つや二つや三つくらいは言ってやりたい気持ちもあるが……


「やっぱりボスのこと、嫌いになんてなれないですよ……」

「別にいいんじゃないかな、それで。親愛の域を出ないなら、俺も狭量なことは言わないつもりだ」


 今世では、ボスがいなければ私はきっとこの年まで生きていられなかっただろう。

 そう思えば、先生とこうして再会できたのもボスの存在あってこそ。

 ボスを嫌いになれないという思いを先生に否定されなかったことに、私はほっとした。





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