42 真実を知ることがベストとは限らない
第九十九代ヴェーデン国王エレノア・ヴェーデンは、今年で即位して二十年という節目を迎える。
彼女は予てより、子供達が二人とも成人を果たせば玉座を退くと決めていた。
そのため、アルフ殿下の成人を祝う式典の最後には、先生ことクロード殿下への譲位が正式かつ大々的に発表されることとなったのである。
いまだに根強く残る、私生児の国王をよしとしない連中には、彼らが担ぎ上げたがっていたアルフ殿下本人によって、王位継承権の永久放棄という形で引導が渡された。
ヴェーデン王国の法律では、二十歳を超えるまでは王位継承権や財産相続権などの放棄が認められない。
大人の思惑に左右されて子供の権利が侵害されるのを防ぐためである。
裏を返せば、成人後に表明した意思決定は、その後何があっても覆せないということだ。
式典には、当然ながら王配殿下やボスウェル公爵も同席していた。
アルフ殿下の父親と伯父という立場の二人の権力者が、それでも彼の決断を笑顔と拍手でもって讃えたのだ。
彼らを差し置いてなお、アルフ殿下にこそ玉座がふさわしい、なんて声高に発言できるほどの不心得者は、さすがに王子の祝典に呼ばれたメンバーの中にはいない。
こうして、少なくとも表向きは、先生ことクロード殿下の即位に異を唱える者はなくなった。
同時に、私の存在も彼の妃として周知されることになる。
これに関しても、私を王太子妃として支持すると明言したアルフ殿下はもとより、女王陛下や王配殿下、ボスウェル公爵までその発言を肯定したことで、物言いを付けられる者はいなくなった。
ボス宛の結婚式の招待状をハトさんに託したのは、それからさらに一月後のことである。
ヴェーデン王国では、王族の結婚式は王城内に立つ大聖堂で執り行われる習わしになっている。
この大聖堂へ向かうルートは二つあり、一つは庭園を突っ切っていくルート、もう一つは王宮から繋がる内廊下をいくルートだった。
ただし、後者に関しては王族とそれに付随する者のみにしか通行が認められない。
というのも……
「わーわーわー、これってもしかして……お墓ですか?」
王宮から大聖堂に向かう廊下の先には、豪華な意匠が施された大きな扉があった。
その向こうの一室には、ずらりと石碑が並び、一つ一つに肖像画が飾られている。
これらは、歴代のヴェーデン国王総勢九十八人とその伴侶の墓だった。
「先祖の墓参りをしてから結婚式に臨むなんて、この国の王族もなかなか殊勝なことだね」
「とか言いつつ、先生のその面倒くさそうな顔……健気さの欠片もねーですね」
「そういうバイトちゃんこそ、お供えのお菓子をこっそりくすねるのはやめなさい。叱られるよ」
「誰に叱られるって言うんですかー? 死人に口無しですよ」
王宮の私室で身支度を整えた私と先生は、偉大なる先人に報告をしてから結婚式に臨む、というヴェーデン王国のしきたりに則って、霊廟を経由して大聖堂へと向かっている。
私はもちろんのこと、先生もここに足を運ぶのは初めてのことだという。
霊廟に安置されている人間で、先生と唯一面識があるのは第九十八代ヴェーデン国王だが……
「私生児の孫を冷遇していた祖父の顔など、肖像画でも二度と見たくなかったんだけどね」
そう言って、祖父の肖像画の両目にプスプスと画鋲を刺した先生の闇は深い。
とはいえ、豪華な金糸の刺繍が入った白い長衣を着こなすその姿は、思わず見蕩れてしまうくらいに立派な新郎っぷりだ。
私の方も、妙に張り切った女王陛下と侍女頭の計らいで、随分と豪華な花嫁衣装を着せてもらっている。
シノワズリ風なヴェーデン王国の文化に合わせ、どこか中華っぽい要素の入ったドレスは可愛くて、袖を通す前からずっとわくわくしていたのだ。
ただ木履っぽい靴とドレスの長い裾のせいで、すこぶる歩きにくいのだけが難点だった。
先生はそんな私の手を引いて、ゆっくりと霊廟の中を歩いて行く。
現在はまだ玉座にあって健在な女王陛下とその王配殿下も、これから国王となる先生も、死ねばここに埋葬されることになるだろう。
そして、本日これから先生と結婚式を挙げる、私も然り――。
石碑と肖像画は、大聖堂へ近づくに連れて古くなっていく。
ほぼ二百人分のそれらがずらりと並んだ光景は圧巻だった。
とはいえ、この広く静かな空間の中で、生きているのが私と先生の二人だけというのはどうにも薄ら寒く感じる。
石碑に刻まれた生没年によれば、随分と若くして亡くなった国王も多かった。
かつてはヴェーデン王国でも、玉座巡って血で血を洗うような争いが頻発し、それこそ二、三年で国王が代わるなんて時代もあったようだ。
それが落ち着き始めたのが、今からちょうど千年ほど前。
当時の国王によって、嫡出子非嫡出子にかかわらず国王の第一子に玉座を譲るという決まりができてからは、在位期間も二十年から三十年と安定したものになっていた。
「千年前といえば……アンが魔女の花を育て始めた頃ですね。結局、アンの未練って何だったんでしょう?」
「さあね。それにしても、魔女の花が咲く前に肝心の未練が何なのかを忘れてしまったのに、今度は花を見ること自体に執着して、記憶を持ったまま千年も転生を繰り返すはめになったっていうんだから、本末転倒だよね」
「今度は、実を付けるのを見届けたいんですって。さらに、千年かかるそうですよ」
「気の長い話だね……」
そんな会話を交わしながら、霊廟のほぼ真ん中――第五十代の国王の石碑の前に差し掛かった時である。
何かに引き寄せられるようにして、その上に飾られた肖像画に目をやった私と先生は、あっと声をハモらせて立ち止まった。
私達は一度顔を見合わせ、それから揃って石碑の名前と生没年を確認し、さらにもう一度顔を見合わせる。
先に口を開いたのは私だった。
「先生……あの、言っていいですか?」
「……いいよ」
「この肖像画って、もしかしてもしかなくても……彼女、ですよね?」
「だろうね。少なくとも、俺はそう確信している」
第五十代ヴェーデン国王も、女王だった。
彼女は一度異国に嫁いだにもかかわらず、腹違いの兄王子を失脚させて権力を握った母方の伯父の意向でヴェーデン王国に戻され、女王に祭り上げられるという数奇な運命を辿った。
気の毒なのは、嫁ぎ先ですでに一児を儲けていたことだ。
彼女は我が子を祖国に連れ帰るどころか、その後二度と会うことも叶わなかったという。
なぜなら、子供は元夫の後妻によって国外に放り出され、間もなく命を落としたからだ。
その悲劇の女王の名は、アン・ヴェーデン。
肖像画の彼女と見知った彼女とは似ても似つかないが、私も先生も確信していた。
この、第五十代ヴェーデン国王アンこそが、転生を繰り返して千年も生き続けている森の魔女アンの始まりである――、と。
「せ、せんせーい!? なんで今まで気付かなかったんですか!?」
「アン・ヴェーデンに関する伝記を読んだ記憶はあるんだけどね。肖像画はどこにもなかったんだよ」
始まりのアンが最初に嫁いだのは、周囲を冷たい凍土に覆われた極北の王国だった。
その後、大きな戦乱に巻き込まれて王国は滅び、現在はシャンドル公国の領地となっている。
アンの子供の遺体は、千年たった今もなお、氷の下で当時のままの姿を保っているそうだ。
私は先生の腕を掴んでグラグラ揺すりながら言い募った。
「アンの未練って、絶対その子のことでしょ? 教えてあげた方がよくないですか!?」
「残念だけど、あの凍土はシャンドル神教の聖地になっているから異教徒は立ち入り禁止だよ。そこに我が子が千年氷漬けになっているなんて教えられたところで、アンには掘り起こすこともできないんだ」
「でも確か、パウル様がシャンドル公国の大公閣下と古い付き合いだとかおっしゃってたじゃないですか。ちょっとだけお願いして、こそっと入らせてもらえば……」
「いや、無理だね。シャンドル神教は戒律が厳しいことで有名なんだ。万が一、異教徒が聖地を掘ったなんてバレたら、それこそ宗教戦争勃発しちゃうよ」
先生はそう言って肩を竦めると、この話は終わりとばかりに私の手を掴んで歩き出した。
先生が読んだという伝記によると、女王アンは母方の実家が決めた親族の男性と再婚し、三人の子宝に恵まれたそうだ。優しい夫と可愛い子供達に囲まれて幸せそうに見えたが、最初に生んだ子を忘れたことはなかった。
決して癒えることのない大きな悲しみを背負わされた母の姿。
それを見て育った子供達は、相見えることさえできなかった父親違いの兄弟に思いを馳せ、本当なら母の長子であるその子こそがヴェーデン王国の国王として立つはずだったのではないか、と考えるようになる。
嫡出子非嫡出子にかかわらず国王の第一子に玉座を譲るという決まり作ったのは、そんなアンの子供の一人である第五十一代のヴェーデン国王だった。
私は後ろ髪引かれる思いで女王アンの肖像画を振り返る。
そんな私の手を引いて歩きながら、先生は噛んで含めるみたいに言った。
「真実を知ることが、ベストとは限らないよ。バイトちゃんだって、それを身をもって知っただろう?」
そういう先生の視線の先で、霊廟の出口の扉がゆっくりと開いた。
扉を開いたのは近衛師団長モアイさんことモア・イーサン。彼は、新郎側の案内役だ。
一方、新婦側の案内役は侍女頭だが、結婚式を取り仕切る総主教の足下まで私の手を引いていく役は、彼女でも先生でもない。
モアイさんと侍女頭の間に静かに佇み、じっとこちらを見つめている人物と目が合ったとたん、私は一瞬足が竦んだ。
「――ボス」
ボスは今日、私の身内として結婚式に参列する。
前世で私を撃ち殺した男の生まれ変わりが、今世では私とバージンロードを歩くだなんて……
――真実を知ることが、ベストとは限らない
ボスに関しては、まったくもって先生の言う通りだと思った。




