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40 アンの定義



 油を熱したフライパンに、リーキの微塵切りを放り込む。

 ジュッという小気味よい音とともに香ばしい匂いが立ち上った。

 すかさず堅めに炊いたご飯を投入してレードルで解しつつ、細かく切った燻製肉も加える。

 最後に、予め半熟にしておいた卵と一緒にパラパラになるまで炒め合わせ、塩こしょうで味付けすれば完成である。


「――バイトちゃん、お皿持っておいで」

「はーい」


 私は両手にお皿を持って、フライパンを振る先生の元へと馳せる。

 シノワズリ風のインテリアに、チャーハンの中華な香りが異様にマッチしていた。

 



 先生が蠱毒に冒され生死を彷徨った仮装舞踏会から、今日で一月が経つ。

 あの日、先生は目を覚ますやいなや、夢の中で言った通り私にチャーハンを作ってくれた。

 彼の生還に安堵して泣き崩れる女王陛下も。

 右肩に巻かれた包帯に血を滲ませつつ女王陛下を支え、よかった、本当によかった! と涙ぐむ王配殿下も。

 柴ワンコのコスプレのまま、まんま子犬みたいに、あにうえあにうえあにうえあにうえっ! と纏わり付くアルフ殿下も。

 ひとまず診察を受けるよう説得するモアイさんや、その隣でおろおろしっぱなしの侍医も。

 先生は一切意に介さず、私の手を引いて私室の片隅にある簡易キッチンに向かった。

 そうして、壁に掛けていたフライパンを手に取る直前――彼は一瞬だけ、背後を振り返って口を開く。


『あんな独り善がりな想い、邪魔されて当然だろう』


『もう二度と、この子は連れていかせないよ』


 矢継ぎ早に紡がれた言葉が聞き取れたのは、先生の背中にくっ付いていた私と、追い掛けてきたアルフ殿下だけだった。

 後者は意味が分からずきょとんとした顔をする。

 私もすぐには理解できなかったが、先生の視線を辿ったとたんに合点がいった。

 先生は、右往左往する一同とは対照的に静かに佇むボス――レクター・マーロウを見据えていたのだ。

 今の言葉は、前世のボスことちんぴら君が私を撃った後、先生に向かって放った主張に対する反論だった。


 ――お前が邪魔するから


『あんな独り善がりな想い、邪魔されて当然だろう』


 ストーカー行為がエスカレートして私の生活が脅かされないよう、先生が組織の上の人間に掛け合ったのをきっかけに、ちんぴら君の人生の歯車は大きく狂い出した。

 やがて彼は鬱憤を募らせ、その上の人間を衝動的に撃ち殺してしまう。


 ――一緒に連れていく


『もう二度と、この子は連れていかせないよ』


 よほど用意周到に計画した下克上でもなければ、上役を殺した下っ端に明日などない。

 ちんぴら君が死を決意するまでは早かった。

 理不尽にも道連れに選ばれてしまった前世の私は不運極まりない。

 無理心中なんて、侭ならない思いを昇華するにしてもあまりに身勝手が過ぎるだろう。

 私のちっぽけな命を握り潰して陶酔するちんぴら君を、盛大に取り乱していたあの時の先生は論破する余裕もなかったが……

 

 ――これで永遠に俺のものだ


『残念でした。永遠なんてものはない。少なくとも今世のこの子は、君のじゃなくて俺のものだ――ざまあみろ』


 そう言って鼻で笑う姿は、前世からよく知る彼だった。

 自信家で、煽り体質で、敵を作るのが上手で……とにかく、一緒にいるとフォローがたいへんだって分かっているのに、私は不思議とほっとする。

 一方で、ボスに対してはどう接していいのか分からなくなった。

 容姿はもとより、立ち振る舞いや雰囲気さえ、前世を彷彿とさせる要素は皆無である。

 にもかかわらず、なんと先生は、初対面ですでに彼がちんぴら君の生まれ変わりだと気付いていたというのだ。

 今なら、アンの家の前で初めて顔を合わせた時、ぼそりと先生が呟いた言葉にも頷ける。


『――ボス、ねぇ……随分と偉くなったものだ』


 前世ちんぴら止まりが、今世は大陸に名を馳せるマフィアのボスだ。

 その事実にすぐに気付いた先生と、今の今まで気付けなかった私の違いは、ちんぴら君に対して強く印象を抱いていたか否かだろう。

 私は結局最期の瞬間まで、彼にストーカーされていたことも、その延長で撃ち殺されることになったのも、何も知らないままだったのだから。

 全てを知った今、ちんぴら君に対して恨みを覚えないと言えば嘘になる。

 理不尽に奪われた未来に、未練だって感じないわけがなかった。

 彼の生まれ変わりが目の前にいると思えば、恨み言の一つでも言ってやりたい気分になる。

 さりとて、前世を理由にボスと決別するのかと問われれば、私は全力で首を横に振るだろう。

 だって今世の彼は、私にとって父であり兄であり、掛け替えのない存在になってしまっているのだから。

 

「……結局、ボスって前世の記憶があるんでしょうか?」

「さあ、どうだろう。アンの定義に当て嵌めるなら、記憶はないんじゃないかな。だって、前世ではバイトちゃんを道連れにできてさぞ満足しただろうからね」


 先生は憎々しげにそう言いながらフライパンを斜めにして、炒め上がったチャーハンをレードルで掬う。

 その美味しそうな香りにぐーぐーお腹を鳴らしつつ、私も苦虫を噛み潰したような顔をした。


「アンの定義って、〝記憶を持ったまま転生するのは未練があるから〟ってやつですよね。前世で私と無理心中を果たしたボスには思い残すことはない、と?」

「かもねって話だよ。本当のところは本人に確かめるしかないけど……いかんせん、今世の彼は腹の内を読ませないからねぇ」


 先生はやれやれと肩を竦めてから、レードルで掬ったチャーハンを二枚のお皿にカポッカポッとテンポよく盛りつける。

 あれから、ボスとじっくり話をする機会はまだ訪れていなかった。

 ハトさんを通じて手紙のやり取りはしているものの、彼が前世について言及したことはない。

 薮をつついて蛇が出てくるのは遠慮したいので、私からわざわざ尋ねるつもりもなかった。

 一月前の事件の後、あの場にいた面々――先生と私、アルフ殿下、女王陛下夫妻、モアイさん、侍医、アン、そしてボスにのみ、私の正体を含めて、先生ことクロード殿下とマーロウ一家および森の魔女アンらの繋がりが共有されることになった。

 ほぼ全ての事柄について寝耳に水だったアルフ殿下と侍医は、目を白黒させたものだ。

 先生を刺したカイン・アンダーソンは地下牢に逆戻りし、脱獄の手引きをした牢番は近衛師団によって拘束。

 一方、全ての元凶たるザラ・マーロウは、現在ヴェーデン王国の地下牢にはいない。

 それどころか拘束もされておらず、その罪に関して裁判が開かれる予定もなかった。

 とはいえ、あれだけのことをしでかしておいて無罪放免となるはずもなく、彼女は一生自由を得ることはない。

 

「レクター・マーロウは身内には甘いって聞いていたけど……腹違いとはいえ実の妹には適用されないのかな?」

「ボスとそのお母様が、昔ザラの母親に引くほど苛められたらしいんですよね。そのせいで、ボスはザラ自体もめちゃくちゃ嫌ってまして……」

「でも、ザラは彼に兄以上の想いを抱いていた、と。そのせいで、彼に可愛がられていたバイトちゃんに嫉妬して憎悪を募らせたんだよね?」

「私とハトさんと、ですね。ザラの母親がボスとそのお母様を苛めたのも、結局は前のボスの寵愛を奪われて嫉妬したからなんです。因果なものですねぇ」


 先生はチャーハンを盛ったお皿を私に持たせ、再びフライパンに向き直った。

 私は両手に花……ではなく、両手にチャーハンという、たいへん幸せな状態にもかかわらずため息を吐き出す。

 ヴェーデン王国側は、ザラを公的に裁いて素性が明らかになることで、反社会的勢力として名高いマーロウ一家と王家の関係が周囲に知られるのをよしとしなかった。

 結局、彼女の身柄は森の魔女アンに引き取られることになった。

 名目上は魔女の助手として。しかし、その実情はモルモット――今後アンが作る全てのものは、ザラが身をもって試すことになる。

 薬はもちろん、毒も――。

 そんな非人道的私刑を、ボスは黙認した。彼の中で、すでにザラはファミリーではなくなっていたのだろう。

 と言っても、あのザラが大人しく罰を受け入れるはずもなかったが、それに関しても早々に解決した。


「魔女の花、だっけ? 根の効能は、バイトちゃんが実際俺の夢の中に来てくれたことで信じないわけにはいかなくなったけど……結局、花弁の効能の方も本当だったんだね」

「はい。けれど、花弁のお茶を飲んで忘れてしまうのは、どうやら未練だけじゃないみたいで……」


 乾燥させた魔女の花の花弁を煎じて飲まされたザラは、何もかも綺麗さっぱり忘れてしまっていた。

 ボスに対して長年抱いていた愛憎も、私やハトさんに対する嫉妬心も、ネロ・ドルトス及びその息子である先生への憎しみも――そして、愛人であったモーガン家当主への愛情も全て。

 後日訪ねたアンの家で、「会いたかったわ、ロッタちゃん!」とザラに満面の笑みを向けられた時は、あまりのギャップに鳥肌が立ったものだ。一緒にいたハトさんなんて、問答無用で彼女の黒髪を毟っていた。

 最終的に、モーガン家もボスウェル公爵家もザラの計画に関わっていないことが判明し、事件の捜査が幕を下ろしたのはつい先日のこと。

 王宮は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。


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